伯爵令嬢に迫る影①
視察の際に魔物が現れ、しかも意図的に王家の信用失墜に繋がる発言をした者を捕らえた。
このことから王太子とクリスフレアの身辺警護はよりいっそう強化されることになり、リネットも安心した。
なお、諸々の出来事を全て後で知った国王は、「私の警備も強化しろ!」と息子に命じたが、するっと無視されているそうだ。
また、リネットが魔法鞭を使って魔物を撃退したところを多くの国民も見ていたし、護衛魔法使いたちも目新しい魔法の使い方に感心したらしく、リネットは「是非魔法鞭の使い方を教授してほしい」と頼まれた。
よって、リネットはシャイルの許可を取った上で、空いた時間に護衛魔法使いたちを相手に魔法鞭の講義を開くことになったのだが――
(そりゃあ、難航するわよね……)
集まった魔法使いたちはリネットの説明を受けて実践してみたが、なかなかうまくいかなかった。
リネットも自分なりに資料にまとめてみたのだが……いかんせん、この魔法がそもそもリネットの執念で編み上げたような秘伝の技なので、他人に説明するのが難しかった。
ひとまず、「私は王家の皆様をお守りしたいという一点で集中力を高め、この技を作り上げました」と言ったのだが、だからといって忠誠心の高い者が魔法鞭を習得できるわけでもない。
とはいえ、さすがは王国内でも屈指の実力を持つエリート魔法使いたち。何回か練習をすると人差し指一本分くらいの形に魔力を凝縮させて、それをぴこぴこと揺らすことくらいはできるようになった。
「リネット殿は、なぜそんなに涼しい顔で魔法鞭を扱えるのだ?」
中年の男性魔法使いに問われたリネットは、言葉を選びながら説明する。
「要は、慣れだと思います。私もこのように魔力を変換できるまで年単位で掛かりましたし、最初のうちは思うように動かなかったものです」
今リネットが説明している相手は、リネットよりずっと長い間王家に仕えている大先輩だ。間違っても彼が、「自分のやる気が低いから」とか「自分が劣っているから」などと思わないようにしなければならない。
そもそもコツさえ掴めば後は習うより慣れろなので、魔力云々忠誠心云々の話ではないのだ。
「とにかく魔力を一点に集中させて、広げすぎないのがポイントです。後はちょっとずつ長さを伸ばせるようにして、それから柔と剛の切り替えができるようにすれば、実践でも使えるようになるはずです」
「……なるほど。いやしかし、アルベール伯爵令嬢がここまでの才能を秘めているとは思わなかったな」
男性魔法使いは、しみじみと言った。
どうやら彼は若い頃、リネットの父と王宮で共に働いていたことがあったそうだ。そのため初対面から「あいつの娘か」と好意的に接してくれて、かといってリネットが魔法鞭を教える立場になっても侮ったりせず真剣に話を聞いてくれた。
「いつか、リネット殿のように華麗に戦えるようになりたいものだ」
「ありがとうございます。私も皆様に追い抜かされないよう、努力します」
「おお、言うではないか」
魔法鞭の講義自体はリネットも進んで請け負っているし、いずれ自分以外にも魔法鞭使いが増えてシャルリエ王国の強化に繋がればいい。その際、リネットの名は創始者としてちょろっと残るくらいで十分だと思っている。
……だが、一つ問題があった。
「……お疲れ様でした、リネット様」
部屋に戻ると、リネットの上着を受け取ったミラがいたわってくれた。
「今日もあちこちに出向いて、疲労なさったことでしょう。お茶をお淹れしますね」
「……ええ、ありがとう」
ミラはお辞儀をすると、簡易キッチンの方に向かっていった。
その物言いや態度には、普段と変わったところはあまり見受けられない、が……。
(……不審に、思われているわよね)
ミラは、リネットが魔法鞭の講義を開く際にも付いてきてくれている。それはありがたいのだが――彼女は指導をするリネットを、いつも複雑そうな目で見てくる。今日、中年男性魔法使いと話をしている間も、背後からミラがぶつけてくる視線をひしひしと感じていた。
……きっと彼女は、疑問に思いつつも聞かずにいてくれるのだろう。
「いつの間に、魔法鞭の研究をされたのですか」と。
(もし聞かれたら、「ミラのいない間にこっそりと」って答えるつもりだけど……)
ミラだって、分かっているだろう。
今リネットが使っている魔法鞭は、アルベール伯爵領でこそこそと研究して完成できるものではないと。実際一度目のリネットは、「シャイルのために」という一心で心がすり減るほど研究を重ね、魔法鞭の理論を会得したのだ。
「実家でこっそり練習しました」と言って納得してくれるのは、部外者だけ。子どもの頃からそばにいてくれるミラは、ごまかせないだろう。
(でも、だからといってやり直し人生のことを明かしていいかといったら、そうでもないだろうし……)
ミラなら真面目に聞いてくれるだろうが、かといってそれが最善かどうかも分からない。
それに話をした場合、ミラなら――このまま王宮にいてリネットが死ぬ可能性があるよりはと、無理矢理にでも伯爵領に連れ帰ってしまうかもしれない。
それでは、リネットの目的が達成されない。
ため息をついてソファに伸びていると、リビングのドアがノックされる音が響いた。
(お客……?)
