第14話 水着と青い海の夏
ガタゴトと揺れる電車の中は、まだ 早朝という事もあってそれほど混み合ってはいなかった。
既に朝から眩い光が射し込む車内には、しかしまったく人がいないという訳ではなく、談笑しながら楽しそうに顔を輝かせている人たちの姿がちらほらと見受けられた。
多分みんな、これから向かう目的地とそこで過ごす夏の日の1日が待ちきれないのだ。
そしてそれは、私の同行者たちも同様だった。
むしろ高校生活最初の夏休みを満喫している私たちの集団の方が、もう期待感を隠せなくて、子供の様にはしゃいでしまっていた。
「あ、今ちらっと見えたね!」
私の対面に座っていた明穂が、席を経つと私の側の車窓に寄って来た。
「おお、マジかー!」
続いて跳ねる様に莉乃も駆け寄ってくる。
まったく、小学生じゃないんだから、もう少し落ち着いて欲しいものだ。
「莉乃、明穂。静かにね」
私はふっと溜息を吐いて2人を半眼で見る。
「はは、相変わらず水町はクールだな。城山とは大違いだ」
対面のシートから低い声で先生かお父さんみたいなコメントをして来るのは、私や莉乃、駿太と同じ中学出身の中崎くんだ。
駿太並みに長身なのだが駿太みたいにがっしりしているタイプではなく、ひょろりと細い感じで、少し疲れた様な表情がやっぱり先生かお父さんといった雰囲気を漂わせている男子だ。
中崎くんは、いつの間にか駿太が誘っていて、急遽今日のイベントに参加する事になったみたいだ。駿太曰く、やっぱり女子グループの中に男子1人なのは、精神的にも世間体的にもマズイと思ったのだそうだ。
その駿太は、私の右隣の席に座っていた。身を乗り出して私の左隣に腰掛けているはるかと話を続けている。
……そんなに話したいなら、はるかの隣に座ればいいのに。
中崎くんの隣には、大人っぽいロングヘアの子が足を組んでニッと笑っていた。
彼女は明穂と同じ中学の友達で今は駿太のクラスの金井紫穂さんだ。明穂の昔からの友達であり駿太の顔見知りでもあったので、駿太や私と同じ中学の出身者ばかりになる事を懸念した莉乃が、明穂に誘う様に言い向けたらしい。
この男2人に女子5人というのが、本日のメンバーだった。
「あ、見えた!」
はるかが声を上げる。
「ああ、わかってても実際見るとテンション上がるな」
駿太も振り返って車窓に目を向けた。
私も、2人に倣って外を見る。
「あ、海だ」
そして、ぽつりとそう呟いた。
視界一杯に、キラキラと輝く青が広がる。
山の中腹を大きく左にカーブしながら走る電車の窓の外には、どこまでも広がる真っ青な海が広がっていた。
線路の近くの低木とその向こうに広がるゴツゴツとした磯、そして視界の左右から迫り上がる半島以外は、どこまでも遠く、海と空が広がっていた。
海の青と空の青、波の白と雲の白。
それらが、夏の眩い陽光の中で輝いている。
そんな風景を見ていると、自分が今、日常とは違う特別な時間の中にいるのだという事を実感せずにはいられない。
色々と考えなければならない事、悩まなければならない事が山積している私でさえ、だんだんと気分が高揚してくるのがわかる。
私たちは今日、以前からの計画通り海に遊びに来ていた。
莉乃が希望していた様な、学生だけで泊まり掛けでの旅行はさすがに許されなかったけれど、みんな今日1日は、目一杯夏の海を満喫するつもりだった。
莉乃や明穂、それに駿太やはるかたちが、目を輝かせて青く輝く海を見つめている。
そんな中、私は隣のはるかの顔をそっと盗み見た。
私には今、はるかに告白されてしまったという事よりも、アミリアさんから聞いた話の方が重くのし掛かっていた。
1年間。
その間にアミリアさんの正式な弟子になれなければ、はるかは、遼は、別の世界に行かなければならない。
