夏の誓い (2)再会
ゾッとした。渡された手紙は蝋で封をされたアスラケージ国の公式文書だ。
ここは生徒が文通しているだけで断罪されるRBCだぞ。私信の相手は俺をさらし首にしたいようだな。
「誰ですかね」
今さら知らないフリしても遅いよな。かなりの強硬手段に出てきたが、さてどう料理しよう。俺たちの関係をヴァネッサ王女はどう公表してくるか。
「人脈が広いですね。私も驚きました」
「ご迷惑おかけして申し訳ありません」
手紙をポケットにしまおうとすると、咳払いされた。ここで開けないとエストワールの機嫌が悪くなる。
「敵国の王女が使者を出し、私を通して君に手紙を出したのですよ。私まで内通者の疑いを背負いかねない。どういう手紙の内容か教えなさい」
「俺は何も指示していませんからね?」
封を開け、肩透かしを食らった。内容は直球のラブレターだ。会いたい、愛している。ほとんど会話していないのに、創造力が豊かで一途な女性だ。
俺はテーブルに手紙を置く。見たいならどうぞご存分に。
「特に内容は無いです」
エストワールは手紙を読み返している。何か考えている異様に時間が長い。
その間、俺は暇だ。将軍はずっと俺の顔を見ている。
――顔なんて見たくもない。万が一にも俺が気に入ってしまい、間違ってテイムしたら、彼の人生が狂ってしまうじゃないか。何といっても俺は猫も犬も大好きで、その上で賢くて強い人獣だったら、意思の疎通なんかバッチリで……考えない、考えない。欲にまみれるだけで、どうせ手に入らない。
よし、違うことを考えよう。
――空が青いな。アスラケージ国まで、ずーっと青いだろうな。乾いた埃だらけ空気、あれ熱いんだよな。蒸し暑さじゃなくてさ、熱いんだよ。こことはちょっと違うんだ。現地に行って実際に体験してみないと、そういうのって分からないんだよなぁ。でもまぁ時も過ぎたし、半分くらいは忘れたか。アスラケージ国、懐かしいな。
エストワールは将軍に手紙を渡し、二人で相談中だ。
「将軍、何かご存知では?」
ヴェルダンディ将軍は鋭い視線で俺を観察している。そして重々しくも俺のプライベートを犯すようなことを発言した。
「王女様をテイムしたのですか?」
ムカついた。エストワールめ、いつから軽薄になった。俺がテイマーだと教えるなんてとんでもない。
「モンスターと獣と獣人、人間。どの立場であったとしても俺が友人だと思う方にはテイムしません。テイム感情と恋愛感情も違います」
エストワールが笑っている。
「王女さまの一目ぼれですか。君はモテますね」
「校長先生、出会いは一度きり、猫と鼠の関係です。ヴェルダンディ将軍も誤解しないでください。幼児でテイマーであることも知りませんでした。言いがかりも甚だしいです」
ヴェルダンディ将軍は黙っていた。何を考え、俺をどう決めつけたいのか。全ては目を合わせれば分かる。マナの質や魂から敵味方ぐらいの判別はつく。最初に感じた何か、それに対する危機感は薄まりつつある。野性味があるくせに知的だなんて興味が尽きない。もう我慢できない。
俺は言った。
「真のテイミングというのは……」
少しレクチャーしよう。俺はヴェルダンディ将軍を見上げる。立派な体格の上に猫っぽい顔がのっている。ガラス球のような大きく美しい瞳は知的で、とても綺麗だ。
――あれ? なんで?
初めて会うのにとても懐かしい。
濡れた頬に理由を探した。じんわりどころか滂沱の涙じゃないか。無性に愛おしいのだから仕方ない。これは偉大なテイマーの証拠だろうが、将軍はドン引きしたに違いない。超恥ずかしい。
「すみません」
将軍が俺を見つめる瞳は気品に満ちて美しいままだ。それどころか期待に満ちている。忠義と信頼の瞳だ。
――嘘だろ?
