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いも虫の化け物

 

挿絵(By みてみん)


 闇の帳が、めくられた。


 その脚は、人間の筋肉と化け物の表皮で創られている。初めて見た時より更に、肉が分厚く、強く変化している。


 やけにはっきり、その爪先まではっきりと見える。



挿絵(By みてみん)


 昆虫の爪は器用に人間の手指のように機能する。


 道具を扱う、人間の不可侵領域に易々と土足で踏み入るその不条理。


 手に携えるは、獲物を穿つ人間の道具。捻れた槍。



挿絵(By みてみん)



 彫刻かの如き肉体、数多の獲物の生命により皮膚は分厚く、表皮は青銅の如く。


挿絵(By みてみん)


 いも虫。縦に割れた鋭い牙の並ぶ口、まごう事なき化け物。


 そして額には、竜の瞳を頂きにーー




挿絵(By みてみん)






 その異様は生命の歪みの現れ。


 その異様は生命の可能性の体現。


 ああ、生命とは一体どれほどの醜悪な可能性を秘めているのだろうか。


 背後に、奴が居た。


 追い付かれた、何故、どうやって、ウェンは?


 数々の思考が一気に流れ、やがて一点に海原の思考は集中した。


「……あの矢……」


 化け物の胸に刺さったままの紫色の矢羽。


 あの矢は、あの矢はーー


「ギィ、ギヒヒヒヒヒヒ、ギイイイイイイイイイ」


「うるせえ、気が散るんだよ。くそ虫」


 ばきん!


