3章 第88話 夏休みデビューの結果
さて1年が前後期制の我が校も、遂に後期に当たる二学期がスタート。夏休みと言う自由な環境から、再び勉強の日々。
ダラダラと過ごしていた者はその落差に苦しみ、休みの間も自己研鑽に励んだ者には変化が生まれている。その内の1人が鏡花なんだけど。
正に危惧していた通りの展開になってしまった。いや、良いんだよ? 鏡花が頑張った結果が出たと言う証明なんだから。
俺だって嬉しいよ? 元々の鏡花も可愛いけど、今の鏡花も可愛いのだから。どっちも楽しめるのは男では俺だけ。しかしそれはそれ、これはこれ。
「なぁ、佐々木さん可愛くなってない?」
「そうか? まあ悪くはないけど」
「いや、それより何かエロくない?」
「おいおいおい。葉山に殴られるぞ」
などとまあ色々な声が上がり始めている。そんなに大勢に刺さった訳では無い様だが、多少なりとも注目度が上昇している。またしても面白くない状況だ。
更に悪化するとは困ったものだ。他人の彼女にイヤらしい目を向けるな。一番気に入らないのは、メイクをする前には欠片も興味を持って無かったタイプだ。それまでは見向きもしなかった癖に調子の良い奴らだ。
「で、拗ねてる訳か」
「拗ねてないわ! 気分が悪いだけだ」
「相変わらずねぇアンタ。前も似た事言ってたわね」
だって仕方ないだろうが、何かしら被害を出したのでは無いから怒るに怒れない。苦言を呈そうにも、証拠がないと躱される。
せいぜい【後でしばくリスト】を脳内に形成する程度しか出来ない。野球部の後藤め、後で覚えていろよ。鏡花をエロい目で見やがって。午後の体育で着替える時に、ヤツの関節を極めてやる。
「しっかりしてないと、置いて行かれるわよ?」
「……分かってるよ」
「頑張れよ、男の子」
全く気楽に言ってくれる。もちろん鏡花の一番で居続ける為に、油断せず努力を続けるけどさ。常にライバルが居ると思って過ごすよ。
幸いにも根はスポーツマンだから、姿無きライバルとの戦いには慣れている。そうやって生きて来たんだから、これからも出来る。
当の鏡花は、結城さんと会話中。次の授業の用意をしながら、楽しそうに笑っている。変化が訪れたと言う意味では、前の席の結城さんも同じだ。
元々薄っすら化粧をしていたけど、今は更に磨きが掛かっている。そして彼女は細かい気遣いが出来て、可愛らしい女の子。翔太が惚れるのも無理はない。
鏡花とはまた違うタイプだけど、男子にも優しくて男受けは悪くない。そう目立つタイプではないけど、実はスタイルが良いからな。
「そう言えばさ、アンタ球技大会どうすんの?」
「は? 何だ急に?」
「急も何も、今年はサッカーあるでしょ?」
「あ〜〜まあな」
正直言うと、ちょっと複雑な気分はある。あるんだけど、やっと鏡花に良い所が見せれると言う気持ちもある。
有り難い事に球技大会では公式ルールと違い、大幅に試合時間が短縮される。前半10分の後半10分で合計20分だ。これは体育館で行うバスケに合わせた形だ。
そちらも10分×2クォーターで計20分になっている。球技大会で公式戦と同じにしたら、着いていけない生徒も出て来る。1日で終わらせる目的も含めて、当然の措置だ。
男子はグラウンドでサッカーか、体育館でバスケのどちらかに参加する。つまり公式戦をフルタイムで戦え無い俺にも、活躍の機会があると言う事。
ここでしっかりと、カッコいい所を鏡花に見せる。頑張る目的も意味もあるから、そう悲観的には捉えていない。
「大丈夫だ、もう平気だよ」
「そっ。なら良いけど」
「そっちよりもテストが心配だ」
そう、二学期中間テストはそう遠くない。鏡花との日々に現を抜かし過ぎれば、簡単に成績は落ちる。そうならない様に注意しているが、まあその、ね。
最近より可愛くなった鏡花と、2人きりで居るんだからさ。当然ながら、そう言う空気になる事もある。
進行状況は予定通りだし、分からない所は鏡花に教わっている。ただ少々、不安の種もある。
「どうせキョウに欲情しちゃって、進みが悪いとかでしょ?」
「ちが、わないけど! 順調だよ!」
「じゃあ何なのよ?」
「いや、その。若干英語に不安があってな」
そう、英語が俺は苦手だ。英語が出来ない典型的な日本人タイプの俺には、高校の英語は少々難しい。
ついて行けない程ではないけど、苦戦する科目ではある。どうにかして克服しようとしているけど、まだまだ先は長い。
