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【書籍発売中】ユーリ~魔法に夢見る小さな錬金術師の物語~  作者: 佐伯凪
第五章 錬金術の下準備〜水晶樹の森と、ユニコーンの角〜
139/167

第139話

 セリィはスラム街で育った女の子である。

 年齢は10歳ほど。産み落とされたのがいつか分からないため、正確な年齢は本人でも分からない。

 セリィは最初から言葉がしゃべれなかったわけではない。昔、孤児院にいた時には普通にしゃべっていた。

 しゃべれなくなったのはいつ頃からか。

 孤児院が潰れ、行く場所を無くし、孤児仲間と一緒に人さらいから逃げるようにたどり着いたのがスラム街だった。

 そこでの暮らしは、凄惨の一言に尽きた。

 食べ物は無い、飲み物も無い。廃屋はあったため屋根はあるが、窓は無い。

 落ちている襤褸ぼろを拾い集め、身にまとうことで寒さをしのぐ。

 小柄な体を生かし屋台から食べ物をくすねて食いつなぐ。

 生きるために生きる。それだけの日々。

 何人もの仲間が冬の死神に連れ去られていった。そしてそれすらも、食べた。

 感情などいらなかった。そんなものを持ち続けていたら心が壊れていただろう。


 セリィは体格に恵まれなかった。魔法の才にも恵まれなかった。

 ただ一つ、他者より優れているものがあった。それが、『相手の思考を読む』という能力。

 もちろん、相手の考えていることがまるのまま分かるなんてことではない。

 相手の表情、声色、体の動き、視線移動、瞳孔、まばたきの頻度、口角の動き。腕の組み方、足先の方向。上げだせばキリが無い。それらの情報から相手の思考を読むのだ。

 その能力があったから、生き延びることが出来た。激しく折檻してきそうな人には近寄らず、同情してくれそうな人から盗みを働く。そうやって汚く生きてきた。

 それでも、レンツィオがいなければとっくに死んでいただろうが。


 ある日レンツィオにくっついて来た白い少年。彼は白い粉を持ってきて、何やら怪しげな事を始めた。

 錬金術らしい。

 錬金術にも興味を惹かれたが、セリィが一番気になったのはその白い少年、ユーリだった。

 分かりやすい。セリィはそう思った。言っていること、やっていることと、彼の内心が全く同じである。驚くときは驚いた顔をし、おかしい時は笑う。何かを聞いてくるときは、頭に疑問符が浮かんでいるようにすら見える。

 隠さず、偽らず、ありのままに生きる白い少年に、灰色の少女は強い興味を抱いた。


 錬金術はセリィにとって、さほど難しいものではなかった。ユーリの考えていること、やっていることを理解して、そのまま同じのことをすればいいからだ。

 ユーリに見せてもらった蓄熱石は、すぐに作れるようになった。

 すると、彼は凄いと褒めてくれた。

 それからセリィは、彼に褒めてもらうために錬金術に力を入れ始めた。


 ある日、ユーリのことをもっと知るために、セリィはユーリの錬金術中の触媒に指を突っ込んだ。

 錬金術では術者のイメージを送り込む。それはつまり、術者の考えていることがわかるということだ。

 シビシビと伝わる指先の刺激。それを読み取り、真似する。大体どのくらいの温度の蓄熱石をつくろうとしているのか。真似して、自分も魔力を流す。

 ユーリの魔力が乱れた。

 何やら激しく動揺……いや、興奮していた。

 興奮したユーリに手を引かれて学園に連れてこられ、気がつけば優しくて気弱そうな女性とお風呂に入っており、学園で寝泊まりするようになった。

 暖かいお風呂、美味しいご飯、そして、優しい人。

 何故かはわからないが、急に幸せになってしまってした。


 セリィは表情の動かし方は忘れてしまったが、感情が無いわけではない。

 エレノアのことを慕い、ユーリには憧れを抱いている。

 それに、スラム街出身とは言え女の子。恥じらいだって多少はある。

 だから、ユーリから言われた時。


「しばらく一緒に暮らそう」


 そう言われたとき、死んでいたはずの表情筋が、驚きで少しだけ動いた。



 その夜。ユーリは学園にある寮の自分の部屋、自分のベッドで寝ていた。

 学園の生徒であるユーリにとって、それは普通のことである。

 同じ布団の中にセリィも潜っていた。

 スラム街育ちのセリィにとって、これは異常なことである。

 いや、もうハフスタッター教官に雇われている立場なので学園で寝泊まりすること自体はそこまで異常なことではないのだが。

 とある男子生徒の部屋で同じ布団に入っている事は異常でしかない。何故ならセリィは女の子なのだから。

 暗い部屋で、スースーというユーリの寝息だけが聞こえる。もぞもぞと動いてその横顔を見る。少女のような整った顔を。

 この少女のような少年に、自分は救われた。

 学園に連れて来られた時は大いに戸惑ったが、結局はたくさんの優しい人に囲まれて、今では大変幸せである。

 セリィはユーリの顔を見て、思う。一番嬉しかった事は、ユーリに必要とされたことだ。

 優しくされたことは、今までに何度かあったが、それらのほとんどは同情であった。

 スラム街に住む可哀想な女の子、そういう認識しかされなかった。

 しかし、ユーリは違った。

 同情ではなく、純粋に自分を、正確に言えば自分の能力を欲してくれている。

 人攫いにさえ『こんな鶏ガラを欲しがる変態はいない』と捨て置かれた自分を、必要としてくれている。

 それが堪らなく嬉しかった。だから、ユーリが求めるのならなんだってするつもりだ。

 『実験台になって死ね』といわれたなら、そうするだろう。

 そっと、布団の中でユーリの手を握る。

 自分にできるのはユーリの一部となることだけ。ユーリの一部となり、錬金術のお手伝いをすることだけだ。

 だから、ユーリの全てを理解して、ユーリののぞみを全て把握しよう。

 私に生きる意味を与えてくれた人だから。


「……あり、あと」


 数年間、機能していなかった声帯を無理矢理震わせる。届かなくていい。ただ、その言葉を口にしたかった。


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