 反射的に放った指弾、引き金は今までのどの戦いよりも軽い。


「ギヒっ」


 スパン、狭い通路の中で器用に槍がひるがえる。捻れた槍先が蝿を叩き落とすように海原の指弾を弾き落とす。


 ここまで簡単にロケットフィンガーを叩き落とされたのはあの狼王ぐらいだ。


 つまり強い、海原は今のやりとりで改めてこの化け物の強さを確認する。


「オッさん…… あの矢…… あれはよお……!」


 田井中も気付いたようだ。今にも向かって行きそうな戦意を感じる。


「ふう……」


 小さく息を吐く。海原は胸に刺さったウェンの矢を視界に収めた。


 ああ、分かってるよ。ウェン。お前がなんで残ったのか、分かってる。


 お前はコイツと俺を戦わせたくなかったんだろ? お前の事だ、きっとそうだ。きっとお前は勝てないのを分かっていながらあの場に残ったんだ。


 ありがとう、ウェン。


 俺も覚悟が出来た。


 海原は田井中に向けて、言葉を向けた。



「田井中…… 悪い。先に行ってくれないか?」


「あ? アンタまで何言ってやがんだ?! 見ろよ! あの矢! あれは、ウェンフィルバーナのじゃねえか! つまり、アイツはーー」


「田井中」


 言葉を荒げる田井中に向けて、静かに一言。それだけで田井中の言葉は止まる。


「お前は対等な共犯者、そして仲間だ。頼む、俺たちの目的の為に。ここは先に行ってくれ」



「な、でも……」


「田井中、お前という戦力をここで失うわけには行かない。効率良く行こう。あれは俺1人で殺す」


「効率良くいくんならよお! 2人がかりでぶちのめせばいいじゃねえか!」


「それはお前の能力が十全に使える環境ならな。田井中、お前も気付いている筈だ。この通路、お前が操れる金属が明らかに少ない。道の脇に積もってる黒い泥しかねえだろ」


 事実を海原が冷静に指摘する。そう、この場においてはホット・アイアンズは真価を発揮しない。


 黒い泥も、輝く砂もこの通路には少なすぎた。


 それを誰より理解しているのは田井中なのだろう。それ以上言い返す事はせず、静かに海原へ語りかける。


「……やれんのか、本当に」


 化け物から目を離さずに互いに片目を合わし言葉を確認する。


「……俺が今まで、結局化け物を殺せなかった事があるか?」


「……くそ! あー!! もう! 分かったよ!! ウェンフィルバーナを置いていったんだ! アンタを置いていけなかったらおかしいじゃねえかよ! くそが!」


 田井中が壁を裏拳で殴りながら叫ぶ。


「おい! 海原善人!! 必ず殺してこい!! あとアレ! 俺が作った槍! あれも取り戻せ! 死んだらぶち殺すからな! 約束しろ!」


「ああ、約束する。出口はこの道をまっすぐだ、大丈夫、時間はかけねえ」


「チッ、マジで戻らなかったら、殺すからな!」


「おう、それとこれ、中にウェンの作った菓子が入ってる。勝手に食うなよ」


 ナップザックを田井中に投げ渡す。片手でそれを受け取った田井中が、ギリっと歯ぎしりを一度。


「……絶対に戻って来い。じゃねえとこの中身は全て俺が食う。絶対に食うからな!!」




 田井中が言い捨て、被りを振るう。


 同時、


「ギヒ」


 いも虫の化け物が瞬時に身体を前傾、虫の瞬発力で飛びかかる。


 狙うは、背を向けた田井中。


 しかし、


「ふざけてんのか、虫ケラ」


 ガキイン!!



 そこに割り入る海原、クロスさせた両腕と、ふりかぶられた槍先が激突し、つば競り合う。



「オッさん?!」


「振り向くな!! 走れ!! すぐに行く! だからてめえ、ネコババすんなよ!!」


「っ……うるせー!! 食われたくなきゃソッコーぶっ殺してこい! 待ってるからな!」


 田井中の足音が、加速する。遠くなる、そうだ、それで良い。


 いけ、前へ、前へ。



 海原はもう田井中の方を向かない。槍を突き出すいも虫の醜悪な顔を睨みつけた。


「ギヒ、ギヒヒヒヒヒヒ」


「……臭え、臭えな、おい、虫ケラ。お前、鮫島はどうした、ウェンはどうした」


 腕にかかる圧、明らかに自分より筋力のある事が簡単に理解出来る。


 しかし、そんなことはもう分かっている。己より強大な生命を殺した経験を海原はすでに持っている。


「鮫島と!! ウェンを! どうしたって聞いてんだよお!!」


「ぎっ?!」


 瞬時、拮抗している状況を海原が崩す。わざと力を抜き、膝を落とし、態勢を低く。


 障害の無くなった槍先が己の頰の皮膚を裂くのが分かった。


 入れ違いに海原の手刀が化け物の脇腹に突き刺さる。


「アギっ?!」


「PERK ON シャッガン(そのまま飛び散れ)


 ばぎゅん!!


 脇腹の表皮を抜き、肉に侵入した手指が一気に射出、破裂する。


「っあアギアアアア?!」


「声が汚ねえ、だから死ね」


 パシャ。青い返り血が顔にかかるのも気にせず海原は、左手を肉から引き抜く。5本同時に発射された指は、既に再生を開始しておりーー


 懐に入った海原に対して、苦し紛れに槍が振るわれる。問題ない。


 "PERK 起動。完装肌 ダメージ微量。攻撃継続"


