シートン動物記
海原は地面を蹴る。白い毛並み、白狼の骸の元へ走る。
ピシッ。身体の皮膚が鳴る。サバイバーズ・レイジにより引き出された尋常ならざる膂力に身体が耐えきれていない。
動くたびに皮膚が割れて身体中から血が滲みつつある。
「クッソいってえ。でも……たどり着いたぞ」
砂を蹴る、海原は白狼の元へとたどり着いた。
「グウルルルル」
投げ飛ばした人狼が被りを振りながら起き上がる。既にちぎった手首からの出血が止まっていた。
海原が白狼の元へいることに気付くと、目を見開いて吼えた。
「動くな、化け物」
海原が指先を足元の白狼の骸へと向ける。既に次弾装填は終わっている。いつでも発射が可能だった。
「グウウウウウウウ」
四つん這いになりながら人狼がその場で唸った。
「……お前は強いな。化け物、本当にそう思うよ。でも勝つのは俺だ」
'残り80秒'
「人間の歴史は自然への挑戦の歴史だ。非力な俺たちはお前達に勝つためにありとあらゆる業を積み重ねて来た。俺はそれをなぞるだけ」
海原は五本の指を広げる。
「グウルオア!!」
人狼が吼える。焦ったように傷付いた身体をバタバタと動かし走ろうとーー
「お前の事を俺は信じている。お前を進化させたその愛とやらをな。頼むぜ、化け物」
ばきん、ばきん、ばきん、ばきん、ばきん!!
一斉に、躊躇いもなく海原は五本の指を白狼へて発射した。鈍い音と共に死骸へ指弾がめり込んで行く。
美しい白絹のような毛皮に痛々しい弾痕が残る。
「アアアアアアアアアア!!」
悲痛な叫び、大切なものを目の前で壊された幼子のような叫びだ。海原はそう感じた。
人狼が迫る、もうその存在を止める枷はなくなった。悲痛な叫びに青い血の香りを漂わせ、地を這うように人狼が駆けた。
'残り60秒'
「……狼王はブランカの為にシートンへと降った。お前はどうかな、人狼よ」
海原がその場にしゃがみ一気に白狼の死骸を持ち上げる。甘い果実のような香りがその鼻をくすぐる。
「うおおおお!!」
サバイバーズ・レイジ。生命の危機という条件を経て始めて発動する PERKによりリミットを外された筋肉、神経が海原に一時の怪力乱神を与えていた。
一気呵成、膝と腰を連動させ海原がその死骸を頭上へと持ち上げ、そして
「ふんぐぎぎぎぎぎぎ!! 返すぜええええ!! 化け物おおおおお!!」
両手で持ち上げたソレを投げ放つ。ぶちぶちとどこかの筋繊維が千切れる音が耳を撃つ。
ブォンと空を切りながら、白狼の骸が宙を駆ける。これこそが海原の策、その骸の中には既に腐敗を始めている指が5本めり込んでいる。
お手製の死骸爆弾。本来ならそんなもの人狼当たるわけもない。その骸が人狼の伴侶のものでもない限り。
刹那の時、分水嶺はここだった。
もしも、ここで人狼がその骸を避けて海原への攻撃を続けたなら今度こそ勝負は決まっていただろう。
海原はここで死んでいた。
でも、そうはならなかった。そうならない事を海原は知っていた。
「ア……ブラ……ンカ……」
人狼の脚が止まる。その腕が開かれる、己に向けて飛んでくる伴侶の亡骸を受け止めようとその場でーー
海原はその時、愛の絵を見た。生命どころか魂すら消えていそうなその亡骸を優しく抱き止める人狼を。
その目に抱えていた怒りの火は今だけ消え失せその意識の全ては胸に抱く亡骸へと向けられていた。
種族の違いなど関係なく、目の前にいるのは一つの尊い生命なのだと海原は思う。家族に当たり前の愛を向けることの出来る生命、それは人間となんら変わらない。
ああ、信じていたよ。お前達の愛を。死で別たれようとも続くその相手への思いやりを。
ソレはとても素晴らしく、とても良いものだ。
でも、死ね。
「既にコープス・エンドは起動している」
親指を立て、ソレを折った。起爆スイッチを押すかのように。
ポチリ。
ッバツン!!!
大爆発。閃光や火はなく。青い花火が咲いた。
人狼の胸に抱かれた白狼の骸が内側から一気に弾け飛ぶ。爆発の余波は人狼の身体を容易に吹き飛ばした。
白狼の骸のかけら、堅牢な骨が破片手榴弾のように人狼の身体を傷つける。
べき。海原は足元に転がってきた骨を踏み潰す。
薄く再び輝く砂の帳が余波により舞う。
'残り20秒'
「 PERK ON リーパーズ・エンド」
海原は一気に地面を蹴る、吹き飛んだ人狼の元へ硬質化した両腕を構えて迫る。
「………グウオオオオオオオオオオ!!」
吹き飛ばされ、呆然と膝立ちのままこちらを見つめる人狼が吼える。指向性を持ったその咆哮を海原は真横へスライディングすることにより躱す。
「ロケット・フィンガー」
ばきん、ばきん!
