後編
「ただいま留守にしております。ご用件がありましたら―――」
プツッ。
苛立ちをこめてボタンを押し、強制的に耳障りな機械音を遮断する。
乱暴に携帯をコートのポケットの中にしまうと、私はぎゅっと寒さで渇ききっている唇を噛みしめた。
あーもうっ!あのバカ兄!!
あれから休み時間ごとに何度もしつこいぐらいに勇兄に電話をかけ続けているのに繋がらず、とうとう放課後になってしまったというのに一向に電話に出る気配がない。
何かと勘の良い勇兄のことだ。おそらくこうなる事が分かっていて、故意に出ないようにしているに違いないのだが……
だがこれでほぼ決定的だった。
勇兄は前々から誠哉が私と同じ学校に転校することを知っていて、私が怒って電話をかけてくることもとっくに予想済みだったのだろう。
一体勇兄も誠哉もどういつつもりなのかは分からないけど……
敢えて私に知らせずに「いきなり教室でご対面」なんて素晴らしい企画を持ち込んできてくれたのだ。
人の今の生活状態を知っていて、まして男装してモデルをするなんてスクープどころじゃないトップシークレットを危機にさらしてくれちゃって……なんとしてでも誠哉の転校を許した理由を聞かなきゃ気が済まないにきまってるじゃない!!
木枯らしが容赦なく顔に吹き付けてくる。
冷たい風と道の真ん中でしかめっ面で突っ立っている変な女子高生への不審そうな視線を痛いほど受けながらしばらくどうするべきか逡巡していたが、仕事の時間が来てしまったのでとりあえず事務所に向かわざるおえなかった。
しょうがない……
事務所で直接つかまえて聞くしかないか。
私は嘆息すると、コートの中に手を突っ込んで歩き始めた。
*** *** ***
今日の撮影は「真冬の着まわし2週間スタイル」というテーマらしい。
人気モデルたちの着こなしをチェックするという企画で、ジーンズやアウター、ニットキャップや小物まで様々なものをハイペースで着回していかなければならないという大忙しの撮影の予定だった。
この業界に入るまで、特にファッションにこだわりなんてなかったし(入ってからも特にあるわけじゃないけど)お金もなかったからあるものを着るってだけで、自分でもとてもじゃないけど今時の女子高生ではなかったと思う。
でもモデルをやるようになって気付いたことがいくつか。中でも感心したのが男性でもここまでオシャレをするんだなってことだ。
変な話、自分の中では「オシャレは女の子がするもの」ってどこか決め付けてるところがあって、男の人のオシャレっていっても大した事ないんじゃないかって高をくくっていた。
でも実際は全然そんなことなくて、ここの男性モデルの人達はただでさえ顔が綺麗でスタイルもいい人ばかりだけれど、服を身に纏ったときは一段と輝いていた。
そんな彼らの様子を見て、モデルをやり始めた頃、私はただただぼーっと突っ立って感心してるだけだった。こんなトコで自分はやってけるのかと正直怖気づいたぐらいだ。
まぁ、今ようやく慣れ始めたかってところだけど……
メイクのお姉さんにメイクと髪の毛を整えてもらってから、ふと気が付く。
そういえば今日の撮影の相手誰だっけ?聞かされてないや。
「すみません。今日誰と撮るのかって分かります?」
通りかかった男性のスタッフの人に声をかけると、そのスタッフの人は考えるように首を傾げてから「ああ!」と思い出したように自分の手をぽんと一回叩いた。
「セイヤだよセイヤ!今日はハヅキとセイヤの2人だって聞いてるけど」
「げっ!」
スタッフの人の言葉に思わず顔をしかめる。
はああああぁぁぁ!?
誠哉と撮影!?しかもふたりだけ!?
神様アンタ一体どういう神経してんのよ!!一回脳みそをかち割って見てやりたいぐらいだわ!!