 槍の腹が、海原の後頭部を打つ。肉の砕ける音の代わりに金属と金属がぶつかり合う甲高い音が通路に響いた。


「っ。頭に食らうのは、割と痛いな」


「ギイ?!!」


 いも虫の化け物が驚いたように泡を吹きながら叫ぶ。


 一歩、化け物が後退りをする。海原はそれを見逃さない。


「お前、今退がったな? 」


 右手、手刀。わずかに空いたスペースでそれを振り上げる。目指すは急所、首。いも虫の頭が始まる起点。


 そこを狙う、死ねーー










「ーーイタイィ、ヤメろぉ、ウミハラァァ……」




  刹那ーー。秒に至らぬ瞬きの時間。


 化け物から漏れたのは命乞いの言葉、それも、己のウチに取り込んだ生命を騙ってのものだ。


 これが、いも虫の化け物の悪徳。ただの化け物ではない、人間(樹原 勇気)から生まれた存在故の悪。


 人の脆さを、人の善性を、人の欠落を。意識せずとも着くその悪辣。


 人の美徳を嗤う、化け物にして人間の業を兼ね備えた存在。


 化け物は知っていた。


 お前達(人間)はこれに弱いと。


 善性、他者を傷付ける事を躊躇うその美徳が、常識が、人間の弱さだと化け物は知っていたのだ。


 あの竜人もそうだった。己より強大な力を持ちながら、その傷付ける事に対する躊躇いにより命を落とした。


 付け入る隙が多くて、助かる。なんと弱く、哀れな生物なのだろう。



 他者とわかり合う、他者と助け合う、代わりに生来他者を傷付ける事を苦手とする生き物。


 だからそこ、お前達は己には勝てない。


 それが人間、化け物は人間をそう結論づけていた。






 "ああ、醜い怪物よ。貴様は戦術を間違えた、何より海原善人を間違えた"




 そしてその結論が間違いであると気付いた。








「捉えた」



 ずくぐり。


 ぶしゅう。


 だぶだぶの皮を、肉を、海原の手刀が捉えた。一瞬の引っ掛かり、肉の筋を包丁で荒く断ち切るように、手刀をそのまま振り切る。


 青い血が、咲き出る。


「ギェ?」


 化け物から出たのは、疑問の声だった。


 何故? と言わんばかりの声。その振るわれた攻撃には、なんの躊躇いもなくーー


 一歩、二歩と、再び化け物が下がる。大量の血をそのくびから垂れ流しながら。



「お前、今何か言ったか? 聞こえなかったからよ、もう一度言って見ろよ」


「ギ、イ、イタイ! イタイイイイイ?! やめ、ヤメテ!!」


 再度繰り返す、再度繰り返す。今度は心から命乞いを、人の善性に訴えかけるそれを。


 しかし、それらは海原善人には効果が無い。


「アッハ! ウケる! 聞いたかよ、マルス! コイツ、命乞いしてやがる! アッハ! そこですかさずロケットフィンガー!!」




 ばきん! ばきん!


 スペースの空いたところで、追撃の指弾が2発、傷がぱくりと開いたクビに撃ち込まれる。


「ギ?!! イ、イタ! ぎいイイ?!」


「っあー。やる気出て来た。なんだよ、お前そういうのできんのかよ。……まあ、今ので分かったよ。鮫島の借りはここで精算してやる」


「ぎい? ギェ?!」


 首元を抑えながら泡を吹く化け物。何が起きたかすら理解出来ていないようだ。


 それでも手に携えた槍を思い切り突き出す。


「おっと、危ねえ!」


 ガキン!


 右手で槍先を打ちはらい、海原も数歩、化け物から距離を取る。


 互いに見合う、未だ流れ出るのは青い血のみ。赤き血は流れない。


 海原の頭の中は冷たく、沈んでいく。


 1つの理解、1つの答え。生命のやりとりを経た上でしか分からない勘と呼ばれるそれ。



「お前やっぱり、鮫島を喰ってんな」


「ぎ、ギヒ」


 言葉が通じているかは分からない。ただ、冷たく沈む思考はその可能性が一番高い事を導いていた。


「マルス、決めた。樹原用に取っておいたアレを今使う。頼めるか」


 "ポジティブ 可能です。しかし、宜しいのですか? このまま行けば討伐も然程難しくないかと"


「いや。やり合ってわかる。今は奴が悪手決めてくれたお陰で進めてるだけだ。まともにやり合えば、アイツは俺達を学んで行く。そうなりゃ、鮫島と同じように殺されるだろうな」


 "コピー あなたの判断を信じます"


