真の魔王
「では悪はアブソルティスですから、俺は無罪で」
「それは私が決めることです」
「俺は被害者です。やっぱり無罪でお願いします」
「話の内容によります。シェヘラザールによれば、魔王レンが現れたのは一度だけ。勇者の塔の最上階です。それ以前にどのような活動をしたのか、一切報告を受けておりませんし、君が襲われた事実はどこにもありません。
アブソルティスどころではないでしょう。君はマラ族の魔王リオールの魔力爆発で吹き飛ばされたと聞きました。どれだけ心配したか分かりますか。一週間以上行方不明になって、捜索隊まで組織させたのですよ!」
――エストワールが心配してくれた?
「ごめんなさい」
ハルトは言葉に詰まった。
「本当はレンにソウルブレイカーで魂を砕かれてしまったんです。それでリオールが逆上して、魔王として戦ってくれました。こんなこと誰にも言えなくて……。しばらく、病で伏せていました」
エストワールは思わず立ち上がり、おろおろと狼狽した。
「今は大丈夫です。たまに暴走しますけどコントロールできるようになりました」
「それは大変でしたね。よく頑張りました」
「俺は無罪ですか?」
「そうですね」
「神に誓って?」
「誓いますよ。だから安心してください」
ハルトは陰で微笑む。
「良かった。先生が神官で」
エストワールは頬を硬直させた。
「――君は!!」
「俺は無罪ですよね?」
「……おぉ、神よ……不実なる神子をお許しください」
「嘘をついていません。刺されて、本当に死ぬ思いでした。刺されてすぐに気を失ってしまって、今でも実感が湧きません。
慈恩が嘘をついているようには見えませんでした……甘えてくるのも、一緒に楽しむ姿も本当でした。弟ができたみたいで、嬉しかったんです」
「慈恩と魔王レンでは、あまりに印象がかけ離れていますからね。少しも気付かなかったのですか?」
「最初に会った時、魔法のローブが裏返しで注意したのですが、あれは魔力を隠すためでした。偵察用につけていたティグルと連絡がとれなくなってしまったのも行方不明ではなかった。チーム戦でタツミが脱落した時、背中から攻撃したのも慈恩しか考えられません。なのに、そのたびに小さな謎を無視しました」
「未然に防げたのに、現実から目を逸らしたのですね」
「頭では分かっているんです。でもできません。それが俺の失敗です。刺されたのは自業自得かもしれません」
「今度レンに会っても、君は赦してしまいそうですね」
ハルトは苦笑いをした。
「努力します」
「それは違います。騙されていることを自覚しなさい。慈恩という人物は存在しない。なのに君は慈恩がレンの本当の姿だと思っている。違いますか?」
「俺はレンと触れ合ったことありませんから……」
「レンが遺体を空間移動させたのは見たでしょう。煉獄魔王ならば、一瞬で燃やして消すほうが、はるかに簡単確実です。わざわざ遺体を残すようなことをしたのは何故か。理由を答えなさい」
「賭けをしている途中だったからです」
「それは現実的ではありません。レンはお金目当てで行動しているわけではありません。剣を渡す口実として、賭けをしていると言ったのです」
「別の理由など思い当たりません」
「ヒントが必要ですか。ソウルブレイカーが用意されたのは何のためですか」
「それは賭け試合をして……違いますね。俺の正体を明かすためです」
「魔の森での異常を敏感に感知できる君なら、遠くに捨てても、もう一度様子を見に行けるでしょう。マグワイアが死んだことで、事が上手く運ばなかった場合に備えて、空間魔法で遺体を遠くに飛ばしたのです。
試合でソウルブレイカーがキンタに渡って、策は失敗しましたが、遺体が残っていて、マグワイアがアブソルティスである可能性が高まれば、君は動くと踏んでいたのですよ」
「罠だったのか」
「マグワイアの遺体回収に、君が同行したせいで、レンに実力があることを証明したのです。その結果、チーム参入に至ったのです。レンは魔王です。子供だと侮ってはいけません。アブソルティスの四番目の幹部であることに変わりないのですよ」
ハルトは俯いた。
眉間に皺を寄せたまま固まっている。
「大丈夫ですか?」
「……。」
――この俺に、大丈夫かだって? 大丈夫に決まっている。この部屋で、こうして話せるまでに5年かかったのだ。
ハルトがこの5年で学んだことはたくさんある。
正体を隠すこと。修行に努めること。できれば仲間を増やすこと。その中で何が一番問題で、邪魔な存在であったかといえばエストワールだ。
常に監視され、自由に行動できない。何かあれば、こうして追求されて露呈してしまう。だからまず無実を勝ち取ったあと、人の良さをアピールし、罠に嵌る弱さを見せた。慈恩がレンだったことは計算外だが、魔王が一番警戒するのは魔王だ。自分の領域にいたら、排除したいのが本心だ。
俺がマグワイアを氷づけにした目的は、目の前にいるこの男の調略だ。
勇者の正義を生徒に公表したいのは本当だが、それが目的ではない。そんなことをしても、どうせ一時的なことだ。結局生徒は卒業か、処刑のどちらかしか選べない。
俺はこの騒ぎを使って、その他の選択肢があるか確認したかった。反抗した生徒をどこまでエストワールが許すか。だから事件に巻き込んで、エストワールの考えを探る。そのためにマグワイアの死体まで案内してやったのだ。
その結果どうだ?
