(4)魔の森の思い出
魔の森に入ると、モンスターがざわめきだした。奥地に行くほどハルトが使役しにくいモンスターが増えてくる。
そういう時は笛を取り出し、何曲か弾く。襲ってくる獣も従順になり、魔力を使うよりも楽だ。出迎えた魔獣に乗ると、ハルトの肩や頭にもたくさんの小さいモンスターが乗った。
「便利だなぁ」
ハーメルンの笛吹き男のようであるが、魔獣は道案内役だ。今から森の長であり魔の森の代表、ブラクスと会う。
ブラクスはここ数年でさらに強くなった。エギスガルドのダンジョンで魔王を倒したことを知ると、悔しかったのか、やたらと喧嘩を持ちかけてきて、戦争状態になることもしばしばあった。
もうすぐここを去ることにも気付いているようで、次の王は俺だと言わんばかりだが、そうはさせない。この数年、俺と小太郎でリオールを鍛え上げてきた。虐待とか言われそうだが、マラ族の魔王の看板をこれからも背負ってもらいたいから、ブラクスに負けない程度になってほしい。
ブラクスは真っ黒な魔獣で角が何本もあるし、尻尾はトゲがついてブンブン振り回す。パワー系だがしっかり魔法も使いこなす強者だ。
森の巨木の空洞に生息するブラクスは獰猛だが、アイテムボックスからある品を出したせいで機嫌が良くなった。
「おお。酒樽じゃないか」
ハルトは微笑む。
「一杯どうよ?」
「小さい頃はよく負けていたのに、そろそろ十年か。人の子は成長が早いな。あの時、殺しておけばよかったよ」
モンスターも酔わせる酒だから、かなりアルコール度数が高い。少量付き合うことにしたが、途端にぐるぐると目が回った。
「何回も殺されそうになったから、いつのことだか分からないよ」
「結界にぶっ飛ばした時さ」
――あぁ、あの時か。あれは油断した。
「右足噛んでくれて助かったよ。俺は運が良いんだな」
思い出話を肴に、酒を飲むのもこれが最後かもしれない。
※ ※ ※
当時のブラクスは森の支配者で、ジェットからある程度の管理を任されていた。外部からの侵入者を排除したり、逃げようとする勇者見習いの邪魔をする。御多分に漏れず、俺もその一人だった。
RBCに入って数年経った頃、魔の森の端の結界に触れたことがある。
とても誘惑的だったのだ。
結界の先は王都エルダールの裏道、生活道路だった。小さな店が並んでいて、花屋や雑貨屋、その隣は小さなホテルで一階がレストランになっている。客が出入りするたびに、店の中がチラチラと見えて、楽しそうに働いている。面倒くさそうに外を掃き掃除している店員すら輝いてみえて、心を奪われる。
何回も来て、何時間も街の様子を眺めていた。この場所にいるだけで、街と同化して、街の空気になれる。そのうちひとつになって出られそうな感覚になる。
柵は公園の柵程度で簡単に乗り越えられるし、小さな通用門もある。通っていいよと言わんばかりの状況だ。けれどオーロラ色の結界に触れると右手の紋章が警告して、気絶するほど酷く痛む。
出たい、自由になりたい。その想いは強くなって、計画的になった。ライカとかアブソルティスとか、聖女とかどうでもよくなって、陽翔の忠告も耳に入らなくなった。
――右手を斬ってでも脱出する。
今考えると恐ろしい。当時は最悪の場合、右手など義手で何とかなるぐらいの勢いで、正常な判断ができなかった。ジェットが不在になる日を決行日にして、夜中に抜け出して、魔の森を抜ける。
モンスターを率いるブラクスと戦うことになった。
「またジェットの子供かよ、いい加減に外は諦めな!」
俺は冷酷だった。利用できるものは何でも利用した。結界はモンスターを街の外に出さないための仕組みでもあるから、テイマーが飛び込めといえば、洗脳できる敵は悲鳴をあげながら、結界に飛び込んでいく。俺に歯向かってくるモンスターは触れることもできずに結界に当たって自死していった。
眠らせるだけで良かったのに、何故か俺は苛立っていて、とても酷い奴になっていた。陽翔は必死に呼びかけてくる。それも雑音のように思えるし、交代などさせない。
ブラクスの怒りは頂点に達していた。けれど俺は何度も右足でモンスターを蹴り、踏みつぶしていた。片足がモンスターの血でぐっしょりと濡れるけれど、それすら心地よく笑みが出る。
「――行かなきゃ」
――自由になれる。楽になれる。毎日が楽しそうだ。こんな場所にいたら、俺は腐ってしまう。みんな踏みつぶしてしまえ。親父が待ってる。
陽翔が何度も叫んでいる。
“親父のこと嫌いだったろ!”