 海原は不思議に思っていた。


 最悪の予想、確信を得た悲劇に対して何故こんなにも自分の感情は揺れないのか。


 ああ、初めから分かってた。


 鮫島が無事なわけがないと。死地に残った人間がどうなるのか、分かっていない訳がなかった。


 それでも縋るように信じていた希望は、今消え去り、後には事実しか残らない。


 鮫島は死んだ。化け物に殺されて、喰われていた。



 なのに、ああ、なんでだろうな。鮫島、俺はなんか今、全然泣けないんだ。


 もうお前と話すこともできないのに。それが分かっているのに。



 悲しむ事すら、出来ないんだ。


 嘆く事すら、出来ない。


 お前がそこに囚われたままでは。



「……置いていく事は、ない。お前の死を悲しむ事も嘆く事も出来なくとも、お前をここに置き去りにしては行かない」


 海原は静かに、力強く呟く。


 今は、悲しみも嘆きもいらない。


 私は死ぬ、私は生きる。


 怒りを、不条理に対する憎しみを、心を熱く、頭を冷たく。


「お前の魂を、誇りを、その化け物の中から引きずり出す。必ずお前を連れて帰る…… だから、マルス、俺に力を、友の尊厳を取り戻す暴力を!」


 "ポジティブ 全ては貴方の願いのままに。私を貴方に委ねます。声門認証を"



 己のウチに棲まう生命に向けて、海原は語りかける。あの海の広がる心象世界の中で、マルスより伝えられた手順を、行う。



「……緊急プロトコル作動。コード666の実行を許可、人体の操作権限をM-66に移譲」


 "コピー ホストからのコード発令を確認、パスコードを要求"


「声門入力…… タイプ、malus(邪悪な林檎)


 精神の世界でマルス本人から伝えられたその名前の意味、それが通行許可証。


 人類に知恵を与え、楽園からの追放を齎した果実を模した真の名前。


 その言葉は、分水嶺。海原善人の行く末は今、決定した。


 それはウェンフィルバーナが命を賭してでも避けたかった結末への道、海原は今その道の上に立っている。


 かつての始まりの2人のように、海原は果実を口にする。


 ぴたり。その言葉を扱った途端、海原の身体の動きが全て止まった。


 動作ではない。呼吸、心拍、発汗、消化、循環。


 それらの生命活動が文字通り、一瞬止まった。



「ギイ!!」


 戦闘中、それを見逃す化け物ではない。己の首の負傷も顧みずに槍を構えて襲い来る。


 捻れた槍先が、海原の胸元に伸びてーー


「"攻撃。対応"」


 なんのこともないないように、捻れた槍先を海原は掴み取る。


 鉄腕、硬化した手のひらと熱き鉄で練られた槍先が擦れ合う。火花のように薄く赤き血が飛ぶ。


「ギイ?!」


「"侵食同調率、20パーセントへ移行中、必要条件のチェック開始"」


 ブツブツと海原が呟く。だらんと首が下がり、視線は化け物を捉えてすらいない。


 なのに、槍先を完璧なタイミングで掴み捉えていた。だらだらと手のひらから血を流しながらも、槍先を離す事はない。


 頭の中で、マルスの声が機械的に響く。


 "レベルトロフィー、規定数超過を確認。PERK習得数 規定数超過を確認。体内ブルー因子量、規定量に到達。宿主への侵食の増加を許可"


「あ、お、おおおおお」


 変わる、変わる。身体の奥底でマルスが蠕くのが分かる。


 その結び付きが更に、更に深まるのを感じる。



 "プロトコルⅠ 宿主を守れ。プロトコルⅡ 宿主と共に在れ。プロトコルIII 生存の意味を探せ。プロトコルⅠ及び、プロトコルⅡの解釈を変更"


 混ざる、混ざる、雑る。


 2つの存在が、その境界線を無くして行く。


 弱き人間とか弱き奇声生物兵器の生命がぐるり、ぐるりと、奪い尽くした青い血の中で溶け雑る。



 "プロトコル解釈変更終了、当機M-66、マルスのプロトコルは以下のように設定完了"


 "プロトコルIII 生存の意味を探せ プロトコルⅡ 海原善人と共にあれ プロトコルⅠ 海原 善人を守れ"


 かちり、かちり。噛み合う、身体の奥底で、心のあの大海で、2つの存在が更に深く結び付いた。



 "征きましょう、善き人。我々がそろえば強力です"



