第106話 チェリオとガイド
「チェリオ様――ジュウザがやられました」
眼を通しジュウザの死を知ったガイドは、執務室で控えていたチェリオの元を訪れ、極めて冷静に落ち着いた調子で事実を伝えた。
尤もその心中としては穏やかではない。
正直レインボーフレグランスを使用してのあの変貌ぶりはガイドからしても知り得なかった事実であり、これだけの力を持って掛かれば自分の助言なんてなくても、問題なく連中を始末できるとさえ思ったからだ。
事実、あの姿になってからはガイドはほぼ視るだけの状態であり、アドバイザーとしての役目など殆ど果たしてなかった。
だが、あれだけのダメージを負いながらも、突如復活したヒットの謎の能力により、ジュウザの力は一瞬にして失われた。
ガイドにとって厄介だったのは、ヒットという男がこれまでとは全く別種の能力を使いこなした点であった。
ガイドは基本視れないものは看破出来ない。
そしてヒットは前とは全く違う形の移動手段を持って、殆どジュウザの視界に入ることなく追い詰めた。
あの時ガイドに判った事といえば、ヒットの能力は相手の状態を元に戻せるといった事ぐらいである。
それの弱点も一応は理解したが、再利用までにある程度の時間を要すという事を今知っていたところであまり意味は無いだろう。
それに、相手にしてもガイドの能力をメリッサから知らされている以上、それぐらいは知られるのを前提で能力を使用した可能性が高い。
「そうか……だがそれがどうした?」
だが伯爵は、ガイドの進言を聞いても冷笑を貼り付けたまま余裕の表情で言葉を返す。
問題はない、と言いたげではあるが、ガイドとしてはとても安心してられる状況ではない。
「あの男、何かこれまでとは違う妙な力を身につけたようです。ですからここは、是非私の力を伯爵様に利用して頂ければとおもうのですが」
「断る」
恭しく頭を下げつつ進言する体を見せるガイドであったが、それは言下に却下された。
「ジュウザなど所詮香りを使う程度しか脳が無い男だ。あんな小物を倒したからと私の脅威には成り得ない」
「しかし――」
「ガイド! 貴様は私の力を信用していないというのか? 領主様の事もあって大目に見てはいるが、事と次第によっては――」
「いえいえ滅相もございません。失言でした」
両手を振って謝罪の言葉を述べながらも、これだから力に溺れる馬鹿は、とガイドは心のなかで毒づいた。
確かにチェリオの手にしたジョブの力は強大。
しかしあのロードオブテリトリーが使えたならまだしも、その力はボンゴルという商人を介してセントラルアーツの領主に売却されている。
このチェリオがイーストアーツを好きにできているのも、その対価として領主より許可を頂いているからだ。
売却した力は本人からは失われる。
それを取り戻すには再度交渉して返して貰うか、売却した相手が死ぬか、もしくは仲介した能力者が死ぬかのどれかしかない。
尤も、この仲介した能力者の死は既に起きてしまったわけだが――
しかし、これに関しては、あの男の特別な金庫の力で、領主様から失われることなく済んでいるようだ。
とはいえ、もしロードオブテリトリーをチェリオが使える状態であったとしても、その効果範囲は精々イーストアーツの街を覆うぐらいが精々だっただろうが――
どちらにしろ大事な力を使えない伯爵にとって、頼みの綱は相手を強制的に跪かせるあのスキルだろう。
相手の動きを封じ込められるロードオブパワーライト《威光》は確かに強力だ。
だが、それは一度ヒットという男に対して使用している。
それにあの女からも情報はいっていることだろう。
用心深く、また臆病でもあるガイドはそのジョブと相まって慎重に物事を考える。
だからこそ、一度見られた上、既に知られている力を根拠にした自信など信じられるわけもない。
そしてこの時点でガイドの心も決まった。
「それではチェリオ様、私めは自分のできる事を行い、連中の侵攻を防ぐと致しましょう」
「……あぁ、頼んだ。私はメリッサが気がかりだからそっちへ行く」
「承知致しましたそれでは――」
ガイドは深々と頭を下げた後、部屋を後にし、所詮名だけの色ボケ伯爵か、と呟きながら廊下を進んだ。
魔物たちの動きが慌ただしい。きっと既に屋敷に侵入されていることだろう。
あんな愚か者と心中するなんてまっぴらゴメンだ、とガイドは空いている部屋に身を移し、そして帰還の玉を取り出した。
(連中が屋敷に入り込んだなら教会にさえ出れれば逃げられる)
帰還の玉は近くの教会に移動できるという魔導器である為、屋敷の中でも使用が可能だ。
下手に動いて見つかるよりは、その方が安全だとガイドは踏んだのである。
玉に魔力を込めると足元に魔法陣が浮かび上がった。
そしてそれから数秒後、ガイドの身は屋敷から消え失せ、街の教会にある魔法陣の上に移動していた。
