第158話
「アンナ教官、随分お疲れの様ですが、何かあったのですか?」
研究室に訪ねて来たアンナにお茶を出しつつエレノアが問う。
残念ながら今日はナターシャがいないため粗茶である。
「ありがとうございます、ハフスタッター教官」
お茶を一口飲み、ほぅと一息。少しの間の後にアンナが話し始める。
「先日頂いた手がかりを元に、地図の指すところへと向かいました。そこはベルベット領都の西に位置する街……いえ、街だったものでした。もう人は誰も住めるような所ではなく、家だった物の跡が点在するだけの場所でした。しかし、羊皮紙には地下にあるとの記載があったので、私は諦めずに痕跡を探しました。すると、あったのです。地下に向かう階段が」
その時の興奮を思い出したのか、アンナの黒い瞳に光が宿る。しかし、その光はスッと消えた。
「地下へと降りる階段の先に扉がありました。地下室への扉なのでしょう。幾何学的な模様の描かれた頑丈な扉です。取っ手はあるけれど、鍵はありませんでした。そのまま入れるのかと思い押したり引いたり横にスライドさせようとしたり。色々と試しましたがビクともしませんでした。ならば周りからと考え土を掘ろうとしたのですが、魔法か何かで固められているらしく、削ることさえ困難でした」
はぁと大きくため息をつく。
「扉を壊すつもりで叩いても開かず、私は途方に暮れました。そして扉の前に座り込んでいる私の元に遅れてやってきた研究仲間が言うのです。『これは魔力箱の原理を応用した扉なのではないか』と」
魔力箱という単語を聞いて、ユーリとエレノアが無言で顔を見合わせた。
俯いているアンナはそれには気が付かずに言葉を続ける。
「開ける手がかりがあるのかと喜んだのも束の間、どうやらその魔力箱とは、錬金術師たちの間では開かないことで有名な箱とのことでした。いつ作られたのか、どうやって作られたのかも分からず、現代の技術では決して開けることの出来ない箱、それが魔力箱。そんなもの、私に開けることなどできるわけがありません。ユーリ君、ハフスタッター教官、せっかく手がかりを頂いたのに申し訳ないです。魔法史の真の歴史は、開かずの扉の中。日の目を見る事は無いでしょう。私には諦めて帰ってくる事しか出来ませんでした」
アンナが漆黒の瞳をキュッと瞑ると、透明な雫がポタリと落ちた。
泣いている。アンナは悔しくて泣いているのだ。
爪が食い込みそうなくらいに握りしめている手のひらを、ユーリがそっと小さな手で包み込んだ。
「アンナ。僕も錬金術で壁にぶつかることが良くあるんだ。アンナとは比べ物にならないくらい小さな壁かもしれないけど。そういう時はね、一度頭を空っぽにして、違うことを考えてみるんだ。上手く行かないことを考え続けるのは、辛すぎるから」
「そう……ですね」
「一回違うことをやってみて、そして頭がスッキリしたら、また考えてみよう。そうすれば案外新しい解決方法が近くにあったりするものだよ」
慈しむような顔から一転、ユーリは何かを思いついた様に、明るい笑顔になる。
「あ、そうだ! 僕ね、今新しい魔導具を考えてるんだ! それで闇魔法の知識が必要でね! アンナが協力してくれると、すごく嬉しいな!」
励ますように、元気づけるように、花の咲いた様な笑顔を見せるユーリ。そんなユーリの姿を見て、アンナも涙目ながらも笑顔を浮かべた。
「ユーリ君は優しいですね……。ありがとうございます。私に出来ることがあるのなら、是非とも協力させてください」
「やったー! あのね、遠くの人と話が出来る魔導具を考えててね! 一つの空間を二つにしようと思ってて……」
アンナの前に紙を広げてウキウキとペンを走らせるユーリと、涙を拭い話を聞くアンナ。
エレノアはただただ、信じられないものを見る目で、ユーリを見ていた。
◇
「ありがとうございます。ユーリ君のお陰で少し気が楽になりました。あの扉のことを諦めることはしませんが、一度頭を切り替えて別の方向から考えてみます。今日はありがとうございました」
「ううん、こちらこそありがとう! また闇魔法のこと教えてね!」
「はい、もちろんです。ハフスタッター教官も、色々とありがとうございました」
「いえ、その、はい。あの、申し訳ございません……」
「どうしてハフスタッター教官が謝罪するのですか?」
「その、えと、すみません……」
恐縮して何故か謝罪するエレノアに首を傾げながら、アンナは帰っていった。
パタリと扉が閉まり、アンナの足音が遠ざかる。ユーリと二人きりになった研究室に、少しの静寂が流れた後、エレノアが口を開いた。
「……ユーリ君なら、開けられますよね? パーシヴァルさんの地下室の扉」
「うん」
即答である。
「だったら開けて上げればいいじゃないですか……」
「だって開けちゃったら、アンナ研究に没頭しそうなんだもん。それに今まで5年も研究してるんだから、1、2ヶ月変わったところで対したこと無いでしょ? 魔導具が出来たらちゃんと開けるの手伝うよ」
「……私、最近ユーリ君が怖くなってきました」
「あはは、大げさだなー。それに、エレノアだって開けられるでしょ? 開けてあげればよかったのに」
「あ、あんな空気の中、そんなこと言えるわけないじゃないですかっ!」
エレノアはユーリに目を向ける。
どんどん背が伸び、中性的な美少女といった風貌の白い髪の少年。
錬金術、鍛冶に精通し、さらにオリヴィアと同じほども強いらしい。
可愛らしい笑顔で、人のために際限なく尽力するのに、自分のために人を悪気なく利用する所もある。
これは、恐ろしい程の女たらし……いや、人たらしになるのではないかと、エレノアは恐怖し身震いした。