「ミラ、いいかしら」
「はい、もちろんです」
湯を沸かしてくれていたのだろうミラはすぐに来て、来訪者の応対をしてくれた。
手紙か何かならすぐに終わるだろうと思ったのだが、ミラはそこそこ長い時間相手とやり取りをしているようだ。その様子からして、シャイルの伝言を持ってきたエルマーというわけでもなさそうだ。
(何かしら……?)
やがて戻ってきたミラは、渋い顔をしている。
「……リネット様に、お客様です」
「どなた?」
「ブール伯爵家ご子息・ナルシス様の使者です。……リネット様に庭園散策のお誘いをなさっています」
ミラが告げた名前を聞いたリネットはしばらく頭の中の引き出しを開けていき、思い出した。
(ああ、そうそう。確かブール伯爵家は継承戦争では、クリスフレア様側に付いていたわね……)
その子息であるナルシスとも、何度か顔を合わせたことがある。……が、彼に対するリネットの好感度は既に地の底を這っていた。
(あの人、クリスフレア様に味方してくれるのはいいけれど、明らかにシャイル様とくっつけたがっていたのよね……)
何をどう解釈してそういう行動を取るに至ったのかは分からないが、彼はシャイルの妃になったリネットに堂々と「エルドシャイル殿下のためにも、離縁してください」と言ってきた強者だ。
当然、それを聞いたシャイルは怒りクリスフレアも「おまえ、いらないわ」とあっさりナルシスを陣営から追い出したのだが、最後の最後まで「殿下は騙されているのです」「ご自分の気持ちに嘘をつかないでください」とシャイルとクリスフレアに泣きついていたものだ。
(そんな人が、私を庭園散策に……。絶対、ろくな目に遭わないわよね)
だが、リネットの個人的な理由で物事を決めていいわけではない。それに、現在のリネットとナルシスはまだ顔を合わせたこともないのだ。
「……どう思う?」
ミラの意見を仰ぐと、彼女は身をかがめてリネットの耳元にささやいてきた。
「……ご本人はいらっしゃらないのですが、使者の時点で既に横柄です。断られるとはつゆほども思っていないようですね」
「……どこからそんな自信がわいてくるのかしら」
「では、お断りしていいですね?」
「え、ええ。でも、角が立たないかしら」
万が一にでも、シャイルに迷惑が掛かるようなことがあってはならない。
すると体を起こしたミラは、微笑んだ。
「私にお任せください。……まあ、その場しのぎではありますが、ひとまず今日のところは追い返せるはずです」
「……分かった。それじゃあ、お願いするわ」
「はい」
そうして足取りも軽くドアの方へ向かったミラだが、彼女はひやひやするリネットをよそに案外早く戻ってきた。
「お帰りいただきました。……大丈夫です、リネット様の都合でお断りしたのではありませんから」
「それじゃあ、どうやって?」
「簡単に言うと、『まずはエルドシャイル殿下の許可を取ってください』ですね」
ミラの言葉に、なるほどそうすればいいのかとリネットは苦笑した。
「まさに、『偉い人の名前を遺憾なく使え』ってことね」
「はい。それに、リネット様がエルドシャイル殿下の寵愛を受けているというのはもはや王宮中の人間が知ってのこと。それなのに殿下の許可もなくリネット様を散策に誘うというのは、殿下を敵に回してもよいということか、もしくはそんな暗黙の了解すら知らなかったと暴露するかのどちらかですからね」
「確かに……」
「それに、もしここでリネット様を脅して諾の返事をもらえたとしても、後ほど殿下の耳に入ればどうなることか」
(……だから、使者も慌てて帰って行ったのね)
彼も主人から、リネットの返事をもらうようにと言われているだろう。
だが無理にリネットをせっついて返事を書かせた結果、リネットがシャイルに「こんなひどいことをされたんです」と泣きついた場合、王家の怒りを買うのは自分たちの方だ。
「……とはいえ、今後も接点を持ってこようとするでしょう。エルドシャイル殿下と懇意になさっている今、他の貴族男性と行動を共にするのはよろしくないことですし、それこそ殿下に対する不敬だと言われかねません。用心しましょう」
「……ええ」
ため息をつき、リネットはソファに身を投げ出した。
どうにも、悩みごとはなかなか尽きないどころか増えていく一方のようだ。




