第097話
「右腕と左腿」
スパパンッ!
「頭と左手」
スパパンッ!
「お腹と左足」
スパパンッ!
桜散るセレスティアの屋敷に、ユーリとセレスティアの訓練の音が響く。
去年の冬から、偏重強化の2箇所同時展開もかなり様になってきた。セレスティアのハリセン攻撃をそのまま食らうことはほとんどなくなり、土埃で汚れているものの、ユーリは無傷である。
セレスティアがハリセンを納めた。
「うん。合格」
「本当!?」
「訓練で身につけられる二重偏重強化、ほぼ限界。あとは実戦で展開できれば、完成」
満足げにうんうんと頷くセレスティア。その様子はまるで農家が出来のいい作物を作り上げたときのような雰囲気である。
ユーリの顔がパアッと明るくなった。
「それじゃ……!」
「うん。錬金術のヒント、教える」
待ちに待った新しい情報。これで停滞している研究が進むかもしれない。
「ただし、前も行った通り、ヒントにならないかも知れない。そこは、心得ておいて」
「うん、分かった!」
分かったと言いつつも、ユーリの瞳は期待で輝いている。
「着いてきて」
「うん!」
セレスティアが向かったのは広い屋敷の隅っこにある書斎であった。
書斎は四畳半ほどの小さな空間で、入り口から入って正面に採光窓と机があり、左右は二メートルほどの高さの本棚がそそり立っている。
古い書物の香りで満ちているが、空気は淀んではいない。本など読みそうにないが、セレスティアが普段から使用している書斎なのだろうか。
机の上にもホコリはなく綺麗に掃除されている。
「……待ってて」
きれいに整理された机を見て首を傾げたセレスティアが、本棚のあちこちを探し始める。きれいに掃除された床に本棚から抜いた本を散らかしながら、あれでもない、これでもないと何かを探すセレスティア。
しばらく経っても目的のものは見つからないようだ。
「セレスティア、大丈夫?」
「……ん」
黙々と探しものをしながら部屋を散らかすセレスティア。
そんな惨状となった書斎に訪れる人影が一つ。
「ちょっとティア! あんた何散らかしてんのよ! せっかく人がきれいに片付けたっていうのに!」
頭に三角巾を巻いて、掃除用のハタキを、持ったオリヴィアである。
書斎の惨状に目を釣り上げて怒っている。
「そこになおりなさいっ! いい加減に毎度毎度片付ける私の気持ちを知りなさいよねっ!」
流石は細剣使い、ハタキの扱いも一流だ。鋭い軌跡でオリヴィアの頭を狙う。が、そこは腐っても銀級冒険者。セレスティアには当たらなかった。
「オリヴィア。机の上にあった紫の表紙の書紀、どこ?」
「書紀ぃ? そういえばなんかあったわね、虫食いだらけの薄汚い本が。捨てたに決まってるじゃないの」
「……」
セレスティアが数秒固まり、コホンと一つ咳払い。
ユーリの方を振り向いて口を開く。
「ユーリ、私が言ったこと、覚えてる?」
「え?」
「ヒントには、ならないかも知れない。どんまい」
「ええええええええ!?」
どうやらセレスティアの言っていた『ヒント』とは書籍らしく、それはオリヴィアに捨てられてしまったらしい。
「おおおおオリヴィア! そそそそれ、それどこどどどこに捨てたの!? どどどどこに!?」
尋常じゃなく慌てふためくユーリに、若干引きながらオリヴィアが答える。
「庭の焼却場に決まってるじゃない」
「ピェェェェェェェェェ!!」
両頬を両手で押さえて奇声をあげるユーリ。異世界にムンクの叫びが誕生した。
「もう燃やしちゃった!? 灰は残ってる!?」
「捨てたのは昨日だけど、火をつけたのはさっきよ」
「アビャビャビャビャビャ!!」
またもや変な声を上げて部屋から飛び出していくユーリ。向かう先は庭にある焼却場だろう。
「な、何よあれ……ティア、ユーリ君に変なもの食べさせてないでしょうね?」
「ああなった原因、オリヴィア」
「なんで私なのよ」
オリヴィアはフンと一つ息を吐いて、散らかった書籍の片付けを始めた。
一方、庭に飛び出したユーリ。モクモクと煙を上げ始めるゴミの山を見つけ、全速力で駆け寄る。
幸い燃え始めたばかりの様で、火の勢いは弱い。
「消えろおおぉぉぉ!!」
ゴミの山スレスレに全力で蹴りを放ち、風圧で火を消化。