「げって……ひどいなぁハヅキ。そんなに俺のこと嫌い?」
背後から突然かかった声にびくっと肩が震え上がる。
こっ、この声は……
おそるおそる首だけ後ろに振り向かせると、案の定そこにいたのは噂の人物。今一番顔を合わせたくなかった相手。
スタイリングされた髪と着こなされた衣装は相変わらず眩しいぐらいに格好よくキマっていて、さりげなく首元でちらりと見せているチェーンのネックレスも見様によってはエロくすら感じられる。
こっ、このフェロモン男め……
「よ、よぉ、セイヤ。今日一緒なんだってな」
「くすくす……誰かさんは嫌がってるみたいだけどね」
笑顔でさらりと言う誠哉が怖い。
この状況をどう打破するべきか悩んでいると、カメラマンから声がかかった。器材の準備が整ったようだ。
な、ナイスタイミング……助かった。
「適当にポーズとってってくれる?どんどん撮ってくから」
カメラマンに言われるがまま好きなようにポーズをとる。
「適当に」という言葉が実は一番困ったりする。
自由なスタイルでいられるから一見楽なように見えるかもしれないけれど、指定されないからかえって自分で角度や表情を変えていかなければならないのだ。最初にそう言われたときにかなり戸惑った記憶がまだ真新しい。
……その時も確か誠哉との撮影だったんだよね。
色々フォーローしてもらったよなーと笑顔をつくりながらぼんやりと思い出す。
「うん、いいよー!じゃあ、今度はもうちょっと2人とも近づいてくれるかい?」
えっ。
カメラマンの言葉に、一瞬表情が固まる。
おいおい、だから何でよりによって今日そういうことすんのよ……
別に正体だってバレてないはずだし、何も焦る事はないんだと心の中では分かっているんだけど、やっぱり今日はあまり誠哉に近づきたくなかった。
躊躇っているといきなりグイっと腕を引っ張られる。
気づいた時には誠哉とほとんど体が密着してしまっている状態だった。同時に誠哉の香水の匂いがふわりと鼻を掠める。
「ちょっ……誠哉!近すぎないか!?」
暴れまわる心臓を無理矢理おさえこんで慌てて小声で抗議するが、誠哉はそんな私の様子に構うことなくカメラに向けて微笑みながら、耳元でそっと囁いてきた。
「ほら、早く笑顔つくって。皆ハヅキを待ってる」
「でもっ……」
「いいから、とりあえず笑えって。それとも何?もしかして俺とくっついちゃって緊張してるとか」
「なっ……そんなわけねぇだろ!バカなこと言ってんじゃねーよ!」
な、なななななんてことを言うのよ、コイツは!!!
そんなことあるはずないじゃないっ!!!!
笑いを含んだ誠哉の声に明らかにからかわれていると分かっていても妙に悔しさが湧いてきて、ムッとしたまま笑顔をつくってカメラの方に顔を向ける。
なんか上手く誘導されただけな気もするけど……
カメラのシャッターを切る音を聞きながら、合間にちらりと誠哉の顔を見つめてみる。
こんなに至近距離だというのに、なにひとつ落ち度がない。
肌だってきれいだし、高くて筋の通った鼻も切れ長の目も見事なほど整っている完璧な容姿。
こんな顔で愛をささやかれたりしたら、全国のファンの女の子達はそれだけで卒倒しちゃうんじゃないんだろうか?
現に傍らで見ているスタッフの人達ですらうっとりした表情を浮かべてこっちを見てるし……
はぁ……ホントに罪な男よね……
そんなことを考えてるうちに、撮影終了の声がかかった。
私はなるべく自然な振る舞いで誠哉から離れると、いつもは誠哉とちょっと話してからスタジオを出るのに、一言も交わさずに私は足早にスタジオを出た。
エレベーターに乗って13階のボタンを押してから、ふうっとため息を吐き出す。
……感じ悪いとか思われただろうか。
でも今誠哉を見ると変に緊張するというか……落ち着かなかった。心がざわめいてる感じというか……
はっきり言って今の状態では誠哉と話すとき平静を装えるか自信がなかった。
チーン、と13階にエレベーターが着いた音が鳴る。
私はエレベーターから降りると、廊下の角の一番端にある部屋のドアに鍵を差し込んで開けてから、中に入った。
この部屋はもともと勇兄が私のために用意してくれたもの。
どこかの高級ホテルの一室のようで風呂もトイレもキッチンも仮眠用の寝室もついているという、このままここで暮らしていけそうな私には勿体無いぐらい贅沢な部屋だ。
それに加えここから見える夜景は絶景で、撮影が夜になるときはいっつも私はぼーっと窓の外の景色を眺めるのが習慣となりつつある。
私はソファーの上に服を脱ぐと、さらしをとり外しにかかった。
所詮Bカップしかない胸だといっても、さらしはやっぱり窮屈で動きにくいから、撮影が終わったらいつもすぐに外すようにしている。
どうせそのまま裏口からすぐに家に帰るから撮影が終われば誰かに会うわけでも見られるわけでもないし……
裏口は勇兄と私ぐらいしか使用してないらしいので、制服のままでも事務所に来れるから便利だった。
さらしを外し終えて、普通のシャツとジーパンを身に着ける。
まだ制服に着替えないのは、もちろん今日の目的を果たすため。勇兄のところに問い詰めにいかなきゃならないから。
勇兄のいわゆる社長室?にあたる場所は、スタッフやモデルが通る廊下を使わないと辿りつけない。
まあ……誰にも会わないと思うけど、さらしを取っちゃったから念の為に一応コートは羽織っていく事にするが……
ったく〜……ホントに覚えてなさいよ、勇兄め!
