第119話
中等部1年に進学したユーリ。相変わらず鉛クラスであるが、そんなのはもう気にしていない。
それよりも楽しみなことがある。それが錬金術の授業だ。
エレノアは前半の半年間で基礎を教えてもらえると言っていた。自分の知らない錬金術の知識。見落としていたかもしれない基本。このすべてで全てを吸収するつもりだ。教授の言葉を一言一句聞き漏らすつもりはない。
それに、授業で決められた物とは言え、やっと錬金術を行うことが出来る。半年前までは毎日やっていた錬金術。そしてこの半年間一度もやらなかった錬金術。
今は蓄熱石でも第六級位ポーションでもいいから作りたい。とにかく通力がしたい。
うずく心を、金色に変色した左手の爪を見て納める。意欲的になることは良いことだが、盲目的になってはいけない。同じ失敗は絶対に繰り返せない。
ユーリは教壇を見る。担当教官は中等部になってもノエルのまま。
おそらく高等部三年までユーリの学年の鉛クラスを担当するのだろう。
毎年恒例の必要事項を記載した紙の配布のみのホームルームが始まって、すぐに終わった。
目を通すと、錬金術の授業に関する記述があった。錬金術の授業は中等部一学年の前半のみ必須科目であり、それ以降は錬金術を引き続き履修するか、戦闘技術または魔法実技の授業を受けるかを選択できる。
錬金術は向き不向きが大きすぎるため、最低限の知識だけを教えて興味が無い人は有意義に時間を使えということらしい。
そして始業式から三日後、ようやく初めての錬金術の授業の日となった。
◇
「は、初めまして。錬金術担当教官の、フィリップ・フンケ、です。中等部一年の錬金術の授業は、人が多くて、はい、あの、緊張しちゃいますね……。いつもは、ふ、二人とかですから。ハハハ、ハハ……」
ぼさぼさの緑色の髪をした30歳ほどの白衣の男性教員が教壇に立ちおどおどしながら自己紹介をする。フィリップ・フンケ。素材さえあれば第二級位ポーションの作成すら出来るという凄腕の錬金術師であるが、凄腕の錬金術師ということはとてつもない変人であることと同義である。先ほどからおどおどキョドキョドとしているが、誰とも目が合わない。いや、合わせていない。
「えっと、今から半年で、その、皆さんには、錬金術の基礎となることを教えます。あの、半年後には錬金術を引き続き履修するかどうか選択できますので、その。ぜ、ぜひ!!!! あ、その、ぜひ、錬金術を、履修してください……」
ぜひ、の所で急に大声をだして、クラスの何人かが驚いてビクリと体を震わせた。
『あ、この教官ヤバそう』というのが今のところクラスの総意である。
「錬金術の授業は、高等部一年の後半から、選択科目ですが、その、学年末の試験は、必須です。あの、赤点を取ったら、進学できないので、気を付けてください」
選択授業なのに試験があり、しかも赤点を取ると留年確定。なかなか理不尽な制度である。
「あ、でも、心配はしなくて、大丈夫、です。今まで赤点を取った人、いないです、から。あ、それでは、授業をはじめます。錬金術教官の、フィリップ・フンケです。よろしくおねがいします」
何故か二回目の自己紹介をしてから、フィリップは黒板に文字を書き始める。
『錬金術の五大禁忌』
書かれた文字にユーリが反応し、無意識に金色に変色した左手の爪を触った。
「学年末試験では、錬金術の、五大禁忌を答えてもらいます。一つ20点で、五つ。合計百点、です。筆記ではなく、選択式ですから、たぶん、ド忘れとかも、ないと思います」
簡単すぎる試験の内容に、生徒たちがホッと胸をなでおろした。
「錬金術は、出来なくても生活に支障は、ありません。むしろ、出来なくて普通な技術、です。ですが、魔法を扱う人間として、この五大禁忌だけは、必ず覚えておいてください」
緊張がほぐれてきたのか、フィリップの言葉が少しだけ流暢になった。続けて黒板に文字を書く。
・死者の蘇生
・生物の創造
・生体への錬金
・時空への干渉
・神への干渉
「はい。この五つ、です。これを覚えてもらえれば、とりあえず、錬金術の履修は、完了です、はい。では、一応一つずつ、説明します」
・錬金術の禁忌、その一 死者の蘇生
錬金術で死者の蘇生を試みてはならない。それは死者への冒涜である。
過去、死者を蘇らせようと試みた錬金術師は何人もいた。
妻を亡くしたもの、子を亡くしたもの。悲劇に暮れた錬金術師が禁忌に手を出した。
一度死したものは絶対に蘇ることは無い。
亡骸に命を吹き込もうとすると、魂無き空の命が生まれる。ただ筋肉を使いうごめき、ただ贄を求めて彷徨う物と化す。
自らの力で関節を逆にへし折り、頭を床に打ち付け砕き、なおもうごめく肉塊となる。
愛しているからこそ、蘇生を試みてはならない。
・錬金術の禁忌、その二 生物の創造
錬金術で生物を想像してはならない。それは命への悪戯である。
過去に新しい生命を作り出そうとした錬金術師がいた。生み出されたのは他国を侵略するための生物兵器。異常な繁殖能力と小さいながらも強靭すぎる顎を持つ小さなその蟻は、瞬く間にその国中に拡がり一年も立たずに全ての生命を喰らい尽くした。残ったのは生命の存在しない廃国のみ。
