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亡国の剣姫  作者: きー子
28/34

弐拾捌、天蓋を仰ぐ

 シオンは窓の縁に脚をかけ、ヴァルドル城塞の内部を見下ろした。

「窓だ、窓のほうからだッ!!」

 瞬間、城塞内の守備兵の眼がこちらに集中する。

 シオンは窓の縁を蹴って加速する。

「射て、射てッ!!」

 途端に矢弾が降りそそぐが、一発たりとも当たりはしない。

 兵らの予測を遥かに超えた、疾さであった。

「あがッ」

 飛び降りながら手近な兵の背後に組み付き、頸動脈をざっくりと斬る。

 噴水のように血を噴き上げる死体をまたひとりの兵に投げつけ、シオンは音もなく着地した。

 床には赤い絨毯が敷き詰められている。絨毯は下り階段とそのまま繋がっているように見えた。

 シオンが突入したのは、城塞内の二階であった。

 つまり、のんびりしていたら一階からも敵が押し寄せてくるということ。

「おのれ、叛逆者ッ!!」

 休む暇もなく第二射が放たれる。

 シオンは先ほど死体を投げつけた兵に向かって疾駆し、ふたりをまとめて盾にする。

 一人分では心もとないが、矢弾が二人分の肉身を貫通することは滅多にない。

「ぐああああッ!!」

 ついでに首尾よく始末もできた。一石二鳥である。

 二人分の死体を押し退けたあと、シオンは階層内を見渡した。

 残るは八人。同じ高さにふたりいて、残りは上り階段に陣取っている。

 いちいち全員を相手にしている暇はない。

 そう判断したシオンは真っ直ぐ階段に足を向けた。

 一段目に脚をかけた瞬間、シオンはほとんど飛ぶように疾駆する。

「く、く、来るぞッ!! 射撃を止めるな!!」

 前衛三人、後衛三人。銃剣を装備したものを前に立て、後ろには弩兵を配している。

 それぞれが段階的に射撃を行うことにより、間断なく矢弾を放ち続けることは可能であった。

 だが、それが今のシオンに通じるかといえば否である。

 彼らは狙いを定めることはせず、全員が正面に向かって射撃する。敵は正面から来るので問題ないといえば問題ない。

 すなわち、線ではなく面での制圧射撃。

 しかしいかんせん、シオンを迎え撃つには────

 あまりにも弾幕が、

「薄い」

 のであった。

 素っ気なく言い放ち、飛来した矢を左手で握りとる。

 放り捨て、同時に銀の剣光が瞬いた。

 一閃が前衛の一角を食い破る。

 前衛の兵の首が跳ね跳ぶ。彼は立ったまま絶命した。

「う、く、クソッ────」

「退いて」

 左にいた兵を強く押して階段から突き落とし、右にいた兵は足蹴にしてやはり階段から突き落とす。

 頭から一階に落ちた彼らの末路は語るまでもない。

 凄絶な悲鳴が尾を引く最中、シオンの返す刀が後衛へと食いこんだ。

 斬りつけ、払い斬り、刺し貫く。

「あ、ぐ……」

「たす。げッ」

 瞬く間に三人を葬ったあと、シオンは階下を一瞥した。

 案の定というべきか、残されたふたりはもはやシオンを狙おうともしなかった。

 余計な手出しをすべきではない。ただ、じっと身を縮こまらせて嵐が去るのを待っている。

 そんな彼らを捨て置き、シオンは上階へと素早く駆け上がった。

 続く階層の構造は似たり寄ったりだが、護りはずっと手厚くなっている。

 本命が近づいているのだ。

「……は」

 呼息。

 シオンは駆け抜けざまに階段脇に控えていたひとりを斬り捨て、三階へと躍り出た。

「来たぞ!!」

「殺せ!! 宰相殿からは許可が下されている! いかなる犠牲をも許容せよ! 殺せ!!」

 ざっと見て守備兵の数は二〇を下るまい。その中のひとりが声を上げ、率先してシオンに弩を向ける。

 ここまで来ると一筋縄ではいかないようだ。敵はすでにシオンの襲撃を察知している。

 星条郭から後退していた兵らが情報を伝えたのだろう。

 構わなかった──飛来した矢を摘み取り、腰のひねりをきかせて威力をそのまま相手に投げ返す。

 "返し矢"の型。

 顔面に突き刺さった矢が守備兵の命を摘み取る。

 まずはひとり。

 散発的な射撃が無意味どころか自殺行為であると悟ったか。彼らは分厚く隊列を組み、正面からシオンに撃ちかける。

 突っ立っていれば一度に二、三発もの射撃が重なって襲いかかる。さすがにこれを全て斬り落とそうとするのは危険が大きい。

 かくなる上は。

 シオンは階層内の縁に飛び乗り、あまりに細い道を駆けた。

 一寸でも道を踏み外せば下層に真っ逆さまである。が、少女の安定した体幹はそんな迂闊を許しはしない。

 兵たちは慌てて狙いをつけようとするが、遅い。

 撃った端から矢弾はことごとく少女の後方を通り過ぎていく。

 とん、と縁を蹴ったシオンが空に舞う。

「所詮は剣ではないか、なぜ止められぬのだ!! 近づかせるな、射て、射てッ────」

 (びょう)