自分が信じられない。涙を拭いても、また溢れてきてしまう。もう子供ではないのに、我慢できない。
「カム」
ヴェルダンディ将軍は椅子から降り、四つ足の獣の姿になった。装甲具が首輪の形になるのは、高級品の魔工具。きっと貴族で血筋の良い人獣に違いない。だから俺の想像は絶対に違うに決まっている。
それでも将軍が足元に寄ってくる。その姿勢の低さにぞくぞくする。テイムしたら怒られる。分かっているのに、自分が止められない。
膝に耳をこすりつけ、熱いくらいの愛情が伝わってくる。
二度と取り戻すことができないと思っていた絆だ。テイムの必要など無かった。もうずっと昔から、俺たちは繋がっている。
「ステイ」
声が震えた。真実が知りたい。
ヴェルダンディ将軍は大きな体躯を丸め、俺の前でお座りをした。過去の記憶とそっくりな忠実な瞳で。
「マスター、どうぞ」
いつもそうやって、俺を慰めてくれる。
「ワンなの? ニャンなの?」
俺は床に座り込んだ。大きくて柔らかい毛並みを抱きしめ、顔を埋める。泣きながらも笑いが止まらなくて、肩が震えた。昔ながらの相棒との日常、そのものだ。
「すでに会話しているでしょう。そして前から申し上げたかった。鼻水は止めてください」
「無理!」
エストワールの前でも、これは我慢できない。
「ベル太……! じゃなかったヴェルダンディ将軍。――こんなになって。でもうれ……うれしい!ヴェルダ~」
「無理せず昔のようにベルとお呼びください、マスター」
「分かった~、ベルにする~!」
“ ※ ※ ※
泣き腫らした顔を冷却魔法で元に戻るのを待ちながら、ベルの昔話を聞く。魔の森で放浪した時はかなり苦労したようだ。
「ごめん。シェラが俺に連絡くれれば、直接迎えに行ったのに」
桃色の魔法陣が部屋に出現し、俺の愚痴が途切れた。
――これは!
久しぶりで鼓動が高鳴る。
桃色の髪を揺らし、シェヘラザールが、俺の目の前に降り立つ。
「サプライズ演出しようと思ったの!」
ちょっと怒ったフリをして、その後に笑ってみせる。
「シェラ」
俺も笑みが止まらない。どうしよう、今日は怖いくらいに幸せな日だ。
あれから五年だぞ。そりゃ驚くよ。
念話で連絡を取り合うことはあったけれど、触れることも、直接目にすることもできなかったから、とびきり嬉しい。離れた分だけ愛おしさが増しているけれど、素直に顔に出なかった。
もっと驚いてしまったことがある。
シェヘラザールが幼い。聖女は歳を取らない、知っていたがギャップが身に染みる。成長期も終わりかけで俺は背が伸び、体格の良い戦士になった。そして老人になっていくのだろう。それでもシェヘラザールはずっと若いまま……切なすぎる。
俺は頭を下げ、丁寧に挨拶した。
「シェヘラザール様、ヴェルダンディ将軍を招いてくださってありがとうございます」
シェヘラザールは品のある微笑みで一礼する。
「お久しぶりですね、ハルト」
名前を呼ばれただけで、胸がズキュズキュと疼く。手紙や念話もいいけれど、やはりこうして会えるのは幸せだ。
エストワールが咳払いして俺たちの間に割り込んできた。
「承知しました。ベルと二人きりの旅、楽しくなりそうです」
「二人な訳がないでしょう。見習いとはいえ勇者ですから監視役と護衛が同行します。今から指定したダンジョンを最速で、とのことです」
「分かりました。気のせいかな、最速とかダンジョン指定とか……注文が多くない? それに今からって……修行でもあるまいし」
シェヘラザールは扱いが乱暴すぎる。魔法陣が足元に広がった。
「大事な話があるから」
言うが早いか空間魔法で転移し、俺は攫われてしまった。




