夏の誓い (1)ヴェルダンディ将軍
俺は少々浮かれているのかもしれない。アキトの訓練生となり、卒業が先延ばしになったこともある。これからは見習い勇者と呼ばれるそうだ。平たく言うと勇者が正社員なら、俺は学生アルバイト。
それでもフォレストパレスから出て、外の世界で活躍できる。これを機に宿屋の準備を整えオサラバ、そんな計画と想像を繰り返しているせいで笑いが止まらない。RBCでの10年は長かった。
そんな時、校長からご指名の仕事が来た。
夏の始まりで太陽がギラついている。むせ返るような熱気がやってくると思うと、ちょっとしんどい。
「長旅かぁ」
アスラケージ国に行けと誘いを受けている。今でさえ暑くて面倒なのに、どうして砂漠の国なんか。見習いだぞ、アキトの腰巾着だぞ。俺がかなり強くなったことは知っているだろうが、強者の看板はまだまだ、お取り置きでお願いしたい。
校長室の扉を叩いた。
「失礼いたします。訓練生ハルト、入ります」
扉を開くとすでに来客中だった。豪奢な鎧に包まれた大きな背中。全身が体毛で覆われ、しなやかな尻尾が悠々自適に揺れている。
――人獣だ
ぞわぞわとテイマーの血が騒ぐ。
俺がよちよち歩きで、小太郎に抱っこされていた頃、アスラケージ国で人獣を見たことがある。人と会う時は二足歩行だが、戦いになると獣に戻る。知能の高い種族で、体力においても人間より秀でている。ただし魔法と策を練るのが苦手なせいでジータ国と五分五分の国力だ。
付き合うのに良い相手だ。俺がいればマイナス面を全部カバーできるぞ。ちょっと仲間になってくれないかな。
「何を突っ立っている」
エストワールの言葉もあまり耳に入らなかった。
「来客中とは知らず失礼いたしました。用件だけ申し上げます。先日の出張の件、お断りします。以上です」
退出しようとするとエストワールは苛立った。
「そもそも断れると思っている方がおかしい。そこに座りなさい」
命令に逆らうほど馬鹿ではないが、断れないのは問題だ。
「行かなければ駄目ですか?」
「訓練生にした途端に図々しくなって、校長の命令を断るとはどういうつもりですか。見習いとはいえ“勇者”ですよ?」
「 現状、勇者の仮面は必要ですからご安心ください。素顔は晒しません」
「その小癪な顔を見たいとお客さまが来ています」
人獣が立ち上がった。二足歩行の毛むくじゃらは想像よりも全体的に大きく覆いかぶさってくる。
「アスラケージ国王宮から参りました。国軍中将ヴェルダンディと申します」
丁寧なお辞儀だ。品性どころか忠義まで感じている俺のほうが馬鹿なのだろう。これは警戒しなければいけない。絶対に視線を合わせてはいけない相手だ。
「はぁ、そうですか」
将軍が見習い勇者に何の用がある。それに馬鹿丁寧も妙だ。絶対に面倒ごとがあるに違いない。
「どうしてこちらを見てくださらないのですか」
欲望が顔に出てしまっているからだよ。悪い癖なんだ、恥ずかしい。そんな切なそうな声で鳴くな。我慢できない。
「敵意はございません」
とりあえず無難で、問題なしの回答だ。動物界では目を合わせる時は喧嘩の時が多いからな。
でも俺だってちゃんとチェックしている。
ざっと感じたのは外見が猫、知能が高そうだ。艶やかなロシアンブルーの毛並みでしっかりした筋肉と柔らかそうな肉体。さすが将軍だけある。
エストワールは苦笑いをしているが、意味が分からない。
“ ※ ※ ※
「実はヴェルダンディ将軍は数か月前からRBCに滞在しておりました。アキトの卒業セレモニーを覚えていますか」
「ワイバーンが襲ってきた時ですね」
「シェヘラザールがヴェルダンディ将軍を密かに呼んだ日と偶然にも被ってしまったそうです。それでシェヘラザールが私を頼り、魔の森にいた将軍を保護していました」
「へぇ、可哀そうに。アキトってば酷いな」
将軍の尻尾が荒ぶっている。よほどアキトを恨んでいるのだろう。
「重力魔法など滅多にない体験をさせていただきました。あれが無ければ撃墜などされませんでしたね」
「そうですか。大変でしたね」
それは俺がご指名されるわけだ。アツアツの紅茶を冷却魔法でアイスティーにして、乾ききった喉を潤したい。
ヴェルダンディ将軍とエストワールのご機嫌を取るなら、やはりアスラケージ国に行くしかないだろう。出張はキャンセルできそうにない。
エストワールは勝ち誇った顔で手紙を置いた。
「ヴァネッサ王女から二通、手紙が来ています。一通はシェヘラザール宛で、将軍引き渡しの要求です。友好の使者として送った将軍と、幽閉されている友人の息子を返さなければ、アスラケージ国はRBCを許さず、勇者解放に向けて攻め入るだろう。という警告付きです」
エストワールの冷ややかな態度がこちらに向くのは理不尽だ。
「何もしていないです」
「勇者は我が国の資産です。正当な理由と、国王の許可が下りなければ、敵国に引き渡すことはできません」
「では俺を守るために戦争してくれます?」
エストワールはこの上ない冷徹な顔だ。舐め腐った返答で何が悪い。勇者は使い捨ての駒だろ、たとえ魔王級の俺でもな。
「将軍については母国に戻っていただきます。我が国は将軍との引き渡し条件として、ノースデルタとアスラケージ国の国境付近の領地をもらい受けました」
地図で示された場所には不快感しかなく、ツッコミを入れる。
「国王の狙いはノースデルタ国。シルバーレイクに侵攻するつもりですね」
エストワールは難しい顔だ。この政策が気にいらないのか。
「魔王メルキュールの棲み処と言われていますが、長い間、その魔王を見た者がおりません。極夜の魔王を倒すには、良い足掛かりになるでしょう」
エストワールは戦争反対派。それは好ましいが国王はやる気だろう。国王の職があるとはいえ強大な魔王。隣国の魔王は絶対に倒したい相手だ。
「ノースデルタの魔王は強いと聞いています。そう簡単には落ちないでしょうが、ジータ国王が動けば、話が変わってきますね。アスラケージ国もかつてジータ国に侵略されましたから、戦争は避けたかったのでしょう」
「アスラケージ国には詫びねばなりません。君を解放することはできませんが、出張を命じます。御礼奉公してきなさい」
「断れない案件」
「そうです。行かないと誰かが血を見ることになります。それと手紙はもう一通あります。君宛です」




