23.
「クリスティナ様とファール隊長って婚約してるんですよね?」
「……ええ、そうね」
「勿論顔見知りだってのもあるんでしょうが、でもなんかよそよそしくないですか? まあ、親衛隊長と王女殿下って身分差ならそれも当然かなって思うけど」
ラニーが小首を傾げて問いかけてくる。
彼女に悪意はなくて、純然たる疑問なんだろうっていうのはわかる。
悪意がある質問も困るけれど、まるで悪意がないというのも困るものなんだなあとちょっとだけ、思った。
そんな私の様子に気が付いたらしいグロリアが口を開きかけたのを私は手で制して、意識して笑みを浮かべた。
いつまでも、そう、黙っておくのもおかしな話。
何も隠すようなことでもなければ、臆するようなことでもない。
私一人が後生大事に抱えて宝物になるような話でも何でもないのだから。
「レイジェスは、私にとって幼馴染なの」
「えっ、そうなんですか!?」
「かつてマールヴァール将軍が、シグルド兄様に剣術指南をしてくださっていた時期があるわ。その頃レイジェスは将軍の付き人で、私とディアティナ姉様、そして従妹のマルヴィナはよく一緒に遊んだの。そのうちレイジェスは兄様の相手役として剣術指南の方に行ってしまったけれど」
レイジェスが私のことを名前で呼ぶのは、その名残。
あの頃は、ディアティナ姉様が私たちの中でリーダーで、子供同士遊ぶのに身分は関係ない、むしろそれでいうなら自分がこの中で一番偉いんだって言い始めたんだっけ。
今ならレイジェスも負けたりなんかしないんだろうけれど!
兄様の相手役になって身分差というものを強く感じ始めたレイジェスが私たちに対して礼を尽くすようになっても、姉様は許さなかった。
結局、マールヴァールも笑って姉様に従うようにって。
シグルド兄様もあの時は大笑いしていたっけ。懐かしい。本当に、懐かしい。
「まあそういうことがあって、……でもラニーが言う通り私は姫で彼は騎士になった。当然公式の場や、二人になる時でもなければ互いに名を呼ぶことも次第に減っていったわ」
「そうなんですね。じゃあなんでよそよそしいんです?」
「それ、は」
嫌われていると思うから。
そんな言葉を自分の口から言うのは躊躇われて、少し考える。
そういえば、いつから嫌われたんだろう。
婚約話が持ち上がって、魔力がない私を先方があまり好ましく思わないからマルヴィナに……っていう話が持ち上がってから、だと思うけれど。
「……やっぱり私が魔力をまるで持てなくて、他にも才能がないから、じゃないかしら」
「えっ?」
「レイジェスはマールヴァール将軍の影響もあるけれど、王家にとても忠義を尽くしてくれているわ。お父様や兄様に対してその魔力や、能力にとても尊敬を示している。だからこそ、王家の中でお荷物状態の私に対して思うところがあったんじゃないかしら」
それでも、私は『王女』なのだ。
王女を表立って非難するようなことはしないだろう。
だけれど王家に尊敬を持てば持つほど、その中で弱々しい私はどれほどに情けなく彼の目に映ったのか。
残念姫君、と嗤う人々とはまた違う意味で彼は私のことを落胆していたに違いない。
幼馴染の姫君たち、ディアティナ姫は快活で完璧な王女であり、公爵家のマルヴィナ姫は将来を嘱望される才媛。
それなのに、私ときたら……目立たない、引っ込み思案、武術も魔力も才能無し。
ああ、自分で冷静に評価はできてもやっぱり落ち込む!
「でもクリスティナ様って勉強家なんですよね?」
「え?」
「レイジェス隊長が言ってましたよ。まあ勿論、王女さまだからわたしとかなんかじゃわからないくらい元々が勉強できるんでしょうけど、隊長が言うんならもっと勉強してるってことでしょう?」
「そ、そうかしら」
ラニーがきらきらした目で、私を尊敬しているかのように言ってくるのが逆に困る……!! だってそんな風に褒められたことなんてないもの。
それにしてもレイジェスが私のことをそんな風に言っていたの?
