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亡国の剣姫  作者: きー子
30/34

参拾、破断剣・ヴァールハイト(上)

 十歩の間合い。

 それがシオンに与えられた、ほんのわずかな猶予であった。

 体格も剣風も何もかも違う剣客がふたり、一直線に彼我の距離を縮めていく。

 ────疾い。

 シオンはそう思わざるを得なかった。

 ルクスの体格は端的にいって恵まれたもの。少なくともシオンとは比べるべくもない。

 その大柄な肉体を勘案してみれば、彼の俊敏さは、まさに破格といえるだろう。

 シオンの速度に決して勝るとも劣らない。

 7フィートにも及ぶ大質量の"魔剣"を手にした上でそれなのだ。

 その体躯と大剣からなる間合いは無論、シオンの間合いよりはるかに広い。

 必然。

 先の先から斬りかかったのはルクス・ファーライトのほうだった。

「オォ……ッ!!」

 (ごう)

 大気を揺るがし、風を巻き上げ、"魔剣"の一閃が振り放たれる。

 "破断剣・ヴァールハイト"──その異様たるや、ほとんど壁が迫り来るようなもの。

 まともに受ければ即座に死ぬ。

 目にしただけでそう確信させるものが、ルクスの剣影にはあった。

「……く」

 シオンは足を擦るように後退り、ルクスと半歩の距離を取る。

 刹那、"妖剣・月白"の半ばでルクスの一閃を斜めに受ける。

 ────受け止めきれない。

「……ッ!!」

 ぎしり。

 と、にわかに全身の骨が悲鳴を上げた。

 刃が悲鳴のように火花を散らす。

 それでも、柄を握る手を離しはしない。

 シオンは大剣の刃に沿って刀身を滑らせ、骨をやられるより()く身を逃す。

 受け流した、というよりは──

 苦し紛れというべきだろう。

 一合。

 たった一合を交わしただけで、命からがら生き延びたような有り様。

 しかしそれほどまでに────ルクスの剣は、あまりに、重かった。

「……オ、ォ」

 感慨をにじませるようにルクスはちいさく慨嘆する────

 否、とシオンは首を振る。

 錯覚。

 あるいはただの感傷だ。

 感傷に浸る余裕など無い。

 なにせルクスの剣閃に、手抜かりは微塵も見当たらなかったのだから。

 質量。重量。疾さ。

 そしてルクス自身の恵まれた体躯からなる圧倒的な膂力。

 その全てからなる全力の剣撃の重みは、シオンを三度殺して余りある。

 例え少女の腰の力──あるいは全身の力を傾注しようと、真っ向から拮抗させるには無理があるのだ。

 そもそもの話。

 シオンとルクスの剣術は、全く異なる剣理を内包している。

 シオンのそれが、柔よく剛を制する剣であれば──

 ルクスのそれは、剛よく柔を断つ剣にほかならない。

 ゆえに、シオンの剣よりルクスの剣が重いのは、至極当然のことだった。

 ────が。

「……っ、は」

 これは、あまりに、

 ────重すぎる。

 いまだに痺れが残る左腕を投げ出し、シオンは右腕だけで剣を取る。

 速度、質量、重量──そして膂力。

 元よりシオンはそれらを全て見極めたうえで、受け流そうとしたはずだった。

 にも関わらず、ルクスの剣の威力は、シオンの見立てを遥かに上回っている。

 見誤ったとは思わない。

 ルクスより遥かに巨大な"結束剣・グランガオン"相手にも、そんな失敗は犯さなかった。

 無理なものは無理だと、確かに判じられたはずなのだ。

「……ッ……」

 続けざまの斬り上げをシオンは後ろに飛び退って避ける。

 すぐさま"妖剣・月白"を掲げ、剣身が胸の前を横切る構えを取った。

 "閂"の型。

「オオッッ!!」

 瞬間、頭の上から凄まじい勢いで振り落とされる大剣──"破断剣・ヴァールハイト"。

 おそらく、とシオンは考える。

 シオンの読みを外させたのは、その"魔剣"の力に(ちな)むものだろう。

 でなければ、剣撃の不可解な"重さ"に説明がつかない。

 まずは、それを確かめる必要がある。

 一閃の出鼻を打つことで大剣を捌き、シオンは一歩後ろに退く。

 "魔剣"の正体を見極めるまで、よもや迂闊に踏みこむわけにはいかない。

「下では随分と暴れ回ってくれたようですが、防戦一方ではありませんか。もはや我々が心配する必要もありませんな」

「バルザックよ。死兵の生産に支障はないのだな?」

「無論でございますぞ。この"魔剣"が我らの手に限り、計画に問題は起こりえませぬ。建物に少々の被害が出たようですが、修復作業に死兵を動員すれば追っつきましょう。何も憂慮することはありませぬ。後は、あの娘を殺しさえすれば全ては片付くこと」

