麗しの王子と護衛魔法使い⑤
クリスフレアを送り出したリネットは、この後シャイルの執務室に行くことになっているため部屋を片付け、護衛魔法使い用の地味なドレスに着替えていた。
(それにしても。クリスフレア様のお言葉、気になるわ……)
『そなたも、面倒な相手に惚れられたのだと諦めてくれ』
クリスフレアは、何やら達観したような眼差しで言っていた。
(惚れられた……ということは、シャイル様は私のことを、好いてくださっていると……?)
確かに、再会したシャイルはかなり饒舌になっているし、リネットへの思いをはっきり口にすると決めていたようだった。
だがそれにしても、結婚した一度目でさえ愛の言葉をささやかれた記憶なんてほとんどなくて、幼少期のシャイルも自分の感情はあまり口にしない少年だった。
(それじゃあ、口にしなかっただけでシャイル様はずっと……私のことを、想ってくださっていたということ? それこそ、クリスフレア様が呆れるくらいに……?)
そう思うと、じわじわと頬が熱くなってくる。
今度こそは、シャイルの手は取らないと決めた。
それなのに、どうして今回になってシャイルは積極的になったのだろうか。
……それはまるで、一度目の人生を思い出したリネットが、自分のあり方を大きく変えたときと同じように――
仕度を終えてシャイルの執務室に行くと、そこには難しい顔の男二人がいた。シャイルはともかく、いつも陽気なエルマーも怪訝そうな顔をしているというのがなんとも不吉だ。
「失礼します、エルドシャイル殿下。リネット・アルベールです」
「……ああ、よく来てくれた。……来てくれて早々、悪い」
「今度殿下が参加なさるパーティーについて、ちょっと予定変更がありましてね」
エルマーもそう言ったのでミラと一緒にデスクに近づくと、そこには一通の手紙が開かれた状態で置かれていた。
(これの差出人は――確か、しあさっての午後に訪問する予定の公爵夫人?)
王家の遠縁だという公爵は美術品収集が趣味で、夫人もよく外国から取り寄せた珍しい美術品を皆に自慢するためにパーティーを開いていた。
今回シャイルが参加することに決めたもののうちの一つで、採用理由は「参加客の面子がまともそうで、美術品を見て回るのなら居眠りもせずに済むから」だった。
むっつり顔のシャイルに渡されたそれに目を通し――は、とリネットは息を呑んで、慌てて口を手で塞ぐ。
(主催者の変更……?)
「どうやら公爵家で少し揉めごとがあったらしく、公爵夫妻が参加できなくなった。だが、それでは客たちも残念がるだろうと思った夫人は、知人の侯爵を招いて代理主催をしてもらうことにしたという」
そういう例もたまにはあると、リネットも知っている。招待客も、中止になるよりは公爵夫人から正式に主催役を引き継ぐ人を立ててもらい、美術品鑑賞をしたいことだろう。
だが、その代理というのが――
「デュポール侯爵……」
――つい、手紙をぐしゃっと握りつぶしそうになった。
デュポール侯爵。一度目の人生で王太子を暗殺し、継承問題を起こした当本人。
そして、クリスフレアに勝利を捧げるために出陣したリネットが討った敵将。
先代国王の孫を甥に持つ彼は、王太子暗殺事件以前から鼻持ちならない相手だった。
かつてのリネットは王宮内で何度か姿を見かけたくらいだったが、密会の際にシャイルが、「あの男はいつも、俺やクリスフレア殿下にいやらしい視線を注いでくる」と言っていた。
クリスフレアはともかく、シャイルにもいやらしい視線とは……と当時は疑問に思っていたのだが、王太子暗殺後に侯爵がオーレリアン派になってから、だいたいのことが見えてきた。
シャルリエ王国を混乱に突き落とす者。
リネットが葬るべき敵――それが、デュポール侯爵。
だが、今はまだリネットにできることはない。
今の侯爵は、ただの「いけ好かない貴族」でしかないのだから。