――ごちゃごちゃとうるさいなぁ。黙ってろよ!
ブラクスにも意地と誇りがある。絶対に魔の森から外へ勇者は出さないと激しく応戦する。蹴りに出した右足に噛みつき、結界に向かって放り投げた。
雷が落ちたような強烈な衝撃だった。ハルトは絶叫し、右足を抱えたまましばらく動かなかった。ブラクスは怒りのままに噛み殺そうとした。
「ごめん。俺が弱いから……ごめん」
泣きながら身を起こすと、牙を剥き出しにしたブラクスに触れ、回復魔法が伝わってくる。
「死んじゃった子はどうにもできないけど、無駄にしない。その分だけ俺が強くなるから許してくれ」
ブラクスは言った。
「負け惜しみか」
ハルトは流血する右足を見ながら微笑んだ。絶対的な契約は完璧な状態でないと、絶対的な効力は出ないようだ。
「俺は運がいいな」
身体が震えてうまく動かないが、少なくともライカと戦うよりブラクスの方が楽しい。
「負けは認めるよ。頼みがあるんだけど、どうせ殺すならこの右足から食ってくれないか? この紋章、くそ邪魔なんだ。死ぬ前にすっきりしたい」
どうせ無くなるなら、右手よりも右足の方がいい。
ブラクスはそれも良いと思ったが、視線を感じた。
街の裏通りは平和で、ガラス越しの動物の檻に似ている。今まさに少年が食われようとしているのに、結界を挟んで50センチ程度で、幼児が座っている。
「食うのはやめとけ。減衰させるぞ」
月明かりに銀髪が光る幼児。緑の瞳は狂気じみていた。
ブラクスが本能で唸ると、幼児が軽く手を翳した。グオオとの唸り声がグモモとなった。牙や歯がボロボロと抜け落ち、尾の棘が抜け、皮膚がたるんだ。
「!?」
「良い子にしたら元に戻してやる。そいつを殺さないって約束できるか? 弱い者虐めしやがって、そういうのはうんざりなんだよ」
ブラクスが頷く。
「増殖!」
声に反応して、ブラクスに牙や棘が生えてくる。前よりも硬質で鋭い。
「気にするな。道具はより良いものにしたい主義だ。用は済んだだろ。去れ」
連れの護衛が遅れて現れ、幼児の背後で立っている。結界内は血まみれで凄惨な現場だ。
「なぁ、こいつ手当したほうが良いと思うんだけど……」
護衛はあっさりと言い放つ。
「それは勇者の子です。放っておきましょう。さぁ坊ちゃま。参りましょう」
幼児は去り際に呟いた。
「オレもこうなるとこだったか。危なかったな」
ハルトはその声に飛び起きた。
「出して、出してよ!! 君も出られたなら、俺もここから出して!」
「頭悪いな。勇者になって出ろ。森の端まで来れるなら簡単だろ」
「アホか! なりたくないから出せつってんだよ! 死ぬまで戦わされて、一生コキ使われるなんでゴメンだ。俺は俺の人生を生きる!」
「天才に向かってアホと言いやがった。このドアホめ。もっと頭を使え。大人でも聖女でも使えるものは他にたくさんあるだろう。オレが役立つのはその後だ」
「その後?」
「小さい頭で考えて苦しめ。その意気を貫けたならご褒美をやる。自分の足で出て、ローデハイムを訪ねてくるが良い。良い装備を作ってやるぜ」
※ ※ ※
ハルトはブラクス酒を交わし、話している間に、素敵なことを思いだした。
「今度の遠征の時、ローデハイムを訪ねてみようかな。あの時、良い装備作ってくれるって約束したんだ~♪」
浮かれているハルトにブラクスはため息を漏らす。
「10年だぞ? 人の記憶力はそれほど良くないと思うぞ。しかも相手は幼児だぞ」
「憶えていようがいまいが関係ないよ。もしかして運命の出会いってこともあるじゃん?」
ブラクスは笑う。そういうのは時効だろう。“言い掛かり”でクレームにしかならないようなことでも、希望を持っている。だからこそ諦めが悪く、この男は厄介だ。
「ここに来る機会は減るけど、魔の森は俺の領域だからな? リオールとあんまり喧嘩するなよ。遠くてもちゃんと聞こえてるからな?」
酒がなくては言えない言葉もある。
「長い間、ありがとう。それと……あとは頼む」
ほろ酔いで魔の森を抜けるとジェットが睨んでいた。
「酒くさいな。そんな状態で俺の指導に遅刻とは、大した余裕だな」
――やっべぇ! 完全に忘れてた!




