ベッケンハイム
荷馬車の日陰でもぜんぜん涼しくない。夏だから熱いのは当たり前だが、何かおかしい。意識がボーッとしてきた。
「ヤバイなぁ」
きっとあの魔法を使ったせいだ。“ノー”は相手の行動を強力に阻止するが、魔力はゼロになる。
「大丈夫ですか?」
御者の男がいろいろと手を尽くしたが無駄で、タロスに助けを呼びにいってくれた。
動けないのが知れると、ウォールが抱え上げてくれた。仲間が増えると嬉しいことがいっぱいだ。
ハルトは緩い微笑みだが、ウォールはしかめっ面だ。
「これは……」
ガンガン上昇していく体温と青ざめた顔。どう見ても正常ではない。ショーターが冷却魔法で氷塊を出し、タロスが回復魔法をかけてくれたが、あまり好転しなかった。
「仕方ない。ここで別れるか」
ニックは御者の男と長く話している。
――あぁ、そうか。俺は捨てられるんだ。
無理矢理にチームに入ろうとした。強がって、助けてやるって豪語したのに、こんなザマか。
――ざまぁねぇな。
バーサクの噂まである厄介者を助ける理由なんてどこにもない。このまま平原に置き去りにされる。
荷馬車はしばらく走った。眠っている間にどこかの街に入ったようだ。
ニックは街の道案内を兼ねて御者の隣に座り、話し込んでいる。俺は馬車の揺れに耐えきれず、体格の良いウォールに身体を預けていた。会話することも億劫で、だるい。
賑やかな通りは馬車が行き交うほどで、大きな街のようだ。石畳もきちんと整備されていて荷馬車も揺れなくなり、極端にスムーズになった。
繁華街を曲がって一本奥の通りに入ると案外静かだ。そこでウォールに担がれて降ろされた。ニックが皮肉っぽい笑いで見下げていた。
「ここにいろ」
ハルトは頷いた。
そうして四人は去った。
どうせ捨てられるにしても、平原より街であるだけ優しい。人通りがあって涼しいところを選んでくれただけマシだ。乗ってきた荷馬車は去り、遠く小さくなっていく。
一人になったことを実感した。
やっぱりこういうのは辛い。人生いろいろあるけれど、別れの挨拶も無しで、いきなり捨てるなんてアリか? 一緒に楽しい旅ができると思ったのだ。なのに、結局人間は利害とかしがらみに勝てないのか。
ほんのちょっと泣きそうになった時、後ろから笑い声がした。
「置いてかれたと思ったんだろ。バーカ」
ニックの憎たらしい顔。そしてその脇にある看板。
『歓迎。荒くれ宿・ベッケンハイムへようこそ!』
「や……宿屋だ」
ハルトは夢を見ているのかと疑った。
寄りかかっていたのは宿屋の壁で、目の前の植え込みの花は宿屋の花。入口から流れてくる匂いは宿屋に併設された酒場の匂いだ。
宿屋に泊まれる!
十二年ぶりの夢の場所だから、泣いた。涙の止め方も分からないし、いっぱい出てくるものは止められない。鼻も息も詰まって苦しいのに、嬉しくてたまらない。
「ありがとう、ございます~」
そういう涙は格好悪くないよな?