「ああ、アンタ文系弱いもんね」
「かと言って理系が得意なわけでもないけどな」
「はぁ、まあ仕方ないか。オススメの参考書貸してあげるから、今夜取りに来なよ」
「本当か!! 助かる!!」
成績がトップクラスの小春がオススメする物なら、内容も信用できる。これは期待しても良いだろう。
鏡花をメインに、たまに小春も協力してくれるなら力強い。勉強に強い2人が味方なのは本当に助かる。
「待った、タダとは言ってないわよ?」
「な、何を要求する気だ」
「お昼奢りで〜よろ〜!」
「はいはい、そんぐらいなら良いさ」
そんなわけでお昼を奢らされた日の放課後、今日は鏡花と勉強の日。夏休みが明けてからは平常通り、火曜金曜は2人で放課後を過ごす日々に戻った。
学校ではそう安易にいちゃつく訳には行かないと言う自制が、勉強に集中させてくれる。
「あ、真君そこ綴り違うよ。iじゃなくてyだね」
「え、そっか。なんちゃらニーとかで終わる英単語ってややこしいよな」
「あはは、確かにそうだね。一杯あるし」
skiだとスキーでskyだとスカイになるのも、最初はややこしいと感じたな。世界でもトップクラスに難解な言語が日本語らしいけど、俺からしたら英語の方が馴染めなくて大変だ。
日本語を覚えられたんだから、英語も出来そうなもんなのになぁ。世の中そう甘くはないって事かね。
「大丈夫? 休憩する?」
「そう、だな。一旦休憩するか」
詰め込めば出来る様になるって話でも無いしな。そこまで優秀じゃない脳でも、休ませてやらねばならない。
糖分を接種すると良いらしいから、甘い物でも食うか。小春に奢ったついでに、買っておいたラスクがある。
「鏡花も食べるか?」
「え? 何を?」
「購買のラスクだよ。昼に買ったんだ」
学校の購買で最高クラスのコスパを誇る、ボリュームたっぷりな男子高校生の味方。運動部員から愛されし至高の一品だ。
卒業したらこれが食えなくなると思うと、かなりショックだ。残された約1年半程の間に、存分に味わっておかないとな。
「うっ……それは」
「ん? 何だ要らないのか?」
「あ〜、いやね。そうじゃないけど」
どうしたんだろう? 鏡花が少し挙動不審になった。チラチラとラスクを見やったかと思えば、視線があちこちにブレまくる。
何をそんなに気にして…………あっ! なるほどな、そう言う事か。だったらちょっとイタズラしようかな。
「はい、どうぞ」
「も、もう! 覚えてたんだね! いじわる!」
「そりゃな。あの時はびっくりしたよ」
まだ付き合う前、この教室で鏡花が唐突にあーんされに来た事があった。せっかくだからと、同じ様に口の近くに差し出してみたわけだが。
「今はやっても問題ないだろ? 恋人なんだし」
「そ、それは、そうだけど……」
「一回やったんだし、構わないだろ?」
「じゃ、じゃあ……」
こうして見ると、鏡花の小柄さも手伝って小動物に餌付けしてるみたいだな。パクリと控え目にラスクを咥えた鏡花が、中々に愛らしい。抗議はしても、結局やっちゃうのが可愛い所なんだよな。
「じゃ、じゃあ今度は私の番だよ」
「え? 俺もやるの?」
「そうだよ、順番だよ。届かないからしゃがんでね」
まあ、やってくれると言うなら付き合っても良いか。別に減るもんじゃないし、なんならちょっとしたご褒美感すらある。俺としては拒否する理由がないので大人しくしゃがむ。
「見られるのは恥ずかしいし、目を閉じて」
「え、まあ良いけど」
「よ、よーし! じゃあ、行きます!」
何やら気合いを入れているらしい。いちいち言動が可愛いんだから。しかし目を閉じる必要はあったんだろうか?
別に下を見るとかでも、良かったんじゃないかな。まあ別に何でも…………え? 今の感触って鏡花の……
「は? おい。鏡花今のって」
「お、お返しだよ!」
ラスクよりも甘い糖分を接種出来ましたねってか? 全然お後がよろしくないし、勉強への集中力なんて吹っ飛んだよね。
本当にもう、急に最大火力を発揮するのは辞めて頂きたい。まあ、今なら誰も見てないからキスぐらいまでならセーフだろう。
勉強? そんなの後で良いだろ。今回のこれは、鏡花も悪いからな。俺だってお返ししてやる。
そんな訳で、今日の放課後はあんまり勉強は捗らなかった。だけどまあ、こんな日もたまになら良いかな。




