第115話 魔獣フェンリルとの対決
正直理由はいまいちわからないのだが、フェンリルは空洞の中央付近で身構えたまま、一切動こうとしない。
俺達は空洞に入る手前の通路から様子を見ている形だが、どうやら中にこちらが踏み込まない限り攻めてくる気配すらないのだが――感じる殺気は凄まじい。
ただ向こうから積極的に襲ってこないのであれば、これでもし他にルートでもあれば、別に無理して戦う必要もないのだろうけどな……しかしここを抜けるにはやはりどうしてもフェンリルを越えていく必要がある。
つまり――倒すしか道はない。それに大人しいうちはまだいいが、一度暴走すると手が付けられなくなる可能性もある。
そして、後顧の憂いを絶つためには、やはり倒しておくべきだろうと、まぁこれはアンジェの言葉だ。
それに――どうやら俺達以外にもここを抜けようと考えた奴らはいたようで、地面にはそれなりの量の人骨も転がっていた。
まぁつまり喰われたって事だな。
とはいえ別に魔獣に喰われた人たちに関しては、哀れにこそ思うが、だからといって魔獣許すまじ! のような感情が湧くことはない。
ただ、人を喰う魔獣を放っておくわけにもいかないという思いはある。
特に騎士のアンジェにはその気持ちが強いのだろう。
だからこそ倒しておきたいという言葉がその口からでたのだと思う。
とにかく、先を急ぐという事もあってか、アンジェ以外の全員も戦うことに異論はないようだ。
俺達にとって幸運なのはしっかり準備して挑むことができる事だな。
だから当然アンジェも最初から全力だ。
エレメンタルリンクでウィンガルグを全身に纏う。
俺はキャンセルアーマーをどうしようかとも思ったが、ここはセイバーマリオネットで双剣の複製を作成。
セイラには詠唱をしておいてもらい、メリッサにはシャドウナイトの護衛の下待機しておいてもらう形だ。
その合間にもシャドウナイトは弓で援護はしておいてもらう。
カラーナはその素早さを活かして、出来るだけフェンリルの注意を引きつけておいてもらいたいところだが、無理はしないよう伝えておく。
とりあえずこんなとこか……俺は遠隔モードにして出来るだけキャンセルで相手の行動を遮っていかないとな……
「よし! いくぞ」
俺は作戦が決まると全員に声を掛け、真っ先に前に出た。
その瞬間、大地が割れそうな程の咆哮が周囲の岩壁を振動させる。
これはテラーハウリングだ。あいてに恐怖を与え身を竦ませる。
但し、ある程度精神力が強ければ恐怖に打ち勝つことが出来る。
俺はこれをしてくるのは知っていたので、全員には心を強く持つよう言ってある。
まぁアンジェは言うまでもないし、カラーナとセイラも大丈夫だとは思うが、効果が出た場合はキャンセル出来るよう注意は払っておく。
……だが問題はないか。全員恐怖には打ち勝てたようで動きは止まっていない。
フェンリルもそれは認めたようで、すぐに次の攻撃に切り替えてくる。
この辺の対応の早さは流石ともいえるが……右の爪が横薙ぎに振るわれる。
これは爪で切り裂くのが目的ではない。そもそもまだ前肢の届く範囲ではないしな。
空洞の入り口からフェンリルの顔までで距離は一五メートル程度間合いが開いていた。
その半分ぐらいまで俺は詰めてる。ステップキャンセルを使わないのは攻撃をひきつけるためでもある。
フェンリルが爪を振った事で、暴風が扇状に広がった。
この嵐は勿論ただの風ではなく、効果範囲内の相手を切り刻む技だ。
発動されるとこれは避けるのが難しいが――俺は地面を蹴り大きく跳ぶ。
顎を引き下に目をやると、吹き抜けた風で地面が扇状に広がるように抉れている。
技自体はやはり俺の知ってるのと変わらないか。そしてこれの範囲は正面には広いが、高さはそうでもない。
だからこそ跳躍することで、避ける事が出来たわけだ。
空中を漂いながら、左右を交互に見やる。
アンジェとカラーナが端の壁沿いを駆けていた。
扇状に広がるということは、真ん中の俺目掛けて打てばその分両端に攻撃の当たらない死角が生まれる。
だからふたりには攻撃があたっていない。
ここまでは上手く行ってるな。俺の生み出した双剣も、自動でフェンリルに向かって飛んでいき、毛に覆われた胴体を斬りつけていく。
それを視認し、それぞれにクイックキャンセルを三連続で掛けることで、フェンリルへの六ヒットが確定。
しかしフェンリルの顔色に変化はない。流石は神獣級というべきだろうか……
と、そこへシャドウナイトの影矢が刺さり、左からはカラーナのムーランダガーが右からはアンジェのエアロカットにエアロショットスラッシュ。
アンジェの攻撃は斬撃と同時に風の刃を飛ばすもので、カットは一発、ショットは細かい刃を何発も散らす。
ただフェンリルは風を操る力を持ってるせいか、風の攻撃は効果が薄い。
これはフェンリルの攻撃にも言えるけどな。
ウィンガルグを全身に纏ってる間は、フェンリルからのダメージをかなり抑える事が出来る。
だからアンジェからしてみれば、接近しての斬撃を浴びせたいとこだろう。
そんな事を思いながら、俺が地面に着地すると、ほぼ同時に、セイラのファイヤーボールがフェンリルの顔に着弾。
小爆発が起き、軽く衝撃が広がるが、これも、ダメージはないか……
ぐるる、とファンリルが唸りを上げ、腰を屈める。
そして集中するような動きを見せると同時に顎を上げての遠吠え――これは全方位に大量の風の刃を飛ばすオールクラウィンドだ。
俺の知る限りでは、フェンリルの使用する最強の技。
発動されると避けようが無いため、ここは当然キャンセル――
リスクとしての待ち時間は……一〇分?
