Quest35:メアリとアンをサポートせよ【前編】
※
「旦那、起きて下さいよ。旦那」
慣れ親しんだ声と共に体が揺り動かされる。
最初はゆさ、ゆさと遠慮がちだった。
だが、次第に遠慮がなくなっていく。
それでも、ゆさゆさ程度だ。
不意に揺れが収まる。
「旦那!」
「……起きるよ」
やや強めの口調で言われ、嫌々ながら体を起こす。
目を擦り、視線を巡らせる。
そこは『黄金の羊』亭の自室――101号室だった。
ここで寝て、ここで目覚めた。
不自然なことではない。
疑問があるとすれば――。
「どうして、シェリーがここにいるんだ?」
ベッドの傍らに立つシェリーに尋ねる。
下着姿でも、生まれたままの姿でもない。
いつも通りの格好。
要するに普段着だ。
「旦那、忘れたんですか?」
「約束は覚えてるよ」
呆れたような表情を浮かべるシェリーに言い返す。
昨日、メアリとアンの面倒を見るように言われた。
いや、そこまで直接的に言われた訳ではない。
「聞きたいのは、どうしてシェリーがここにいるかってことだ」
「いつまで経っても旦那が下りてこないから仕方がなく入ったんですよ」
シェリーは腰に手を当て、小さく溜息を吐いた。
眉間に皺を寄せているが、怒っている訳ではない。
怒っているというポーズだ。
それにしても久しぶりに見たような気がする。
ふぁ~、とマコトは欠伸をし、ベッドから下りた。
机に歩み寄り、服を着る。
「わざわざ部屋に入らなくてもノックしてくれりゃ――」
「ノックならしました」
「マジ?」
「こんなことで嘘なんて吐きませんよ」
まったく、とシェリーは深々と溜息を吐いた。
「そいつは、申し訳ねーな」
「本当ですよ」
今度は小さく溜息を吐く。
マコトも溜息を吐きたい。
駄目人間化が加速しているようだ。
「参ったな」
「何がです?」
「このままだとシェリーから離れられなくなりそうだ」
「おや、離れるつもりなんですか?」
「そのつもりはねーよ」
別れてくれって言われたんならともかく、と口の中で呟く。
ただ、潔く別れられるかと言えば自信がない。
「今の所、私から別れを切り出すつもりはありませんよ」
「そ、そうか」
今の所という言葉が気になるが、ちょっとだけ嬉しい。
「この歳で、この目ですからね。旦那以上の人を見つけるのは無理ですよ」
「俺以上のヤツがいたらどうするんだ?」
「旦那、惚れた腫れたってのは当人同士の気持ちが大事なんです」
分かってないですねと言わんばかりの口調だ。
遙かに年下の女性に恋愛を語られると違和感を覚える。
それ以前に答えになっていない。
だが、当人同士の気持ちが大事という部分には同意する。
まあ、当人同士の気持ちだけではどうにもならない問題もあると思うが――。
「それにしても、俺以上か」
「旦那は実力のある冒険者ですし、宿泊費の支払いが滞ったこともない。世間体が悪い以外は申し分のない人だと思いますよ」
「生活感を感じさせる評価だな」
「この歳、この目とは言いましたけどね。こんな体でも粗末に扱いたくないんですよ」
「そりゃ、そうだ」
しっかりしてるなと思わないでもない。
だが、シェリーは一人で『黄金の羊』亭を切り盛りしてきたのだ。
しっかりしてて当然という気もする。
そもそも、利己的というのならマコトもそうだ。
彼女に居心地のよさを求めている。
とは言え、愛情もあるのだ。
激しく、燃えさかるような愛ではない。
静かに、燻るような愛だ。
静かに燻るような愛、とマコトは口元を押さえた。
ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
「いきなり口を押さえて、どうしたんです?」
「静かに燻るような愛とか考えたら急に恥ずかしくなったんだよ」
