2章 第87話 夏の終わり
夏休みの最終日、最後の自由な時間を鏡花と2人で過ごしていた。別にこれで全てが終わるのでは無いけれど、夢が終わる様な感覚はある。
思えば本当に充実した日々だった。怪我のお陰で最悪だった、冬休みに比べれば雲泥の差だ。あの頃に抱えていた苦しみは、この可愛らしい彼女が取り除いてくれたから。
「ねえ、本当にこれで良いの?」
「良いんだよ、これで」
「真君が良いなら、それでも良いけど」
最終日に何をしようか考えて思いついたのは、鏡花と自宅でゆっくり過ごす事だった。たまにはそれだけの日も良いんじゃないかなって。
そして現在、ソファの上で適当に流行りの動画を再生しながら膝枕をされている。あの日の様に、鏡花の膝に頭を預けて横になっている。
「私、あんまりお肉が無いから痛くない?」
「いや? ちゃんと柔らかいけど」
「えぇ〜〜ホントかなぁ」
「ホントだって」
相変わらず自分に自信が無いんだから。確かに鏡花は痩せ型だけど、女性らしい柔らかさを持っている。
痩せ過ぎてて硬いと言うのは、水樹みたいなタイプだろう。睨まれるから本人には言ってないけど。あの細さは太ももでも硬そうだ。
女性向け雑誌のモデルだから仕方ない面もあるが、男からするとアレは痩せ過ぎの部類。女子が憧れる理想の体型って、何であんな異様に細い体なんだろう。
鏡花もちょっと気にしている様だが、断固拒否したい。このままの鏡花で有り続けて欲しい。
「鏡花はこれぐらいで良いんだよ」
「……そう?」
「普通って、別に悪い事じゃないぞ?」
何故か気にする人が多いけど、平凡も普通も悪い事じゃない。むしろ一番望ましい事だと俺は思う。
目立つと言うのは、その分厄介事も呼び込む。それはもう散々経験したから良く知っている。最近思う事の一つが、だからこそ鏡花を好きになったのではないかと言う事。
俺が望む平穏で普通の日々。それを体現するかの様な存在が鏡花だ。憧れていたものを持っているから、だからより魅力的に見える。肩肘張った生き方をしなくても良い、そう言ってくれている様で。
正直、芸能人の息子って立場が重い。昔からそれは感じていた。親の仕事にあまり興味は無くとも、そのプレッシャーは確かに存在した。
自分のやった事が、母親の足を引っ張るかも知れない。そんな漠然とした恐怖は、いつの間にか心の片隅にあった。だから願った、普通の家庭なら良かったのにと。
山あり谷ありの波乱万丈な人生は、楽しいのかも知れないけど俺は要らない。そんな生活より普通が良い。
今思えばサッカーのプロ選手になりたいと言うのも、母親の立場と対等になろうとしたからかも知れない。もちろん好きだったのは間違いない。
だが今となっては自分でも分からないけど、『有名な人にならないと』そんな意識があったのは覚えている。だから今こうして、普通の日々を送れているのが幸せだ。
「真君? どうかしたの?」
「いや得には。鏡花が居てくれて良かったなって、思っただけ」
「うぅ……恥ずかしい事言うの禁止!」
「はいはい」
いつもは教室の隅っこに居て、これと言って目立つ事もない普通の女子。秀でた所は、実はあったけど傍目には分からない。
そして見た目では分からないハチャメチャさが有る。小心者なのに、妙な所は積極的だし。次はどんな事をしてくれるのかな? 何となくそんな期待を持ってしまう面白い子。
大人になろうとする勤勉さも、魅力の一つだと思う。つい応援したくなると言うか、放っておけないと言うか。
「そうだ、勉強は順調なの?」
「ああ! 概ね予定通りだよ」
そんな鏡花と一緒に居る為に、これからも一緒に居たいから、勉強なんて頑張ってみている。
そんなのそこそこ出来たら十分だ、それより練習した方が良い。そんな風に嘯いていたこの俺が、今や大学受験に向けて勉強中だ。両親がそれはもう大層驚いていた。俺が勉強し始めたぐらいで雪なんか降るわけないだろ。
まあそんな訳だから、小春や友香にもからかわれたりした。2人共、昔からの付き合いだからな。勉強よりサッカーな日々を、散々見ていたんだから。
鏡花と知り合いになって、どんどん気になる様になって。初めは『可愛いな』だったのが、好きに変わるまでは早かった。
知らなかっただけで、色んな魅力があったから。あっと言う間に惹き込まれた。一目惚れだったのか、最初は違ったのかもう分からない。
でも、それはもうどうでも良い。こうして2人で、恋人として一緒に過ごしているのだから。
「鏡花はどんどん可愛くなるな」
「きゅ、急に何!?」
「いやほら、メイクも上達して来たし」
「そ、そうかな? 上手くなった? えへへ」
元々手先が器用なのは、料理が上手な事から分かっていた。だけど、小春も驚くぐらい上達が早いらしい。褒め過ぎるとやらかすからと、本人には言っていない様だが。
ただそのお陰で、明日からまた鏡花が狙われないか心配でもある。小春達の言う様に、垢抜ければ舐められる事も減るって考えも分かる。
またあんな事が無い様に、綺麗に着飾るのは悪い事じゃない。だけどそれとは別に男子の視線を集めるのではないかと、不安で仕方ない。
「明日から、男子に気を付けるんだぞ?」
「えぇ〜〜気にし過ぎだよ。私だよ?」
「良いから、注意してくれ、な?」
「う、うん」
まだ実感が無いらしいのが一抹の不安だけど、まあ小春達も居るし俺も居る。学校内には、以前のナンパ野郎みたいなヤツは居ないだろう。
有るとしたら、通学途中の変質者か。最近はこの辺でもチラホラ実例がある。またこの前の様に、注意喚起をしておく必要が有るだろう。どこかのタイミングで、その話しもしよう。
「雨、止まないね」
「でも流石に今日は帰るだろ?」
「えと、実はその……学校の用意も、持って来てあって、ね」
「それって……」
夏休みの終わり、止まない長い雨が降りしきる。待っていればいつかは晴れるかも知れないが、そうなろうとも関係ない。そんな意思がそこには合った。
そこまで準備をし、そのつもりで居るのなら真に断る理由がない。結局夏休みの最終日も、ギリギリまで2人で過ごした鏡花と真。
最後の夜を越えれば、再び学校が始まる。2人の二学期には、どんな日々が待っているのだろうか。
交際開始~夏休みの2章が終了です。次回から3章、スポーツと食欲の秋です。