 ぐりん。


 海原の首が跳ねる。白目を剥いて痙攣するその姿、異質、異常。


 海原の身に理外の現象が起き始めていた。


「ヴ、ううう、あああ。こここ、のほししししししし」


 白目の淵から涙が。粘性の強いコールタールのような真っ黒な涙が垂れ落ちる。


 初めは一筋、気付けば何筋も。


 涙だけではない。鼻から、口から、耳から。ドロドロの黒い液体が溢れ出す。


「ギ?!」


 反射的に、いも虫の化け物がその場から仰け反った。槍を手放し、ウサギのような素早さで後方へ退がる。


 海原は槍先を、握りしめたまま、身体を痙攣させる。


 頭の中が沸騰しそうだ。思考が溢れる、意識が広がる。


 俺が俺で俺は俺も俺に俺に私は私が私で私も私にわたわたわわたおれおれおれおれ。


 この思考はどちらの思考だ。俺か私か(海原かマルスか)


「あいうえお、かきくけこ、HIJKLMNOPQRST?! なにぬねの!!」


 海原の顔中の穴という穴から溢れる黒い液体はやがて、滴り落ちるのではなく蠢き始める。


 顔にまとわりつくように、まるでスライムが人の顔を包み込むように。


「ばおあえあああ、ああああ」


 黒い液体が海原の顔を完全に包んだ。もう海原の顔は全て覆い尽くされ見えはしない。


 叫びが粘性の液体越しに轟き、そしてやがてがくりと、海原の首が垂れ下がった。











 ぐるり。


 海原が顔を上げる。そこにはあの凡庸な顔は消えていた。


 凝り固まった粘性の液体が仮面のように海原の顔を覆い隠す。


 その意匠は、偶然か必然か。


 ガスマスクに似た仮面、海原の恩人、マルスの元宿主、アリサ・アシュフィールドの付けていたコンバットマスクそのもの。



「"融解結合、第1段階"」


 溶け合う、その中で1つ、思い出す。


 俺は、私ではない。


 私は、俺ではない。



 今は、俺は、私はーー













「"我々"」


 無機質なゴーグルがぐるり。



「"行くぞ、マルス…… 了解、ヨキヒト"」


 異形。凝り固まった粘液で出来たガスマスク姿。


 無機質なゴーグル、筒状の口。


 そのガスマスクの両眼がいも虫の化け物を見据えた。


「ギイイイイイイイイイ!!」


 いも虫の化け物が、身体を震わし、態勢を低く構えて突進してくる。


 風のような速さ、首の傷はいつのまにか埋まりつつあって。



「"PERK オン アシュフィールドメモリー ブレイド"」


 同時に海原も駆ける。この身体を今動かしているのは、自分なのか、それともマルスなのか。


 それすら分からない。分からなくても良い。


 ただ、コイツを超える事さえ出来れば。


 どろり、左腕、硬化しているその腕が変わっていく。毛穴から垂れた黒色の粘液が瞬時に硬化。



 肉厚の刃に変化する。右腕には捻れた槍を握りしめ化け物に肉迫する。


 身体の細胞に外なる生命の力が混じる。限界を超えて、筋肉が、腱が、骨が稼働する。


「ギイイイイイイイイイ!!!」



「あああああああああああ!!」


 ずぶん!


 組み合う事なく、海原の左腕が振るわれる。黒刃が化け物の右腕を斬りとばす。


「ギへ!」


 しかし、相手もまた遥か化け物。痛みなどないように残った右腕が振るわれる。



「ぶっ!!」


 視界がぶれる、頭が割れる、吐気がする。振り下ろされたかぎ爪の拳が側頭部にめり込んだ。


 だが、この程度、この程度の事で。


「ああああああああ?!」


 倒れそうになる身体を、意地で支える。心に呼応するように足に力が満ちた。


 捻り、斬りはらう。ぶつん。左腕の黒刃が次は化け物の右腕を切り飛ばした。


 噴き出る青い血、煮えたぎる赤き血。


 ああ、今、俺は、私は。


「"楽しい"」


 右腕、捻れた槍先を殴るようにぶつける。狙うは化け物の胴体。


 マルスと溶け合い、英雄の残滓を身に纏う海原の一撃がガラ空きの胴体に吸い込まれてーー


「ギギギギギ!! ギイイイイイイイイイ!!」


 ガキギギギギギ。


 抜けない、槍先が止められる。


 適応した、もう。


 化け物の表皮に鱗のようなものがびっしりと生えている。


 それは、それはお前の力じゃない!!