(王太子殿下の暗殺まで、あと二年。……でも、侯爵がどのような手を使ってくるかは分からないわ)
そんな侯爵とシャイルがパーティーで一緒になるなんて、嫌な予感しかしなかった。
一度深呼吸した後、リネットはなんとか握りつぶさずに済んだ手紙をシャイルに返した。
「そういうことになったのですね。……殿下は、出席を?」
「ここで欠席すれば、元々俺のことをよく思っていない侯爵はこれ幸いと、俺を貶す材料にするだろう。……行くしかあるまい」
「……分かりました」
「……本当は、リネットだけでも交代させたいところなんだが」
「いえ、参りますよ」
シャイル様は気遣わしげに言うけれど、現在のリネットはまだ侯爵と会ったことがない。それに、敵の情報は少しでも早く手に入れたいところだ。
(……うっかりでも、パーティーの途中で侯爵の首を刎ねたりしないようには、気をつけないと)
――公爵邸で開催される、デュポール侯爵代理主催の美術品鑑賞会の日。
「もしリネット様が伯爵令嬢として招待されていれば、もっと素敵なドレスを準備しましたのに……」
「仕方ないわよ、仕事なのだから」
残念そうにミラが言うので、リネットは微笑んだ。
シャイルの護衛魔法使いとしてこれまでにも何度か城外に出ていたが、パーティーへの出席はこれが初めてだった。
パーティーに参加する場合、リネットたち護衛魔法使いは専用の衣装を与えられる。といっても使用人であることには変わりなく、ウエストで絞った深緑色のワンピースドレスの胸元に王族の護衛という身分を示すバッジを付けているくらいだ。
それでもミラは「少しでも華やかさを!」と気合いを入れ、リネットの柔らかい赤茶色の髪を丁寧に結って、造花の髪飾りを付けてくれた。造花も彩度を落とした色合いだが、それでも鏡に映った自分が少しだけ愛らしくなったように思われて、ミラに感謝した。
ミラを伴ってシャイルの執務室に行くと、正装姿になったシャイルが待っていた。
普段は赤い髪が映えるような黒や濃い紫などの濃い色合いの服を着ることが多いシャイルだが、今日は王族としてパーティーに参加するからか、軍服をアレンジした純白の衣装を着ていた。
飾緒とバッジが彩る胸回りは分厚くて、折り返したジャケットの袖には王家・ティトルーズ家の家紋入りカフスボタンが留まっている。がっしりとしたウエストを締めるベルトには剣を提げているが、普段彼が愛用しているものよりも細身に見えるのでおそらく儀式用の宝剣だ。
いつもは無造作に垂らしていることの多い前髪は上げられており、凜々しい眉と目尻のつり上がった目元がはっきり見える。耳元には小さな宝石が光っているが、彼はピアス穴を空けていないはずなのできっとイヤリングだろう。
シャイルはリネットを見ると、少し照れくさそうに微笑んで頬を掻いた。
「その……こういう格好をするのはめったにないから、気恥ずかしいな。俺、似合っているだろうか?」
「……」
リネットは、すぐには返事ができなかった。
確かに、今のシャイルはこれまでこのような衣装を着たことはなかっただろう。
だが――リネットは、見たことがある。
今の衣装とそっくりな格好のシャイルが――小さな祭壇の前で、リネットを妻にすると宣言したときの姿を。
クリスフレアに勝利を捧げるための足がかりとしての結婚式だったが、シャイルが優しく微笑んでリネットを見つめてくれたときの姿を。
シャルリエ王国の慣例に則ってお互いの名前をサインした後、皆が見守る前で口づけを交わして、「とてもきれいだ、リネット」と言ってくれたときの彼の顔を――
「……リネット様?」
「……え? ……あっ」
とんっと背中をミラに叩かれて、リネットは我に返った。どうやら、一度目のことを思い返してぼうっとしていたようだ。
