36.
大広間に戻った私たちを迎えたのは、カイマール殿下だけではなかった。
国王夫妻と各国の賓客や外交官が歓談をしているのはごくごくよくあることだと思うけれど、そこにいて私たちを待っていた……かどうかはわからないけれど。
「おお、戻ったか。姿が見えないから案じていたのだぞ」
「申し訳ございません、国王陛下。踊り疲れてしまって、テラスの方でレイジェスと休んでおりました」
「そうか。クリスティナ、改めて紹介しよう。カイマール殿とは先程会ったらしいな?」
「はい、先程テラスでは失礼いたしました。第二王女クリスティナにございます。殿下のご無事の到着、なによりでございます」
私が一歩進み出てお辞儀をすれば、カイマール殿下は立ち上がり胸に手を当ててキャンペス風の目礼を返してくれた。
でも私を見る目はどこか熱を含んでいるような気がして、私はそっと目を逸らす。
彼の横に座る、キャンペスの衣装を身に纏った方々もカイマール殿下に続いて私に、彼よりも少し深い臣下の礼をしてくれた。
「月の女神がごとき美しいご息女だ。今まで幾度となくターミナルには足を運んでいたが、彼女の存在を早くに知っていたらもっと足繁く通ったものですよ」
「そうか。クリスティナは内気な性格ゆえ、あまり社交場に顔を出さないのでな。貴君と顔を合わせるのもそうなかったのであろうな」
「……今からでも、おれが彼女をと望みたいくらいに美しい」
「殿下!」
「ただそう思った、それを正直に言っただけだ。奪うだの寄越せだの、そのようなことを言ったわけではないのに騒ぐな」
従者の方が厳しく諫める声を発しても動じることなくカイマール殿下はお父様に向けた視線をもう一度私に戻して、じっと見つめてくるから居心地が悪かった。
隣に立つレイジェスが、私の腰を引き寄せてお父様たちの隣へと少しだけ乱暴にするものだから慌ててそちらに視線を向けたから、正直助かったと思ったけれど……レイジェスが、あまり機嫌が良くなさそうでそちらも正直居心地悪い。
「……カイマール殿下、お褒めの言葉、ありがとうございます。今後ともターミナルと、キャンペスが良き関係であれるよう願っております」
「ああ……クリスティナ王女。そのようにあれるよう、尽力しよう」
「そしてカエルムの外交官ともお前はすでに言葉を交わしていたようだな」
「はい、姉様に個人的にとある学者に教えていただきたいことがあるから連絡が取れないかお願いしておりました。その学者がそちらにおられるサッカス・ガジ・モーネン殿の弟君でした」
「ほう、そうか! それでクリスティナ、その学者はどうだった?」
「まだ挨拶と、少し質問をさせていただいただけですの。明日、お時間をいただきましたのでもしそのままお父様のお許しをいただけるのでしたら今しばらく師事したいと思っております」
「……そうか、許そう。お前はこのターミナルの頭脳なのだからな」
あえて、ターミナルの頭脳、そんな風に呼ぶお父様にここにいる各国の人々に対するなにかを感じずにはいられない。
そもそも私はそんな器じゃないのに、と思うけれどそうしてしまったのがまさに自分なのだからどうしようもないのだけれど、こういう時にどうすれば一番なのかなんて知らない。
他の人の視線から逃げるように視線を落として、お父様の言葉を否定も肯定もしなければ誰もが良いように、自分にとって都合の良いように解釈してくれるだろう。大体そういうものだって、私は知っている。
今までがそうだったのだから。
「それではモーネン殿。弟御がもし娘の教育に携わってくれるというならばターミナルは歓迎しよう。そう伝えておいてくれるか?」
「はい、身に余る光栄と弟もさぞ喜ぶことと思います。短時間ではございますが、王女殿下の知識の深さ、そして学ぶ姿勢に大層感激しておりましたので……」
「そうか」
お父様が、満足そうに笑った。
父親としての顔なんだろうなあと私は思ったけれどそれは間違いではないらしく、お母様がちょっと呆れたようにお父様を見て、それからそっと私に微笑みかけてくれた。
王女として立派に、と緊張している私にとって、お父様とお母様がそうしてくれたことはとても心強くて温かい。
(大丈夫、私は、ここにいても大丈夫)