「――ッ!」
マコトが素直に告白すると、シェリーは驚いたように目を見開いた。
と言ってもすぐに目を細めてしまったが――。
「い、嫌ですよ、旦那。いきなりそんなことを言って」
照れ隠しだろうか。
シェリーは視線を逸らし、何度も髪を撫でる。
「悪ぃ」
「悪くはないですよ、悪くは。ただ、心の準備ってもんがあるんです」
シェリーは胸を押さえながらこちらに視線を向けた。
「ほら、旦那はあまりそういうことを言ってくれないんで」
「言ってるだろ?」
「普段ですよ、普段」
シェリーはちょっとムッとしたように言った。
確かに普段はあまり言ってない。
「恥ずかしくて」
「……旦那」
今度は呆れたような口調だ。
「何と言うか、体が先で、心が後みたいな――」
「それは違いますよ」
「何処が?」
思わず尋ねる。
「ちゃんと心が先ですよ」
「踏ん切りを付けたいって言ってたのにか?」
「まあ、アランのことがあったんで」
シェリーは気まずそうに視線を逸らしながら言った。
「それで、いつから俺に?」
「さぁ、いつからでしょうね」
シェリーはくすくすと笑った。
「何となく、いいなって思ってたような気はしますけどね」
「何となくか」
「目が合った瞬間に恋に落ちたって言った方がよかったですか?」
「嘘臭くなるからいいよ」
「失礼なことを言いますね」
シェリーは腰に手を当て、眉根を寄せる。
小さく溜息を吐き、手を下ろす。
「さて、旦那」
「何だ?」
「冒険の時間です。さっきから三人が旦那を待ってますよ」
「籠手と脚甲を装備するからちょっと待ってくれ」
「私は一階に戻ってますね」
シェリーは溜息を吐くように呟いた。
※
マコトが籠手と脚甲を身に着けて階段を下りると、シェリーはカウンターで待機中、フェーネ、メアリ、アンの三人はカウンター席に座っていた。
ユウカとフジカの姿はない。
まだ寝ているのだろうか。
起こした方がと考え、頭を振る。
年長者として、チームのリーダーとして二人の面倒を見なければという義務感はある。
だが、二人は子どもではない。
過干渉はよくない。
マコトはカウンター席――フェーネに視線を向ける。
彼女はカウンターに突っ伏し、力なく尾を揺らしていた。
足下には膨らんだリュックがある。
階段を中程まで下りた所でシェリーがこちらを見上げる。
やや遅れてフェーネの耳が動き、尾が動きを止める。
そこから先は早かった。
イスから降りて駆け寄ってきたのだ。
「兄貴、遅いッス! 待ちくたびれたッス!」
「……悪ぃ」
マコトは頭を掻いた。
流石にバツが悪い。
メアリとアンが立ち上がり、こちらに近づいてくる。
二人ともすでに準備を整えているようだ。
と言っても軽装なので頼りなく感じる。
「マコト様、今日はありがとうございます」
「……ありがとうございます」
メアリが頭を下げ、アンがそれに続く。
「もう少し気楽にしていいぜ」
「で、でも、私達みたいな駆け出しが……」
「……礼儀は大事だと思います」
メアリがごにょごにょと呟き、アンがフォローする。
「兄貴、格が違うんスから」
「実績はともかく、冒険者をやってる期間はそんなに変わらねーよ」
メアリとアンが駆け出しなら、マコトだって似たようなものだ。
「で、でも、兄貴」
「いいんだよ」
マコトはわしわしとフェーネの頭を撫でた。
フェーネは心地よさそうに目を細め、拗ねたように唇を尖らせた。
誤魔化されたと感じたのだろう。
実際、その通りだ。
まあ、フェーネの気持ちも分かるのだ。
同業者に舐められるのは問題だし、これから一緒に冒険をするのだ。
メアリとアンの意見を尊重したいと思っているが、何が起きるか分からない。
いざという時のために序列――指示系統はしっかりさせておくべきだ。
マコトはメアリとアンに視線を向けた。