面倒なことにしてくれちゃって……
明日からは学校に行けば、誠哉が隣の席にいるのだ。
今でも信じがたいことなのだが……このままではいつボロを出してしまうか分からない。
早急になんとかして手を打つしかない。
悶々《モンモン》と悩んでいた思考は、突然部屋の中に響いたノック音で途切れた。
……誰?
体の動きを止めてトントンとノックされ続けている扉を見つめながら、ふと思い当たった。
もしかして勇兄……!?
私は「はーい」と返事をしながら慌てて扉に駆け寄り、扉を開ける。
だが目の前の人物を見た瞬間、思わず呼吸をするのを忘れた。
「邪魔するよ」
瞬き一つせずにぼーっと突っ立っていた私は、その声に慌てて我に返る。
「せせせせせせ誠哉っ!!!?おまっ……なんでここにいんだよ!?」
「んー?ハヅキとちょっと話したいことがあってね」
制止する暇もなく、誠哉は私の横を通り抜けて部屋のなかに入ろうとする。
私は咄嗟にその腕を思いっきり掴んで引き止めた。
「ちょっ……待てって!!話があるのは分かったから、1分そこで待ってくれ!!」
ソファーには脱ぎっぱなしのさらしが置かれている。
何としてでも見られるわけにはいかなかった。
誠哉が頷くのを確認してから、急いで部屋に入ると、ソファーの上に置かれていたさらしをぐるぐるに丸めて、部屋の端においてあった鞄の中に突っ込む。
ふうぅ〜……これでとりあえず何とか……
「へぇ……俺のとことあんま造りは変わんないんだな」
「!?誠哉っ……お前っ、なに勝手に入ってきてんだよ!!」
なに考えてんのよこの男は……!
今1分待てって言ったばかりじゃない!!
誠哉の行動に唖然として固まっていると、誠哉はきょろきょろと物珍しそうに部屋を見回したあと、勝手に冷蔵庫を開けてお茶をコップに注いでいる。
誠哉って……こんなに自己中な男だっけ?
なんかもっと気が利いて、思いやりがある優しいナイト的な要素が多分にあった気が……
「誠哉……話ってなんだよ。お前が俺の部屋にくるなんて初めてじゃん?」
誠哉はお茶を飲み干したあと、質問した私の顔をじっと見つめてからふっと笑った。
「……何しにきたと思う?」
「は?だから俺に話があって来たんだろ……って…」
え、ええ?
なんでこっちにだんだん近寄ってくるわけ!?
嫌な予感を抱えながら、反射的に後ろに後ずさる。
一歩間合いを詰められるたびに一歩後ろに下がっていたら、突然「どん」と壁に背中が当たった。
壁を背にしてくっついたまま、見たことのない誠哉の真摯な眼差しに冷や汗を感じる。
「お、おい?誠哉、どうしたんだよ…なんでこっちくるんだ?」
「くすくす……そっちこそ何で逃げるの?」
駄目だ……
いつもの誠哉じゃない。目の前の彼はまるで獲物を目の前に舌なめずりしている獣だ。
「おい、本当にどうしたんだよ。なんかいつもの誠哉じゃねーみたいで気持ち悪ぃぞ?」
はは、と笑ってみせるつもりが緊張のあまり乾いた声しか出てこなかった。
心臓が荒れ狂うように早鐘をうち始める。
ななななんなの!?
なんでこんな事になってるわけ!!?
パニックに陥った思考に痛撃をくらったのは次の瞬間だった。
「気持ち悪いって…ひどいなぁ。昼間はカッコいいって言ってくれてたのに」
―――――え?
いま、なん、て言った……?
昼間はカッコいいって言ってくれた、って………
(…………!!!)
言葉の意味を理解した瞬間、背筋がぴきっと凍りついた。
ま、まままま、まさか……!!
「ねぇ、香來さん?」
余裕な微笑みを浮かべている人物を目の前にして、完全に思考が停止する。
ば、ば、ば、バレてる―――――!!!!!
口をぱくぱくと開いたり閉じたりしている私を、誠哉は面白そうにニヤニヤしながら見ていた。
ドス黒そうな笑顔に、彼の人物像が一気にがらがらと崩れていく。
紳士的で気さくで優しい彼は一体どこへ行っちゃったわけ……?