……そんな事、もちろん簡単には信じられなかったけど。
でも、遼がはるかになってしまうというあり得ない事やあの不思議な秘密の庭というものを目の当たりにしていれば、アミリアさんの話を下らない冗談だと断ずる事も出来なかった。
1年のタイムリミットの話を聞いたという事は、まだ駿太にもはるかにも話していなかった。
なんて言ったらいいのかわからなかったし、それにもしその事を口にしたせいで、はるかが戻って来てくれた事で元に戻りつつある私たちの関係が、また何か変わってしまうのではないかという漠然とした恐れを拭い去る事が出来なかったから……。
私は、ぎゅっと唇を噛み締める。
……もちろん、黙っていてもどうにもならないという事もまたわかっていたけれど。
みんなが海を見て歓声を上げている中、私は目を伏せて止め息を吐く。
「ナナ」
不意に、すぐ側で声がする。
顔をあげると、はるかがにこっと輝く様な笑みを浮かべて私を見ていた。
「海、久しぶりだな」
少し恥ずかしそうに話し掛けて来るはるか。
「また3人で来れて良かったな」
はるかは、私に告げるというよりも、自分自身でその言葉の意味を噛み締めている様に、ゆっくりとそんな台詞を口にした。
「……そうだね」
小さく頷くと、私も車窓へと目を向ける。
はるかも、そして駿太もきっと、今この時の大切さを感じているのだ。
はるかがいなければ、私たち3人がこうして一緒に海に来る事は、もう2度となかった筈なのだから。
……今は、私だけが暗くなっていても仕方がない。
はるかも駿太も、2年ぶりの海を楽しみにしている。私がそれを台無しにしてしまっては、2人のお姉さん役としての立場がなくなってしまう。
私は、小さく息を吐いた。
……思い悩むのは、1人の時にしよう。
タイムリミットの事、はるかや駿太に相談するのは今日が終わってからでも遅くないと思う。
私は一瞬だけ目を瞑ってから、隣のはるかを見た。
「はるか。ちゃんと水着持って来た?」
はるかは、少し気まずそうに顔をしかめた。
「うっ、母さんに選んでもらったの、持って来たぞ」
海に行く前に、女子組でフローレスタに水着を見に行こうかという事になったのだけれど、はるかは不参加だった。あんな下着売り場みたいなところに女子と一緒に行くのは恥ずかしいから、というのが理由だったらしい。
はるかは、代わりに駿太に付き合ってもらうからと言っていたけど、それはやめてあげてと私が止めておいた。
どうせ頼まれれば駿太は断れないだろうけど、女性もの水着売り場で気まずそうにしている駿太の姿が目に浮かんだから。
それで結局、はるかはおばさんを頼る事にしたみたいだけど……。
「さて、どんな水着かな」
私は、にやりと悪戯っぽく微笑む。
「……海はいいけど、アレで人前に出るのは何だか恥ずかしいんだよな」
そんな私に対して、はるかはわざとらしく溜息を吐いて肩を落とした。
その様子に、私はふっと軽く笑う。
はるかも私に釣られる様に、にこりと微笑んでいた。
とうとう海にやって来た。
貸しロッカーもやっている海沿いの古い民宿で水着に着替えた私は、タオルや小銭入れなど最低限の荷物を入れた巾着だけを持って浜辺の前にそびえ立つコンクリートの堤防に登った。
鮮やかな青の生地に白のラインの入ったセパレートタイプの水着を着た私は、夏の太陽の下、うんっと体を伸ばした。
露出はそれほど多くないし今はTシャツも着ているけど、水着姿でこうして堂々としていられるのは、夏の海に来ているという解放感のせいだと思う。
ザザンっと押し寄せて来る波の音と共に、濃い潮の匂いが私を包み込む。
眩い夏の陽射しがジリジリと照り付けてくるけど、海を目の前にしているからか、不思議と不快だとは思わなかった。
