第167話
「あった、これだ! なつかしいなー!」
アデライデから譲り受けたベルベット領都周辺の地図を広げて、ユーリが声を上げる。地図を眺め、『春グミの群生地』という書き込みを見つけた。
「そうそう、初めて外に出たとき、ここで迷子になったんだよねー。あの時にニコラに助けてもらったんだっけ。いろいろあったなー。っと、いけないいけない。そうじゃなくて……不知火草、不知火草」
指で地図をなぞりながら、不知火草のヒントが無いかを探す。目的の書き込みはすぐに見つかった。赤光草と書かれたメモが二重線で消されており、不知火草と書き直されている。
「ここだ! えっと、近くに川は……ある」
メモ書きの近くを流れる川。もし不知火草の種を取り込んだ琥珀やコーパルがあるとするなら、この川より下流だろう。
川はベルベット領都の東へと続いており、途中で地図が終わってはいるが、おそらくシグラス村付近まで伸びているだろう。
「よし、この川に沿って下って行こう。絶対見つけてやる」
ユーリは地図を握りしめ、遠征の準備を始めた。
◇
「……」
さわさわと木の葉擦れと川のせせらぎが聞こえる森の中で、ユーリは目をつむって静かに立つ。
遠征開始から三日目。ユーリはただひたすらに司教鳥の声を聴いては巣を見つけ、コーパルを探していた。
見つけた巣の数はすでに50を超える。その内コーパルがあったのは40。目的の種を含むものは未だ見つからない。
それでも希望は捨てていない。まだたったの三日目だ。
身じろぎ一つせず、聞こえてくる音に全神経を集中させるユーリ。その耳がかすかな鳴き声を拾った。
『……ゲッゲッ』
「いた」
静かに走り出す。もう巣を探すのには慣れた。聞こえて来た方向と声の大きさから大体の位置を割り出し、大きめの木を探す。太い枝が枝分かれしたところに、司教鳥は巣を作っている。
すぐに見つけ出し、偏重強化した足でジャンプ。ひとっとびに巣の近くまでたどり着いた。
急な来訪者に驚いた司教鳥が慌てて逃げ出す。
「ごめんね」
一言謝ってから、巣の中を探す。この巣にもコーパルはあった。しかし、
「……種は入ってない、か」
落胆はしない。そう簡単に見つかるなどとは傍から思ってはいない。
ユーリは腰にぶら下げたコップに通力し、水を生み出してから一気に飲み干す。
たくさん持ってきた携帯食料を一口。
「よし、次!」
まだまだ川は続いている。
コーパルが下流に流されていることだって当然あるだろう。チャンスはたくさんある。
ユーリは次の巣に向けて足を進めるのだった。
◇
しかし、現実と言うのは残酷なものである。
「……」
ザザーンと言う波の音を聞きながら、ユーリが砂浜に仰向けに転がる。太陽の光が暖かく心地よい。
あれから何日たっただろうか。少なくとも二週間は経過しているだろう。
探した巣の数を数えるのは途中でやめた。
正直、分の悪い賭けだという事はユーリ自身気が付いていた。しかし、ユニコーンの角の時も、ジュエルトータスの銀の時もなんとかしてきたのだ。
だから今回も上手く行くのではないか。そんな慢心があった。
今、完全にその慢心は砕かれたのだが。
「そういえば、満足に寝てないや」
夜に仮眠しようとするも、耳が司教鳥の声を拾ってしまって意識が覚醒してしまう。ほとんど不眠不休で探し続けたユーリに睡魔が襲う。
「ちょっとだけ、休憩……」
心地よい波の音を聞きながら、ユーリが眠りについた。
「……い、おい! 大丈夫か!? 生きてるか!?」
どのくらい寝ていただろうか。
肩を揺らされてユーリの意識が覚醒する。どうやらすっかり眠ってしまっていた様で、周囲は暗くなりつつあった。
いつのまにかうつぶせになっていて、顔に着いた砂を払い、ユーリが体を起こす。
「良かった、生きてたか……」
誰か親切な人が心配して起こしてくれたようだ。
目に砂が入らないように注意しながら目をこすり、その人を見る。
真っ黒に焼けたたくましい身体の青年が、目を丸くしてユーリを見ていた。
「ありがとうございます。えーっと……」
「お前……もしかしてユーリか?」
青年の首から下げられたネックレスの先、大きな三角形の透明な物体、色無鮫の歯が夕日を反射してきらりと煌めいた。
◇
シグラス村の漁師の子、いや、今では立派な漁師となったレイと再会したユーリ。川はシグラス村のすぐ隣まで伸びていた様で、たまたま見回りをしていたレイが倒れていたユーリを見つけてくれたようだ。
感動的な再開になるかと思いきや、レイが顔を顰めて、
「ユーリ、お前ちょっと臭うぞ」
と言ったため、とりあえずシグラス村の温泉に二人で入りに来た。
すっかり汚れた体を洗い、暖かなお湯に浸かってようやく一心地つく。
「あ〜、疲れたー……」
ずっと焦っていた心が少しだけ落ち着く。
ユーリは改めて隣のレイに目を向けた。
「久しぶりだね、レイ。5年ぶりくらいかな?」
「あぁ、そのくらいになるな」
「レイは変わったねー。背がすごく高くなったし、筋肉すごい!」
長い手足に引き締まった身体。無駄な脂肪は無く、筋肉で盛り上がっている。
ユーリと同じくらいだった身長は、今では完全にレイの勝ちである。
「もう、僕を置いて成長しないでよ!」
ペタペタと肩や胸を触ってくるユーリに嘆息し、レイはその愛らしい顔にデコピンをする。
「いてっ! 何するのさっ!」
「なんつーか、ユーリは変わらないな。なんか安心したよ」
「変わったよ! 僕だって大きくなったんだから! ……レイには負けるけどさー」
不貞腐れるユーリに苦笑した後に、レイが話題を変える。
「それで、ユーリはあんなところで何やってたんだ? 海水浴してて溺れたわけじゃないだろ?」
レイの言葉に、旧友との再開に綻んでいたユーリの顔に陰が落ちる。久闊を叙している場合ではないのだ。
「実はね……」
ユーリは事の経緯をかい摘んで話す。
お世話になったお婆さんが死んでしまいそうなこと。不知火草という花を見せてあげたいこと。もしかしたら、琥珀やコーパルに種子が残っているかも知れないこと。
「……だから、川に沿って下りながら司教鳥の巣を見てきたんだ。だけど、やっぱり見つからなくて。それで疲れて寝ちゃってたんだ」
「琥珀か。多分、村の子供たちが集めてるとおもうぞ」
「え?」
「子供ってのはそういうのが好きだからな。俺だって前はよく拾いに行ってたぜ。村の子どもたちのところ、行ってみるか?」
「うん! おねがい!」
「と言っても今日はもう遅い。ユーリも今日くらいゆっくり寝ろ。明日朝から連れてってやるよ。六の刻に浜に集合な」
言われてユーリが空を見る。もうすっかり日が落ちてしまっていた。
「うん、分かった!」
思わぬところから出てきた手がかり。
ユーリは以前も泊まった宿に行き、期待しながら眠りについた。




