第104話
「くっ……ハァ……ハァ……」
「も……もう打てません……」
細剣を支えにして辛うじて立つオリヴィアと、地面にへたり込むフィオレ。
ユーリはまだ普通に立ててはいるが、依然攻略法は見つからない。
模擬戦開始から半刻ほど。三人は何もできずにいた。
「流石流石。なかなかの実力だ。昇格試験は合格。おめでとう。君たちは晴れて今日から鉄級冒険者だ。いやはや、君たちのように優秀な冒険者がいると、ギルドの未来も明るいよ」
息も切らさず大仰に拍手するベルンハルデ。その嫌味ったらしい態度にモニカが溜息をついた。
やっと試験が終わったと倒れ込むオリヴィアとフィオレ。
しかし、ユーリだけはゴソゴソと自分のポシェットを漁っている。
近くにいるモニカが話しかけた。
「何をしているんですか?」
「はぁ……はぁ……ちょっとね」
取り出したのは瓶に入った白い粉。それを両手にポフポフとかけ、ベルンハルデに向かい合う。
「ふぅ。ベルンハルデ、もうちょっと戦わせて」
「ほう? 何をしようとしてるのかは分からねぇが、付き合ってやるよ」
ベルンハルデの答えを聞いて走り出すユーリ。ベルンハルデの頬に向けて拳を打ち込む。
今までであったら、ベルンハルデは避けなかった。頬に放った拳は『絶界』に阻まれて届くことは無かった。
当然ながら今回も……
「ツッ!!」
避けた。今まで避けることなど一度もしなかったベルンハルデが、ユーリの拳を避けたのだ。
「なっ!」
モニカが驚愕で目を見開く。今まで何度かベルンハルデの戦いを見たことはあった。しかし、どんな攻撃であっても彼女が回避するところを見たことがなかったのだ。ただの一度も。その彼女が、攻撃を避けた。
それどころか。
「……マジか」
ユーリの拳がかすったのだろう。頬から血を流している。
大したダメージではないが、それでも攻撃が通った。
『絶界』を、十歳に満たない子供が破った。
ベルンハルデが頬を伝う血を手の甲で拭い、見る。
今回は油断などしていなかった。それなのに、この白髪の少年はベルンハルデの想像を上回った。
「よしっ!」
ユーリはガッツポーズをして喜び、気を引き締めてベルンハルデと向かい合う。
ユーリは別に特別凄いことをやったわけではない。中和剤、色無鮫の歯の粉末を両手にまぶしただけだ。
原理は分からないが、魔法で防いでいるのなら、魔法を無効化する中和剤を使えばいいのではないかと思ったのだ。
予想は的中。ユーリの拳は通った。
絶界を破ったのだ。これで条件は平等。ここからが本番だ。
勝機は、ある!
「……『勝てるかも』だなんて、思っちゃいねぇよな?」
やる気満々な顔で構えるユーリにベルンハルデが言う。
「確かに予想外だ。予想外だが……まさかそれだけで私とやり合えるなんて、思っちゃいねぇよなぁ?」
ベルンハルデが口角をあげる。獰猛な笑み。
「格の違いってやつを教えてやるよ……ヒヨッ子がぁっ!!」
「つぅ……っ!!」
放たれる重圧、津波のような殺気がユーリを襲った。膝が震える、歯が鳴る。
睨めつけられた瞳から目が離せない、恐ろしすぎて視線が外せない。足はまるで地面に縫いつけられたかのように動かない。
蛇に睨まれた蛙そのもの。
「ハッ……ハッ……」
辛うじての呼吸。それだけが自分に許されている。身じろぎ一つできない。動いたら、死ぬ。
そんな恐怖がユーリを襲った。
何を勘違いしていたのか。ベルンハルデの絶界を破れれば勝機はある? ここからが本番?
勝負は始まってすらいなかった。
勝てるわけがない。始まる前に勝敗は決まっていたんだ。
無理だ。この殺気から逃れたい。
早く降参して諦めよう……
――――――諦める?
何を? 勝負を?