ずっと遠く、右手から突き出した岬からこちらまで、弧を描く様にして浜辺とゴツゴツと岩の突き出た磯が連続して続いている。
私の前に広がっている砂浜も直ぐ側に岩場があって、それほど広くなかった。そのおかげか、海水浴に来ている人もあまり多くなかった。
私たちのいる場所から3駅ほど手前にある大きな海水浴場は、この時期人でごった返しているそうだから、まさにここは穴場と言える場所だ。
莉乃が見つけてくれたのだけど、後で褒めてあげようと思う。
私は堤防の上で大きく深呼吸する。そして、荷物を入れた巾着から髪ゴムを取り出すと、手早く髪をまとめた。
最近だんだんと髪が伸びてきたけど、はるかに比べたらまだまだ短く、ポニーテールには出来ない。尻尾みたいにぴょこんと束ねるだけだ。
「ナナ、早いねー」
「お待たせ」
背後の民宿から、莉乃と明穂、金井さんがぞろぞろと出て来た。
皆、それぞれ個性的な水着を身に付けていた。
莉乃は、ピンクのフリフリが沢山ついたセパレートだ。あまり凹凸のない体型にフリフリが山盛りになっているのを見ると、いつも以上に何だか子供っぽく見えてしまう。
浮き輪なんか持っているから、特に……。
明穂はオレンジベースの花柄のワンピースタイプだった。かなりメリハリのある体型の筈だけど、今は私と同様に水着の上からパーカーを着ていてわからない。
金井さんは、大胆な黒のビキニだった。こちらもスタイルが良くて、完全に大人な女性の雰囲気を漂わせている。一見すると、大学生とか社会人のお姉さんに見えてしまう。
後は、はるかだったけど……。
みんなと着替えるタイミングをずらしているから、少し遅れて来る筈だ。
着替えを手伝おうかと声を掛けたのだけれど、自分できるとはるかには拒否されてしまった。
はるかは何か期待する様な、反対に恥ずかしそうな、何だか複雑な表情でこちらをちらちらと見ていたので、私はその場にいない方がいいかと思って先に外に出たのだ。
「おう、ちょうど良かったな」
はるかを除く女子組が集まってワイワイ話していると、浜辺に続く堤防からひょっこりと駿太が姿を現した。
駿太ももちろん既に水着姿だった。
男子組には、先に行って場所とりをお願いしてあった。
「山内、場所はー」
「中崎さんが取ってるから大丈夫だ」
莉乃にそう告げながら、駿太は私の方へとやって来る。
同級生の友達なのに、駿太は何故か中崎くんの事をさん付していた。
「奈々子、はるかは」
私と目を合わさず、視線を落として胸元の方に目を向けた駿太が、少し照れた様なぶっきらぼうな口調で尋ねて来る。
……まったく。
「えっと、もう来ると思うけど」
私は腰に手を当ててふっと息を吐いた。
「莉乃、みんなも、先に中崎くんのところに行ってて。私ははるかを待ってるから」
「あ、俺も!」
私が莉乃に声を掛けると、駿太もそれに追随する。
「ふーん、まぁいいけど」
ニヤニヤと品のない笑みを浮かべた莉乃は、頭の後ろで手を組んで浜辺の方へと歩き出した。ギラリと一瞬目を輝かせた明穂も、ちらちらとこちらを見ながら莉乃に続く。私に軽く会釈した金井さんも一緒だ。
「駿太、あのね……」
みんなが十分に離れてから、私は駿太を横目で見た。
「はるかの事なんだけど……」
……告白の事は別にして、タイムリミットの件については駿太にも相談したいと思う。でも、駿太に会うタイミングはいつもはるかも一緒だったので、今まで全然その話が出来ていなかったのだ。
「何だ?」
腕組みをした駿太が私を見下ろす。
改めて見ると、むき出しの駿太の上半身は引き締まっていてゴツゴツしていた。部活とかやっていないのに、何でこんなに筋肉なんだろう。
