82.エピローグ いつか帰ってくるために
所用ができたため早めに更新します。
梢でルリノウタドリが鳴いている。
リリリ、リ、ルリリリリリ……
一羽が高らかにさえずると、少し遅れて、別の一羽が鳴き返す。
ル、リルル、リルルルル……
あれは去年、つがいになった鳥。冬を越えて、巣作りの季節が来ると、ああやって伴侶を確かめる。今年もよろしく、って感じなのかな。
前の年に巣立ったばかりで、まだ相手がいない鳥もいる。
そういう若鳥も胸を張って、喉を震わせて長くさえずる。応えてくれるつがいを探してる。
昼下がりの木漏れ日の下、わたしは世界樹の太い枝の上に腰かけて、彼等の歌を聴いていた。
小さな羽ばたきが聞こえて手を差し出すと、指先に一羽がちょんと止まった。首をかしげて、小粒の宝石みたいな目で、わたしを見つめて……仲間じゃないことに気づいたのか、慌てたように一声啼いて飛び去った。
ふふ。恋するのに忙しいものね。わたしに付き合う暇はないんだろう。
「リューエルーー」
遥かな地上で、アルザートがわたしを呼んだ。
わたしは身体を起こし、とんとんと枝を飛び移りながら地面へ向かい、最後に風の魔法で、ふわっと着地する。
「ありがとう、来てくれて」
アルザートはエルフだから、もちろん見た目は変わらない。
でも、歩み寄ってくれるようになったんじゃないかな。
新しいエルフの里長も、彼が務めている。わたしの契約者ではなくなったし、まだエルフの中では若いから、無理しなくてもよかったんだけど。
「……リューエルがエルフ以外を契約者にした、そのことに反発がない訳じゃないんだ。エルフだって色々な考えの者がいるからな。僕が説得するのが一番早い」
そういう事情らしい。
「……わたし、また迷惑をかけてる?」
「そうは思わないさ。僕が、自分の役割を果たしたいと思ってる」
「ならいいんだけど」
「それより、なにか話があるんだろう? わざわざ呼び出すなんて」
「ん……あのね、少し旅に出たいんだけど、いい?」
エルフ同士、余計な前置きは要らない。
わたしは端的に切り出した。
ーーあれから、もう何年か経った。
今のところ、概ねうまく行っている……と思う。
世界樹は新生し、森は目覚め、再びエルフや、あまたの生きものの庭となった。
人間とも、いくつか厳しい条件をつけた上で交流が始まっている。でも人間を世界樹に近寄らせることはできないから、わたしは遠目に彼等を見守るだけだった。ちょっぴり残念。
グラガレウをはじめ、人間の国も平和になって、ひとの行き来が盛んになっているみたい。
魔物の数は減った。
夜が来れば、空の彼方から闇の魔力が降り注ぎ、彼等が生まれる。
皆無にするのは難しい。摂理の一つだもの。
でも昔ほどの勢いはない。
魔物と戦うことをなりわいにしているひと、魔物の魔石で道具を作ったり、売ったり、使ったりするひともいる……たぶん、これでいいんだろう。
頑張ったかいがあって、此処まで来た。
「会いたいひとが、いっぱいいるんだよね。人間の時間は短いから、会えるときに会っておかなくちゃ」
例えばグレン。
フレスベルへ帰った彼は、もう立派な大人になっているだろうし。
他にもゴリラさん達やレオさん達やクローナさんや……
縁を結んだ、たくさんの顔が思い浮かぶ。
「それに、わたし森の外を見てみたいんだ。今も気持ちは変わらない」
前回の旅は、あまりに短かった。もっと色々なところへ行きたい。
ワイズナー王国は大きな国で、わたしが知っているのはごく一部だ。
それにフレスベル王国やザラール帝国、さらにその向こうにある、見たことも聞いたこともない国。
数え切れないくらい、行先の候補がある。
アルザートは苦笑を浮かべた。
「僕の許可なんてなくても、君はもう自由で、どこにでも行けるだろう?」
「でも、帰ってくるのは此処だよ」
必要があれば、すぐに転移魔法を使うつもり。
この身体は世界樹のうつし身。里へ戻るのは簡単だし、世界一の魔道士もいる。心配いらないよ。