「"鮫島ああああああああ!!"」


 突き刺ささらないのなら突き飛ばす。


「"PERK オン アシュフィールドメモリー ウィップ"」


 海原の肩甲骨を突き破り、黒い液体で編まれた鞭が現れる。複雑な軌道で瞬く間にいも虫の化け物の胴体に巻き付く。


「"ブチ飛べ"」


 槍を押し通す、同時に胴体に巻き付けた鞭が怪物の身体を浮かして、投げ飛ばした。


 英雄がマルスと作り上げた進化を、海原は一時的に間借りしている。


 それは本物に遠く及ばないニセモノに過ぎない。


 それでもここまでに強い。


 あれ程強く、狡猾ないも虫の化け物に対等以上に渡り合っている。


「ギア!!」


 いも虫の化け物の身体が変化する。吹き飛ばされながらもその長い尾を巧みに空中で振り、バランスを取り戻す。


 軽業師のように壁を蹴り、器用に受け身を取っていた。


 その人外、理外の身体能力を、海原はかつて目覚めた友に見た。



 両腕をなくしたいも虫の化け物が、海原から距離を取りつつ、吠える。



 同時に、生える。斬り飛ばした腕がニュルリと生えた。


 かぎ爪と鱗の生えた腕、昆虫と爬虫類が混じり合ったようなデザイン。


 だから、それは


「"鮫島、安心しろ。すぐに、終わらす。お前を連れて帰る"」


 亡き友の力を己のものかの如く扱うその化け物に、海原はもう殺意しか抱く事が出来ない。


 ぴしり。


 ガスマスクの仮面、体外に漏れ出たマルスの肉体で象られたそれに、一片の亀裂がはしる。


 もう、時間はない。


 次で決まる。決める。


「"マルス、あと何秒だ? ……残り30秒です。これ以上は互いの自我境界線が崩壊します"、ヨキヒト、決着を"」


 海原が己の口を、マルスが海原の口を扱い喋る。


 時間はない。


 敵は硬く速く強く賢い。


 鮫島の鱗での防御を抜く方法は、現状思いつかない。


 だが、それでも海原は負ける気はしなかった。


 残り28秒。


 観察、いも虫の化け物の身体を見る。ひとつだけ、ひとつだけ変化していない部分が、気になる部分がある。


 海原が不意打ちで傷つけた首の傷はすでに殆ど治っている。青い血が固まり、岩のような瘡蓋で塞がれている。



「"だが、あの傷は、ウェンの矢傷は塞がれていない"」


 残り24秒。


「"ここから導き出せる答えはシンプル、最高速によるピンポイントの刺突"」


 残り22秒。


「"計画は出来た、後は実行するのみだ。やろう、マルス…… コピー、ヨキヒト"」


 左手の黒刃が溶け落ちる。硬化した手刀を構え、右手には捻れた槍を掴む。


「ギギギギギギギギギギギギギギギ」


 化け物が屈む、海原が構える。


 いも虫の化け物とガスマスクの化け物が互いに睨み合う。


 心臓が何度か脈を打った後、ふらりと海原は地面を蹴った。


 化け物もそれに合わせて向かい来る。


 攻撃をかいくぐるのではなく、左手の鉄腕で弾き、右手に握る槍を胸の傷に打ち込む。


 余計なことは考えない。シンプル故に、必殺。


 マルスに侵食され、アシュフィールドの記憶の残滓に身を委ねた今、その動きが見える。


 化け物が、竜と混じりしその右腕を突き出す。おそらくこれも必殺の一撃、どこに当たっても致命傷。


 しかし、海原は恐れない。必殺の一撃を食らうよりも先に、こちらの一撃を届ける。


 弾ける、行ける。殺せる。


 そう確信を得た瞬間だった。


「ギヘ」


 時がゆっくりと進む瞬間、秒に満たない世界の中海原は確かに見た。化け物が嗤う事を。


 左手、それまでだらりと垂らしていた左手がもたげられる。


 じゃキン。鉤爪、昆虫のそれではない。竜のそれ、獲物を裂く鋭さを持つそれが歪に、伸びた。