カタブツのエストワールが見事に心配してくれた。肩に怪我をした時、エストワールが治療してくれた頃から、脈ありと感じていたが、今まさに味方の一歩手前まで達している。
魔王級の実力者はまだ未熟で、不安定で至らぬ生徒だと認識した。神官であり教師である、神の御心のままに、俺を守ろうとしてくれる!
――さぁ、仕上げだ。陽翔、心の準備は良いか?
「いやでも! 俺はレンに負けていないです」
「負けず嫌いですね」
「騙されて、剣で刺されて、逃げられてしまったことは認めます。でもレンの目的はひとつじゃなかった。だからこの戦いはドローです。
一番得をしたのは先生ですよね。シェヘラザールの権威が復活して、イヴと魔王レンの関係性を問い質すことができたし、勇者の塔と学校の再建費用と、マラ族対策の費用を国に堂々と請求できるじゃありませんか。少し多めに吹っ掛けたって、文句言えないでしょう?」
「ほう? 君には関係ないことだが、そこまで考えたかね」
「協力したのに、俺だけ損するのは割に合いません。何か還元してください」
ハルトはふてぶてしく笑っている。
エストワールはしばらく黙って動かない。
――無視? そりゃそうだよな。一般生徒の我儘なんて通じないよな。
するとハルトは肘掛け椅子を指で叩いてカウントする。
豹変したように鋭い瞳で、獲物を見下すようにだ。
「君にしては強引ですね」
エストワールは冷や汗をかいた。威圧されている。姿は十歳で頼りないが、どう考えても中身は子供の皮をかぶった大人だ。
「先に報告したとおり、今回狙われたのはシェヘラザールです。彼女を守り、勇者の塔の転移ゲート修復に協力しました。そして大量の勇者見習いが奪われるのを回避しました。俺が避難させなければ、モンスターに殺されるか、アブソルティスに奪われるところだったのですよ? ですからそれに免じて、多少騒いだことは目を瞑ってもらいたいです」
エストワールはぎこちなく笑った。
「多少ですか。かなり派手に感じました」
「仮面のおかげで、ある程度は大丈夫でしょう。密告さえなければ、穏やかに生活できます。俺はひとときの平和を望んでいるだけです。来たる時に向けての準備期間でしかありませんが、あと五年、我慢していただけませんか?」
「それはお願いでしょうか。それとも脅迫ですか?」
ハルトは威圧をやめて、素直に生徒として頭を下げた。
「よろしくお願いいたします!」
エストワールは緊張が解けて息を漏らす。完全に翻弄されている。
「ほとんど脅迫ではありませんか。私は一介の王宮神官ですよ。武力行使されては瞬殺されることぐらい分かっています」
「ご謙遜を。地位、権力、人格、将来性。全てを兼ね備えている。本来ならば先生が国王になるべきでしょう。そして智のある者ならば、そのような有望な人材を殺すはずがない。
ですが、俺の予定では次の国王はキンタです。有能すぎる先生でないのは申し訳ないですが、国民にとって必要なのは希望の光なので、二番目の地位で我慢していただけますか。キンタならば将来性がありますし、先生が操るにはお手の物でしょう」
「やけに現実的ですね」
「現実になってもらわないと。この国、滅びますよ?」
エストワールはハルトが本気だと知り、笑った。
「そんなにもキンタが大事ですか」
「当たり前でしょう。俺のお気に入りだったんですよ。四年かけて、じっくり勇者として育てたのに、あろうことか王族だったなんて笑える話です。この際ですから、先生と一緒に国を立て直してください」
ふわふわと陽翔の気配がする。
“兄さん、いい加減にしなよ。この人は危険すぎる。お喋り厳禁だよ!”
――分かってるさ。でも陽翔、お仕置きが必要だ。
“まだ恨んでるの?”
――当たり前だ。魔法が使えないまま難関ダンジョンに放り込まれたんだぞ。
“それは偶然じゃないの?”