 彼の命令も虚しく、翻った剣閃が後方の指揮官を刈り取った。

 蹴鞠のように首が転がり、血の匂いを含んだ風が吹き抜ける。

 それがすなわち乱戦の合図であった。

 統制の取れなくなった兵など烏合の衆。シオンを狙うどころか、振り回された銃剣が味方を斬りつける始末である。

 こうなってはシオンの独壇場以外のなにものでもない。

 その手が振るわれるたびに"妖剣・月白"が妖しく煌めく。美しいまでの白刃が数多の命を吸い上げていく。

 そしてなお、"魔剣"は美しく輝くのだ。

「……は」

 一拍、息をつく。

 窓から見える眼下を見下ろせば、外では小隊規模の兵が行進している。

 彼らはシオンがいるヴァルドル城塞でなく、別の星条郭に進路を取っていた。

 先ほどの砦兵たちは、シオンが命じた通りに首尾よくやってくれたらしい。

 また別の砦からも小隊規模の兵が動き出しているようだった。鉢合わせれば大混乱が発生するだろう。

 上手く逃げられればいいけれど。心中独りごち、シオンは上層へと目を向ける。

 瞬間、上からの足音を耳にする。

 シオンが向かうまでもなく、上階の守備兵がこちらに駆けてきたのだ。

「おい、一体どうし────うぐッ……!?」

 あくまで様子見に来ただけなのだろう。現れたのは二人一組の兵だった。

 彼らは三階の惨状を見た。

 二〇を越える死体と流血が石膏の床に散乱する渦中、返り血に濡れた剣姫がひとりたたずむさまを見た。

 ふたりが揃って目を見張る。あまりの光景に彼らの動きが硬直する。

 その意識の隙を縫うようにシオンは駆けた。

 瞬く間にひとりめの兵を階段に引きずりたおし、そのまま流れるように切っ先をもうひとりの首筋に走らせる。

「ひ────」

「抑えて。声をあげたら斬る」

 倒れた兵を踏みつけて抑え、同じように言いつける。

 彼らは一様に息を呑み、苦労して悲鳴を押しこめた。

 踊り場から踏み出したせいか、四階からは死角になっているようだった。この光景は上から見えていない。

「武器を捨てて」

 剣先を突きつけられた兵は、言われるがままに銃剣を下の階に捨てる。もうひとりの兵が倒れた拍子に手放したものも同じようにした。

「結構」

 こくりとちいさく頷くシオン。

「そのまま、少し待ってて」

「……な、なぁ」

 命じられた兵は、ゆっくりと両手をあげながら様子をうかがうようにシオンを見る。

「なに」

「それは……本当に、君がやったのか?」

 信じがたいと言わんばかりの目であった。

 しかし、数々の証拠はありありと物語る。

 床に散乱した骸。

 絨毯を濡らす夥しいまでの流血。

