第接章 『正しき処刑人』
「……ふう」
テレスティア・メヴィウス・アルナードは一人、溜息を吐いていた。
テレスティアは貴族である。
毎回のことではあるのだが、アルナード家の人間として挨拶回りや何やらと、色々とやらなければならないことがある。
今日も決勝戦が終わった後も、タイレスの元へ行って貴族たちに挨拶をしてきた。
少し空いた時間が出来き、テレスティアは少し外の風を浴びている所だ。
(全く……ギトギトと脂ぎった視線を向けられるのは何度経験しても愉快なものではないな)
誰にも聞こえないよう心の中で呟き、テレスティアは街の様子を遠目に眺める。
数日前から旅行客が増えていたが、当日はやはり人が多い。
学生試合を見るために闘技場に人が集まってはいたが、店を見て回っている人も少なくないようだ。
「旅行客……で思い出したが」
前に聞いた話では、ジーク・フェルゼンの他に流心流のシスイが招待されているのではなかったか。
以前、ウルグが師事したという人物で、世界最高峰の剣士だ。
一度挨拶をしたいと思っていたのだが、どういう訳か未だに到着していない。
まあ、シスイは《剣匠》だ。
何かトラブルがあって遅れているだろう。
「外の空気も吸ったし、戻るか」
この後、タイレスと話さなければならないこともある。
そう考えた時だった。
視界に映った光景に、テレスティアは足を止めた。
「……?」
遠目に複数の人間が、一人の男を追い立てているのが目に見えた。
男は走って逃げるものの、すぐに追いつかれ、地面に引き倒されてしまった。
どうやら、男が物を盗んで逃げたらしい。
(……まずいな)
祭りのせいで気分が高揚しているのか、被害者側の人間が男に暴行を加えている。
どうやら、服装からしてどちらも外から来た旅行客のようだ。
騒ぎを聞きつけたのか、野次馬が遠巻きにその様子を眺めている。
既に騎士は呼ばれているのだろうが、このまま黙って見ている訳にもいかない。
エスカレートしていく暴行を見咎めたテレスティは、男達の方へ向かって走った。
「てめえ、よくも俺の財布盗みやがったな!」
「わ、悪かったっ。魔が差したんだ、勘弁してくれぇ!」
引き倒された盗人へ、被害者が苛立ちのまま蹴りを叩き込んだ。
男の取り巻きは酔っているのか、顔を赤くして口汚く罵り、暴行を煽っている。
見ている人々も、徐々に気分が高揚してきたのか、口汚く盗人を痛めつけるように叫びだした。
「ぶっ飛ばせえ!!」
「やれェ! 殺せ!」
異様な空間だった。
このまま放置しておけば、あの盗人が殺されてもおかしくないと思うほどに、人々は熱狂していた。
そこまでだ。
テレスティアが、そう口を開こうとした瞬間だった。
「――そこまでです」
――透き通るような、美しい声だった。
心を震わせるその声に、誰もが動きを止めた。
テレスティアでさえ、口を閉ざし、その声の方へと視線を向ける。
そして、息を呑んだ。
――目が眩むような、白い女性だった。
硝子細工を思わせるような、肩先までかかった透き通る白い髪。
まるで天から降り注いた淡い雪のような白い肌に、映すもの全てを受け入れるような寛容さを感じさせる、赤み掛かった“黒い”瞳。
まるで人形のように繊細で整った肢体を覆っているのは、白と黒の入り混じったドレスだった。
同性のテレスティアでさえ、見惚れてしまう程に美しい女性。
何故、この瞬間まで彼女がそこにいた事に気付かなかったのか、疑問を浮かべざるを得ないほどに、その女性はこの世界から浮いていた。
「あなた達は、何故その方を傷付けるのですか?」
女性のその言葉に、暴力を振るっていた者は青ざめ、それを煽っていた者達の酔いが醒めた。
地面に伏していた盗人は、まるで女神を見るように女性を見上げている。
「そ、その男が俺の財布を盗みやがったから……」
まるで言い訳をするような、男性の言葉。
女性の威容に圧倒されているのか、その声は震えている。
「そうですか」
女性はその言葉に頷くと、
「――窃盗は悪です」
盗人の罪を弾劾するように、屹然とした口調でそう言った。
暴力を振るっていた男達は安堵したように表情を緩ませ、逆に盗人はおのれの醜さを突き付けられたかのように表情を絶望に歪める。
だが、続いて女性は「ですが」と滑らかに言葉を続ける。
「確かに罪には罰が必要です。そうでなければ、世の中は罪で満ちてしまう。ですが――あなた達のしたことは罰ではありません。ただ己の激情を、憤怒を、、ぶつけただけ。あなた達のそれも正しい行いではありません」
