第099話
二人での錬金術がうまく行かずに落ち込んでいたエレノアだが、翌日ようやく復活して手記を読み進める。一通り読み終わり手記を閉じたあと、ユーリを見て言った。
「エレメント、ですね」
「そう! エレメント!」
実は昨日からエレメントについて話をしたくてウズウズしていたユーリが勢いよく答えた。
エレメント。グレゴリアの書紀に登場するその物体は、属性値を増幅させる効果のあるものらしい。水のエレメントであれば、水属性の魔法素材の属性値を、火のエレメントであれば、火属性の魔法素材の属性値を。
それ単体では使用できないが、魔法素材と組み合わせることでその素材の能力を百パーセント以上に引き出すことができるというのだ。
熱の力を吸収し水を生み出す『命の盃』にも、火竜の逆鱗と共に使用されている。
「私は聞いたことがないですが、なんだかすごそうな素材ですね」
「そうなの! エレメントを使えば、中和剤で弱くなった波長を強くすることができるんじゃないかな!」
確かに、理にかなっているようには思える。
「問題はどうやって手に入れるか、ですね」
「うーん。蚤の市に売ってあったりしないかな?」
「さ、流石にそれは無いんじゃないでしょうか……」
グレゴリアの書紀に記述のある『炎のエレメント』は、一片が3センチほどの正八面体の物体である。色は濃い赤だが透き通っており、サラサラとした手触りであるという。討伐した火竜の巣の、卵の横にコロンと3つ落ちていたらしい。
「じゃあ火竜のところに……」
「ダメですっ!」
言いかけたユーリにエレノアが言葉を被せる。
「いくらユーリ君が凄くてもドラゴンに挑むなんて不可能ですよ! グレゴリアさんの手記にも手練の冒険者十人以上で挑んだって書いてあるじゃないですかっ」
「うーん。こっそり行ってエレメントだけ取って帰れないかな」
「無茶ですっ! 少なくとも銀級冒険者くらいの力が無いと何もできずに殺されちゃいます!」
「銀級かー」
冒険者として一流と認められるのが銀級である。流石にすぐに到達できるものではない。
「冒険者活動ももうちょっと本腰を入れようかな。最近依頼も全然受けてないし」
セレスティアとの訓練こそしているが、冒険者ギルドの依頼は久しく受けていない。お金ならニコラの魔力箱開封のお手伝いでかなりの額を稼げているのでわざわざ冒険者活動をしてチマチマ稼ぐ必要がないのだ。まぁ、お金自体は全てニコラに管理してもらっているため、ユーリの手元にはそこまで現金はないが。
しかし、ユーリはグレゴリアの書紀を見て本格的に冒険者活動にも力を入れようと考えていた。魔法素材の知識と冒険者の力があれば、必要なときに必要な素材をすぐに取りに行けるのだ。錬金術師にとって、それは大きなアドバンテージとなる。
「あまり、無理はしないでくださいね」
「うん、分かったー」
あまり真剣に受け取っていなさそうなユーリに、エレノアは心配そうな目を向けてため息をついた。
◇
グレゴリアの書紀でユーリが気になっていることがもう一つあった。エレノアは見落としたのか興味が無かったのか、特に気にした様子は無かったが。
それは……
「生体への錬金術の付与……」
珍しくエレノアのいない研究室でユーリがつぶやく。
グレゴリアはかなりマッドな研究もしていた様で、その一つが生体への錬金術の付与だった。
やろうとしていたことは、熱への耐性の付与だ。
焼け付くような火山地帯に縄張りを持つ火竜。そこで戦うためには熱に耐えられるようにならないといけない。
グレゴリアは小動物を実験台にし、錬金術の付与を試みた。しかし、結果は失敗。眠っているネズミに錬金術をしてみるも、通力した途端に跳ね起きてしまう。
ならばと気絶させたネズミに錬金術を付与してみた。錬金反応が始まると触媒がプスプスと焼き付き始める。それでもむりやり錬金を続けた。その結果……そのネズミは一度激しく痙攣し、二度と目覚めることは無かった。
危険だと判断したグレゴリアは研究をそこでやめ、ユーリの作ったヒエヒエ君と同じような効果を持つフードを作り火竜に挑んだという。
あまりにも危険、あまりにも禁忌のように思える錬金術。
「自分自身にも錬金術って付与できるのかな」
あろうことか、ユーリはそんな危険な錬金術に手を出そうとしていた。
取り出したのは触媒とナイアードの髪である。円状に描いた触媒にナイアードの髪を乗せ、円の右側に右手の人差し指、左側に左手の人指し指を触れる。
「うーん……水の属性値を人差し指に付与するイメージ、かな?」
ユーリの魂胆としてはこうだ。
人差し指に水の属性値を付与することで、左手の人差し指の波長が水属性のものになる。つまり、左手の人差し指で水属性魔法が使えるようになるのではないか、という単純なものである。
右手の人差し指から始まった錬金反応。ナイアードの毛を通り、左手の人差し指に到達。そのまま、属性値を左手の人差し指に定着するイメージで錬金反応を……
ジジジ……ボシュゥ……
「あ」
左手の人差し指にピリリという感触を覚え、たちまち触媒が焼き切れた。
失敗である。
何もユーリとてこんなことで魔法が使えるようになるとは、流石に本気では思っていなかった。なので落胆もない。
刺激の走った左での人差し指を見つめて言う。
「変な感覚だったな」
何かが入ってきそうで入ってこない感覚。なんだかもどかしい感じがした。
「よいしょっと……あ、ユーリ君、来てたんですね。何か錬金してたんですか?」
エレノアが研究室に帰ってきた。髪が濡れているので、浴場にでも行ってきたのだろう。
「うーん、ちょっとね。失敗しちゃったけど」
「そうですか。錬金術に失敗は付きものです。めげずにまたがんばりましょうっ」
何のことかは分からないが、エレノアは無責任にユーリを応援する。
もしユーリが自分自身に錬金を施そうとしていることが分かっていたら、絶対に止めていただろうが……
この日からユーリは、エレノアがいないときに、時々人体への錬金術を実験するようになった。