 血にまみれてなおも妖しく輝く白刃。

 そして、その手に剣を握る返り血と血風をまとわせた少女。

 これで疑わないほうがどうかしている。確信に至るにも十分すぎるほどだ。

 それでも、目の前のこの兵は──この男は、尋ねずにはいられなかったのだろう。

 この地獄めいた光景を、ほんの一二、三にしか見えない子どもが、作り上げたのか────と。

「そう」

 シオンは端的に肯定した。

 男はちいさく息を呑んだあと、言葉を続けた。

「君は、本当に、その──この国の姫様、だった、のか」

「だった、といえば、そう」

 もはやこの国に縁はなく、姫とそう呼ぶものもありはしない。

 しかし間違いなく、シオンの過去はそうだった。

 そうでなければ今、シオンはこの場にはいないだろう。

「……やっぱり、そう、なのか」

 男は合点がいったように頷いたあと、俯く。

 全てに納得がいったのだろう。できてしまった、のだろう。

 シオンがこのような凶行に及んでいるそのわけに。

 なぜ、などと迂闊に口にするはずもない。

「おい、お前──ぐうッ」

 シオンの足元にいた兵が身じろぎするのを踏みにじって黙らせる。

 瞬間──ヴァルドル城塞の城下で、凄まじい爆音が響き渡った。

 一瞥する。外では橙色の炎が爆ぜ、砦の一部が消し飛んでいる。

 吹き飛んだ瓦礫が小隊の列を押し潰す。血飛沫が弾け、瞬く間に星条郭は混沌の渦と化した。

 これを待っていたのだ。

 シオンが命じた兵たちは、本当にうまくやってくれたらしい。

「なんだ!?」

「なにが起こっている!?」

「ここではないようです、どうやら──」

「新手が現れたというのか!?」

 四階の守備兵もまた大混乱に陥っている。

 今、襲撃をかければ制圧はひどく容易いことだろう。

「な、な────」

 唖然としている目の前の男を置き去りに、シオンは足元の兵から脚を退ける。

「逃げていいよ。どこへなりと」

 もっとも、逃げ場がどこにあるかはシオンも知ったことではない。

 言い捨て、駆け出したその時だった。

「お──ぉおおおッッ!!」

 踏みつけにしていた兵は懐から短剣を抜き、背後からシオンに突っかかった。

 まるで読み切っていたようにシオンは振り返りざま、短剣を絡め取り、捌き、無拍子で斬り捨てる。

 相方だった兵が犬死にするさまを、男は呆然と見るしかない。

 彼は認めざるを得なかった。子どものような少女が、凄まじい業前を有し──その剣技をもって、この城を血に沈めたことを。

 シオンは彼を一瞥したあと、一顧だにせず、階段を駆け上がった。

 男はとうとう声もなく立ち尽くしたままだった。

 

