27.
部屋に戻った私たちを出迎えたグロリアは、僅かに眉を動かした。
おかしいな、変なところは何もないと思うのだけれど……アニーに舐められた部分をちゃんと拭えなかったのかしら?
ちょっと困ってグロリアを見つめ返したけれど、特に何かを言われるわけでもなかったので私は椅子に座ったのだけど。
……うん、いや、なんだか無言の圧を感じる。
「グロリア、もう少ししたらマルヴィナがこの部屋に来るから彼女が着いたらすぐに通してくれる?」
「畏まりました」
「彼女は甘いものが好きだから、お茶菓子の準備もお願いね」
「それでは、そのように」
綺麗なお辞儀を見せたグロリアの表情は、いつも通りに戻っていた。
……私が気にし過ぎなのかな。
ラニーとサーラに心配をかけてしまったから。
そうやって自分がこうして周囲の目ばかり気にしているんだなあと思うと、ちょっと辟易する。勿論、王女としても人間としても他人の目をまるで気にしない自分勝手な振る舞いをするのはいけないと思うから最低限は必要だと思うけれど、私はきっと人よりも過剰に気にしているんだろうなあ。
こういうところも、直していかなくちゃいけないんだろうけど……どうしたらいいのかしら。
(相手を傷つけないように、良い印象を持ってもらうように……? ううん、それじゃあ
相手が望むことだけすればいいお人形と変わらないじゃない。相手を不快にさせる必要はないけれど、相手に従うだけが正しいわけじゃないし)
難しい……!!
何度となく“良い王女になろう”と心に決めたわけだけど、良い王女って本当になんだろう。
私から見てディアティナ姉様が理想なんだろうけれど、正直なところ姉様みたいにはなれないと思う。元々私が社交的な性格でないっていうのもあるし、カリスマ性とかいるだけで人を惹きつけるとか華があるっていうか、とにかく人間としてなにか違う。
こればかりは努力でどうにかなるっていうレベルじゃないものがある。
じゃあそれを補ってなんとかできる範囲の“良い王女”とはなんだろう?
勉強ができる……人の気持ちを思い遣れる?
国のために貢献ができる?
先見の明があるとか? 気品? 優美さ?
ああ、わからない。難しい!
(少なくとも、恥ずかしい人間であってはならないってことはわかる。……でもそれは人間としての大前提だし)
こういう時に前世の記憶とやらが役立てば良いのに、私にはうっすらぼんやりとした不可思議な世界がつぎはぎの絵本のようにチラチラと見えるだけで何の役にも立つことはない。
まあレイジェスの命を救えたのだから、それだけでも十分と言えば確かに十分なんだけどね。あの記憶の中にある『物語』通りに進んでいたら今頃は……と思うとぞっとする。
「クリスティナ様」
「えっ、あ、グロリア。どうかした?」
「いえ。お茶をお飲みになられるかと」
「ありがとう」
「何かお悩みでございますか」
「……。……良い王女とはなんだろうって少し考えていたの」
ラニーに対して彼女を国民だから救うべきだと思った考え。
アニーを救ってラニーと共にまた前線に立ち、戦う術を持たない民の安心の象徴になって欲しいという思い。
同時に、彼女たちがただ幸せであればいい、私のことを少しでも良い人間だと思って欲しい、色んな思惑が自分の中にあることに驚きもした。
そう考えたら王女っていうのは国の象徴である王族の一員として、どうするのが“良い”のだろう?
答えなんてきっとない。その時その時、国民一人一人が理想を持っているしそれは全てが違うもので、完全にそれらを網羅するような人間がいたらそれはもう人間じゃないんじゃないかな?
私にとってディアティナ姉様が理想だからって、人によっては姉様のことを違うというかもしれないという現実に途方に暮れているんだわ。
それをぽつぽつとグロリアに告げてから、段々と恥ずかしくなってきた。二十歳にもなってまるで子供のような悩みな上に、自分一人で解決できないなんて!