「それにと言うか、わたしがいるとアルザートとシャーリィンはちっとも前に進まないじゃない。邪魔者は留守にするよ」
「……余計なお世話だ」
表情を消してアルザートはうなったけど、耳の先がほんのりと赤い。
わたしは笑って、転移魔法を使った。
新生を経たというのに、わたしは未だ、魔法が得意とは言えない。
でも、この座標を間違えることはない。
「じゃあ、ほんの少しだけ……とりあえず十年くらい後でね」
こうして再び、わたしはエルフの里を出た。
⭐︎⭐︎⭐︎
歩けば数日かかる場所でも、魔法なら刹那で行ける。
跳んだ先は、人間の森に近かった。
また何度目かの春が来ていて、樹々や草にぽつぽつと花が咲いている。
わたしは周囲を見回した。
エルフの目は、森の中でも迷わない。
すぐに見つけた。わたしの星。
大きな樹の根元に座って、辺りを眺めている。少し眩しそうにして。
下草を踏みながら近づいた。
「ラスティウス」
彼がわたしに目を向け、ふっと口許を緩めた。
こういうとき、本当に嬉しくて仕方ないって顔をしているんだよね。
「リューエル」
そして落ち着いた声で、名前を呼んでくれるんだ。
「ちゃんと許可もらってきたよ。ラスティウスはなにしてたの?」
「特には……景色を眺めていた」
ラスティウスーー彼の姿も、数年前と変わらない。
君に合わせる、とさりげなく言われた。
もう一人の「彼」に返してもらった人間の身体だけど、時間を停めておくことにしたらしい。
とんでもない魔法をさらっと使っているよね?
その方が闇の魔力の償還も早くなる、ちょうどいいと言って彼は譲らなかった。
どんな姿でも好きだけどね。
もちろん今のままでも。
夜空の色の髪を眺めると、ちらほらと小さな花びらがくっついていた。どこかから風に乗って飛んできたようだ。
何枚か、つまんで取ってあげた。
「これミズベハナザクラだね、綺麗」
「ああ。そうだな、綺麗だ」
「あっちで咲いてるみたい。見に行かない?」
差し伸べた手をラスティウスはじっと見て、自分からも手を重ねてきた……と思った途端。
腕をひょいと引っ張った。
「あ、ちょっとーー」
わたしは「わあ」という間抜けな声を出して倒れ込み、彼のひざの上に乗せられて抱きしめられた。
「ラスティウス……わたしの話、聞いてた?」
「聞いていた。だが、後にしよう」
「夕方になっちゃうよ。星明かりと一緒に見るのも悪くないけどーー」
「別に構わない。リューエルがいればいい」
ひらり、とまた一枚の花びらが、目の前を横切っていく。
追いかけるように長い口づけが降ってきて、わたしは結局、なにも言えなかった。
空は陽の色に染まっていき、薄紅色の花びらが時々舞い落ちてきたけれど、探しには行かなかった。
瞬き始めた、どの星が一番明るいのか、比べることもしなかった。
隣にいるから……いいか。
そういうことだよね。
⭐︎⭐︎⭐︎
夜明けの下で、旅立ちの準備を整えて出発する。
深い森を抜けて、人間が住まうところへ。
懐かしい魔法をかけてもらった。人間に見えるように。
エルフは、幻の種族ではなくなった……でも、やっぱり目立ってしまうからね。
わたしは普通の旅人でいたいんだ。大騒ぎされるのは遠慮したい。
ラスティウスはもちろん分かっていて、昔と同じようにーーううん、もっと丁寧にかもしれない、魔法でわたしを包んでくれた。
今では、わたしも自分でできるようになったけどね。言わないよ。あなたの魔法、好きだもの。
ラスティウスは優しく、わたしを抱き寄せてから、指を絡めるように手を握った。
「ずっと一緒だよ、ラスティウス」
「ああ。愛してる、リューエル」
旅をしよう、あなたと。
いつか帰ってくるために。
わたし達は一つの影になって歩き始める。
いとおしい世界が待っていた。
〈終〉
これで完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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