 シオンは滑るように四階へと辿り着き、すぐさま守備兵の影にまぎれた。

 混乱しきった兵たちはちいさな侵入者に気づかない。

 血の臭いこそあらわだが、城塞を襲った爆発の衝撃はそれ以上のものだったのだ。

「静まれ!! とにかく、伝令をやって状況を確認せねばならん」

「まだ下にやった兵は戻らないので?」

 後方では下士官と指揮官らしい男が試行錯誤を重ねている。

 シオンは守備兵の目に止まらないよう、壁際の縁を掴み、ぶら下がったまま移動した。

 吹き抜けになっている下階からは丸見えだが、下から狙うものはもう誰もいない。

 程なくしてシオンは指揮官の男を間合いに収めると、縁を飛び越え、彼にそっと忍び寄った。

「巻きこまれたのかもしれん。今度は万全を期して────グゲェッ!!」

 下士官の目の前で指揮官の男が奇妙な声をあげて痙攣する。

「……しょ、少尉殿?」

 指揮官の男はそのまま前のめりに倒れこんだ。

 シオンが背後から心臓を一刺ししたのだ。即死である。

 死体から溢れる血がじわじわと床に染みこんでいく。

「き、きさ────ぐッッ」

 シオンは血に濡れた左手を伸ばし、声を上げる下士官の口を押さえつけた。

 そのまま正面から腹を掻っ捌く──溢れ出る血をまともに浴びる。

 兵たちはなおも気づかない。混乱を沈めようとするものもいなくなり、シオンは下士官の男の影に潜んでいる。

 だが、目端の利く兵はひとりいたようだった。

 彼は倒れている指揮官の男を見るやいなや、いぶかるように目を細める。

 その眼差しが、下士官の死体の肩越しに、シオンの視線と重なった。

「ヒッ────」

 声とともに銃剣をかかげる彼に向かって死体を投げつけ、その上から容赦なく剣先を突き入れる。

 彼は断末魔の悲鳴もあげられないまま絶命した。

 この時ようやく、四階の兵たちは遅まきながらシオンの存在に気づく。

 だが、遅い。

 隊列も組んでいなければ統制が取れているわけでもない。とうに指揮官は喪失している。

 それはもはや部隊とは呼べなかった。単なる烏合の衆である。

 シオンは足を止めることなく"妖剣・月白"を振るい、兵たちを手早く各個撃破していく。

 流れるように剣光が瞬き、血風が色濃く尾を引いた。

 四階の兵が一人残らず血の海に沈んだとき、シオンは傷一つ負っていなかった。

 おぞましいほどの返り血だけが唯一、シオンの身体に浴びせられたものであった。

 剣身にこびりついた血を払い、音もなく滑るように納刀。

 この階層だけでも三〇を数える屍山血河を踏み越えて、シオンは上階へと足を向ける。

 五階は、これまでとは明らかに扱いが異なっていた。

 階段の先にはいかにも厳重そうな鋼鉄の扉が控えている。

 それというのも、五階はヴァルドル城塞の最上階であるからだ。

 少なくとも、別働隊の人狼が記した地図に、五階から上の情報は記載されていない。

 別働隊による記述は、ヴァルドル城塞の五階から繋がる渡り廊下で終わっていた。

『城塞中心部の"塔"に通ずると思しき橋梁を確認。以降の探索を中止する』

 と、地図にはある。

 塔という言葉には思い当たる節があった。

 ヴァルドル城塞を概観した時にも見えた、空高くそびえ立つ白亜の天塔。おそらくはあれを指しているのだろう。

 それこそはヴァルドル城塞の最上層にして中心部。シオンが目指すべき最奥部。

 そして、おそらくは──"新王陛下"もそこにいる。

 十中八九、間違いはないだろう。

 ひょっとしたらすでに敵は逃げ出しているかもしれないが、それはそれで構わなかった。

 その時こそ、彼らが逃げ回る番なのだから。

「……は」

 一息ついたあと、深く息を吸いこむ。

 ひどく血なまぐさい臭いがした。

 シオンは慎重に靴の裏の血やら何やらを拭き取ったあと、鋼鉄の扉に向かって歩んでいく。

 そしてシオンは気負いなく扉の前に立ち、把手に手をかけた。

 その瞬間であった。

 扉の向こう側から号令と思しい声が聞こえ、続けざまに無数の銃弾が鋼鉄の壁を突き破って飛びこんできた。

「────ひゅう」

 シオンは扉の影に避け、難なく銃弾の雨あられを回避する。

 どうやってこちらを察知したのかはわからない。大方、扉かなにかに仕掛けがあるのだろう。

 壁を背にしながら、扉をこんこんと鞘で軽く叩く。

 重さも分厚さも、標準的。

 素手で開けるのは難渋するだろうが──決して斬れないということもない。

 つまり、どうとでもできるということだ。

 "結束剣・グランガオン"のことを思い出す。

 比べてみれば、この程度の鋼鉄が一体なんだというのだろう?