「ならば、私は彼奴の死をここで見届けることとしよう。あの男の係累が、ついに死に絶えるのだ────あの男の手によってな。これほど愉快なことはない」

 幾ばくか余裕を取り戻したトラスは後方の玉座で笑みを浮かべる。

 それに気を払えるほど今のシオンは暇ではない。

 びゅんと眼前を払う大剣を避け、シオンはまた一歩飛び退る。ルクスと三歩の距離を取る。

 それはほとんど無きにも等しい距離だった。

 間合いが一瞬にして侵略される────"縮地"の型。

 シオンのそれより老練の"型"が、淀みなくすべらかに解き放たれる。

 ルクスは大剣の重量をものともしない。

 膂力のみとは思えぬほどに、悠々と巨大な"魔剣"を取り回す。

 純粋な速度ではやはり、シオンには劣る。だが威圧感と迫力ではシオンを遥かに上回っている。

 ルクスほどの恵まれた体躯──そして剣腕の持ち主が、疾風のように襲いかかってくるのである。

 それはもはや、重騎兵や戦車をも凌駕する破滅的な脅威と言えるだろう。

「オオオオォォォォ────ッ!!!!」

 刧。

 振り落とされる最上段からの一閃を、シオンは紙一重で横に避けた。

 剣先が床に叩きつけられ、白亜の瓦礫が撒き散らされる。

 瞬間、シオンはふと違和感を覚える。

 ────……重い。

 吹き荒ぶ剣風に黒髪を巻き上げられる最中、シオンはそれを確かに感覚した。

 ルクスの一撃が、重かったのではない。

 ほんの一瞬、自分自身の身体を重く感じたのである。

「……これ、は」

 尋常であれば気づきもしない。

 それほどに些細な違和感だが、シオンはそれを見逃さなかった。

 掴んだ手応えを確かめるように、連続するルクスの剣光に身を晒す。

 わずかな一歩を飛び退り、シオンは分厚い刃をすんでで避けた。

 刃は先ほどよりもなお近い。

 寸止めにも等しいぎりぎりでの回避。

 刃を掠めた前髪が散り、はらはらと花弁のように地に落ちる。

 やはり、とシオンは思考する。

 幅広の刃がシオンと交錯する刹那──ごく僅かに、身体の重みが増すような感覚があったのだ。

 おそらく、それは意図したものではない。

 自在に行使できるのならば、今すぐにでもシオンの重さを数倍にするはずだ。

 そうすればシオンは脚を引きずるようにしか動けなくなる──為す術もなく死ぬしかない。

 だが、ルクスはそうはしなかった。

「いや」

 眼前を吹き抜けていく刃を前にして身を躱す。

 あまりに疾く、あまりにも重い。

 一瞬、身体が重くなるような感覚は依然としてある。

 反撃の糸口はいまだに見えもしない。

 ────だが、手がかりはあった。

「……できないんだ」

 いわばそれは、"破断剣・ヴァールハイト"の副産物。

 "魔剣"の余波とでも言うべきもの。

 シオンの体重を自在に操作するような離れ業はできないし、外界への干渉もわずかに留まる。

 ────ならば、どこまでは正常に作用しているのか。

「オオオオオッッ!!!!」

 ルクスの咆哮はどこか歓喜に似る。

 死してなお、剣を振るえることに喜びを覚えているかのような。

 "武断王"。

 実に、呆れた男だった。

 実父ながら────実に。

()ィッ!!」

 斜めに落とされる刃に向かい、シオンは叩きつけるように一閃する。

 瞬く剣光。

 翻る剣影。

 相互(あいたがい)、剛毅と強靭────対照的なふたりの刃が激突する。

 そして衝撃を感じた瞬間、シオンは反動とともに後ろに飛び退った。

 前もってそうすると決めていたのである。

 まともに拮抗するのが不可能であれば、相手の力を利用するのが道理。

 ルクスほどの使い手であればそれすら難しいが──可能であるならばやるしかない。

