25.
「アニー。いい子だ、よぅしようし……」
厩舎の一角、最も広い所にアニーは寝そべっていた。
私もランドドラゴンという種を直接見るのは初めてだったけれど、ごつごつとした体躯にまるで岩のような鱗。口元から覗く牙が恐ろしい印象を与えるその姿に、思わず息をのんだ。
けれどラニーの姿を見つけると、鱗に隠れがちな目が喜色に満ちて「くるる、くるる」と甘えるような声で鳴くのを見て私は怯えてしまった自分を恥じた。
(ラニーの大切な家族に対して、私ったら)
「クリスティナ様、別に怖いのは、恥ずかしく、ない」
「……ええ」
でも、ラニーの家族だとわかっていて怯えた自分が情けない。
怖いと思うのは、弱者の本能だ。それは、危機に対する防衛本能の一種なのだから恥じるべきことではない。
サーラの慰めに笑顔で返して、私はほんのわずかに足を進めた。
それだけで、ラニーに撫でられてご機嫌だったランドドラゴンがぴくりと身動ぎして私の方へと視線を向けるのだからやはり無理には近づかない方がいいんだろう。
「クリスティナ様、アニーです。……やっぱり怖いですか?」
「そうね、飛竜は何度か見ているけれどランドドラゴンは初めてなの。でもとても綺麗な目の色をしているのね?」
「はい! 普通のランドドラゴンってのは鱗と同じような琥珀色をしてるもんなんですけど、アニーは緑色なんですよ!」
ぱっと顔を輝かせるラニーに、どれだけアニーを大事にしているのかがよくわかる。
自分のパートナーの反応から、私が敵ではないと判断したらしいアニーが大きな鼻息を吹き出して私の方へと首を伸ばしてきた。
ああ、これ、試されているのかもしれない。
突然のアニーの行動にびっくりして思わず一歩下がりそうになってしまうのをぐっと堪えた。堪えられて良かった。
アニーは私の匂いを確かめるように何度も嗅ぐと、今度はじぃっと私を見上げてくる。
(……ランドドラゴンの生態は、よくわかっていないんだっけ)
飛竜の国カエルムにはランドドラゴンは生息していない。
似たような感じの、飛べないドラゴンがいるらしいけれど系統としては違う種族なのだという研究結果が発表されていたはず。
このランドドラゴンという種類はターミナルの北部、山の麓の一部にしか生息していなくて野生の群れは怒らせなければ大丈夫っていうことで地元の人は上手に共存しているって話。
時々人に懐いたランドドラゴンが現れて、そうしたランドドラゴンから卵が産まれて……って続いているのが北部砦の騎竜部隊だって聞いている。
だからある程度食べるものとか、触れてはいけないところとか、発情期とかはわかるけど……どうもパートナー以外を拒絶しがちなところがあって、研究者が調べようにもなかなか思うように上手くいかないってあったっけ。
野生の群れを追って調べようとしたカエルムの学者がケガをしたっていう話もあったはず。
(あれ? そういえば最近の研究発表に……)
ランドドラゴンは一度番を見つけると、一生同じパートナーと時間を過ごすことが地元民の話や伝承で残されていて、珍しいことに番が怪我を負ったり病に臥すとまるで人間がするかのように互いを看病するのだと聞いて素敵だなと思ったんだけど……そうよ、それに関しての不思議な発表があったんだ。
その時、独特な行動を取るのを見たがその一例だけだったけど、すごく興味深かったとその論文には書いてあった。
研究者が追っている間、その群れの中で具合の悪くなるランドドラゴンが出たのはその一件だけだったけれど貴重なそれは今後の研究の足掛かりになるはずだ、ドラゴンという種族の謎がまたひとつ紐解けるに違いない、って結ばれていた。
その研究者が若手で無名だったことと、一例だけだということでこの発表は眉唾物扱いされて論文は片隅に追いやられた……という話も付属していたから私も覚えている。
「そうよ……そうだわ、問い合わせてみましょう!」
「クリスティナ様!?」
思い出した私のその声に、アニーが鼻息を私の顔にかけてくるのが同時で思わず「わぷ」と間抜けな声を出してしまった。
だけどそれを笑うよりもサーラとラニーが大慌てするものだから、私の方が楽しくなってしまって思わずアニーの頭を撫でる。