 シオンはすぅっと目を閉じ、流れる水めいて音もなく扉の前に立った。

 今度は、少女に襲いかかる銃弾もありはしない。

 凛と切っ先を抜き放ち、するりと滑るように鋼鉄の扉を斜めに抜ける。

 刹那。

 ────ずるり。

 と、刃の軌跡に沿って鋼鉄の扉がずれ、滑り、落ちた。

 ただのゴミと化した鋼鉄の欠片を飛び越えて、シオンは五階へと突入する。

「き……来たぞ!!」

「必ず、ここで止めるのだ!!」

「新王陛下のために!!」

 瞬間、シオンを出迎えたのは親衛隊による銃火の洗礼だった。

 これまでの階層の半分ほどしかない床面積に、親衛隊の兵がこれでもかと手厚く配置されている。

 彼らの技量は格別に高いわけではない。一方、部隊の士気はこれまでと段違いに高かった。

 返り血まみれのシオンを見て動じる気配もない。

 間断なく放たれる多層的な制圧射撃。不意を打たれならば、全て斬り払うのは決して容易では無いだろう。

 が。

「と、止まりませんッ!!」

「怯むな! 撃て!! 撃ち続けろ!!」

 もう、銃剣の軌跡はとうに見切ってしまった。

 "撃剣・カノン"の容赦無い速射を思い出す。あれを越える速射などこの世にありはしない。

 手首を払うように一発目を斬り、返す刀で二発目を斬り、すぐさまの斬り下ろしで三発目を真っ二つに断ち割り、跳ね上がるような斬り上げで四発目を問題なく斬り落とす。

 真横を弾丸がわずかに掠めていくが、それだけだ。

 鈴蘭の羽織──その黒布がわずかに散っていく。

 紙一重でシオンの身体を穿つには至らない。

 ほんの一寸でも銃弾が横にずれれば、シオンはあえなく崩折れる。

 だがその差は、尋常では決して越えることのできない壁だった。

 そのまま、シオンは弾丸を捌きながら前進する。

 少しずつお互いの間合いを狭めていく。

「くらえ、売女の餓鬼がッ!!」

 果たして、それは焦りによるものか。

 親衛隊員のひとりが敵意もあらわにシオンへと銃口を向ける。

 それは些細だが、致命的ともいえる失敗だった。

 現在、親衛隊員らは総員、真正面に銃弾を放っている。

 それはシオンを直接狙っているわけではない。面での制圧射撃を行えれば、狙うまでもなくシオンの身体を射程範囲に捉えることができるからだ。

 むしろ、下手に狙おうとすれば逆効果になる。

 押し寄せる弾幕に穴が生じてしまうからだ。

 ────そしてシオンは、その失敗を決して見逃さなかった。

 すかさず陥穽に付け入り、踏みこむ。穴が出来たところから疾駆する。

 凄まじい勢いで彼我の距離を埋めつくす。

 疾風怒濤。

 瞬きする間にもシオンは彼らの目の前にいる。

 海のように、蒼く深い眼差しがじっと親衛隊員らを見つめている。

「────あ……」

 至近の間合いから"妖剣・月白"が振りかざされた瞬間、彼らの命運は決定した。

 薄氷の上に成り立っていた均衡が崩れ去ったあと、一人目の首が呆気無く跳ね飛ばされた。

 たったひとりの失敗が、すなわち致命傷であった。

 あとはなし崩しだった。乱戦に突入した途端に隊列は無意味なものとなり、部隊は事実上崩壊した。

 こうなればどれだけ士気が高かろうと無意味なもの。

 圧倒的な実力差が数の優位を片手で捻り潰し、なお余りあるほどの暴力を行使する。