――キンタが鍵を預かるとか考えるワケないだろ。エストワールの入れ知恵に決まっているさ。ダンジョンのランクは別として、コイツは俺を厄介払いするつもりで、封じ込めたかったんだ!
「そうでないと、いつかマラ族の魔王が襲ってきて、この国は滅ぶでしょう」
これは予言ではなく、ハルトの予告だ。
「得意の魔法を使ってリオールを魅了したのですか? 彼を調略しましたね」
エストワールは厳しく見据えた。
「調略だなんて。彼は神官の時から友人です。助けてもらった恩と絆があります。学校にとってもマラ族との友好と連携は必要だと思いますよ? 彼が癇癪を起こしたら、また校舎が滅びます。俺はそれを心配しているのです。学校の未来のためにね?」
ハルトとエストワールの視線がぶつかり合う。
「君は嘘が下手ですね」
マラ族の魔王と魔王級の生徒。どちらにしても危険な存在だが、いきなり魔王が二人などありえない。代役など立てて腹立たしい。
「報告はしっかりします。でないと先生に怒られる。俺は忠実な生徒であり、ジョーカー。ご想像どおりの存在になりました。
疎んじて切り捨てるも良し、機を見て切札にするもよしです。まぁ俺も生活があるのでタダでは動きません。それでも先生は、俺の使い方はよく心得ているでしょう?」
「そういうことか。今の君は水を得た魚だな。自由な空気はさぞ美味いだろう」
「仮面をかぶらなければいけない状態で、自由など存在しません。
先生は好都合でしょう。自分が魔王になるよりも、無限の勇者を従えたほうが、はるかに強い。この学校で培った恩と人脈を利用すれば、ジータ国王の打倒も夢ではない。その陣列に俺がいれば、かなりの戦力だ」
エストワールは笑った。
「恐ろしい妄想をする生徒がいるものですね」
「最劣の見習い勇者の仮面は、なかなか着け心地が良いんです。狂った生徒でも、多様性として認めてくだされば幸いです」
陽翔が勇者なら、俺は勇者の仮面をつけた魔王。
陽翔のためなら、何だってする。
「現在のところ、ただの調理人ですが世界が調和された味になるまで努力し続けましょう」
「君の話は分かりました。唯一指摘する点があるというなら、君は調理人ではなくて、私の生徒です。卒業したくないなら指示に従いなさい。いいですね?」
ハルトは頷かずに、ふてぶてしく質問をした。
「俺がクラウドのような飼い犬になるとお思いですか?」
エストワールは笑う。
「とりあえず狂犬は檻に閉じ込めておくのが一番だと思います」
「それは良かった。大人しくしていたいのは俺のほうですから。料理するのは食材だけでいい。お約束通り、ディナーに招待しましょう。都合の良い日に、最高の食材と宿を揃えてお待ちしております」
ハルトは執務室を出て、ホッと息を漏らした。
人を調理するのは、本当に難しい。あとは宿屋の心得で、宿屋になって美味しいデザートをいただこう。
※ ※ ※
事のはじまりは魔の森だ。
とある剣士が腐った王宮神官を斬った。その時、男の首はまだ繋がっていた。死にゆく人の終わり方はそれぞれだ。ディスカスは穏やかにこの世を去ったが、マグワイアの場合は凄惨なものだった。
生きようともがき苦しむ姿はあまりに衝撃的だった。その苦しみがどれほどのものか、手に取るように分かる。ライカに何度も死に際まで追い込まれた記憶が重なり、血の気が引いて、一翔は気を失った。
その異変にすぐに陽翔は対応した。
マグワイアは助けてくれと懇願していた。
安楽死だろうが、人を殺せば一翔も無事では済まない。兄は誰よりも繊細で、その魂は脆い。一生悔やむような行為にはとても耐えきれない。でもこの先の戦いにおいて殺すことができないと遅かれ早かれこちらが死ぬことになる。
半分死んだような弟のために兄が戦って命を落とすことなどあってはならない。これは兄の人生なのだ。
幸せになってもらいたい。だから兄のためなら、何だってする。
悪人になるのは浅利陽翔だけでいい。
陽翔は剣を振った。
ライカから兄を守るのは俺の役目だ。この魂の全てを引き換えにしても、ライカに一翔の魂は渡さないし、奪われたものは取り返すまでのこと。
何とも愚かな兄弟だ。お互いのことを思いやって、二人で苦労する。今は幸せに近づく過程だから、それも仕方ないことか。それでも俺たちは二人でひとつ。どちらかが幸せになるだけで、二人とも幸せになれる。
そのために俺が真の魔王になろう。
兄が望むままに勇者の仮面を被り続けながら。




