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過去を乗り越えて①

 ある日リネットは、魔法鞭の講義を終えて部屋の片付けをしていた。


「リネット殿の指導は、素晴らしいな。今回も世話になった」


 父の知り合いである中年魔法使いに話しかけられたリネットは、笑顔で首を横に振った。


「いえ、私ではなくて皆様が努力されるからです。……今日の魔法鞭は、過去最長でしたよ」


 リネットが王宮使用人になって、早半年。魔法鞭の講義を始めてからは、一ヶ月と少し。


 未来のためとリネットが努力し、ミラもより入念に準備の手伝いをしてくれるようになったこともあり、魔法使いのうち数名は魔法鞭――らしきものを出せるようになっていた。


 リネットのように伸縮自在、柔と剛の切り替えも瞬時に行えるほどではない。

 だがたとえばこの男性の場合、騎士が使う剣ほどの長さの鞭ならすぐに出現できるようになっていた。


 ただし彼の魔法鞭はとても硬く、振るっても全くしならない。その代わり彼の魔力がそのまま強度に反映されているようで、剣のように振り下ろすことで積んだレンガをも破壊できていた。


(この方の場合はいっそ、柔らかくしならせるよりひたすら硬く長く伸ばせた方がいいかも……?)


 それでは魔法鞭ではなくて魔法棒だが、要するに遠くの敵を一掃できればいいので問題ない。

 彼はリネットより大柄で体力もあるので、むしろ頑丈な魔法棒で敵を殴り飛ばす方が彼の戦い方としてふさわしい可能性もある。


 そのように説明すると、男性も大きく頷いた。


「実は私もそのように考えていた。だが、魔法鞭と銘打っている以上、硬いままではよくないかと思ってな」

「いえ、魔法鞭自体私が編みだしたもので、正式名称でも名前を登録しているわけでもありません。皆様の体格や運動能力、魔法の具合によって柔軟に対応していくのが一番かと思います」

「そう言ってもらえると自信が持てるよ。……では、私はリネット殿とは別の武器を完成させられるようにしようか」

「はい! 私も手伝わせてください!」


 話をして安心できた様子の男性を見送り、リネットは荷物をミラに預けて練兵場を離れた。


「……ああ、そちらにいらっしゃいましたか。リネット様、お仕事お疲れ様です」

「エルマー?」


 振り向くと、柔らかな金髪をなびかせて走ってくるエルマーが。

 彼はリネットにはお辞儀をして、隣にいるミラには微笑みを向けた後、リネットの身長に合うように身をかがめた。


「現在殿下は他の護衛魔法使いをそばに置いて、議会に出られています。……ご存じですよね?」

「ええ。確か、騎士と王宮使用人の在籍数とそれに関わる諸経費の打ち合わせをなさっているのよね」


 シャイルは「俺は計算などは苦手だ」などとよくぼやくが、そう言いながら彼は予算案などを自分で立て、議会でも積極的に発言しているという。

 リネットはそれを手放しで賞賛したのだが、シャイルは「俺が出ないと、騎士団の活動費が削られたりするからな」と苦笑していた。


 エルマーは頷き、ごく自然にリネットを王宮までエスコートしているように見せかけながら小声で告げてくる。


「……殿下が議会に出られている間、僕はちょっと城下町に出て調べ物をしていました」

「……どこへ?」

「『愉快なおうち』です」


 その言葉に、リネットは瞬時に背筋を伸ばした。


 四人は、仲間内だけで通用する隠語をいくつか作って情報のやり取りを素早く行えるようにしていた。

 その中で、「愉快な」という修飾語が付くものは全て、デュポール侯爵家関連だ。


 たとえば、「愉快なおじさん」はデュポール侯爵本人のことで、「愉快なお友だち」はデュポール侯爵の取り巻きのこと。「愉快なぼっちゃん」は侯爵の甥のオーレリアンを示し――「愉快なおうち」は、城下町の貴族街にあるデュポール侯爵邸の隠語だった。


(つまり、シャイル様が議会に出られている間にエルマーはデュポール侯爵邸の調査に行っていた、ということね)


 リネットは微笑み、「そうだったのね」と明るく応えた。間違っても、ここで真剣なやり取りをしていると周りの者に察せられるわけにはいかない。


「楽しめたの?」

「ええ、とても。最近ちょっとにぎやかにしているようで、皆忙しそうにしていましたよ」


 エルマーも、まるで城下町へ散策にでも行ってきたかのようなのんびりとした口調で言った。


(ええと、これはつまり……侯爵邸の方で動きが見られた、ということね)


 リネットは、足を進めながら考える。


 一度目の人生で、王太子暗殺事件が起きた。それまでシャイルと密かに逢瀬を重ねており王宮で目立った存在でなかったリネットは、侯爵と顔を合わせる機会がなかった。


 それはシャイルも同じだったようで、一度目の彼は侯爵とほとんど接点がなかったそうだ。複雑な立場にあるオーレリアンに注意は払っていたが、かといってことさら警戒するほどでもなかったという。


 ……だからこそ、王太子暗殺事件でデュポール侯爵が犯人だと決めつけることができなかったのだ。

 確固とした証拠があるわけでもないし、それまでに王家に背くような派手な動きをしていたわけでもない。


 危険な存在ではあるが、ひとまず静観する――それが、デュポール侯爵家に対するシャイルたちの動きだった。


(でも、今回はエルマーがはっきりと侯爵邸での動きを察している……)


 暴君だった先代国王の血を継ぐオーレリアン本人は城下町にある侯爵邸ではなくて、侯爵領にある屋敷で母親と共に生活している。城下町にある侯爵邸で動きが見られたということは、甥を旗頭にして継承問題を起こすべく侯爵が動き始めたということかもしれない。


(でも、だとしても……早すぎる。一度目では、暗殺事件が起きたのさえ今から一年半は後だった……)


 ということは。

 侯爵が一度目とは違う動きを見せているとしたら、その原因は――そもそも一度目とは違った行動を取っているリネットとシャイルだ。


(……ううん。でも、侯爵の取る手の予想は付いているから、まだ対応できる)


 考えをまとめた後、リネットは「そうねぇ」と相づちを打った。


「そのお話、また後でシャイル様と一緒に聞きたいわ。時間は取っていただけるかしら?」

「会議が終わって夕食を取られた後、殿下の公務はありません。そのときにお呼びしましょうか?」

「ええ、お願い。ミラも、夜の予定をもう一度確認しておいてくれる?」

「かしこまりました」


 お辞儀をする二人を見て――リネットは、目を細めた。


 侯爵が動き始めたのなら、リネットたちも王太子とクリスフレアを守るべく立ち上がるべきだ。

 もちろん暗殺事件を防げたとしても、それですぐに侯爵を捕らえられるとは思っていない。きっとのらりくらりと逃げ回り、また別の方法で王族の命を狙ってくるだろう。


(……でも、ここが大きな山場になる)


 それならば、リネットも腹をくくらなければならない。


(……私はまだ、シャイル様に教えていないことが一つある)


 それは、侯爵の魔の手から王太子たちを守る、という役目とは無関係だし、シャイルに言わないからといって彼との関係がこじれるわけでもない。


 ……だが、今のシャイルにはよくても、かつてリネットが裏切った一度目のシャイルへの罪悪感はいつまでも残っている。


 それに、言わないままだといつかリネットはかつての自分と同じ過ちをするかもしれない。


 ぐっと拳を固めて、リネットは自室に戻るべく足を進めた。

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