それこそ呆れられちゃうんじゃないかなと思って慌ててグロリアに「なんてね、大丈夫」と笑って見せたけれど彼女の方は笑顔がなかった。
ああ、やらかした? そう思う私に、グロリアは言葉を選んでいるようだった。
「わたくしが思うに」
ゆっくりと、諭すように。
まるで、教師が生徒に、あるいは先輩が後輩に、とにかくわかりやすく、聞きやすく、それに努めているかのような響きがあった。
「クリスティナ様は、決して悪い王女とは思いません。強いてあげるならば、引っ込み思案であるところと自己犠牲の精神が強すぎるということでしょうか」
「……自己犠牲?」
「己が我慢すればすべてが丸く収まる、そのように考えておられるのではないかと」
「……」
「出過ぎたことを申し上げました」
「いいえ、私が貴女に話したのだもの、ちゃんと答えてくれて嬉しいわ。……だけど、私は自分が我慢すれば、とは思っていないわ。いえ、そうしてきたという自覚もあるし、そこは意識を変えていかなくてはと思っているけれど……」
そう、私が我慢をしても良い未来は訪れない。
色々考えた結果がそうなら、私は私の大切な人たちの幸せを守るために、我慢する以外の方法を模索しなければならない。
その結果、またこうして悩んでいるんだけどね?
結局答えっていうのはなかなか見つからないもので、もしかしたらないのかもしれないなあ……自分の理想を追い求めて、時々それが行き過ぎて居たり間違っていないかこうして人に聞いてみるしかないのかなあ。
自分自身で解決できる、お父様みたいな人のように立派になりたいものなのだけれど。
「……自己犠牲、かぁ……」
自己犠牲、とは何か違う気もする。
とはいえ自分が我慢すれば、と思ったことは数知れず。まだ私に仕えて時間も短いのにグロリアはすごいなあ。
もしかしたらお母様が言っていたのかもしれないのかな? だとしたらすごく心配をかけていたんだろうか。
ああ、もうなんだか八方塞がりな感じで気持ちがとっちらかってるなあ、しかも良くない方向だ。
(マルヴィナが来る前に、気持ちを切り替えなきゃ)
こんな気持ちのままお茶をして、彼女の気持ちを聞くだなんて、もしレイジェスとマルヴィナが両想いだとなったら本来喜ぶべきなのに私は叫び出してしまうかもしれない。
それだけは絶対にダメだ、私はレイジェスの幸せを願っているのだし、私がいずれ彼の人生から退場するのだとしてもそれはイヤな思い出として残らないようにすべきなのだから。
「クリスティナ様、マルヴィナ様がお越しになられました」
「入ってもらって」
マルヴィナは良くも悪くも真っすぐなのだから、私の悪感情にだってすぐに気が付くでしょう。そしてその感情の意図を直球で聞いてくるに違いない。
だけど私はこの名前の付け難い感情を、説明するだけの言葉も理解もない。理解なんてしたくない。いいえ、しているけれどそれよりももっと醜いものだったら、それを暴かれたらどうしようと恐れている。
「やっほーぅクリスティナ、来たわ!」
「思ったよりも早かったのね。兄様たちには会えた?」
「両陛下は謁見中だったからお会いできなかったわ。シグルド様は忙しいからとっとと出ていけですって、失礼しちゃう! たまには従妹に優しくしたってバチはあたらないわよねえ!」
「まあ。でも兄様は特に最近忙しいらしくて、私もお時間をお願いしているのだけれどなかなか……ね」
「……それって先日の事件が関係しているのかしら?」
「多分だけれど。私は何も知らされていないから、推測に過ぎないけれどね」
「そう……」
「精一杯おもてなしするから、私で我慢して?」
「ふふ、我慢だなんて! ワタシはちゃぁんとクリスティナのことも大好きよ!」
ぱっと笑顔を見せるマルヴィナに、私も笑みを返す。
ああ、この真っ直ぐなところがどれほど私の心を救ってくれたんだろう。そんな彼女だからこそ憧れる人も多いし、きっと、レイジェスもまた。
ちくんと、また胸が痛んだ。