 は? なんだ、それ。そんなの、今まで見たことーー


 視界の端でそれに気付く。これまでの交戦で始めて見るその行動。


 加速した思考、理解する。


 コイツもそうだ。


 あの7日間で何もしていないわけがなかった。海原と同じように戦い、殺し、喰って、奪って来たのだ。


 そのことを忘れていた。


 戦い、強くなっていたのは自分だけだと、驕っていた。


 伸びる、伸びる。


 海原の動きよりも速く、左腕が意思を持つ蛇のようにうねり伸びる。


 死を覚悟した。頭の中でいくつもの選択肢が浮かび上がり、その全てが回避の失敗にたどり着く。


 死ーー


 その鉤爪が閃き、カウンターのように海原の顔面にーー


「"まだだ。業なら我々も背負っている"」


 しかし、海原とマルスが諦める事はない。


 人と寄生生物兵器の境目を溶かしたこの状態、タイプmaulsでのみ扱える力。


「"疾く、参ぜよ。汝らが征服者の命である"」


 それは海原としての言葉ではない、マルスの、外なる生命としての機能の言葉。


 吸収した生命の力を無理やりに、引き出す支配者としての力。


 *呪ってやる、人間、侵略者め。我ら群狼の誇りを踏み躙った簒奪者どもめーー*


 脳裏に浮かぶのは怨嗟の声。己の奪った命の叫び。


「"やかましい、敗北者どもが。黙って従え、貴様らのルールに"」


 怨嗟の声がすぐさま苦悶の声に変わる。


 マルスが、海原が、己の身に取り込んだ生命の力を無理矢理に使い潰す。


 加速。加速、加速。


 群狼の命を使い潰し、その青き力で人体を強化。


 踏み込みを速く、伸びる左腕を掻い潜ろうとーー


「"ーーくそが"」


 だが、それでも足りない、足りなかった。


 怨嗟の声を使い潰しても、いも虫の化け物の進化には追いつかない。


 間に合わない、避けれない。


 やれる事は他にないか、何か、何か、何か。


 ああ、もう鉤爪がそこにーー


 最後まで目だけはつぶらない。


 良い、痛み分けに最低でも、持ち込む。


 出血前提で、海原が槍を突き入れようとした、その時だった。



「ギ?! ケ?!!!」


 いも虫の化け物が素っ頓狂な声を上げる。海原はそのすぐ後信じられない声を、聞いた。









「……ヤ、レ…… ウ、ミハラ……ぁ」





「"っ?!"」


 動きが、止まった。


 いも虫の化け物の攻撃が、びくりと止まる。


 海原の目は確かに捉えていた。いも虫の化け物の身体に広がる鱗、それが伸びる左腕にびっしらと必要以上に生え、動きを阻害している事に。


 それはいも虫の化け物の意図的な行動ではない。その驚愕が海原に伝わる。


 ならば、答えは1つ。その竜の鱗の本来の持ち主の介入。



 海原は聞いた。


 懐かしい声を。もう聞くことが出来ないその声を。


 ああ。


 悪い、長い事待たせた。そうだよな、お前がただでやられる訳がねえよな。



 槍先が空気を裂く。


 紫色の矢羽に向かい、その塞がらない傷に向かい、捻れた槍先が吸い込まれた。


 ずぐ。


 刺さる、穿つ、貫く。


 その一撃は、化け物の決定的なものを壊した。


「ぎっ……アッ。」





「"……見事だ。鮫島竜樹…… それでこそ、()のーー"」



 荒々しく槍を引き抜く。えぐるように引き抜いた槍はいも虫の化け物の体内をズタズタに引き裂いた。



「ギ……」


 力なく、いも虫の化け物がその場に膝を折る。


 胸から青い血をドロドロと零し、その首が力なくうな垂れた。


 見上げる体躯が堕ちる。いも虫の化け物の視線と海原、ガスマスクの化け物の視線が同じ位置に。


「……ギボ」


「"さらばだ、いも虫の化け物"」