正面を見ると、それまでの照れ笑い顔を引っ込めて虚無の表情になったシャイルと、そんな主君の背中を慰めるように叩くエルマーの姿が。
「エルマー……すぐに、着替えよう。俺のこの姿はリネットにとって、真っ青になって放心するくらい醜いものだったようだ」
「んなわけないでしょう! というか、今更着替えをする時間なんてありませんからね!?」
「だが、リネットに醜いと言われるくらいなら俺は甲冑でパーティーに行った方がましだ!」
「変質者扱いされるんで、やめてください。……あー、もう、リネット様! このどうしようもない殿下に何か言ってあげてくださいよ!」
「えっ!? え、ええと……シャイル様、とっても素敵です! 脱がなくていいですからね!」
エルマーに助けを求められたリネットが慌てて言うと、シャイルだけでなくエルマーも驚いた顔でこちらを見てきた。
男二人に凝視されて、リネットは恥ずかしいやら懐かしいやら切ないやらの感情がごちゃごちゃになりながら、必死に訴えかける。
「その、まるで結婚に臨まれるお姿のようで……あ、いえ、ですからその、醜いなんてとんでもないということです! シャイル様は甲冑姿も素敵ですけれど、やっぱり正装姿はもっと素敵だということなので!」
自分でも変な文法になっていると思うが、焦っているので仕方がない。
(うわー……今、私、変なことを口走ったわよね……!?)
「ミラぁ……」
「はいはい、大丈夫ですよ。リネット様はよく頑張られました」
リネットがミラに抱きついて慰めてもらっている傍ら、シャイルとエルマーは互いの顔を見合わせ、ほぼ同時に瞬きをした。
「……エルマー。今、リネットは俺のことを、素敵だと?」
「おっしゃいましたね」
「しかも、俺のことをシャイルと呼んだな」
「呼ばれましたね」
「さらに、結婚式前の姿のようだとも」
「だいたいそんな感じでしたね」
エルマーが真剣な顔で相づちを打つと、シャイルはうつむいてふーっと長いため息を吐き出した。
そして意を決した様子で足を進めて、リネットの肩を優しく掴んでそっとミラから引き剥がした。
「ひっ!?」
「リネット、そう言ってくれて……すごく嬉しい。ありがとう」
「え、あ、はい、どういたしまして……?」
「今回俺が赴くのはいけ好かない侯爵が代理主催するパーティーだが……そうだな。いつか、俺が結婚する際には今以上に気合いの入った衣装を纏い、おまえにこれまでで一番格好いいと言ってもらえるようにしよう」
「……は、はい?」
「よし、では行こうか」
「あ、了解です……」
やけにすっきりした顔のシャイルが促したので、エルマーは「馬車がお待ちです」と先に廊下に出て、ミラも「私は留守番をしておりますね」と言って一歩下がった。今日はシャイルの護衛として出向くので、ミラを連れていくことはできなかった。
シャイルは堂々たる足取りでドアの方に向かい――
「……リネット」
リネットを振り返り見て、言った。
「今日のおまえは……シンプルな装いだな。だが、その清楚さがおまえらしくてとてもいいと思うし……髪に飾る花も、素敵だ。よく似合っている」
「……えっ?」
「お互い仕事ではあるが、慎ましくて愛らしいおまえを伴って歩けるなんて、俺は幸せ者だ。……今宵は、よろしく」
そう言ってシャイルは余裕たっぷりに微笑み、一足先に廊下に出て行った。
(……ええ、と?)
廊下に出たシャイルが騎士や使用人たちにあれこれ指示を出すのを遠くに聞きながら、リネットはぎこちなく振り返り、ミラを見た。
ミラは少し呆れたような顔をしていたが、「よかったですね」と唇の形だけで伝えてくれた。
『慎ましくて愛らしいおまえを伴って歩けるなんて、俺は幸せ者だ』
頭の中に先ほどのシャイルの言葉がよみがえり、ぼっと顔が熱くなる。
(シャイル様の……馬鹿)
ミラに背を向け、リネットは熱を持つ顔を手で仰ぎながら、とぼとぼと廊下の方へ向かった。