 "妖剣・月白"が振るわれるたびに血飛沫が舞い、宙を人間の部位が飛び交った。

 あとに残るのは死体と、戦う気力を喪失した生きた死体。

 シオンが"妖剣・月白"を振るい血払いするだけで、生き残りの親衛隊員はびくびくと震え上がった。

「助けて……助けてください……お願いします……」

 そのうちの一人などは必死に掌をすり合わせ、仲間の死体の山に跪き、シオンに向かって命乞いをする。

 シオンは知るよしもないが、彼女の父母を率先して拘束したのは親衛隊である。

 シオンの奮戦ぶりを知って、もっとも彼女を恐れていたのもまた彼らであったのだ。

 攻めっけがあるうちは、それも敵意として有意義に働いていたが──

 士気が崩壊すると、あとはただただ惨めなばかりである。

 少しだけ耳を傾けてみれば、"先の王の亡霊"などとあらぬ言葉を口にしているのが聞こえる始末。

 現実逃避も甚だしい。

 シオンのような少女が大真面目に剣を振るうよりは、よほど真実味があるかもしれないが。

 男はそのままぶつぶつ呟いていたかと思えば、突然飛び起き、吹き抜けのほうに駆け出した。

 当然そこに道はない。

 だが、シオンから逃げることのほうが重要であるように、彼は手すりの縁に乗り上がる。

「助けて、たすけて、たすけ、あああああああぁぁ──────」

 そして間もなく足を滑らせ、落ちた。

 肉が地面に叩きつけられるいやな音がする。

 落下地点は二階だった。まず間違いなく即死である。

「……馬鹿」

 敵は殺すが、無理に殺しつくすつもりもない。勝手に死んでいれば世話はなかった。

 他の生き残りを置き去りに、納刀。

 それでもなお、男たちは恐れに震えたままだった。

 やろうと思えば、転がっている銃剣を手に取ることもできたというのに──誰一人として、そうすることができなかった。

「……それと」

 シオンはちいさく肩をすくめ、彼らを振り返って言った。

「母上の侮辱は、やめて」

 言われても仕方がないのかもしれないけれど。

 それでも彼女は、身を挺してシオンを屋敷から逃がした、勇気ある人の親だった。

 褒められたものではないかもしれないけれど──シオンの、ただひとりの母だった。

 親衛隊員らはもはやものも言えず、こくこくと頷くばかり。

 もはやシオンは振り返らずに、行く。


 目指す奥にある鋼鉄の扉を押し開くと、そこはまさに渡り通路になっていた。

 直方形の細長く狭い空間。石膏で塗り固められた此岸の向こう側には同じく白亜の彼岸が見えている。

 両岸は黒鉄色の鉄橋でしっかりと繋がれていた。

 つくりは頑丈そうだが、横幅はシオン三人分ほどしかない。

 背後で鈍い音を立て、ひとりでにゆっくりと扉が閉まる。

 構わず、シオンは真っ直ぐ歩み始めた。

 そのちいさな脚が橋のたもとにかかった時、ふとシオンは異変に気づく。

 視界が薄っすら霞がかったように判然とせず、彼岸がよく見えないのである。

 何ともつかない気体は煙か、蒸気か、あるいは霧か。

 その気体に、シオンはいささかの見覚えがあった。

 何の気なしに呼吸を止め、またそのまま歩き出す。

 進めば進むほどに霧は濃くなり、前方確認が難しくなってくる。

 ついに足場がきちんと見えるかも覚束なくなったその時、

 ────じゃららららッ!

