【皐月視点】春休みのゲーセンにて(前編)
彰子から買い物を終えたLINEが来たため、返信して指定の階へと向かう。
誰もいないエレベーターに乗ると、緊張がほどけたのかため息が漏れた。
「はぁ……」
力も抜けて、買い物袋を床に落としそうになる。
まだ同居生活は始まったばかりなのに、早くも不安の雲が心に陰っていく。
……私、ちゃんとやっていけるかなあ。
彰子が思った以上にしっかりしている子だったから、つい職員さんから言われた忠告を忘れそうになる。
『施設の子はみんな、愛情に飢えています。問題行動を起こして、里親の愛情を確かめようとする子もいます。それくらい、人格形成に無償の愛は必要不可欠なのです。日野さんにはすべてを受け止め、愛情をもって教育する覚悟はございますか?』
里親のおよそ4人に1人にあたる26.6%が、関係悪化により子どもとの関係を解消する”委託解除”の経験があるという。
わが子ならどんな子だろうが可愛く見える一方、他人の子供は可愛くないと答える人は多い。
血の繋がりがない里子であれば、なおさら親としての覚悟が試されるだろう。
里親の意思を伝えたとき、周囲の反応は厳しいものだった。
『居場所のない高校生を救いたい。その志は立派だが、教員では収入が安定していても子供と関われる時間は短いよ。どうしてもやりたいのであれば、教員の職務を全うし、親としてわが子を育て上げてから第二の人生を歩むべきだ』
ぐうの音も出ない正論だ。
子供の無鉄砲な計画にもほどがある。
でも、結婚して子育てが終わるまでを待っていたら。
その間に誰にも見守られず、墜落寸前で飛んでる子供たちがどれだけいると思っている?
昔から、大きくなったらお嫁さんよりも先生になりたいと思っていた。
順調に教育学部に進学したものの、私はあるひとつの社会問題を目の当たりにする。
その頃、バイト先で施設出身者の人と出会った。
大学生の大半は家族による仕送りがあるが、身寄りがない彼は生活費と学費を稼がないとならない。
人一倍働きながら学業を両立する過酷さに身体がもたず、中退を検討していると聞いた。
せっかく進学という狭き門をくぐり抜けたのに、お金の壁が彼の未来を阻んだ。
……もし、私の教え子に彼のような生徒がいたら。
進学、就職。どちらの道も、親がいる子供よりも険しい現実がある。
それを知っておいて、応援しているよと薄っぺらい言葉で送り出せるものか。
自分ひとりではすべてを救えるはずがないけれども、せめて手が届く範囲で必要としている子の力になりたかった。
だから今は、彰子の幸せが最優先なのだ。
教師としても親としても半人前の私だけど、立派な教育者を目指す情熱は変わらない。
今から弱気になってどうする。
気を引き締めたところで、指定の階へ到着した。
彰子と合流した私は、少し遊んでいこうかということで最上階のゲーセンへと向かった。
ゲーセンは春休みということもあり、多くの子供達で賑わっていた。
某太鼓ゲームでは、若い男性がギャラリーに取り囲まれていた。
華麗なバチさばきで、複雑な譜面を難なくこなしていく。
やる側も見る側も楽しいゲームはいいものだね。
子供たちはスマホを構えることなく、大人しくノーミスを見守っている。
こういった光景から、DB世代が増えてきたんだなと実感する。
……あまりこういうことでDBを肯定したくはないけど、DBの普及と保育士・教員の人手不足改善は直結している。
大人しくいい子が増えて、現場での負担が減ったからって。
子供が子供らしく生きることを許さない社会って、なんなんだろうなあ。
「ん?」
演奏が終わって、くいくいと肩の布地が引っ張られる。
彰子が急かすようにひとつの台を指していた。
「金魚すくいのやつ、やってもいいかな」
「へえ、これまだあったんだ」
彰子が選んだのは、キッズメダルゲーム。
同じアーケード機が複数並んだうちのひとつに向かい、買ったメダルを入れていく。
遊び方は非常に簡単で、狙ったタイミングで手元の大きく赤いボタンを押すだけ。