伏した男を庇うようにして、女性は前に出た。
陽炎のように揺れる白い髪に誰もが見惚れる。
「人を罰して良いのは一度も罪を犯したことのない者だけ――正しき者だけなのです」
「あなた達は――正しき者ですか?」
その言葉に、暴力を振るっていた男は言葉を失う。
そして恥じるように首を振り、倒れていた男に向かって頭を下げた。
「いくら盗まれたとはいえ、やり過ぎた。すまなかった」
「いや……俺が盗んだりしたのが一番悪いんだ。本当に申し訳ない。ちゃんと返して、償う」
聖女のお陰で、暴力的だった雰囲気は消えた。
男は罪人を赦し、盗人は己の罪を悔いた。
その光景に見ていた者達は心を震わせ、拍手が起こる。
「…………」
別の意味で、異常な空間だった。
さっきまで口汚く罵っていた人々が、清々しい表情を浮かべている。
だが、別に悪いことが起きたわけではない。
その様子を、テレスティアは黙って見ていた。
「ありがとうございます」
倒れていた盗人が、女性に感謝しながらゆっくりと立ち上がった。
「私は当然のことをしたに過ぎません」
――聖女。
その時、その場にいた誰もが、その言葉を思い浮かべた。
女性は感謝の言葉を口にした盗人に、全てを赦す笑みを浮かべた。
騎士が来るまでもなく、既にこの場は収まっていた。
テレスティアが介入する必要もないだろう。
「では――」
清々しい気分のまま、テレスティアがその場から去ろうとし――
「――ごぽ」
次の瞬間、盗人の下顎が吹き飛ぶのを見た。
肉片が雨のように降り注ぎ、砕けた歯が落ちてポツポツと音を立てる。
美しい光景に浮かんでいた笑顔は鮮血で赤黒く染まった。
白目を向き、盗人がバシャリと地面に倒れ、痙攣する。
「な、にを?」
時間が止まったように、人々が固まる。
笑顔の残滓を貼り付けたまま、そう尋ねる男に、
「罪人を罰していいのは、正しき者だけ――だから私が裁いただけですよ?」
全てを受け入れる笑みで、女性はそう答えた。
「う、うあああああああ!?」
絶叫が王都に響き渡る。
肉片に塗れた人々が、転げるようにしてその場から走り出す。
「き、貴様ッ!」
呆気に取られていたテレスティアも、逃げ惑う人々を見て冷静さを取り戻した。
当然だという表情で人だったモノの前に立つ女性に、剣を突き付ける。
「いったい、何のつもりだ!」
「……? 私はただ、当然のことをしたに過ぎません」
テレスティアの言葉に、盗人に向けたものと同じ言葉を口にする。
そのあまりにも異様な有り様に、テレスティアの全身に得体のしれない悪寒が走った。
「人を罰していいのは、正しき者だけ。だから私は罪人を裁きましょう。咎人の首を落としましょう。それが正義なのだから」
「……っ」
目の前のこの女性は、危険だ。
テレスティアの本能が、絶叫している。
「ああ。あなたがテレスティアさんですね? 美しいですね。その歳で、握る剣には重みがある。あなたはこれまで、たくさんの努力を重ねてきたのですね」
女性は当然のようにテレスティアの名前を口にする。
女性から、目が離せない。
「なるほど、確かに弱まっていますね。これならば、無益な殺生をする必要はないでしょう。犠牲は極力、減らさなければなりませんからね」
今眼の前で人を殺しておいて、どの口でそれを言うのか。
いつかの、リオ・スペクルムを連想させるような狂気。
「――貴方達が最期に迎える結末が既に決まっていたとしても」
ボソリとそう口にする女性に、テレスティアが後ずさる。
「……クス。怯えているのですか? 大丈夫ですよ。私は悪しき者ではありませんから」
そう言って、女性が手を伸ばしてくる。
近づいて来るソレに耐え切れなくなり、テレスティアが剣を抜こうとした時だった。
「あら」
小さく呟きを零し、女性が後ろを振り返る。
そして、次の瞬間。
女性が視線を向けていた方向から、爆発が起こった。
「……何が!?」
爆発が起こったのはすぐ近くだ。
確かあちらには、騎士団の駐屯地があったのではなかったか。
吹き荒れる風と、震動が伝わってくる。
動揺を押し殺し、テレスティアはすぐさま女性の方へ視線を戻す。
「な――」
目の前から、女性が忽然と姿を消していた。
あるのは、地面に転がった盗人の残骸だけ。
ただ呆然と、テレスティアは立ち尽くすしか無かった。
―
後の世で語られる、《魔神》に連なる大きな事件の一つ。
――使徒による、王都の襲撃が始まった。
七章に続く。
今章や次章に関する割烹もあげておきます。