触れたことに不快感を示すかと思ったアニーだけれど、鼻を私の手に押し付けるようにして「くるる、くるる」と喉を鳴らしてくれたから。きっとこの子も私を認めてくれたんだと、勝手に思うことにした。
「あ、あのクリスティナ様? 問い合わせるって一体……」
「よくわからない。だけどクリスティナ様、笑顔。だから大丈夫よラニー」
「そういう心配をしているんじゃないんだけどなあ、サーラぁ……」
困ったようなラニーに、私もちょっと唐突過ぎたし、大声をあげたのも貴婦人の嗜みから考えると恥ずべきことだったので誤魔化すように咳ばらいをひとつ。
まあこれで誤魔化される、なんてこともないだろうけど……そこは気分の問題っていうか。
「あのね、ラニー。これは最近出たカエルムでの学会発表のお話なんだけれどね」
ランドドラゴンの番が、看病の際に己の角を折ってそれを食させた、というもの。ドラゴンに角がある種類はそれこそ両手の指では足りないし、生え変わる種もいれば一生その角を大事にする種もいる。
ランドドラゴンは後者で、二本の立派な角が真っ直ぐ額から生えていて、外敵と戦う時や雌を巡った争い、群れのボス決める時などに使われる。まあ雌にも生えているから雌を巡った争いに勝ってもその後雌に認めてもらえないと角で追い払われるらしいんだけど……ってそれはどうでもいいや。
で、その争いの中で折れてしまうケースが殆どだと思われていたのに、なんとその研究者が見ている中で行われた角を食べさせるという行為によって、怪我を負った番が劇的に回復した……っていう話があったのだ。
これが番だからなのか、あるいはランドドラゴンのように生涯生え変わることのない角だからこそなのか、そこがちょっとわからないけれど……。
「だから、その話を詳しく聞いてみようと思うの! そうしたらアニーの怪我にも良い情報が得られるかもしれないじゃない……!!」
「し、しかしそんな学者にわたしがいきなり手紙を書いても相手にしてもらえるかわかりませんよ!?」
「私が書くわ!」
「……クリスティナ様」
そうよ、カエルムならば姉様を通じて学者に届けていただけるよう便宜を図ってもらえるでしょう。私の地位や人脈などたかが知れているけれど、偶然とはいえ読んだ論文がもしも役に立つのなら嬉しいもの。
「どうして……わたしはまだ、貴女にお仕えするのは今日が初めてですのに」
「そうね。だけどアニーの怪我が治ったのならば、貴女が窮屈に感じる場所に縛られることもないわ。貴重な騎竜兵だってだけじゃなく、きっと北の砦にいるラニーの仲間たちは貴女たちが戻ってきたら、心の底から喜んでくれるでしょう?」
私の所に来たのだって、アニーの為にと城下で調べるため。
そこをレイジェスにスカウトされたようなものなんだろうと思う。
ラニーの真っ直ぐで大らかな性格は、私からすればとても頼もしいし好ましい。
だけど、彼女が本当にいたいと思う場所はここじゃないはずだってこともわかってる。
「クリスティナ様の護衛武官が、また一から選定し直しになるんですよ?」
「そうね、……レイジェスの迷惑そうな顔を思い浮かべると、ちょっと、いえかなり辛いけれど」
いけない、本音が出ちゃった。
慌ててそれが冗談だというように笑って見せたけれど、ラニーはとても困った顔をしている。なんていうんだろう、泣きそうな表情だ。
私は困らせているんだろうか。
喜んでもらえると思ったのに。
「……ラニー、迷惑だった? 私は貴女に仕えてもらえたら勿論嬉しいし、アニーもここで暮らすのが嫌でなければ大歓迎なの。だけど、どうせなら怪我は治った方がいいだろうし、ラニーだって……」
「わたしは、難しいことはわかんないです。……だけど、クリスティナ様はこっちが心配になるくらい優しい人だってことはわかりました。だから。だから……わたしだけじゃなくて、もし許されるなら」
くるる、くるる。
アニーが鳴いて、私の頬をべろりと舐めた。
緑の目が、とても優しく細められる。
「アニーも、共に。貴女に仕えたいって、今、心の底から思いました」
問い合わせの手紙は、いくら早くたって一か月以上かかるだろう。
もしかすれば良い返事ではないかもしれないし、結局なにもわからないかもしれない。
「だから、わたしもアニーも、怪我が治っても治らなくても。この命、忠誠、クリスティナ様にお預けしたいと思います」