ポイが破けるまでに連打して魚を器に入れられれば、配当に応じた枚数のメダルがもらえる。
でもこれ、結構難しいんだよね。
私も昔さんざんやり込んだけど、運が悪いといちばん簡単な小魚ですら逃げられてしまうシビアさで。
「あーくそ、逃げられた」
「ポイが大破する前に、ジャンプして逃げるパターンがあるんだね」
「せっこ。掬ったんだからゲット判定ないの?」
ルールが単純ゆえに、大物を狙ったときの爽快感も格別。
気づけば歳も忘れて、私たちはすっかりゲームに没頭していた。
配当が多い魚ほど獲得の判定も厳しく、運の要素が強い。
ランダムで疲れている状態の獲物も現れるので、そこを狙ったほうが初心者にはいいらしい。(枚数は控えめに設定されているが)
「これ金魚すくい違うよね? なんで水槽にカメとオタマジャクシとフグがいるのよ」
「ポイがよほどでかいんだろうなあ」
オタマジャクシは大きさの割に配当が多いので不審に思っていたが、案の定掬うとカエルに変異する新種だった。
「っしゃ、獲ったぜおらぁ」
何度目かの挑戦の末についに彰子がカエルへの勝利をおさめ、『金魚ゲットだぜ』と画面からファンファーレが流れる。
いや金魚じゃないよ。手を叩きながら私と彰子は同時に突っ込んだ。
「日野もやる?」
じゃらじゃらとあふれ出すメダルを回収しつつ、彰子が機嫌よく私に声を掛ける。
いつもむっと口角を下げた面構えだから、こういうほぐれた表情はなかなか可愛いと思う。
本人に言ったらどつかれるかな。試しに褒めてみよう。
「彰子って、笑うとけっこうかわいいよね」
「ああそう、どうも」
照れるでもどつくでもなく、真顔の返事が来た。
なぜこのタイミングで? といった反応だ。
「かわいいが褒め言葉として受け取ってもらえるか反応を知りたくて」
「モニ○リングかわたしは」
しまった。ついカメラが回ってそうな言い回しになってしまった。
心からの褒め言葉なのに。
「お世辞じゃないのは分かってるから。それよりやるのかやらんのか決めて」
あっさり切り上げられてしまった。
反応的にはまんざらでもないってことかな?
うーん、年頃の娘を褒めるのも難しいね。
彰子からメダルをもらって、ゲーム画面の前に立つ。
見てるときは自分でもできそうだなんて思っていたのに、実際にやるとなかなか上手くはいかない。
「失敗したときにドヤ顔で煽ってくるの、むかつくけどほんと意地でも捕まえたくなるようにできてるよね」
妙に感心してる彰子に同意しつつ、何度目かの挑戦にメダルを投入していると。
「…………」
背後から人の視線を感じたので、振り向く。
4、5歳くらいの女の子がじっと私たちを見ていた。
肩に掛けたポシェットは大人用で、地べたすれすれの大きさだ。
「あ、ごめん。やりたいよね」
いけないいけない。白熱して、つい長時間占領してしまっていた。
譲るようにその場から少し距離を置くと、女の子は無言でゲーム台の前へと歩いてきた。
どうやら本当に順番を待っていたようで、そのままボタンを押して遊んでいる。
大人として情けない。もっと早く気づくべきだったよ。
「ねぇねぇおねーさん。このカメがほしいの?」
「えっ」
急に女の子が口を開いたものだから、びっくりして一瞬固まってしまう。
「そうだけど、難しいよね。なかなか取れなくて」
「おねーさん、ポイ入れるのがはやすぎるんだよ。これはぎりぎりまで待って入れるの。みてて」
い、意外と気さくだなー、この子。
女の子は私に向かってぺらぺらまくし立てながら、器用にひょいひょいと獲物を掬っている。
店の設定が変わったのかと疑うほどには、入れ食い状態だ。普段からやりこんでいるのだろうか。
「へぇぇ、君はプロの腕前だね」
素直に褒めると、女の子は気を良くしたのかゲーム画面から手を離した。
そのまま袖を引っ張り、『あっちのゲームもとくいだからみてて』と連れて行こうとする。
……気さくにしても、ちょっと大人に対する警戒心がなさすぎやしないか?
