第156話
「ここにニコラさんと言う方がいらっしゃるんですね」
アデライデの薬草店の前でアンナがつぶやく。
ニコラは最近はもっぱらアデライデの店でお手伝いしているため、今日もいるだろう。
「おばーちゃーん。ただいまー」
エレノアが間延びした声をあげて店に入り、そのまま奥の居住スペースへとあがる。ユーリとアンナもそれに着いていく。
アデライデとニコラはちょうど晩御飯を食べ終わるところであった。
「ニコラちゃん。今日もありがとうね。美味しかったよ」
「ううん。どういたしまして。ちゃんと食べて体力つけてよね」
甲斐甲斐しくおばあちゃんの世話をするニコラ。もはやどう見ても孫である。本物のの孫は久々に帰ったと言うのに手土産一つ持ってきていないが。
非難するようなユーリの視線から逃げるように、エレノアは目を逸らした。
「あら、エレノアにユーリじゃない。今日はどうしたの? それと……そちらの方は?」
ニコラがアンナを見て問う。
「始めまして、ニコラさん。私は魔法学園で魔法史の教官をしているアンナ・ミュラーです。早速の質問で申し訳ないのですが、パーシヴァルの日誌の場所が記された羊皮紙をお持ちと伺いましたので、夜間に失礼とは思いましたが、訪問させていただきました」
アンナの問いに、しかし、ニコラは首を捻る。
「はぁ。パージヴァルって……どなた? 私の知り合いにそんな名前の人いないわよ」
ニコラの答えを聞いたアンナは、話が違うという表情でユーリを見る。漆黒の瞳に光がない。
「えっと、ほら。ちょっと前にさ、その、ニコラが集めて来た箱を僕が代わりに開けてたよね? その時に入ってたやつなんだけど」
「箱? あぁ、まりょ……箱ね。箱。はいはい」
魔力箱と言いかけてニコラが言い直す。魔力箱を開けられることは、いまだに三人の秘密である。
「日誌、日誌、うーん。あったかしらそんなの。私、基本的にお金になりそうなもの以外はエレノアの研究室に放置してたのよね。あんたたち二人のどっちがが片づけるとか捨てるとかしたんじゃない?」
ザワリ
アンナから殺気が漏れた。
入園当初にアンナがアルゴに対してキレているところを見たユーリが慌てる。相当怖かった。
「ぼ、僕は捨ててないよ! エレノアは!?」
「私も覚えがないですね……」
「そういえばあの時、セレスティアとオリヴィアも居たわよね? オリヴィアならなにか知ってるんじゃない? あんた達の部屋、よく片付けてくれてたし」
確かにあの時、オリヴィアもいたはずだ。
「ありがとうニコラ! ちょっと行ってみるよ!」
三人は急いでセレスティアの屋敷へと向かった。
◇
「羊皮紙ぃ? そんなのいちいち覚えてるわけないじゃないの」
ユーリの話を聞いためんどくさそうな声を出した。
「いつもいつも片付けもせず研究に没頭して、部屋がグチャグチャになったら私に泣きついて、そんなことを繰り返してるから大切なものが無くなるのよ。これを気に自分でも片付けるようにしなさいよ」
「だ、だって研究が……」
「片付けしないことで必要なものが見つからなくて、探すのに片付ける以上に時間がかかってるじゃない。本末転倒よ、それ」
「……おっしゃるとおりでございます」
言い返そうとして間髪入れずに反論が来た。正論過ぎて言い返すこともできず、エレノアは頭を下げた。
「それで、その羊皮紙をアンナ教官が探してるってことですか?」
「はい。真の歴史を紐解くために、非常に非常に重要な手がかりなのです。オリヴィアさん、なにか思い出せませんか?」
「何かって言われても……羊皮紙とか古着なら、雑巾として使えるからまとめて箱の中に入れておいてあるはずですけど……研究室のものを捨てるときは必ずエレノアとユーリに確認してますし。私にはゴミと素材の区別もつかないので」
「ぞ、雑巾……」
歴史を変えかねない情報が載った羊皮紙を雑巾扱いとは。
アンナがふらりと立ちくらんだ。
「その箱はどこに……?」
「えーっと、引っ越しのときに見かけたので、新しいエレノアの研究室のどこかにはあるはずですけど……」
ガシり
アンナがオリヴィアの肩を強く握り言う。
「オリヴィアさん。一緒にハフスタッター教官の部屋まで来てくれますか?」
「も、もちろんです」
アンナのあまりの剣幕に、オリヴィアは首を縦に振ることしかできなかった。
◇
幸いなことに、探し物の箱はすぐに見つかった。
引っ越しをしてから一年、開封すらされていないホコリを被った箱が四つほど。その中の目当ての箱があった。
「えっと。確かその箱だったはずです」
「ハフスタッター教官! 開けても良いですか!?」
「えっと、はい、構いませんけど……」
大急ぎで、しかし散らかすようなことはしない。
エレノアのお古の服を取り出しては広げ、丁寧にたたんで横に置く。
しばらくその作業を続けていると……
「あー!」
ユーリが突如声を出した。
「見つけましたか!?」
アンナが歓喜の声を出す。
しかし、
「これ、僕が入園したばっかりの時にエレノアが来てた服だ! なつかしいなー!」
ユーリが広げるのは、エレノアに錬金術を教えてもらったときに来ていた服であった。一緒に学園の湖の周りを歩き、錬金術に仕える素材を集めたときの記憶がよみがえる。
「確かあの時、オリヴィアにも初めて会ったんだよね。まさか一緒に冒険者をすることになるなんて思わなかったなー」
「なつかしいわねー。この服を買うためにエレノアに朝早くに叩き起こされたのよね。あの時のエレノアの慌て様ったら……」
「お、オリヴィア! その話はしないでよぉ!」
「捨てるのは勿体ないし、短くしてセリィの服にしたらどうかな? 僕、作ってみようかな」
「それ、すごく良いですねっ!」
ワイワイキャッキャ。昔話に花を咲かせる三人と無言ながら楽しそうなセリィ。そんな四人にアンナが無表情で視線を送る。
どこまでも光を吸い込みそうな漆黒の瞳。光が無い。
その視線にようやく気が付き、ユーリがそっとエレノアのワンピースをたたんだ。
「あの、ご、ごめんなさい」
「……いえ、協力していただいている立場ですので、私からは何も」
ユーリ達にとってはただの古ぼけた羊皮紙であるが、アンナにとっては数年間欲していた重要な情報なのだ。ひどい温度差がそこにはあった。
しばらく無言の時間が流れ……
「あ」
ヒラリと一枚の羊皮紙が服の間からヒラリと落ちて来た。
ユーリがそれを拾い上げる。
「『私の人生を綴った日誌の隠し場所を記す。パーシヴァル・アウグスト』アンナ、これこれ」
アンナが目を見開き、わなわなと震える手で羊皮紙に手を伸ばす。
書かれているのはユーリが読み上げた文章と地図らしきものだけ。たったそれだけの羊皮紙、だというのに、アンナは五分程もそれを見つめ続けた。
しばらくして顔を上げたアンナが、涙を流しながら、大輪の笑顔を咲かせる。
「貴方たちに、心からの感謝をささげます」
アンナの停滞していた研究が、ようやく動き出した。