「……オォ」

 同時、ルクスは静かに刃を引く。

 その動作はひどく人間的だった。

 シオンの機微をしかと見極め、一拍の間を置くにも似る。

 かつて過ぎ去ったありし日に──

 倒れたシオンが立ち上がるのを、黙して待っていた師のように。

「……は」

 呼息。

 それしきのことではもう、シオンの心は乱れなかった。

 今の交錯で、更なる手がかりを得ていたからだ。

「────だいたい、わかった」

 互いの刃が重なりあう瞬間。

 シオンが感じたのは、常のごとく腕にかかる"魔剣"の重み。

 "妖剣・月白"の重量がわずかに増したような感覚であった。

 それゆえにこそ、シオンは"破断剣・ヴァールハイト"とまともに撃ち合えたのだろう。

 然るに、とシオンは結論付ける。

 ────"重力如意"。

 重力。すなわち物体の重さ。ひいてはその物体が地面に引っ張られる力のこと。

 おそらく、という前置きこそあれど。

 "破断剣・ヴァールハイト"は────その重力を、ある程度まで自在に操ることができるのだ。

 魔剣自身にかかる重力、あるいはごく狭い周辺のみ、という縛りはあるのだろうが。

 そう考えれば、ルクスの不可解な"疾さ"と"重さ"には納得がいく。

 いくらルクスが尋常ではない膂力の持ち主とはいえど。

 7フィートにも及ぶ大剣を、軽々と振り回せるはずがないのである。

「オオ─────」

 ルクスは頷きもせず。

 さりとて否定もせず、大剣を飄々と肩の上に担ぎあげた。

 構える──"屋根"の型。

「……ここから、だ」

 "破断剣・ヴァールハイト"の秘密は暴かれた。

 だが、それだけではなんの意味もない。

 低重力下による最速機動と、高重力下による最大火力。

 それを知っただけでは、シオンはただ潰されるのを待つしかない。

 そうならないためには──なんとしてでも、有効な打開策を編み出さなければならない。

「……っ、ふ」

 ちいさく息を吸い、常のごとく構えを取る。

 "妖剣・月白"の剣身が胸を横切る──"閂"の型。

 そして再び、シオンとルクスは真っ向から相対する。

 先に仕掛けたのは、やはりルクスのほうだった。

「────オォォォォッッ!!!!」

 刧。

 爪先が床を砕かんばかりに蹴り抜き、男の老躯が疾駆する──"縮地"の型。

 開いた間合いを零にして、ルクスは鮮やかな円弧を描く。

 斬り下ろしからの薙ぎ払い。

 深い踏みこみからの一閃はシオンが逃れるのを許さない。

 巨大な刃も相まって、まともに受けるのを良しともしない。

 許す限りの最高重力下による最大火力。

 圧倒的な威をまとう剣光が過ぎり、シオンの影を斬り裂いていく。

 その間、コンマ一秒にも満たない刹那、シオンは懸命に考える。

 魔剣の力は見破った──それに自分が打てる手はないか。

 そして、考えるのをやめた。

 シオンはすべるように飛び退り、赤い絨毯に地を付ける。

 しなやかな足首が躍動し、着地の反動を転じて足裏を跳ねさせる──"飛鳥"の型。

「……は」

 ──結局、私にはこれしかない。

 目の前の男にさんざん叩きこまれた、剣の他には何もない。

 足裏が半ば浮き上がり、爪先が床を蹴り飛ばす──"縮地"の型。

 そして"放たれた矢"のごとく、"破断剣・ヴァールハイト"の軌跡を追って疾駆する。

 ルクスはすでに刃を振り切った後。

 肉迫するシオンを迎え撃つべくはない。

 腰溜めに構えられた剣先が翻り、鮮やかに照り返す光の尾を引いた。

 (びょう)

 剣風を引き連れ、"妖剣・月白"が一片の迷いもない軌跡を描く。

 避けて、踏みこみ、斬る。

 単純極まる剣理の極致。

 ────秘剣・再臨剣(リバースエッジ)