「な、なんのことだ?昼間って……お、俺達会ったの夕方が初めてじゃん」
無駄なあがきだと分かっていても、自分が女がモデルをやってるなんて認めるわけにはいかなかった。
ここで認めてしまったら、私のモデルとしての人生――いや、むしろ人間としての人生がそこで終わってしまうから。
「―――じゃあさ」
何を言われるのだろうかとビクビクしながら待っていると、いきなり誠哉が私の腕を壁に押さえつけてきた。
そのまま体をわずかに曲げて服越しに私の胸に唇で触れてくる。
「この柔らかそうな胸はなに?」
誠哉の言葉で自分がさらしを付けていなかったことにハッと気が付く。
うろたえている私を後目に、さらに誠哉は胸の蕾にくちびるで刺激を与えてくる。
「……っ……!わ、分かった!分かったから、もうやめて!!」
慌てて自分の胸を誠哉の唇から引き剥がしてから、解放された両腕で胸を覆う。
体がヤケに熱かった。
こういうことに慣れてる誠哉にとったら別に大したことでも何でもないんだろうけど、男性と付き合ったことがあるはずのない私がそんな刺激に耐えられるわけないじゃない!!
「………いつから気付いてたのよ」
恨めしげに誠哉を睨みつけた。ほんの少し、威嚇ってやつだ。
だけどそんな私の視線にも憎たらしいほど動じることなく、誠哉は微笑んだまま意地悪い目で私を見つめて言った。
「んー……ヒミツ、かな?」
「…!なっなんで!?」
ヒミツって……意味分からないし!!
なんで隠す必要があるわけ!?
訳が分からないあまり頭の中がこんがらがってくる。
「じゃあそれは言わなくていいから……私が女だって黙っててくれる?」
図々しい頼みだということは百も承知だった。
女のくせに男性モデルを無様にも続けようとしてるなんて都合のいい話があるわけがない。
だけど本当に今モデルを辞めさせられたら困るのだ……
せめてあと、一ヶ月だけでもいい。母だって身を削って働いてくれているというのに、自分が今仕事を手放すわけにはいかなかった。
こんな縋りつくような事しか出来ない自分が情けなくて、悔しさのあまり涙が溢れてきそうにる。
「はぁ……ホントに君って子は……」
呆れたような呟きに体がビクリと震えた。どうしよう……やっぱり呆れられたよね?
「……葉月」
名前を呼ばれて俯けていた顔を上げた瞬間、唇にやわらかい温もりが降ってくる。
びっくりして固まっていると、誠哉は何回か唇を味わうようにゆっくり触れ合わせてから、そっと唇をはなした。
「クスクス…これを誰かに見られてたら、一見男同士に見えるから疑われちゃうかもね」
「なっなっななっ……!?」
「……好きだよ。葉月」
ふいうちの告白にぎょっとして目を見開く。
い、いま何て……!?
思いっきり狼狽えている私を見て、誠哉は小さく苦笑した。
「言ったりしないから安心して、葉月が女だって。そんなの俺だけが知ってればいいし。それにその様子だと……なんで俺がわざわざ転校したかも多分分かってないよね?」
「え、あっ…、そ、そう!私、誠哉の転校のこと勇兄に問いつめようと思ってて――」
「社長のことは責めないであげて?ほとんど俺の我が儘だし」
「そ、そうなの?でもじゃあ何で」
転校したの?と言葉を続ける前にふたたびキスで封じ込められてしまう。
「答える前に―――葉月に返事もらってからね」
「へ、んじ?」
「うん。まさか俺が好きだって言ったこともう忘れちゃった?」
捨てられた子犬のようなどこか悲しみが宿った目に、不覚にもキュンと胸が高鳴った。薄茶の無造作な髪が犬の毛のようにすら見えてくる。
「…俺のこと嫌い?」
そんなわけ、ない………
だってやっと自分の気持ちに気付いちゃったんだから……
今だって心臓がドキドキして鳴りやまない。
いつから好きになってしまっていたんだろう?
誠哉の優しさに触れているうちに、こんなにも膨らんでいた想い―――…
「……好き」
恥ずかしくて顔を真っ赤にしたまま消え入りそうな声で言うと、ちゃんとその言葉は届いたようで誠哉は嬉しそうに微笑んだ。
「―――やっと手に入れた」
抱きしめられた私が聞こえないぐらいに小さく呟かれた言葉。
その時、誠哉がイタズラを初めて成功したときのような子供の笑顔を浮かべていたことは私はまだ知る由もない。
*END*
ここまでお付き合いして下さって本当にありがとうございました!実は初めての完結作品となるのですが………う〜ん、謎がたくさん残ったままになってしまった(笑)勇兄視点と誠哉視点を書こうと思っていたのですが、なかなか暇がなくて書けそうにないのでとりあえず謎を残したまま完結にすることにしました。もともと息抜き程度に書いたものだったし、こんな終わりもアリかなと(言い訳です、すみません笑)またもし書ける機会が訪れたら、書こうかな〜とぼちぼち考えてます(*^-^*)ではでは、またどこかでお会いできることを願って……ここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございましたvv




