第143話 セイラの決意
魔獣ガルムの炯眼は、俺たちを捉えて放そうとしない。
目の前で身構えるガルムの体躯は背後の城を覆いそうなほど大きく、ひと噛みで巨岩も砕きそうな鋭い歯牙を剥き出しに、ぐるるとうなりこちらを威嚇している。
完全に臨戦態勢だ。その体の大きさゆえ地面と下腹部との間に出来た隙間から門が今も開け放たれている事は確認出来るが、そう簡単に通させてくれそうにはないか……
正直魔獣といえば、フェンリィを迎え入れるきっかけとなったフェンリル戦を思い出すがな。
そして、ガルムは俺の知識ではフェンリルよりは数ランクほど下の魔獣でもある。
ただ、だからといって楽勝という事はない。そもそもあの時のフェンリルはフェンリィを身篭っていた影響で本調子ではなかった。
そう考えれば、寧ろこのあからさまに殺る気の漲っているガルムの方が、あの時のフェンリルよりは手強い可能性が高い。
「申し訳ございませんご主人様――この魔獣に関しては鑑定まで三〇分と表示されすぐには……」
「そうか、いや大丈夫だ。ガルムなら俺も多少の知識は……」
申し訳無さそうに語るメリッサに、俺は気にしなくてもいい旨を伝えようとするが、その時ガルムが前肢を大きく振り上げバンザイをするような体勢に、これは――
「全員回避だ! 出来るだけ大きく!」
警告の声を上げると、ほぼ全員がそれに反応し左右に散る。だが戦闘系ではないメリッサには戸惑いの色がみえ、しかし、これは俺も予想していたこと。
「飛ぶぞ! しっかり掴まってろ」
「え? きゃっ、ご、ご主人様――」
俺はメリッサの肩を掴み、脚をすくい上げるように持ち上げおもいっきり跳躍。
メリッサはいわゆるお姫様抱っこの状態だが、俺の膂力も上がっているのでこの状態でもある程度の跳躍力は発揮できる。
そして俺が飛び上がるとほぼ同時に、ガルムの前肢が振り下ろされ地面を叩きつける。
大地に亀裂が生じ、衝撃でガルムの前方の地面が大きく畝り、かと思えば俺達のいた方向に向けて土砂が津波と化し襲いかかった。
あれはガルムの持つ攻撃スキルである【アースウェイブ】。もしあの動作で気づかなかったら、あの大量に生み出された土砂に飲み込まれていた事だろう。
「あのガルムは土を操る力を持っている。皆気をつけろ!」
「土を操るか……噂には聞いていたがこれほどとはな」
「なんや、フェンリルが風かと思うたらこいつは土かい!」
「……フェンリルと逆」
俺の忠告に着地した全員が身構え臨戦態勢を取る。
予想はしていたが、あのフェンリルと違い、こいつは随分と好戦的だ。
領主の城を守っているわけだし当然といえば当然だが――
「あのご主人様……」
「うん?」
俺がメリッサに目を向けると、気恥ずかしそうに頬を赤らめつつも俺をじっとみやり。
「私は大丈夫です! このままではご主人様も自由に動けませんし……」
……あぁなるほど。確かにお姫様抱っこの状態だと攻撃に転じれないが――ただそれどころではないな。
ガルムが口を開き既に次の攻撃へ移ろうとしている。
あれは、ロックブレスか。
口から大小様々な岩の礫を大量に吐き出すスキル。
ブレスは放射状に広がり威力も高い。
が、これは、キャンセルだ!
俺のキャンセルは見事に成功。リスクは五秒か、やはり少しは待ち時間が生まれるが、技が勝手に中断された事でガルムにも隙が生まれる。
「よし! この隙にウィンガルグ!」
「うちもいくで!」
「……炎が生まれた、この手に生まれた――」
ガルムが一瞬戸惑い、それをチャンスとみた全員が、一斉に攻撃を仕掛ける態勢に入る。
ウィンガルグを身に纏ったアンジェが疾駆し、カラーナもそれに続き、セイラも詠唱を始めるが――ガルムの体毛に変化。まるで鋭い針のように変化し、その肢体が大きく脈打ち――こいつ切り替えが早い、これは攻撃スキルの【毛針乱射】、硬質化し針と化した毛を四方八方にばらまくスキルだ。
しかし毛といっても、ガルムほどの魔獣に備わる毛ともなるとその威力は馬鹿に出来ない。
だが――それはスキルキャンセルを使用し封じる。
それにより、変化していたガルムの毛は元に戻った。
そして、そこでガルムにも再び隙が生じ、刹那、一閃――アンジェの数十に及び剣戟が一瞬にしてガルムに叩き込まれる。アンジェの得意としているスキル、シューティングウィンドだ。
これによりガルムの表情が歪み、そこへ更に今度は上からカラーナが迫り、短剣系のスキルであるVスラッシュを叩き込む。
これはその名の通り、空中から相手をVの字に切り刻む強力なスキルだ。
「グゥウウウ!」
続けての大技にガルムの表情が更に深く歪み、明らかに嫌がっているのが判る。
「ファイヤーボール――」
更にそこへ、セイラの炎魔法がガルムの顔に着弾。
小爆発を起こしガルムが仰け反る。
よし! 確実にダメージにつながっている。
「よっしゃナイスやでセイラ!」
「うむ、これなら――な、なんだと!」
いい感じにガルムを押している状況――だが、そこへアンジェの驚きの声。
「大変だヒット! 門が閉まり始めている!」
「何だって!?」
焦りの声に俺も、ガルムと地面の隙間から門を覗き見るが――確かに門が徐々に閉まり始めているのが判る。
これは――どういう事だ? まさかガルムとの戦いぶりをみて城には入れないことに決めたとかか?
……それとも特に意味は無い?
いや、だとしたらこのタイミングで門が閉まるのは妙だ――
「ボス! あのままじゃ出入口塞がってまうで! どないするん?」
カラーナが叫ぶ。確かに既に三分の一程閉まっている。
だが、どうするか――
「……ここは私とフェンリィが、皆は先に行く」
え? と全員の視線が言葉を発したセイラに向けられる。
セイラが、食い止める?
「て、何言うとんねん! いくら何でもセイラ一人じゃ無茶――」
「……今の私はビーストテイマー。寧ろ魔獣相手に最適」
……そう言われてみると、確かにビーストテイマーは獣系や魔獣に特化した能力も持っているが。
「……ご主人様、私、信じる」
そう言うとセイラはスカートの中から鞭を取り出し、そして単身ガルムの前に飛び出し、鞭で地面を打った。
「……魔獣ガルム、お前の相手は、この私」
「アンッ! アンッ! ガルルルウウゥウ!」
セイラの行為によって、ガルムの意識が完全に彼女と肩に乗るフェンリィに向けられた。
ビーストテイマーの固有スキル、【ビーストアテーション】は、使用することで獣や魔獣の意識が使用者に向けられる。
それに加えて鞭スキルの【ウィップゴウド】、鞭で地面を叩き相手を挑発、これも特に獣系や魔獣には有効なスキルだ。
セイラはこのふたつのスキルで、俺たちからガルムの意識を逸らせ、門への道を確保したのだろう。
確かに今ならガルムに襲われることもない。
そして、迷っている余裕もない。
「……判ったセイラ! 信じてるぞ!」
俺は決断し、セイラにこの場を任せ先に進むことに決める。
彼女が自分から任せてと言った――以前のセイラなら考えられなかった事、その気持ちを尊重したい。
「ボス……そやな! セイラうちも信じとるで!」
「セイラ、貴方の勇気に敬意を表する。ガルムの事は、任せたぞ!」
「セイラさん……気をつけて!」
「……大丈夫。それより早く行く」
俺はセイラと肩に乗るフェンリィに向けて強く頷き、そして今にも閉まりそうな門に向けてメリッサを抱きかかえたまま疾駆した。
眼前に迫る門の隙間が段々と狭くなっていくが――ぎりぎりのところで体を滑り込ませ、場内に侵入を果たす。
重苦しい響きが背中を打った。完全に門が閉じた音だ。
俺とメリッサ、そしてアンジェとカラーナが安堵の息をつく。
「な、なんとか間に合ったようやね」
「あぁ……やっとここまでこれたな。セイラの事は心配ではあるが、しかし今は彼女の気持ちに応えるためにも」
「そうだな。とにかく領主になりすました魔族を見つけ、倒さねばならないだろう」
俺はメリッサを床におろしつつ、そう口にする。
「でも、その魔族は一体どこにいるのでしょうか?」
「ふふん、それならなんとなくうち判ってもうたわ」
「ほう? 奇遇だな。実は私にも察しが付いている」
カラーナが腕を組み得意がり、アンジェも髪をかきあげつつ口を開く。
まぁそれに関しては俺もなんとなく判っているがな。
「ふたりの考えは俺も判る。一つだけ怪しい物があったしな」
「あ! そうか! あの塔ですね!」
両手を胸の前で重ね、メリッサが思い出したように述べる。
そう、この城の奥に見えた長大な塔。何せこの城よりも高いわけだからな、大層眺めがいいことだろう。
「さて、後は塔まではどう向かえばいいかだが」
「ボス! それならうちに任せてや! だてに盗賊ギルドにいたんちゃう! こういうの得意やねん。うちが最短ルートで連れてったる」
「それは随分と心強いことだな」
「あぁ確かにな。それに罠も設置されてる可能性もあるし、カラーナがいると心強い」
「な、なんか照れくさいでボス」
そういって可愛らしくはにかみつつも、カラーナが先頭に立ち歩き始める。
そして同時にメリッサも後方から周囲を注意深く観察するようお願いし、エントランスらしき場所を抜け進んでいくが、暫く移動すると、廊下の左右に立ち並ぶ鎧の置物。
更に醜悪な銅像も一緒に並び――
「まぁ流石に、これは予想通りってとこやな」
「そうだな」
カラーナが得物を構え、アンジェも細剣をスラリと抜き、俺も双剣を左右の手で握りしめ、動き始めた鎧とガーゴイルを確認する。
しかし――ガーゴイルはともかく、動く鎧は魔物としては知らなかったりするが……
「皆さん、動く鎧は魔物じゃありません! 攻撃しても無駄です。高位職のパペッティアに操られています! そして――」
言ってメリッサが動いていないガーゴイルタイプの銅像を一つ指差す。
それを察し、俺はその一体に向けて駆け、双剣を振るう。
俺の動きに反応しきれなかったガーゴイルは、上下に分かれ地面に落下、そのまま粉々に砕けた。
と、同時に鎧の置物もまさしく糸の切れた人形のごとくその場で崩れ落ちる。
「さすがメリッサや!」
「うむ、おかげで大分楽になったぞ」
残りのガーゴイルは、アンジェとカラーナの手によって処分され、この場の魔物たちは殲滅。
俺達は更に先を急ぐが――しかし人形使いか。
これも実は、覚えのないジョブだったりするんだがな。
全く一体どれだけ増えているんだよ……