「……は」

 聞き覚えのある不快な刃鳴りを耳にする。

 瞬間、シオンは横に避けながら前進した。

 すぐ先ほどまでいた場所を、連なる刃が駆け抜けるように通り過ぎていく。

 部位ごとに分かたれた刃はシオンの背後で刃先を返し、執拗に少女を狙わんとする。

 多節剣。その剣身は一本の鋼線で連結され、所有者の手によって自在に操ることを可能としていた。

 その剣を、すなわち蛇腹剣という。

「────くくッ」

 分厚い雲のような霧の向こう側から、ひどく癇に障る声が聞こえた。

 いかにも陰湿そうな笑い声。

 シオンはなおも歩みを止めず、背後から迫る切っ先をするりと避けた。

 さらに前から追い縋ろうとする剣身を払い落とす。

「くくッ、はひゃ、ひひ、くくッ」

 聞き覚えのある声だったが、そこに理性の色はない。

 狂を発したか、あるいは壊れたか。

 愉悦を露わにする笑い声をあげ、彼はなおも刃を手繰り続ける。

 もはや気体の正体は明らかだった。

 おそらくは、相手もシオンの想像通りだろう。

「くくッ────シオンッ、シオォォンンンッ!!」

 ────じゃららららッ!

 執着も露わに切っ先が迫り来る。

 金属音も不快さを増したかのようだった。

 下から突き上げてくる剣先を潜り抜け、シオンは歩いた。

 あいにく少女に応える声はない。空気を無駄遣いしてやるつもりもない。

 ────じゃららららッ!

 背後から襲来する刃を身もせずに避けながら、シオンは鉄橋を渡りきった。

 霧を抜けた視線の先。

 シオンは、彼岸で待っていたものを目の当たりにする。

 狐のように細い目付き。灰色の髪を全て後ろに流した、年の頃三〇歳ほどの男。

 瞳の色は虚に呑まれたような漆黒だった。一方で顔や肌の色はひどく白い。

 生前通りの軍服に身を包み、首筋と手首には継ぎ接ぎの痕がある。

 その手の中に、男は"魔剣"を持っていた。

 毒霧によって身を隠しながら広範囲を掌握し、自由自在に間合いを侵蝕する魔剣──"奇剣・毒操手"。

 間違いなく死んだはずの──否、殺したはずの"魔剣遣い"が、シオンの目の前に立ち塞がっていた。

 それはメア・リィ・シェルリィによる精巧な人形などではない。

 死後、そのまま蘇ったような姿で────グラーク・メルクリウスがそこにいた。

「くくッ」

 グラークは感情の色のない死顔を歪め、"奇剣・毒操手"を手繰り寄せる。

 ────じゃららららッ!

 鋼線がピンと張り詰める。刃先がシオンに向かって走る。

 その剣腕は生前と全く変わりない。シオンを苦しめた往時から、衰えは一片たりともうかがえない。

「くくッ、死ね、死ねッッ、シオンッ、シオンンンッ────死ッ」

 シオンは迫る"奇剣・毒操手"を紙一重で避け、すぐさま剣先を一閃する。

 渺。

 剣風が吹き抜け、グラークの上半身がまるごと下半身から滑り落ちた。

「……ア?」

 上半身と下半身が分かたれたのも気づいていないように、グラークは呆けた声を漏らす。

 シオンはそのまま、跡形も残さないように下半身を叩き潰した。

「ア────ァアアアアアアア!?!?」

 次いで頭を割って黙らせたあと、念には念を入れて首を斬る。

 残ったものは全て鉄橋の端から蹴り落とした。

 全ての後片付けがつつがなく済んだあと、血振るいし、納刀。

 実に呆気なかったが、こんなものだろう。

 グラーク・メルクリウスの時間は死んだあの時から停止している。

 かたやシオンは今の今まで──片時も止まることなく走り続けているのだ。

 その差は歴然としている。まともな勝負になるはずもない。

 渡り廊下を抜け、シオンはようやく一息つく。

 そしてぽつりと呟いた。

「……結局、なんだったんだろう」

 まさか、あれがメア・リィ・シェルリィの"遺したモノ"でもないだろう。

 しかし先ほどのグラークは作り物ではなかった。わずかながら生前の意識も残っていたように見えた。

 ────不完全な死者の蘇生。

 もしそれが実現していたとするならば。

「……それこそ、まさか、だ」

 なにがあろうとも、誰が立ちはだかろうとも──もはや押し通るだけだった。

 シオンは左右に首を振り、駆け出す。

 白亜の天塔。

 王の(ましま)す玉座の在処へと。

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