「どこっ!? あっつっ! 錬金術のヒントっ! どこっ!?」
アチアチと言いながらゴミの山をかき分ける。果たして書紀は無事だろうか。
「あったぁ!! 多分これだ!!」
セレスティアが言っていた『紫の表紙の書紀』。なんとかまだ燃えずに残ってくれていたようだ。表紙が焦げて読めなくなってはいるが。
ユーリはそのまま庭に座り、震える手で表紙を捲る。随分と古く、書いてある文字も旧書体ではあるが、読めなくはない。
『偉大なる錬金術師 グレゴリアの軌跡』
どうやら目的の書紀のようだ。ユーリはひとまず無事に回収出来たことにホッと胸を撫で下ろす。そしてそのまま読み勧めた。
どうやらこの書紀は偉大なる錬金術師であるグレゴリアの錬金術研究記録兼日記帳のようだ。
己の日記帳のタイトルに『偉大なる錬金術師』と書くなど、胡散臭さ全開であるが……
「偉大なる錬金術……きっとすごい人なんだ!!」
ユーリはまだ子供。疑いもせずに目を輝かせページを一枚、また一枚とめくってゆく。
どうやらかなり古くに書かれたもののようで、時折目に入る日付は五百年程は前のものだ。しかし試行錯誤している錬金術の内容は現代と酷似している。
「すごい。今の錬金術の基礎って、五百年前には確立してたんだ」
触媒と魔法素材の相性であったり、属性値(当時は魔力値と呼ばれていたようだ)の概念であったり。ところどころナルシストっぽい書き方や大袈裟な表現があり胡散臭さは拭えないものの、研究自体はまともに行っていた様だ。
読み勧めている内に、グレゴリアの容姿が頭に浮かんでくる。というのも、所々に己の容姿についての言及があるからだ。
例えば『黄金に実る小麦のように輝く褐色の肌』や『夜空を儚く流れ散る星のような色の御髪』であったり、『一点のくすみもない純白の歯』、『断崖に屹立するかのように高くそびえる鼻』、『全てを見通すかのような大きく透き通った翡翠の瞳』等々。
エルドラード王国ではない南の大陸。その大陸の砂漠の国から来たという女性象が頭に浮かぶ。
年中乾きに苦しんでいる母国のために、色々な国を歩き回り、魔法素材を集め、水を作り出す魔導具の研究を……
そこまで読んで、ユーリの手が震える。
「う、うそ……これってまさか……」
真贋は分からぬが、内容は以前読んだ絵物語『砂漠の国と命の杯』そのものである。もしこれが本物であれば、『水を出す魔導具』の作り方も分かるかも知れないのだ。
エレノアは現代の錬金術では不可能と言っていたが、書かれている内容は紛れもなく現代の錬金術である。つまり、現代の錬金術で、水を出す魔導具が作れると言うことだ。
一心不乱に読み漁っていると、セレスティアがあくびをしながらやって来た。
「役に、立ちそう?」
「うんっ! すごい、すごいよこれ! セレスティア、こんなにすごい書紀、どうしたの!?」
グレゴリアの初期から目を離さずに興奮気味に聞くユーリ。
「預かった」
「預かったって……グレゴリア本人に!?」
「うん」
流石は長寿の種族エルフである。人間からすれば信じられないことだが、どうやらグレゴリア本人と面識があったようだ。
「悪用されかねないから、信頼できる錬金術師見つけて、受け継いで欲しいって、言ってた」
「そうなんだ……ありがとう、セレスティア」
ユーリはその古ぼけた書紀をそっと胸に抱く。五百年も前の偉人から受け継いだ想いを。そしてセレスティアが自分のことを信頼してくれていると知って、ちょっぴり感動するユーリである。
そんなユーリを見てセレスティアはうんうんと頷く。
「ユーリに会うまで、すっかり忘れてた。危なかった」
どうやら他の誰にも託さなかったのは単に忘れているだけだったようだ。
感動で涙が出そうだったユーリの瞳が一瞬で乾いた。
「他にも、役に立つ本、あるかもしれない。書斎、好きに使っていいよ」
「本当!?」
「ただし、身体も、ちゃんと動かすこと」
「うん、分かった!!」
セレスティアが何十年何百年という期間をかけて集めた(というか押し付けられたり拾ったりした)書物達。ユーリはそれらを読む権利を得た。
ちなみにその後、2日連続徹夜で書物を読み漁り、無表情ながら額に青筋を浮かべたセレスティアにハリセンでタコ殴りにされたのであった。