て、カラーナ近づきすぎだ! キャンセルをしてフェンリルには隙が生まれるが、それでもカラーナが近づいたことで顔が動き、鋭い牙で喰らいにかかる、が、カラーナは後ろに飛び跳ねそれを上手く避けた。
俺は安堵するが、そこでセイバーマリオネットの効果が切れた。
アンジェはどうだろうかと見やると、カラーナに気を取られたフェンリルにアンジェのシューティングウィンドが炸裂。
一〇〇を超える斬撃がその身体に全てヒットする。
これは風の効果ものってはいるが、斬撃としての威力も優れている。
少しはダメージを与えられているか?
表情や動きに変化はないな。
スキルによる攻撃が終わると同時に、アンジェのエレメンタルリンクの効果が切れた。
フェンリルがうざったそうに左右の爪を振るい風を起こすがそれはふたりには当たらない。
セイラの発したサンダーボルトも命中し、シャドウナイトの矢もちょいちょい命中している、が、フェンリルは頑強で中々怯む様子は見せない、が――どうもおかしい。
いや、思えば最初からおかしかったな。そもそも本来、フェンリルはもっとアグレッシブな性格だったはずだ。
だからこそ下手な冒険者じゃ太刀打ち出来ないほどの実力を有していたといえる。
なにせ動けば目で追うことは不可能な速さで縦横無尽に駆け回り、その合間に強力な技を放つ。
そのスタイルだからこそ脅威的なのであったのだが、このフェンリルはさっきから同じ場所に留まったまま動こうとしない。
これでは実力の半分も発揮できないだろう。攻撃そのものも単調になってしまってるし、だから俺達もフェンリルの攻撃は危なげなく避け続けている。
これは……調子が悪いのか? ふむ、でもだとしたらここは僥倖と考えるほかないな。
それで一々遠慮もしていられないだろう。
だから俺達は、そこから更に戦闘を演じ続ける。
俺もアンジェも、途中で再度スペシャルスキルを使用し火力を上げ更に攻め立てる。
そして、それでも暫くは顔色一つ変えなかったフェンリルだが――一五分ぐらいたっただろうか、明らかにフェンリルの様子がおかしい。
息も荒く、どことなく眼が虚ろな気もするし、攻撃を行う動きも緩慢としてきている。
「これ、かなり弱ってきたんちゃう?」
「あぁ、これならもうすぐ倒れそうだな」
俺も、あぁそうだな、とふたりに返す。
が、実はふたりとも表情はどこか暗い。
まぁ多分俺もだろうが……正直途中からなんというか俺達がただ甚振っているだけのようなそんな気にさえなってきたからだ。
なんかもう攻撃するのがつらいほどに。
正直、ここまできたら早く倒れて欲しいと願うばかりだが――
「……もし……して――」
うん? 何かセイラが呟いているが。
「セイラ何かあったか?」
俺が尋ねると、セイラは一瞬瞳を伏せるが、
「……なんでも、ない」
といって相手にフレイムランスを浴びせる。
セイラの様子を怪訝に思いながらも、更に数分間、フェンリルとの戦いは続くが、その時――
「ご、ご主人様! 大変です!」
ふと、後ろで控えていたメリッサの声が洞窟内に響き渡る。
俺はフェンリルからメリッサに顔を向け直し、どうかしたのか? と尋ねた。
他の三人もメリッサの様子を気にかけているが、そこへ更に彼女の言葉が続く。
「そ。そのフェンリルですが――に、妊娠してます!」
……はい?