すると、二人は背筋を伸ばした。
目が輝いている。
これなら軽んじられたり、アドバイスを無視されたりすることはなさそうだ。
ならば好感度を稼ぎたい。
いい人だと思われたいのだ。
多分、ユウカなら必死に善人ぶろうとしてと嗤うだろう。
「そういう訳で気楽にしてくれ」
「分かりました」
「……社交辞令ですよ」
「分かってるわよ」
アンがぼそぼそと呟き、メアリは拗ねたように唇を尖らせた。
「それで、今日はどうするんだ?」
「森に薬草を採りに行きます」
「……ついでにモンスターを討伐してお金を稼ぎたいです」
ただ、とアンはぼそぼそと付け加える。
「どうかしたのか?」
「……報酬は雀の涙ですので」
「ちょっと、アン!」
「……大事なことです」
「そりゃ、そうだけど」
メアリは声を荒らげたが、アンの反論に勢いを失った。
「……報酬を支払えないことを念押ししておくべきです」
「それもそうだけど、格好悪いじゃない」
「……これが私達の程度です」
うう、とメアリは呻いた。
「……よろしいでしょうか?」
「ああ、気にすんな。報酬はシェリーにもらってるからな」
「「――ッ!」」
二人は息を呑み、シェリーに視線を向けた。
「旦那、誤解されるような言い方は止して下さい」
「報酬はシェリーの機嫌だ」
もう、とシェリーは怒ってますとアピールするように腰に手を当てる。
「よかった。冗談なんだ」
「……安心しました」
二人がホッと息を吐く。
どうやら悪い想像をさせてしまったようだ。
二人とも女なので、この手の話題には敏感なのだろう。
迂闊――と言うか、元の世界ならセクハラだ。
いけない。もっと考えて行動しなければ下ネタ好きの人と思われてしまう。
「そういう訳で報酬の件は心配しなくていい」
「兄貴はお人好しッスね」
「それだけじゃねーけどな」
「そう言えば姐さんも力になるとか言ってたッスね」
「そういうことだ」
マコトは腕を組んで苦笑した。
シェリーにお願いされなくても何処かのタイミングで面倒を見ていただろう。
偶々、それが今回だっただけだ。
改めてメアリとアンを見つめる。
「最初に言っておくが、行動の方針は二人で決めてくれ」
「分かりました」
「……責任までは押しつけられません」
メアリとアンが頷き、マコトは内心胸を撫で下ろした。
「じゃ、行く――」
旦那、とシェリーがマコトの言葉を遮った。
「どうかしたのか?」
「お弁当を用意しておきました」
「おいらが運ぶッス」
シェリーがカウンターに弁当箱を置くと、フェーネが駆け寄った。
弁当箱を受け取り、リュックにしまう。
「じゃ、改めて行くか」
「了解ッス!」
「はい!」
「……はい」
食堂に三人の声が響いた。
※
いつかのようにマコト達は川沿いを進む。
隊列はメアリが先頭、アンが二列目、マコトとフェーネが三列目だ。
ちなみに二人との間には距離がある。
距離を置いているのは立場を明確にするためだった。
依頼を受けたのはメアリとアンだ。
マコトとフェーネはあくまで保険だ。
メアリは槍を、アンは弓を構えながら進む。
「兄貴、大丈夫ッスかね?」
「何が?」
「モンスター避けの鈴ッスよ」
そう言えば以前はフェーネが首から鈴を提げていた。
「二人がモンスターを討伐したいって言ってたからな。意思を尊重してやらねーと」
「兄貴は優しいんだか、厳しいんだか分からないッス」
「よく言われる」
「誰に言われるんスか」
横目で見ると、フェーネがこちらを見上げていた。
ちょっとムッとしたような顔をしている。
「まあ、色々……」
「シェリーさんとリブとローラさんしかいないッスよね?」
「ユウカとフジカがいるじゃねーか」
「兄貴が関係を持っている女性って意味ッス」
「それは秘密だ」