「そしてそちらに座するのが、魔法皇国『マギーア』の第三皇子ディミトリエ殿だ。来月にはこちらの国に留学することを決めておられてな、魔道工学にご興味があるそうだ」
「お初にお目にかかります、第二王女殿下。親しくお名前を呼ぶことをお許しくださいますか? 私と貴女は幸いにも年齢も同じくらいですし、こちらの国で学ぶにあたり友人が増えるのは大変ありがたいことですから」
「……ディミトリエ皇子がそのように仰ってくださるのでしたらば、私に否やはございません」
「ありがとう! ターミナルの頭脳と呼ばれる貴女にお会いできる日を楽しみにしていたのですよ」
にっこりと笑うディミトリエ皇子は、ほっそりとした文官タイプの方だ。
でも私が知る限りだけれど、マギーアは今皇帝の跡継ぎ、その座を巡り兄弟で争っている最中……そこでターミナルに留学ということはディミトリエ皇子を我が国が応援することにしたのか、或いは継承権争いから離脱してほとぼりが冷めるのを待っているのか……どちらなのだろう。
私が皇子を見ると、彼は目を細めて笑った。でもそれは綺麗なのに、猛禽類が獲物を見定めているかのようでぞっとする。
(違う、この人は継承権争いから離脱なんてしていない)
お父様がなんの考えもなしに彼の留学を受け入れたわけではないのだろう。だけど他国の皇族をお迎えする以上恐らくは王城内で部屋を用意するに違いない。
となると、お父様が期待する程度には彼はすでに実力を備えているのか、或いは将来性が大きい……?
ちらりとお父様を見るけれど、お父様はあえて私の方は見ないようにしているようだった。
「魔力がない姫君と言われておられるそうですが、本当ですか? いえ、我が国マギーアでも魔力のない人間はいないわけではなく、珍しいというわけでもありません。そういう意味ではターミナルよりも差別意識は少ないと言えますけれどね」
「……私に魔力がないのは本当です。そのために周囲に迷惑をかけることもございますが、ありがたくも支えてくれる人々に囲まれて暮らしておりますので皇子が仰るような差別意識のようなものはございません」
嘘だ。
本当は、誰よりも私自身が知っている。
そして皇子は、私がどう対応するのかを見て笑っている。
嘲るのではなく、私を通してターミナルという国を見ているのだと思った。
「ターミナルは魔力によって多くの便利なものを使うという技術に溢れた国だ。マギーアは魔力に突出しているからこそそちらにのみ頼る傾向があるので私は多くのことを学びたいと思っているのです」
「それは、良いことと思います」
「クリスティナ姫、貴女は博学だと遠きマギーアでも耳にしましたよ。是非、机を並べて学べたらと思いますがいかがですか?」
「……申し訳ございませんが、魔力を伴ったものに関しては私はなんのお役にも立てません。先程もお伝えした通り、魔力がまるでございませんので」
「残念です」
くすくす笑うディミトリエ皇子に、私をじっと見てくるカイマール殿下。
ちょっと困った様子で、それでいて興味深そうに私たちを一歩引いたところで見るサッカス殿。
そして隣で仏頂面になっているレイジェス。
お父様とお母様は私たちの会話そのものを楽しそうに、見ているだけ。
「クリスティナ!」
「……兄様」
「父上、母上、お客人方も随分と楽し気にお話ですね? ですがそろそろ私にも妹と過ごす時間をお返しいただきたい。いいな? レイジェス」
「……殿下の、仰せのままに」
ぱっと兄様が輪に入って来たかと思うと早口で捲し立てて、私の手を取って立ち上がらせる。
そして軽やかに、にっこりと笑った。
「可愛いクリスティナ。さあ、踊ろうか」
「はい、兄様」
ああ、兄様は私を助け出しに来てくれたんだ。
颯爽と助けに来る王子様だなんて! そのまますぎて、何故だかおかしくなった。
「……良かった、ようやく笑ったな」
「え?」
「まったく、レイジェスに任せるにはもうしばらくかかりそうだ。いつでも頼ってくれよ?」
兄様の仰り様は少し納得できなかったけれど、実際緊張し通しの私はようやく楽しく踊れるのだと安心したのだった。
もうこのダンスで部屋に戻ることにしよう、そう視界の端で待機するグロリアを見つけて私は心に誓うのだった。