気を取り直して、私が軽く息を吐いてから口を開こうとした瞬間。
「あ、ナナ、駿太! お待たせ!」
後ろから、明るい声が響いて来た。
振り返ると、水着姿のはるかが、ぺちぺちとビーチサンダルを鳴らしてこちらに駆け寄って来るところだった。
「な……!」
駿太が絶句して固まる。
む。
私も、思わずはるかに見入ってしまう。
はるかは……その、何と言うか、スタイル抜群なのが一目瞭然状態で、圧倒的だった。
わかってはいたつもりだけど、私よりも胸が大きい……。
はるかは、紺地にピンクと白のラインが入った競泳水着を身に着けていた。
長い黒髪は、いつもと同様にぞんざいにまとめてアップにしている。
私たちの秋陽台高校には、プールの授業がない。だから、学校指定の水着というのもない。
きっとはるかは、おばさんに大人しめの地味な水着をと頼み、おばさんは地味な学校の水着と同類の競泳水着を買って来たのだろうけど……。
すらりとした白い肢体にメリハリの効いたスタイルのはるかに、体にフィットした競泳水着は、何だか下手なビキニとか他の水着よりもかなりセクシーな感じになっていた。
制服姿や体育の着替えの時から、スタイルがいいなとは思っていたけど……。
あんぐりと口を開けた駿太が、雨に濡れた子犬みたいな目で助けを求める様に私を見る。
私は、むんっと目を細めて駿太を睨み上げた。
「やっぱり水着ってのは、少し恥ずかしいな」
そんな駿太の様子を知ってか知らずか、はるかは私たちの前に立つと少しはにかんだ様に笑った。
はるかは、そのままとことこと駿太に近付くと、とんっと肩から体をぶつけて密着する。
あーあ……。
駿太が、ますます体を固くしているのがわかる。
私は胸の下で腕を組みすっと目を細めながら、そのままこちらに背を向ける2人を見守る事にした。
「2人きりで、ナナに見惚れてたのか、駿太?」
「ば、な、何を言ってるんだ……!」
はるかに合わせる様に身を屈めた駿太が、大きな声を上げる。
内緒話をしているつもりなのかもしれないが、こちらにまる聞こえなのだけれど……。
にっこりと微笑んだはるかが、さらにぎゅっと駿太に顔を近付けた。
顔を赤くした駿太が、まるで反発する磁石みたいにはるかから身を離す。
「まぁ、駿太ならナナと一緒でもいいけどな」
腰の後ろで手を組んで、ニッと悪戯っぽく微笑むはるか。
……まったく、私をどうしようというのだろう。
関係のないところで進む話に、私は少し憮然とする。
話は終わったぞとばかりに、はるかが勢いよく振り返った。
「さぁ、時間は限られているからな。今日は一緒に遊ぶぞ、ナナ!」
むんっと大きな胸を堂々と張ったはるかは、一転して少し恥ずかしそうにしながら私に向かって手を差し出した。
……むう。
少し恥ずかしかったけれど……。
私も、はるかから僅かに目を逸らしてその手を取る。
トクンと胸が鳴る。
恥ずかしさや嬉しさといった思いとは確かにあったけれど、今はるかの口にした時間が限られているという台詞の方が、チクチクと胸に突き刺さった。
私の手を引いて、海へ向かってズンズンと突き進むはるか。
私はきゅっと唇を引き結び、その背中をじっと見つめる。
「よし、端から端まで競争だぞ、駿太!」
「おう、やるか!」
不敵な笑みを浮かべながら頷き合った駿太とはるかは、同時に駆け出すと、波をかき分けて海へと飛び込んだ。そして、凄い勢いで泳ぎ出す。
近くにいた家族連れの人たちが、少しぎょっとした様な顔をして見ていた。
私と一緒に遊ぼうと言っておきながら、はるかは波打ち際で少し海水に触れた後、結局駿太と一緒に水泳勝負を始めてしまった。
もちろん、私は放置だ。
……まぁ、わかっていたけど。