マコトは二人と距離を保ちながら付いていく。
まさか、三人から二面性があるみたいなことを言われているとは言えない。
俺も悪ノリしちゃうからな~、と空を見上げて溜息を吐く。
すると――。
「うぐぐ……」
「どうして、呻いてるんだ?」
「姐さんを除けばおいらが一番早く出会ってるッス。なのに――」
「骸王のダンジョンで会った時、認識阻害を使ってたじゃねーか」
「それはそれ、これはこれッス。おいらが女って分かってからも態度が変わらないッス」
「それは……」
マコトはフェーネを、いや、フェーネの慎ましい胸を見た。
ただし、一瞬だけだ。
にもかかわらず――。
「胸を見たッスね、胸を! 比率的にローラさんとあまり変わらないはずッスよ! それにおいらはまだまだ成長の余地があるッス! この胸には可能性が詰まってるんスよ!」
「比率的にって、そこまでして勝ちたいか」
「当然ッス。それに、何か、こう、今の状況に敗北感があるんス。女として」
フェーネは拳を握り締めて言った。
「……割と自分のことなんだな」
「や、それは誤解ッス」
「何処が?」
「おいらは兄貴のこと、好きッスよ。愛してるッス」
「そーか」
「兄貴、ちょっとぞんざいすぎッス」
「いや、湿度が……」
「何の関係があるんスか?」
「告白にはしっとりとした感じが欲しいんだよ」
「リブはどうなんスか?」
「あの時はムラムラしてたから」
「雰囲気なんて、いらないじゃないッスか」
「できれば欲しい」
「前向きに頑張るッス。とにかく、おいらは兄貴が好きなんス。強くて、優しくて……困ってる時に助けてくれたんスから、もう惚れるしかないッス」
「惚れるしかないのか」
「惚れるしかないッス」
むふ~、とフェーネは鼻息も荒く言い放った。
何故だろう。
しっとりした感じも、甘酸っぱい雰囲気もない。
「昨日は色々と言ってたのにな」
「あれは売り込みッス」
「ますます色恋から遠ざかるな」
「兄貴、今の状況で艶っぽい感じを期待されても困るッス」
「なんでだ?」
「後から来た連中に先を越され、レベルも上がらない有様ッスよ。しかも……」
フェーネは目を細めてメアリとアンを見つめた。
「危機感を覚えるッス」
「そうか」
マコトは小さく溜息を吐いた。
「ところで、あの二人はどうだ?」
「正直、駆け出しが二兎を追うのはどうかと思うッス」
「マズいか?」
う~ん、とフェーネは唸った。
「結果が伴えば問題ないッスけど……」
「けど、何だよ?」
「経験上、二兎を追うと失敗するッス。そもそも、一兎を得るのも難しいから冒険者がいる訳ッスから」
「そりゃそうだ。フェーネならどうする?」
「モンスター避けの鈴を首から提げて薬草が生えている所まで行くッス。兄貴は……どうするんスか?」
フェーネが上目遣いにこちらを見る。
どうするとは、薬草採取に専念すべきとアドバイスするのかということだろう。
「…………いや、止めておく」
「いいんスか?」
かなり間を置いて答えると、フェーネは訝しげな表情を浮かべた。
「教えてやった方がいいんじゃねーかとは思ったけどよ。俺達がいれば大抵の状況はフォローできるだろ?」
「ある程度はフォローできるッスね。即死されたら無理ッスけど」
「即死か」
そこまでは考えていなかった。
考えてみればこの森には魔羆がいるのだ。
魔羆の攻撃をまともに喰らったら即死もありえる。
「もう一度、聞くッスよ。どうするんスか?」
「…………やっぱり、止めておく」
やはり、かなり間を置いて答える。
確かに魔羆の攻撃を喰らったら即死する可能性がある。
とは言え――。
「俺達は保険だしな。失敗できる時に失敗しておくってことは重要だと思う……多分」
「兄貴~」
フェーネが情けない声を上げたその時、首筋に痛みが走った。