これで後は街を出て逃げれば――ガイドがそう考え教会の外へ脚を踏み出したその瞬間、彼は両目に熱を感じ、思わず叫び声をあげていた。
「があああぁああああ! 眼が! 私の眼がぁああぁ! な、なぜ! 何故!」
「……ご主人様の予想的中」
呻き身悶えるガイドの横には、ナイフを握りしめたセイラの姿。
ガイドの眼をやった為か、その刃は血に濡れている。
「な!? こ、この声セイラか!」
ガイドが右手で両目を塞ぎながら、声を張り上げる。
かなり切羽詰まった様子だが、セイラはそれには応えず、ガイドに向けてドロリとした液体を振りかけた。
「こ、この匂い……まさか! 油!」
「……命令は苦しませる殺し方」
抑揚のない声で呟き、そしてセイラが詠唱を始める。
「ま、まて! 判った! 私がお前の新しい主人になろう! 大切に扱ってやる! だから――」
「我が魔力を持ちて火を起こすなり――ファイヤー」
ファイヤーは炎の初級魔法の中でも最も行使が簡単な魔法であり、本来は戦闘よりは焚き火や竈に火を起こすのに使用されることが多い。
当然相手にダメージを与えるには少々心許ない魔法でもあるのだが、油にまみれた相手を燃やすなら、ちょうどいい魔法とも言えるだろう。
「ひいいぃいいぃいいいいがあぁああぁああ、熱い熱い熱い熱いいぃいいいぃいいぃいいいぃいい!」
顔を両手で覆い、火達磨になって地面を転げまわるガイドの絶叫は暫く続いた。
その様子を眺めながら、感情の起伏が乏しい表情で、セイラは冷たく言い放つ。
「……任務完了」
◇◆◇
「はははっ、私はここだ!」
「い~やこっちだとも!」
「……全くウザったいな」
俺は伯爵の姿をした魔物を斬り倒し続けながら、うんざりといった思いで呟いた。
ジュウザを倒し、メリッサを救出するべく屋敷に侵入したのはいいが、その瞬間館内に伯爵の顔した連中が溢れ出てきた。
これが多分メリッサの情報にあったロードオブスケープゴートの力なのだろう。
しかし、いくら姿形があの糞チェリオのものだとしても、素材が魔物であるため、行動で違うことぐらいすぐに分かる。
だから俺からしたら、憎い伯爵を偽物とはいえ好きなだけやれるわけで、まぁそれは多少気味がいいとも言えるがな。
さて、とりあえず伯爵を討つのは俺が引き受け、三人には別の役目をお願いしているが、上手く行っているだろうか――いや、そんな心配は無用だな。
三人共俺のスキルでダメージは残っていない。
そんな事考えるだけ野暮だろ。
まぁセイラに関しては俺の予想が当たるか? てのはあるがな。
ただ、あのチェリオのメリッサに対する独占欲は異常とも言える。
そんな男がガイドに眼を貸すとは思えない。
自分が視ているメリッサを他のものにも視られるなんてとても耐えられない筈だろうしな。
だからガイドはチェリオに協力することはない、というのが俺の意見。
そして他に誰も協力者がいないなら、自分で闘う術を持たないあいつは逃げる道を選ぶことだろう。
誰かの為に身体を張るようなそんな野郎には思えないしな。
そしてその場合、俺達が屋敷に侵入したと知ったなら、帰還の玉を頼って教会に一旦身を移す可能性が高い。
だからセイラには、教会の外で張っててもらい、現れたら倒して欲しいと伝えておいた。
ついでに、その倒し方も出来るだけ苦しませる方法でとな。
そうでないと死んでいった者達が浮かばれない。
さて、残すはメリッサを攫ったチェリオだけ。
奴とはなんとしても決着を付けないといけない。
幸い屋敷の間取りはセイラが覚えていた。その中で奴が選びそうな場所は目星が付いている。
きっとチェリオもその場所で待ち構えていることだろう。
俺は進行上に存在する偽物のチェリオを尽く斬り殺しながら、その部屋の前まで辿り着いた。
両開きの豪奢な扉だ。ここは本来は客人を招いて宴を開く際に使用される大広間。
あの男は、メリッサに魅せつけるために選ぶ舞台としてはお誂え向き、と、きっとそんな風に思っていることだろう。
そして俺は意を決して扉を開き、その中へと脚を踏み入れるが――
「ようこそヒット! 今宵の客人であり、私の大事なメリッサを奪おうとやってきた不届き者よ! だがこの舞台、貴様が活躍する暇など与えはしない!」
明らかに嫌がっているメリッサに自分の腕を絡めた状態で、朗々とチェリオが言い放った。
メリッサの口には猿轡。両手には枷。
……色々状況が変わってるようだな。
そして広間の周囲には、俺を狙って弓を引く魔物たちの姿がある。
「そいつらは全てアーチャーとシューターのジョブ持ちだ! 全身を矢で貫かれ果てるがいい! さぁ、殺れ!」
ん~ん~! とメリッサが必死に何かを訴えてきている。
俺のことを心配してくれているのか――
だがこんな事で俺だって後には引けない。
俺は構わず前に出るが、すると、チェリオの号令と共に俺目掛け一斉に矢が射ち放たれた――