そういうところを見ていると、はるかは本当に遼なんだなと思ってしまう。
3人で遊んでいると、大概2人ではしゃぐ馬鹿弟を見守る姉の図という今の様な状況になってしまうのだ。
私もそれが、別に嫌いという訳じゃないのだけれど……。
「ナナ、私たちも行こう!」
イルカ柄の浮き輪を構えた莉乃が、目を輝かせて私を見る。
「あー、先に行ってて、莉乃。私、ちょっと飲み物買って来るから」
私は、苦笑を浮かべて僅かに首を傾げた。
きっとはるかも駿太も馬鹿みたいに全力で泳ぎきって来るだろうから、へとへとになって帰って来る筈だ。まぁ、ジュースくらいは用意しておいてあげようと思う。
私は莉乃に手を振って、海とは逆方向に歩き出した。
穴場の小さな海水浴場といえども、やはり時間が経つにつれて人は増えて来る。
家族連れとか若者集団、カップルなんかがそれぞれ色とりどりの水着に身を包んで笑いあっている光景は、自然溢れる海辺というよりも人で一杯のフローレスタみたいだった。
私はコンクリートの堤防を越えて浜辺から出ると、近くの自販機に向かった。
ペットボトルを2本買って振り返ると、ちょうど前方から金井さんがやって来た。
金井さんも、飲み物を買いに来たみたいだ。
私は挨拶だけして浜辺に戻ろうとしたが、金井さんに呼び止められてしまった。
「そういえば、山内くんと久条さんって付き合ってるの? すっごい仲良さそうだけど」
見た目と同じ落ち着いた声音で、金井さんはそんな事を尋ねて来る。
私は、むっと一瞬眉をひそめてしまう。
やはり駿太とはるかは、あちらのクラスでもそんな風に見られているのか……。
「山内くん、クラスの女子にも中々人気だけどさ、近頃久条さんの話ばっかりしてるって聞くからさ」
ブラックコーヒーの缶に口を付けながら、こちらに流し目を送る金井さん。
……駿太、やっぱりはるかの事を色々と気にかけてくれているんだ。
わかってはいた事だけど、改めて他の人から話を聞くと、何だか少し嬉しくなってしまう。
「水町さんも、山内くんや久条さんと仲がいいね」
「うん、昔からね、一緒だったから」
私はそう言うと、ふっと微笑んだ。
そのまま私は、自販機の前で金井さんとお喋りをする。
金井さんとはこれまであまり話した事がなかったから、色々変わった話が聞けて新鮮だった。特に、教室にいる間の駿太の様子とか。
しばらく話し込んでから、私は金井さんにまた後でと手を振ると、駿太と遥かの所に戻る事にした。せっかく買ったジュースがぬるくなってしまっては、私に対するありがたみが減るというものだ。
そろそろ2人とも泳ぎ疲れている頃だろう。
浜辺の中央の、レジャーシートを広げただけの私たちの陣地には、しかし体育座りしている中崎さんしかいなかった。
周囲を見渡すと、莉乃や明穂は海の中にいた。浮き輪でぷかぷか浮かんでいるみたいだ。
駿太とはるかの姿は、海中にも浜辺にも見当たらない。
2人してどこに行ってしまったのか……。
私は両手にジュースを持って、潮の香と人々の声と波の音が繰り返し響き渡る浜辺をはるかたちを探して歩く事にした。
人の溢れる浜辺にはいないみたいなので、ゴツゴツした岩が連なる磯へ向かってみることにする。
満潮の時に出来たのだろう水たまりがあちこちに点在する岩場には、子供たちが元気に駆け回っていた。水中眼鏡や、銛みたいな棒を持っている子も何人かいた。
歩きにくい足場に注意しながら浜からは死角なっているところまで来ると、大きな岩の向こうに見知った背中が見えて来た。
大きな背中は駿太、小さな背中ははるかだ。
まったく、こんなところで何をしているのだろう?
「で、奈々子とはその後どうなっているんだ?」
背後から2人に近付くと、駿太の声が響いて来た。
私の話?
