45.ゆっくり…
(これは……これが……)
ノエルの眼差しを受けて、私は固まっていた。
本当はお風呂で溺れちゃう不安でいっぱいなノエルが、一歩を踏み出そうとしている。
だって、こんなの……こんなのあんまりにも……。
(尊すぎる……っ!)
心の中で私は滝のような涙を流して、巨大感情を抱いていた。
なんなら、私を頼ってくれたことにも――行動では出さないが、「なんでもしますっ!」ばりの勢いをもって、ノエルの気持ちに応えたいと思った。
心の中では、とんでもないリアクションをしていたのだが――現実では、さっきから一言も発さない私を見たノエルは、おずおずと口を開いて。
「……で、でも……こんなのは、僕のわがままだから、やっぱり……」
「っ!」
私に対して申し訳ないと思ったのか、身を引こうとしていた。
その様子を見て、私は前のめりに――むしろ勢いあまって、彼の片手を自分の両手でぎゅっと握って。
「ノエル、あなたは、わがままなんかじゃないわ」
「!」
「私はノエルからそう言われて……本当に嬉しいの。頼ってくれてありがとう」
そう私が言葉を紡げば、ノエルはパアッと顔を輝かせて喜んでいるようで。
「う、うん……!」
嬉しそうな彼の声を聞いて、私まで嬉しくなってしまった。
(もしかして、ノエル以上に私が助かっている……?)
そんな疑問が浮かびながらも、せっかく手を握れたこともあったので――そのまま彼を、浴槽の方へと一歩ずつ導いていく。
途中、幕があるところがあったため――片手で握るように体勢を変えて、幕をひらりと手で避けながら……浴槽の方へ、歩いていった。
そして目の前に浴槽が見えてきたころ。
湯の中へは、石段を越えれば入れるようになっている。
「……っ」
「ノエル……」
そうした浴槽を前にして、ノエルの様子は見るからに震えているようだった。
じっと浴槽の中にたまる湯を見て、釘付けになってしまったかのようだ。
私が握っているノエルの片手からも、彼の恐怖を伝えてくるようにぎゅうっと――先ほどよりも強く握ってきた。そして、彼は一度深く深呼吸をしたかと思うと。
「お母様……ぜったい、絶対に放さないでくださいね……っ」
「!」
ノエルは切羽詰まった様子ながらも、真剣な眼差しで――そう言葉を紡いだ。
そんなノエルに対して、私はすぐに言葉を返す。
「もちろん……! 絶対に放したりしないわ」
「……! ありがとうございます、お母様」
私の返事を聞いたノエルは、どこかホッとした顔つきになったあと。
意を決して、浴槽の中へ足を踏み込んでいく。
――チャプ……。
一歩ずつ着実に、ノエルは浴槽の中へ行き……私の手が届く範囲まで、進んだ。
私はまだ身体を清めていないこともあり、浴槽のふちで彼の手をぎゅっと握って補助をする。
「ノエル! ちゃんと浴槽の中へ足を入れられたわね……! すごいわ!」
「!」
「それに溺れてもいない、大丈夫よ」
「は、はい……!」
状況としては、浴槽の中に両足を入れたノエルは――その場に立っていた。
彼の膝上まで湯は到達しており、あとは肩までつかればお風呂完了……という具合なのだが――。
「……っ」
「ノエル、無理はしないでね? ちゃんと今、お風呂の中に入れたから……自分を追い詰めないでね」
はじめ私が提案した「お風呂に入ってゆっくりする」――ではなく、「お風呂に一歩踏み出す」ことがゴールにはなったが、ノエルにとって少しでも恐怖がなくなることに繋がるのであれば……。
(本当に、嬉しいわ)
私がそうノエルに話しかければ、ノエルは私をじっと見つめて――今にも泣きそうな顔になってから。
「僕、もっとできます……っ! だって、お母様が側にいるから、もっとできたいんです……っ」
「ノ、ノエル……?」
「情けなくない僕を見てほしいから、だから……」
彼は自身に語り掛けるように、言葉を言う。
そして、何かを決心したように、ノエルはこくりと頷くと。
「お湯につかりたいんです……! もう少し、手を握ったままでもいいですか……?」
「! ええ、もちろん!」
「ありがとうございます……!」
そう宣言したノエルは、ゆっくりと足を折って――湯船の中へ身体をつかろうとする。
そうしたノエルの動きに合わせて、私もゆっくりと腰を曲げて下に膝をつく姿勢になれば――。
――チャポン。
「ノエル……! 肩まで、つかっているわ……! すご……」
ノエルが頑張ったことに「すごい」と伝えようとして、私は言葉が止まってしまった。
というのも、ノエルは確かに肩までつかっているのだが……。
代わりに、ぎゅっと目をつぶって――まるでお湯を見ないかのようにして、つかっていたのだ。
「肩まではいれて、よかった、です……」
「ノエル……! もう大丈夫だから、湯船から出ても……」
「ま、まだ、ゆっくりしてない、ですから……まだ……!」
「ノエル……」
どう見てもノエルは無理をしていた。
強制しないように、少しだけ進んだらストップをかけなければいけないのに……健気なノエルが、ひたむきに頑張ってしまう性格だということは分かっていたのに。
すぐさま、私はノエルを引き上げようとするも――。
「お母様! 大丈夫ですから……っ! どうか、もう少しだけ……」
「ノエル、でも……っ」
ノエルは私の手を再びギュッと握ると。
「もう少しで目も開けそうなんです、だから……もう少しだけ待ってほしいんです」
「……っ」
私の行動を制したノエルは、そう話した。
そんな彼の気持ちを無碍にするのも気が引けて、私はノエルの言う通りに――彼の手をギュッと握り返す。
(これじゃあ、お風呂の意味がないわよね……)
まさかこうしてお風呂に入った結果、湯船に癒されるのではなく――ノエルには緊張ばかりをかけさせている気がする。
本人は心根が優しいから、そんなことはないと言うのかもしれないが……。
「だいじょうぶ、だい、じょうぶ……」
「ノエル……」
「お母様が……握ってくれると、怖くなくなる気がするんです」
「それは……」
湯船の中で、なんとか呼吸をゆっくりとろうとするノエルを見て……。
私は無理をしているようだと――ノエルのことを考えたが……。
もしかすると、ノエルは……彼なりに、このきっかけで恐怖を克服しようとしているようにも見えて。
「……ノエルの気持ちを、尊重するわ」
「お母様……ありがとうございます……!」
「けれど、無理は本当にダメよ! ちゃんと言ってね」
「はい……!」
ノエルの気持ちを尊重しながらも、彼が緊急の時は即座に助けを呼ばなければ。
そうした気持ちを持って――私はノエルのことをじっと見守る。
私はノエルではないため、彼の恐怖心を代わりにどうにかすることはできない……が。
少しでもノエルの緊張感や身体がほぐれるようにと――そう祈った。
そんな中、ノエルも自身で息を整えているようで。
「ふっ……ふぅ……大丈夫、大丈夫……」
「――ノエル……」
「ふぅ……すぅ、ふっ……」
「に、にゃあ……」
「ん?」
ノエルを見守っていれば、彼の息遣いの他に――別の鳴き声が聞こえた気がした。
(ノエルに集中しすぎて、幻聴が聞こえたのかしら?)
そんなまさかと思い、今一度ノエルの様子を見ようとしていれば。
――スリッ。
「!?」
何か、もふもふっとした感覚が私の足にあった。
その感覚がした方に、すぐに視線を向けると――。
(子猫……いえ、子ライオン……っ!?)
そこには、黄金の毛色を持った小さなライオンが――震えながら私の側にいた。
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