「待てや、お嬢ちゃん」
それまで黙っていた彰子が、険しい顔で立ちふさがった。
メダルケースを私に預けると、彰子は女の子の前にしゃがみこんだ。
「知らない大人についていっちゃだめでしょ。パパとママはどうしてるの?」
「となりのパチンコ台にいる」
女の子が指を差した先には、小太りの女性の背中が見えた。
普通は子供と遊ぶよなあ。
ちょっと注意しよう。
「すみません」
女性は聞こえていないのか、黙々と手を動かしている。
こんな爆音の中よく遊んでいられるものだと思う。
「あそこの子供に話しかけられまして。ママは? と聞いたところあなたを指したのでお伺いいたしました。不用心なので、あまりお子様から目を離さないでいただきたいのですが」
女性は相変わらず微動だにしない。
振り向きもせず、黙々と視線は流れるパチンコ玉に向けられている。
ここまで徹底的に無視するのもどうなんだ。
聞こえていないのなら、もう少し声を張り上げるか。
「あの、」
「しつこいんだけど。子供がうろついてるって、ほかにもがきんちょはいるでしょう」
他の子供たちは保護者がついているか複数で行動しているよ。
幼児が単独で徘徊しているのはあまりにも危険すぎる。
「だから目を、」
「なに? なにかやらかしたの? 話しかけただけでしょう? それ罪になる? 気が散るからもう出てって」
取り付く島もなかった。
しっしっと手で追い払われ、私はすごすごとその場から退散する。
子供の放置っぷりからうすうす察せたが、あれは話が通じないタイプだ。
ああいう人が三者面談の親連中にいないことを祈る。
彰子の傍に戻ると、まだお説教タイムは続いていた。
「きみ、べつのゲームで遊ぼうとしてたみたいだけど。そのメダルは他の人のだよね。さっき席を立った人の台からメダル取ったとこ見かけたよ。嘘だって言うなら店員さんに防犯カメラ確認してもらうけど」
彰子、その頃から見ていたのか。
どうりで警戒した顔をしていたわけだ。
私と遊んでいる最中に持ち分がなくなったら、きっとこっちのメダルケースから捕るのだと思ったのだろう。
「本当に、お金を出して買ったの?」
彰子がゆっくりと問うと、女の子はうつむきながら『1000円もらったもん』とつぶやいた。
「きみはいつから、いつまでここにいるの?」
「10時から、6時まで……」
開店と同時にパチンコ台を占領して、子供は放ったらかしなの?
その事実に、私と彰子は同時に眉をひそめる。
「ああ、6時になると18歳未満は締め出されるからか。ご飯は食べた?」
「……買えって言われてる」
それじゃあ足りるわけねえだろ、と彰子は呆れたように息を吐いた。
「ゲームやりたいなら、ママにお金をもらってきなさい。向こうだって今パチンコでお金使ってるんでしょう」
「え、えっ」
「ひとのメダルを勝手に持っていくのはいけないことなの。メダルの譲渡も禁止されてる。聞かないなら店員さんに注意するわよ? そうしたらいろんな大人に叱られる。きみはここに来れなくなる。それは嫌だよね?」
こんなに小さい子が相手でも、彰子は遠慮も容赦もない。
他人の私たちが介入できるのは、せいぜい店員に注意を促すことくらいだ。
女の子は彰子の言葉にすっかり怯えて、私の後ろに隠れてしまった。
私の指先をぎゅっと掴んで、耐えるように背中を丸めている。
「ほら、行って来なよ。わたしは遠くから見てるから」
「…………」
女の子はそれでも、かぶりを振って私から離れようとしない。
まるで守ってくれることを求めているかのように。
そこでやっと、私たちは女の子がゲームをやりにここに来ているのではないことに気づいた。
険しい顔つきから一転した彰子が、柔らかい口調になって話しかける。
「今まで、何度かお金ちょうだいって言ったことはあるの?」
「……うん」
「くれなかったんだ?」
「……うん」
「なるほど、ね」
パチンコに丸一日金をつぎ込むような大人が、子供に追加料金をやる余裕などあるわけがないか。
おそらく、”渡した金でやりくりできないお前が悪い”と言われたのだろう。
あのつっけんどんな態度からは容易に想像がつく。
「そっか。きついこと言ってごめんね」
女の子の肩にぽんと両手を置いて、彰子が立ち上がる。
お腹空いてる? と尋ねると女の子は控えめに頭を縦に振った。
本当は見ず知らずの子供に施しをしたら、付きまとわれる要因になるからいけないのだけれど。
長時間放置されているとなれば別だ。
「お代はいらんよ」
彰子は軽食用に買ったらしい菓子パンを渡すと、カウンターに向かっていった。
作中のゲームの元ネタは『ドキドキ金魚すくい』というメダルゲームです。
今はさらに進化して、クラゲやタツノオトシゴやエビがいるらしいですね。