 その一閃が、確かにルクスの影を払う。

 どれだけ疾かろうと。

 どれだけ重かろうと。

 つまるところ、斬れば全ては同じこと。

 益体もない。

 しかしそれこそが剣というもの。武芸というもの。

 で、あらばこそ。

 少女が瞳を眇めた先に、当然予期されたものを見る。

 シオンが一閃を抜き払った刹那。

 ルクスもまた一歩、刃の影を踏むように飛び退った。

「……アァ」

 男は懐かしむように足裏を跳ねさせる──"飛鳥"の型。

 爪先が床を蹴り、流れるように疾駆する──"縮地"の型。

 長大な刃渡りの魔剣が振りかぶられ、かくてルクスは踏みこんだ。

 振り放たれる一閃。

 刧。

 死兵の刃が唸りを上げて、シオンの矮躯に迫り来る。

 紛うかたなきその銘が────

「……"秘剣・再臨剣"」

 しかと、亡き男の声に詠じられる。

 刹那、シオンは"妖剣・月白"を縦にかざして刃を受けた。

「……っ、ぅ……」

 受けながら半ば跳ね飛ばされ、シオンは地滑りしながら接地する。

 そして少なからず驚いた。

 かつてシオンは、ルクスから"秘剣・再臨剣"を身をもって伝授された。

 当時のシオンは為す術もなく、わけもわからぬうちにルクスの剣を叩きこまれるしかなかった。

 その時、彼の動きはほとんど見えもしなかった。

 だが今は違う。

 確実に、今のシオンにはルクスの動きが見えている。

 今のルクスは鍛錬の時のように手を抜いているわけではない。シオンを本気で殺しにかかっているに違いない。

 にも関わらず、シオンには──ルクスの"秘剣"が見えていた。

 真っ向からぶつかりあうには分が悪く、身軽さもシオンが有利とまではいえない。

 だが、決して勝算がないわけではない。

「────唖々唖(アァァ)ッ!!」

 そのために必要なのは、ただ一斬。

 退き、踏みこみ、斬る。

 自らは斬られず、敵を斬る。

 極言すれば、それだけのこと。

 一度で駄目ならば二度までも。

 二度で駄目ならば何度でも──

 シオンは"秘剣"を振り放つ。

 渺。

 剣光が瞬き、刀身がルクスのあとを駆け抜ける。

 刃は空を切るばかり。あいにくルクスを捉えるには至らない。

「────オオオォッ!!!!」

 考えることは死した剣客とてまた同じ。

 あるいは、思惑などありはしないように。

 飛び退って難なく"妖剣・月白"の刃から逃れ、すぐさま巨大な剣身が切り返される。

 確かに飛び退ったルクスが、いつのまにか少女の目の前にいる。

 そうとしか言いようのない動きが、今のシオンには確かに連続して見えた。

 シオンは再び"妖剣・月白"をかざす。相食む刃が互いに噛み合い、刃鳴りを響かせ拮抗する。

 次の瞬間には凄まじい重みに圧倒され──それでもシオンは生き永らえる。

 ほとんど根比べのようだった。

 シオンは身を引きずるように立ち、疾駆する。

 退いてばかりというわけにはいかない。

 扉側に追いつめられた時──その時には、避けようのない死がシオンを待っているのだから。

 斬りつける"妖剣・月白"の剣先が空を切り、ルクスは後ろに飛び退る。

 刹那に迫るはずのルクスを予期し、シオンは返す刀で斬り上げる。

 ルクスはそれをも読み切っていた。

 踏みこみからなる"秘剣・再臨剣"の一段目を空かし、中空で留め、そこから軌道を捻じ曲げる。

 激突──凛と甲高い金属音を鳴り響かせて、刃が火花を散らし合う。

 へし折れないのが不思議なほどに"妖剣・月白"を軋ませながら、シオンは一歩飛び退った。

「……まだ」

 他に打つ手などありはしないのだから。

 シオンはほとんど縋るように、妖しく輝く刃を返す。

 地を蹴り、踏みこみ、斬る。

 完璧な円弧を描く銀の剣光。

 それでも、ルクスの護りが崩れることはない。

 ──刹那膠着して見えた剣戟は、そう長い間は続かなかった。


 お互いに退き、踏みこみ、斬りつける。

 交錯するのはほんの一瞬。