それとも……夢を?
一歩ずつ近づいてくるベルンハルデ。
その度に濃くなる殺気。
ギリ
ユーリは歯を食いしばる。強く、強く。
こんなところで諦めてたまるか。諦めて楽になるくらいなら、死んで楽になったほうが百倍マシだ。
ギリリ……バギッ!
歯が砕け、口の端から血が伝う。
「ツッ……アアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!」
唾血を撒き、吼える。
ベルンハルデの殺気を、その小さな体から湧き出る闘気でもって押し返す。
滾る瞳に、もう恐れの色は微塵もない。
「……ハッ!! 正気じゃねえなぁ!!」
ベルンハルデが笑む。ここまでの馬鹿だったとは。
将来が楽しみだ。
「産まれたての竜みてぇなやつだよ、お前は。だが、今日はここまでだ。おねんねしな」
我武者羅に向かってきたユーリをいとも簡単によけ、頸に一撃。容易く意識を刈り取る。
あっさりとユーリは負けた。ベルンハルデの腕の中でダラリと脱力する。
「イカれたガキだとは思っていたが、ここまでとはな。おいモニカ、こいつを……」
ドッ
ベルンハルデの背に5メートルはあろうかという巨大な氷柱が飛んでくる。
むろん、絶界のあるベルンハルデには効かない。
効かないが、向けられた殺気に顔をあげる。
「ユーリから……離れろ……」
立ち上る紫。
侮るな。ユーリが子竜なら、血を分けた姉もまた竜である。
「おいおい、とんでもねぇ姉弟だな……弟も姉も、頭のネジが飛んでやがる」
瞳孔が開き切り、正気を失いかけている。
先程限界まで魔力を使ったはずだ。それでも、ベルンハルデを見据え、枯渇しかけていた魔力を振り絞り、守るものの為に立ち上がる。
「残念だが、お前の魔法は通用しねぇよ。やるだけ無駄……」
パリン
ベルンハルデの風上で何かが割れる音。中に入っていた粉がベルンハルデへと降りかかる。
「オリヴィア、てめぇ!!」
「フィオレ!! 一矢報いるわよ!!」
そのまま細剣で斬りかかる。慌ててユーリを地面に横たえたあと、今度は素手で受け止めずに、マチェットで受けた。
ビンゴ。
オリヴィアはほくそ笑む。どうやらユーリが使っていたよくわからないこの粉をかぶると、絶界が使えないらしい。
「精霊よ、我が意に、従え……」
もはや詠唱とは呼べぬ祝詞を口に出し、それでも発動する魔法。これはもう魔法ではない。暴走である。
斬り合うベルンハルデとオリヴィアの頭上に、大量に出現する氷の槍。魔力をこめ続けているのだろう。氷の槍はどんどんするどく、硬度を増していく。ささればさぞかし痛かろう。
これにはベルンハルデも焦る。
「ま、まぁてまてまてまて!! このままだとお前もただじゃすまねぇぞ!?」
「死なば諸共よっ!! モニカぁ!! とびっきりのポーション用意しときなさいよぉ!!」
「承知いたしました」
「承知してんじゃねぇ!」
そうこうしている内に、フィオレの魔法が完成する。
「……逝けっ!!」
フィオレが手を振り下ろそうとしたまさにその時。
「そこまでだよ」
いくつもの光線が全ての氷槍を打ち砕いた。
魔力の枯渇により倒れ込むフィオレ。
現れた人物を見てオリヴィアが呟く。
「ギルドマスター……」
貴公子。まさにその単語がぴたりと当てはまる人物だ。
サラリと流れる金髪、くすみのない白い肌、鼻は高く、切れ長の金の瞳、少し尖った耳。
白と金を基調とした服に身を包む彼こそ、冒険者ギルドの頂点である。
「てめぇも一緒に気絶しとけや」
ごちーん
ベルンハルデがマチェットの腹でオリヴィアの頭を打った。
「ギャフン!」
仲良し組、三人とも戦闘不能。
鉄級への進級試験、合格。