いえ、他にきっと褒めるところがなかったんだわ。
そうとしか思えない。
私は話を変えようと、ぽん、と手を打って明るい声を出してみた。
「ラニーのランドドラゴンに、会ってみたいわ。会えるのかしら」
「えっ、王女さまってそういうの好きじゃないんじゃ……」
「そんなことないわ。私はこれでも馬にも乗れるのよ? 勿論、無理矢理貴女のアニーに触れたりなんかしないわ」
動物たちが自分のパートナー以外に触れられることをあまり好ましく思っていないことは私も書物で知っている。
ディアティナ姉様がカエルムから贈られた飛竜だってそうだった。
姉様がカエルムに行く頃には、私に撫でるのを許すくらいには心を開いてくれたけれど。あれは嬉しかったなあ……。
実際に厩舎とかに足を運ぶのは、正直に言うと周囲の目があってあまり好きじゃなかった。動物は好きなのだけれど。
私自身、乗馬が凄く上手な訳ではないけれど馬たちはちゃんと向き合えば私に対してそれなりの行動をとってくれる。それが嬉しかった。
(私が初めて馬に乗ったのは、レイジェスが一緒だった)
もっと幼い頃はお父様やマールヴァールが自分の馬に乗せてくれようとしたんだけれど、周囲が止めたのも覚えている。
幼い姫にもしものことがあったら、という言い方だったけれど魔力ゼロの私が王女だからと厚遇されるのを良しとしない人々だったのだろう。
お父様たちがそれにムッとしながらも引いたのは、それらが有力貴族だからだと今の私にはよくわかる。物事を無駄に荒立てて国政に波及しては迷惑を被るのは、国民だから。
だから、お父様や家族のみんなはおおっぴらに私を可愛がることはできなくても決して蔑ろにはしない、そういう態度になったんだと思う。
レイジェスはマールヴァールに言われて『将軍の命令だから』と幼い姫に乗馬を教えただけの話。平民出身で、将軍の付き人である少年だったからなにか起こったとすればその責任を取らせやすくもあったし、魔力ゼロの身分しかない小娘の相手にはちょうどいいだろうと周囲だって納得したものだ。
恋をしたのは、いつだっただろう。
何気ない、いつも来る年上の男の子。姉様に言い負かされて悔しそうにしつつも、私たちを相手にしてくれた、口数の少ない男の子。
初めの頃はそんな印象だったと思う。
『遅く、なった』
ハッとする。
ああ、どうして私、忘れていたんだろう?
『でも、見つけた』
みんなで隠れ鬼をして、隠れていた時に私がいかに『残念か』で笑う人たちの声を耳にして、あまりのショックに隠れた場所で声を押し殺して泣いた子供の頃。
きっとみんな、いつまでも見つからない私を心配してくれていた。
だってあの時、私を探す姉様の声を、確かに聴いたの。
けれど私は出て行けなかった。
泣いていることで、心配をかけたくなかった。姉様と比べられたことが苦しかった。
だから、聞こえないふりをした。
次第に誰の声も聞こえなくなって、私は独りぼっちなんだってその時思ってまた涙が出て。
(そうだわ、どうして……あの時から、私は)
誰も迎えに来てくれない。探しに来てくれてもこんなみっともない子はいない方が良い。
そうに決まっている、なんて自分で思って膝を抱えた私を、レイジェスは見つけてくれたんだ。
見つけた、と言って安心したように、あの赤い目が優しく笑ってくれて。
涙を流す私を、ただ優しく抱き上げてくれたあの日から私は――彼に、恋をしたんだ。
『どうしてここがわかったの?』
『クリスティナがどこにいても、ちゃんとわかるよ。俺は約束しただろう?』
城内が広いから、誰も見つけてくれなかったらどうしよう。
そう不安がった私に、レイジェスは約束してくれた。
『どこにいても、必ず俺がクリスティナを見つけて、助けるから』
ああそうだ、その通りあの日私を見つけくれたレイジェスは、いつだって私がこっそり泣いているといつの間にかそばにいてくれた。
そのたびに嫌そうな顔を見せたから、本当はめんどくさいと思っていたのかもしれないけど。
マールヴァールが探すように言っていたんだと他の人が話しているのを聞いたりもしたから、間違いない。
だけど、見つけてくれた。
何処にいても、いつだって。
あの日、あの事件の時も、私を助けに来てくれたのはレイジェスで。
(ああ、だめ)
この恋心は、いつかちゃんと、彼が好きな人と結ばれた時には終わりにしなくちゃいけないのに。
改めて、彼が好きだと自覚する、だなんて。