地面に倒れ込みながら射出した指弾が、人狼の胸に命中、青い血を撒き散らす。人狼はそれでも倒れない。
既に白狼の爆発により、右腕は根元から弾け飛び、左手も手首から先を無くしている。さぞバランスが取りにくいだろうにそれでも人狼は膝立ちのまま倒れない。
終わらせる。敵を、恐怖を、愛を知る害獣をここで始末する。
海原はそのままの勢いで立ち上がり再び駆ける。
「おおおおおおお!!!」
赤い視界、端の方が揺らぎ始めて来た。サバイバーズ・レイジのもたらす化け物すら圧倒する膂力ももう長くない。
眼前、指定怪物種12號 人狼。3メートル!!
「グウオオオトオオオオオオ!!!」
人狼が立ち上がろうと吼える。満身創痍の姿で高らかに吠え、そしてーー
海原の右手、手刀がその右胸に突き刺さった。
「アッが?!」
ばきばきばき。自分の手が折れたのか、それとも化け物の骨が折れたのか。今の海原にはどちらでも良かった。
「寄越せ!! お前の生命を!!」
雄々しく膨らんだ胸筋を裂きながら海原の手刀がずぷりと深く突き刺さる。
ぬめりとした暖かな感覚が右手に広がる。
ぷるん、どくん、どくん。肉とは違う感覚を手が見つける。
あった、これだ。
'シエラ0、トドメを!! 心臓を抜き出して下さい!'
それを握り取る! 引き千切る!!
「アアアアアアアアアアブブブ?!!!」
ぶちぶたぶちぶち。決定的ななにかを海原は掴み、捥いだ。
ぶしゃり。引き抜いた右手にはみずみずしく鼓動する人狼の心臓が握られている。
'残り0秒、サバイバーズ・レイジ終了'
ピー、安っぽいビープ音とともに海原のそれまで膨らんでいた筋肉がしぼむ。身体が一気に重くなる、プールから上がった直後のようだ。
身体がうまく動かせない。海原はそのまま人狼の身体から離れるように仰向けに倒れそうになって。
'ネガディブ!! シエラ0避けて!!」
「ゴオルルルルルア!!!」
至近距離での死骸爆発の直撃、心臓を引き抜かれてもまだソレは生きている。その目に滾るのは呪いの光、愛を目の前で粉々にされ、己の生命すらも奪われた生物の最期の攻撃。
バイト、噛み付き。
人狼の、いや狼王の牙が海原の首元を捉えていた。
「ヴオエ?!」
ブチャルルルル。海原の口から血が吹き出る。
自分から吹き出た血が空中に舞うのがやけにゆっくり見えた。視界を傾けると右肩に噛み付く人狼の顔がこんなにも近い。
その目からは、たしかに涙が流れているのが見えた。
ああ、ああ、生きるとはやはり辛い。お前は生きたかったのだろう。お前の家族とこれからもずっと生きていたかったのだろう。
でもそれはもう奪われた、叶わない。叶う事などない。
「ゴフッ、……リーパーズ……エンドは既に起動……」
ぐぐぐぐ。心臓を抜かれてあとは死ぬしかない人狼が最期の力と言わんばかりに海原の首元へ噛み付きその身体を押し倒そうと体重をかける。
ぐしゅ。
海原の左手が人狼の脇腹を抉る。ねじり込むように何度も何度突き刺しては、えぐりながら抜く。
青い血と赤い血の匂いが色が混じり合う、
生命と生命、互いに相容れぬモノ同士がぶつかり合う。
「ふおおお、グフおおお」
人狼がその牙をさらに深く肉へと突き立てようとしたその瞬間、ふっとその身体が崩れ落ちた。
ぶちゃ。
牙が抜けて、顎門が緩む。人狼の身体の至るところが一気にしぼみ始めた。
「うっ、オエ。一足先に、死神が来たのはお前だったな……」
海原は力を振り絞り人狼の腹を蹴り飛ばして振りほどく。
力なく仰向けに倒れる人狼、いたる所の獣毛が剥がれ落ち、筋肉のしぼんだその姿はまるで死神に生命を奪われたような有様だった。
どさり。海原はその場で尻餅をつく。どくどくどく。首元から流れる血は抑えても抑えてもこぼれ続ける。
「リーパーズ・エンドの……この使い方はどうだった? マルス……、発想がすごくないか……?」
'ネガティブ!! シエラ0、喋らないで! 貴方わざと噛みつかせましたね?! なんて馬鹿な事を!'
「ふ…ふふ。ここまでしねえと、リーパーズ・エンドで体表から奴の生命の残りカスまで奪わねえとよ、安心出来なかったんだよ……。ヤツは本物のモンスターだからな……」
かくり、海原の首が折れる。傷口を抑えていた左手がだらりと下がり、そのまま横倒しに海原は倒れた。
'シエラ0?! シエラ0?! ヨキヒト!! 応答して下さい! バイタル低下、出血多量……起きて! ヨキヒト!'
とさっ。海原が倒れたと同時に右手からうごめく肉塊が転がる。人狼、進化した怪物の心臓は未だ艶めかしく鼓動を続けていた。
眠い、眠くて眠くてたまらねえ。
ちょっと、休憩ーー。
闇に、沈む。海原の意識はそこで途絶えた。
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