 さながら剣嵐の舞踏。寄せては返す波にも似て、ふたりは必殺の"秘剣"を応酬する。

 秘すべき剣などもはや無い。

 ルクスはシオンの剣を知っているが、彼が死んだ後のことを知りはしない。

 シオンはルクスの剣を知っているが、本気になった彼の剣を知りはしない。

 改めてお互いのことを知り合うように。

 幾度ともなく白刃が重なり、刃鳴が散る。

 数知れぬほどに剣を合わせ、また離れる。

「……は……ッ」

 その末に、シオンは狂おしく息を吐く。

 言わずもがな、不利なのはシオンのほうだった。

 そもそも、ルクスには疲れというものがない。死兵なのだから当然だ。

 否。例え彼が生きた人間であろうと、その屈強な肉体を鑑みれば、疲労の色は薄いだろう。

 かたやシオンは防戦一方。攻めかかろうとも容易くいなされ、受ければじりじりと消耗を強いられる。

 疲労の気はすでに軽くなく、肌には汗が滲んでいる。

「全く、しぶとい小娘ですな。もう少し早く仕留めてもらいたいものですぞ」

 後ろでバルザックがさえずるのも耳に入らない。

 それを命令と判断したのかは定かではない──表面上、ルクスはなにも応えなかった。

 ただ"破断剣・ヴァールハイト"を振り掲げ、シオンに向かって突き進む。

 横薙ぎに抜き払う大振りの一閃。

 シオンはそれを潜るように避け、身を低く返礼代わりに斬り上げた。

 小手斬りの一閃。

 それをルクスは軽く躱して返す刀で斬り落とす。

 まともに剣身を打ち据えられる衝撃が、着実にシオンの体力を奪っていく。

 息を整調しながら、シオンは静かに刃を下げた。

 無形の位。

 そして、深く蒼い眼差しがルクスをじっと見る。

 ──事ここに至って、シオンは認めざるを得なかった。

 ルクス・ファーライトに"秘剣・再臨剣"は通じない。

 少なくとも、今のシオンではどう足掻いても届きはしない。

「……は」

 それでも、シオンは諦めなかった。

 次々に振るわれるルクスの連撃を、シオンはぎりぎりのところで躱していく。

 一度避けては切り返し、また避けては間髪入れず斬りつける。

 その全てを、ルクスは余さず受け止めた。

 ────まだ。

「オォォォォォッ!!!!」

 ルクスが受けた瞬間に押し返され、ほとんど力づくで押しこまれる。

 シオンは刃を滑らせながら身を逃し、横から弾いて大剣を捌く。

 避けることに、シオンはひたすら専念する。

「くだらん真似をする」

 苛立ったようにトラスの脚が床を打つのも意に介さない。

「所詮は無駄な足掻きでございますぞ。いずれ疲れが隠し切れなくなりましょうからな。その時があの娘の最期となるのです」

 バルザックが訳知り顔でいう。

 確かに間違ってはいない。

 だが、真実といえるほど正しいわけでもない。

 その最中にもルクスの剣閃は止まらなかった。

 広い間合いを薙ぎ払う斬撃が、シオンの目の前を通り抜ける。

 やはりシオンは寸前で避け、ほとんど滑るように切り返した。

 ────まだ、足りない。

「……オォォッッ!!」

 ルクスは一歩飛び退り、踏みこみ、斬る。

 "秘剣・再臨剣"──幾度ともなく垣間見た連なりが、シオンに真っ向迫り来る。

 刹那、シオンは前方に駆け抜けた。

 一瞬トラスを視界に捉えるが、ルクスはそれに合わせてすぐに後退する。

 新王、ひいては宰相の守護が優先されるということだろう。

 面倒だが、予想されていたことでもある。まさか本気で人質が通じるとも思わない。

「……は」

 続けざまに"破断剣・ヴァールハイト"が突き出される。

 迫り来る壁のような剣身を、シオンはほとんど直角に避けた。

 刃が華奢な首の真横を通り過ぎていく。同時に踏みこみ、斬りかかる。

 ルクスは大剣を横滑りさせ、"妖剣・月白"を捌いてみせる。

 ────まだ。まだ、足りない。

「……何を考えているのかは定かではありませんがな」

 さすがに、バルザックも不審に思ったのだろう。

 守り一辺倒で戦いに勝てるはずもないのだから。