だってあのニックが御者に頼んで近くの街に寄り、予定外で別行動をとってくれた。しかも宿屋と医者を探してくれていた。仲間がいることって、本当に素晴らしい。
俺は体調が悪い上に大泣きしたせいか、朦朧として、何度も「宿屋だ」と繰り返していたらしい。聞き飽きたと言われた。
医者からは熱中症と診断された。涼しい場所で、数日の静養が必要だそうだ。おかげさまで、俺は幸せだ。
ずっとダンジョンで座って仮眠。良くて寝袋だったので、ベッドで眠れることひとつとっても幸せ。夢? 妄想? 天国でもない。これは降って湧いた素晴らしい現実。
――宿屋って……最高。あぁ、ノリのきいたシーツ、久しぶり。
ただしチームに入ったからにはタロスの執拗な愚痴をきくという洗礼もある。
「ケアが重要だというのに放置しおって、医療チームは何をしている。傷を塞げば終わりというものではないぞ。見習いも短期間でこんなに酷くなっておるのに、なぜ訴えなかった。このクソ暑さで放置して馬鹿か。腐ったらまた切り落とすところだぞ」
「すみません。時間がなかったもので」
ニックが陰でブブッと笑う。
「時間がなかった? 荷馬車に乗って帰るだけなのに? それにカタカタ鳥に乗って移動できるなら、ドラゴンにも乗れただろう?」
ハルトは赤面した。
「あ~。バレちゃいましたね!」
「カタカタ鳥を使役していたから、テイマー(訓練師)だな。おかげでレグスはいくら呼んでも帰ってこない。テメェがやったのかよ」
「だって可哀想だったんです。痩せてお腹減らしている姿を見たら、ごはんあげたくなるでしょう?」
「モンスターを狩らせたぞ」
「黒豹は本来、一日数匹程度の狩りをする体力です。ダンジョンで際限なくモンスターと戦わせると疲弊してしまいます」
「そんなこと分かっている。でもあれは有能だった。獣のくせに頭が良くてな。いろいろ役立ったんだ」
「ずっとビーストモード。ご存知ないのですか? 彼は人獣、アスラケージ国の戦士です」
ニックはしばらく黙っていた。
「テイマー(訓練師)としても有能か。困ったもんだな。じゃあ正直に言う。
レグスは数日前にダンジョンで見つけたんだ。アスラケージ国の戦士なのは知っていた。他の勇者に殺されたら可哀想だから、安全のためにビーストモードで保護していたんだ。だから痩せていたのは牢にいたからで、首輪は前の持ち主が着けていたものだ。外し方が悪いと首が飛ぶから、後回しにしていたんだ」
「そういう事情だったんですね! ニックさんが良いテイマーで安心しました」
「俺はビーストテイマーだ。だからテメェのジロジロと物欲しそうな顔に警戒したんだ。敵味方の区別つかない男に狙われたレグスが可哀想だろ」
「心配で見ていられなくて……首輪を外して逃しました」
ニックは焦った。
「逃がしただと! また悪いヤツに捕まったりしたらどうする」
「強めの魔法で保護しておきました。アスラケージの友人も紹介しておきましたから、無事に国に帰ると思います」
「そこまで言うなら信じるが……普通の見習いはRBC以外、外に出たことすらないのに、アスラケージを知っているどころか、友人がいるなんて聞いたこともないぞ」
「あぁ、召喚される前から付き合っている友人です。レグスを見たら、懐かしくなってしまって……RBCを訪ねてきてくれたこともあります。元はラブラドールレトリバーだったのに、猫科の獣になっていたものですから、それは驚きました」
「逆によくそれで気付いたな」
「俺の相棒ですから。今はアスラケージで元気にしていると思います。本当は昔のように一緒に暮らしたいんです」
「ジータ国の勇者見習いとアスラケージの戦士の同居…厳しいな」
「そうなんです。世界のシステムを変革しないと叶わない夢ばかりで、時々くじけそうになります。でも宿屋になることができたら、そういう夢も一緒に叶うんだと思うと、楽しみも二倍になるでしょう?」
「宿屋?」
「前に言いませんでしたっけ? 俺は宿屋になりたいんです。だから勇者にはならないで見習いのままキープしているんです」
「タロス。オレの耳が今、“宿屋”と聞こえたんだが。それとも熱で頭がおかしくなったのか?」
「年寄りの耳にも宿屋と聞こえました。やはり儂も老いたか」
ショーターも頷く。
「若者の耳にもヤドヤって聞こえたぞ。新種のバーサク状態か? 混乱しすぎだろう」
ウォールは真面目な顔だ。
「嘘はつかないんだろ?」
「はい。本気で宿屋になりたいと思っています」
ニックは笑い出してよろめいた。
「狂ってる!」
「ええ? 酷いです! ダンジョンの中に宿屋があったら、みんな嬉しいでしょう!?」
タロスは頷く。
「まぁ……それは嬉しい」
「温かい部屋とか、ふかふかのお布団とか。美味しい料理とか絶対必要です」
ショーターは同意しつつも困っている。
「見習いくんよ、確かにそれは嬉しいが……旅行じゃないんだからね? 戦地でゆっくりしているヤツはいない。死んじゃうからね?」
「だから最強を目指したんです。厳しい環境には最強の宿屋が必要なんです。宿の安全は俺が守ります」
顔を赤らめて気合を入れるハルトにウォールは布団をかけた。
「分かったから寝ろ。最強だろうが、宿屋だろうが、今は病人だ。熱が下がったら、そのことも少し冷静に考えるといい。今が見習い勇者だということを忘れるなよ?」
ハルトは何も言えなくなった。
味方になってくれただけありがたい。けれど欲は尽きない。ひとりでもいいから、イイネって言ってもらいたかった。
――俺は間違ってない。
ハルトは寝ることにした。
よく寝て食べて、そして行動する。そのうちきっと、何かが変わっているだろう。