新しい生命を創り出してはならない。それは世界の均衡を崩す悪魔となる。
・錬金術の禁忌、その三 生体への錬金
あらゆる生体に対して錬金術を行ってはならない。それは天命への反逆である。
過去に永遠の命を得ようと己の身体に錬金術を施したものがいた。永遠に生きる聖樹ユグドラシル。その葉を用いて己の身体に永遠を刻もうとした。みるみるうちに指先から緑色に変色し、愚か者は全身を緑色に変えて事切れた。
生体へ錬金術を行ってはならない。精霊に食い殺されてしまうから。
・錬金術の禁忌、その四 時空への干渉
錬金術を用いて時間や空間に干渉してはならない。それは天理への叛逆である。過去に時間を巻き戻そうとする錬金術師がいた。完成した魔導具を使用した瞬間にその者は忽然と消え失せた。
人間は時空を操ることは出来ない。
・錬金術の禁忌、その五 神への干渉
錬金術を用いて神を知ろうとしてはならない。それは世界に対する非礼である。
過去に神の存在を暴こうとした錬金術師がいた。原始から全ての記録が記されているという原始録に触れ、脳が耐えきれず廃人と化した。
神を知ろうとしてはならない。決して人智の及ぶ範囲ではないから。
小胆に見えるフィリップから出てきたとは思えないほど重苦しい言葉に、生徒たちが静まりかえる。
「あの、はい。以上が五大禁忌です、はい。ちょっとだけ、恐ろしい話ですが、あの、そもそもそう簡単に錬金術が使えるようにはならないので、あまり深刻に考える必要は、はい、ありません」
ユーリはフィリップの授業を聞いて冷や汗をかいていた。
危ない。危うく禁忌を犯すところだった。いや、もう既に犯してはいるのだが。
ユーリが冷や汗を書いたのは四つめの禁忌、『時空への干渉』である。ベルンハルデの魔法の仕組みを聞いて、空間を操る魔導具を作ろうと考えていたのだ。例えば、見た目よりたくさんの物を入れることのできるポシェット、とか。本当に授業を受けてよかった。危うくこの世から消え去るところだった。
額に浮いた汗を拭いながら、ユーリは授業を受けるのであった。
◇
「それでは、今日はいよいよ錬金術の実技をしてみましょう、はい」
最初の授業から一ヶ月。ようやく錬金術の実技だ。
一ヶ月間、ユーリは今か今かとこの時を待っていた。錬金術の基本を教わりながら、ともすれば発狂しそうになる気持ちを抑えて待っていたのである。
ちなみに今日の錬金術の授業の参加者は九名のみ。残り三十一名はサボりである。
もっとも、サボりが許容されているようなものなのだ。場合によっては参加者が一人もいなくなることだってある。それが不遇で不人気の学問、錬金術だ。むしろ九名は多い方だ。
「はい、それでは各自、錬金台と触媒、石を一つと火トカゲの尻尾を取りに来てください、はい」
生徒たちはガタゴトと自分の机に配布された錬金台を設置する。傷だらけで年季が入っているが、使用するのに問題はなさそうだ。
「はい、それでは、蓄熱石の錬金を行います。触媒の置き方は分かりますね? はい。円を描いて、石と火トカゲの尻尾を置くだけです。置いたら触媒に触れて魔力を流してみてください。もちろん簡単には出来ません、はい。中等部一年の間に通力が出来れば、かなり優秀な方でしょう」
ユーリは震える手で触媒を持ち、円を描く。半年以上ぶりだ。石灰のようなかすかな触媒の香りが鼻に届く。一角兎の角だろう。
一度深呼吸して周りの生徒を見ると、皆触媒に手を触れて首を捻っている。通力が出来ないのだろう。前の席のナターシャも同じくだ。来週の授業ではさらに生徒数は減っているだろうなとユーリは思った。
錬金台に目を落として触媒に触れる。指先に魔力を込めると、すぅっと触媒に流れて行った。ユーリには分からないが、これが結構難しいことらしい。
すぐに触媒が魔力で満ちる。次は錬金トカゲの属性値を使って、石に熱を保持する効果を付与する。たった数十秒で錬金は完了した。
「あなた、本当に錬金中が使えるのね」
いつの間にかこちらを見ていたナターシャが、感心したような、呆れたような声を出す。
「うん。久しぶりだったから、緊張しちゃった」
「そう? 緊張と言うか、すごく集中しているように見えたわ」
ナターシャが言いづらそうに言葉を続ける。
「ねぇ……コツとか、教えなさいよ」
「うーん。僕、最初の錬金術で出来ちゃったから、コツとか考えたことなかったや」
「……なんか腹立つわね」
ナターシャが腹いせにユーリの頬をつねった。中等部一年になってもお餅のようなほっぺは健在だ。
「き、君がユーリ君、ですね。はい」
顔を上げるとフィリップがいた。食い入るようにユーリの錬金台を見て、触媒に触れる。
「……本当に、出来ています。それで、その。き、聞いてもいいでしょうか?」
フィリップがちらりとユーリの爪を見る。金色に変色した爪を。
「えっと、何を?」
「錬金術の禁忌を犯した話です!! はい!! 本当にすごい!! すばらしい!! エマ教官から話は聞いておりますとも!! あぁ、素晴らしい。その歳にしてその技術、そして探求心!! 錬金術の未来は明るい!! はぁ……はぁ……その……今度、切った爪、いただけないでしょうか……?」
「うっわ……」
ナターシャがらしからぬ声を上げてドン引きした。