 彼はにわかに目を細めるが、シオンの心境まではうかがえない。

 よもやうかがえるはずもない。

 ────シオン・ファーライトは考える。

 "秘剣・再臨剣"は三つの工程で構成される"魔剣"である。

 退き、踏みこみ、斬る。

 斬られないために退き、斬るために踏みこみ、斬る。

 相手が攻撃を行ったあと、無防備なところを迅速に斬りつける。

 それは単純極まりないが、それゆえに呆れるほど有効な剣理である。

 だが、"秘剣・再臨剣"には大きな欠陥がある。

 その欠陥を、シオンはルクスから伝え聞かされ、そのうえ身をもって味わった。

 その要諦は、つまるところ退くときの動作にある。

 人体の脚はその構造上、退いたあとすぐに前進するようにはできていないのだ。

 その欠陥を、シオンとルクスはいうなれば技術で無理やりに克服していた。

 着地の反動を活かし、爪先で地を蹴り、強引に身体を前に押し出す。

 "飛鳥"の型と"縮地"の型の組み合わせ。

 いかなる状況であろうともいかなる敵であろうとも斬り捨てる、"魔剣"の業としては未完成ながら──

 とにもかくにも、それは"秘剣・再臨剣"として完成した。

 だから、とシオンは考えるのだ。

 ────退く、ひいては躱す動作を極限まで縮小できたなら。

 "秘剣・再臨剣"は、少なからず"魔剣"に近づくだろう。

「オ────オォォッッ!!!!」

 ルクスは大上段に大剣を振りかぶり、そして一直線に振り落とした。

 鮮やかな弧を描いて刃が落ちる。

 刧。

 後から剣風が吹き荒び、シオンの黒髪を風になびかせる。

 色濃い血臭をくゆらせながら、シオンは脚を滑らせた。

 一歩ではない。脚を擦り、最低限度の動きで一閃を躱したのだ。

 そしてすぐさま"妖剣・月白"を斬り下ろす。

 踏みこみは浅く勢いも欠いているが、切り返しの疾さは目を瞠るに値するだろう。

「……グ」

 瞬間。

 ルクスははじめて、ほんのかすかな呻きを漏らした。

 刃は届きこそしない。"破断剣・ヴァールハイト"の切っ先が跳ね上がり、刀身をかち上げて打ち払う。

 ────まだ、まだ足りないならば、まだ。

 まだ、無駄がある。まだ、疾くできる。

 まだ、"魔剣"には程遠い。

「なにを狼狽えることがある、バルザック。心配することなどないではないか。ククッ、見ろ。私の臣下が、実によくやっているではないか────」

 悪足掻きをしているようにしか見えない少女を見て、トラスはひとりせせら笑う。

 まだ、見ているふたりは気づかない。

 直に剣を交わすふたりだけが、そのことに薄々気づいている。

 ────"魔剣"胎動。

「オオオォォォッッ!!!!」

 ルクスは恐れを振り払うように、一歩退いた。

 その次の瞬間、鋭く抉るように間合いを詰め、彼我の距離を埋めつくす。

 刧。

 瞬く剣光が横に薙ぎ、続く反撃を予期して返す刀で逆向きに払い抜く。

 対するシオンに小細工はない。

 脚を後ろに滑らせて横薙ぎを避け、二段目も愚直に寸前を見切って躱す。

 ほとんど黒地の羽織が断たれるほどに、"退く"動作が縮小される。無駄な挙動が切り詰められる。

 応じて、すぐさま"妖剣・月白"を足元近くから跳ね上げる。

 ルクスは横向きにかざした"破断剣・ヴァールハイト"で受け、華奢な刀身を打ち払った。

「……は」

 シオンは圧されながら十歩の距離を開いて足を止め、残心。

「……アァ」

 ふたりは同時に剣身を掲げ、胸の前を横切る構えをとった。

 "閂"の型。

 そして即座に迫る一閃──肩から腰にかけてを抜ける斬り下ろし。

 ルクスも疾さを増したかのよう。おそらくは、重力操作を軽量化に傾けたのだろう。

 そうすれば当然威力は下がるが、代わりに速度は向上するはずだ。

 本当に当たるか当たらないかのところで大剣を避けながら、シオンは思う。

 ────まだ。

 ────まだ、足りない。

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