「うーん、そうだな。告白した時はいい感じだと思ったんだが、その後は何だか避けられているような気もしないでもないんだよな……」
はるかの声は、最後の方は消え入りそうな程小さくなっていた。
「俺、焦っちゃったかな……」
「事情があるんだろ? 後悔しないようにするためにはさ」
落ち込んだ様子のはるかに対して、駿太の声は優しかった。
はるかが、ふうっと息を吐いて肩を落とした。
……告白された時は知らなかったけれど、はるかにはタイムリミットがある。
もしはるかが焦っていたとするのなら、多分それが原因なのだろう。
「……ナナに嫌われたら嫌だな、俺。こんな姿だからさ。ナナもどう思ったか。それに、これで俺たちの関係が変わってしまうんじゃないかって思うと、俺、どうしたらいいのかって思って……」
「奈々子は、そんな奴じゃないだろ? それは、遼……はるかもよく知ってるじゃないか」
駿太は明るい声でそう言うと、ぽんっとその大きな手をはるかの頭に置いた。
「……うん、そうだけどさ」
はるかは、小さくなってぶつぶつと呟いている。頭をポンとされているのにも、あまり気が回っていない様子だった。
……こんな光景、他の人に見られてしまったら、駿太とはるかが付き合っている話に言い訳なんて出来なくなってしまうな。
悩ませてしまったのは私のせいでもあるけれど、はるかは考え過ぎだと思う。
だって、まったくもって駿太の言う通りだから。
私は、足音を忍ばせて2人の後ろに近づく。そして、えいっとジュースのペットボトルを、それぞれの首筋に当ててやった。
「わっ!」
「ひゃ!」
駿太とはるかが同時に悲鳴を上げる。
駿太はびくりと身を震わせる。
「わ、きゃ!」
過敏に反応したはるかは立ち上がろうとしてバランスを崩し、駿太の方へと倒れ込んだ。
胡座を組んでいた駿太の膝の上にうつ伏せに倒れるはるか。
「む、むね……!」
「うぐぐ、何なんだよ」
奇怪な悲鳴と共に、石像になってしまったみたいに固まる駿太。
顔をしかめたはるかは、呻きながら体を起こそうとしている。
……大惨事だ。
こんな事になるとは、思いもよらなかったのだ……。
「ごめん……」
「ナナか! びっくりするだろ、まったく!」
はるかがむうと頰を膨らませ、私を睨む。
私は苦笑いを浮かべてもう一度謝ると、はるかから逃げる様に駿太の隣にぽすっと座った。
お尻に当たる岩は、照りつける太陽の光で熱いくらいに温まっていた。
「これ、差し入れ」
まだむくれているはるかに、私はジュースを渡した。駿太は固まったままなので、その足の間に置いておく。
私はそのまま三角座りをして膝をぎゅっと抱き締めると、目の前に広がる海へと目を向けた。
「私、アミリアさんから話を聞いたんだ。境界の庭の役割とかアミリアさんの弟子になる件とか……1年間のタイムリミットの話とか」
何故か自然と、私はそんな事を口にしていた。
「えっ……」
突然の私の告白に、はるかがきょとんと目を丸くして短く声を上げた。
「その、はるかの気持ちはわかったし、そちらの事情も少しはわかったつもりでいる。だから、どうしたらいいか、どうするのがいいのか、一緒に考えて行くのはどうかな。駿太も一緒にさ。私たちは、何でもはるかに協力するから」
私は、ちらりとはるかの方を見た。
はるかは、僅かに目を見開いたまま、真っ直ぐに私を見つめていた。
別に、予めこんな事を言おうと考えていた訳じゃない。何か妙案が浮かんだ訳でも具体的な作戦が決まった訳でもない。
ただ、はるかの話が聞こえて来て、それを聞いて、ふとそう思っただけなのだ。
「私たちの新しい関係、一緒に探していこうよ」
膝を抱く腕に力を込めながら、私ははるかに向かって微笑み掛けた。
そうすればきっと、何か良い答えが見つかるかもしれない。
きっと……。
一瞬の間の後、はるかも微笑んでくれた。それは、安堵が滲み出た柔らかな笑みだった。
私を真っ直ぐに見て、こくりと頷くはるか。
「駿太も一緒に、だからね!」
私は少し恥ずかしくなってしまって、はるかから視線を外すと、未だ呆然としている駿太にぽすっと体をぶつけた。
「ああ、よろしく頼むな、駿太!」
逆側からはるかも、駿太に肩を当てる。
「お、おう!」
何故か先ほどと同様にびくりと体を震わせた駿太は、絞り出す様にそう答えたのだけれど、その声は完全に裏返ってしまっていた。
それが面白くて、私とはるかは同時に噴き出す様に笑ってしまった。