 躊躇いはなかった、槍を投げ捨て、硬化した右手で胸の傷口を更に抉る。


 噴き出す青い血、甘い匂いが広がる。


 同時に、左手でいも虫の頭に生え出していた竜の眼を、奪われた友の力の象徴を掴んだ。



「"……またな"」


「……ァァ」


 プチュン!!


 握り潰す。肉の一片、魂のひとかけらでさえその化け物の中には残して行かない。


 宝石のようなきらめきの眼球が砕ける。瞬間見えたのは幻影だろうか。


 いも虫の化け物の身体が、糸の切れた操り人形のように倒れる。身体の端のほうから、グズグズに溶け始めていた。


 眠れ、お前も。お前の親もすぐに連れて行ってやる。


 海原が、その場から去ろうとしたその瞬間だった。


「……あ、ああ」


 いも虫の化け物の身体の至るところから煙のようなものが溢れる。


 その煙のようなものは、ふよふよとひとかたまりになり、静かに海原の言葉を聞くようにその場にとどまる。



「…ありがとう、鮫島、大丈夫、こっちのことは大丈夫だからよ」



 ピシ、ピキ。


 ガスマスクを象ったマルスの肉体に亀裂が走る。乾き切った泥のように砕けていく。


 すうっと、煙が海原のシャツ、その胸ポケットに流れ込んで行く。


 海原は胸ポケットから、折り紙細工、カエルの形のそれを取り出した。


「"わかった。必ず春野さんに届ける。約束する"」


 しばらくの間、その煙と海原はまるで語り合うようにじっとその場で見つめ合う。


 "カウント終了、タイプmaulsを解除……"



 ふっと、煙は更に高く昇り始める。


 ああ、眩しい。


 海原は鼻の奥に感じるツンとした痛みを我慢しながら空に、上へと昇っていく煙を見上げ続ける。


 大丈夫だ、安心しろよ。後は任せろ。お前が出来なかった事は俺が終わらせる。


 だから安心して、次へ行け。


 もうお前と会えないのは、本当に辛い。


 それでも俺は前へ進むよ。


「じゃあな、鮫島」


 ぴしん。


 ガスマスクが完全に崩れ落ち、海原の素顔が解放される。


 海原はその場から立ち去る、振り返る事はしない。確認することもしない。


 鮫島は逝った、ウェンフィルバーナも去った。


 それでも前へ。


 海原は田井中の進んでいる出口を目指す。



 今になって、今更胸を打つ哀しみが溢れる。仲間を失い続ける苦しみが、肌を突き刺す。


 だがこの哀しみも苦しみも全て焚べよう。





 この全てが、貴様に返すべき借りだ。



「樹原、後はお前だけだ」


 静かに呟くその声、残る敵は1人。


 あの時、突き刺せなかったこれを、今度こそお前の喉笛に突き刺してやる。


 足元に落ちた捻れた槍を、拾う。



 一本道の通路を、凡人が進む。


 その身に宿すのは哀しみや苦しみを燃料に轟々と燃え続ける火。


 その火は燃え広がるのはいつかいつかと待ちわびている。




読んで頂きありがとうございます。


宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さいませ!


イラストレーター Toy(e)様



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― 新着の感想 ―
カッコつけて送り出したのに死に損なっちゃったよ…あはは が聞きたい(๑•́︿•̀๑)
挿し絵が素晴らしい
マルスたち、もしかするといぁいぁ!なショゴスが元ネタなの!?とSAN値下がりそうな挿絵見て思った。 鮫島。今度はあめ店で奢ってやるから、いまは休んでろー!
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