二人の勇者
扉を開ける前に、隙間からそっと覗くと、紫色の煙が洩れて視界を塞いだ。空中で結晶化して霧のようになっている。こんなにも濃い魔力は見たことがない。怪しさいっぱいだ。
このまま突入するのはかなり危険だ。あの霧はどうみても有毒だ。吸い込んで調子が落ちたところで、配下のモンスターに襲われる。戦闘フィールドがあまりに不利だが、おびき寄せて出てくるはずもない。
これには巨大な空気清浄機が必要だ。風魔法が使えればどんなに楽か。
物欲しげに足首を見る。
いやいや、何のためにここまで我慢してきた? 魔法ナシでも勝てるようになるためではないか。要は剣だけ奪えれば、こちらの用事は済む。
ガスが猛毒なら即死。ほんの少しでも吸い込むことは許されない。質の良いマスクはないものかと探した時、扉の横に頑丈な箱があった。汚い字でハルトへと宛名が付いている。
「?」
箱の中身は、ガスマスク効果の付与されたマラ族の仮面とマントだ。箱をもう一度見ると新しい。どうみても最近この場所に置かれたものだ。
しばらく考え、しっかりと箱に抱きついた。
「ジェットォ!! ありがとう~~!」
ジェットはちゃんと見てくれていたのだ。これは師匠の激励に違いない。
準備は整った。装備は完璧。気持ちも改まった。
これが最後の試練だ。
「絶対に帰る」
修練して鋭くなった感覚だが、さらに体内に魔力を滾らせて全力で偵察する。
一番奥の中央には祭壇があり、死体らしき塊に剣が突き刺さり、祭壇に留めていた。いわば封印の役目をしているのだろう。その死体は時に動き、強力な魔力を放っていた。ゾンビ系統のボスだ。封じ込められた恨みが呪いとなり、身体から溢れて空気を汚している。
――リッチ? だったらまずいな
確かにアンデッドの部類だが、リッチは霊体であるから、普通の武器攻撃が通じない。
しかしよく見ると、魔法使いやどこかの王の死体とは思えない。黒く腫れた死体は逞しい。筋肉量から計算して、超人的な体力と重さがある。
――あれはドラウグルだ。
昔、北欧の友達が教えてくれた。宝物を守るモンスターで、肉体戦闘派だ。正直いってラッキーだ。どっちが強いかの腕力勝負だ。
「とにかくやってみるか」
俺は勢いよく扉を開け放った。驚いた部下モンスターたちが一斉に入口を見たが、いつまでもその場に立っているほど愚鈍ではない。
俺は平和主義者だ。誰よりも早く動き、誰もが気づかないうちに終わらせる。それが俺流の戦い方だ。余計な死傷者を出さずにスマートに目的を果たす。
――先手必勝!
ひと呼吸で祭壇に辿り着き、一気に剣の柄を掴んだ。
ボスだろうが何年も来客がなかったのだろうから、いきなり戦闘態勢になれるはずもない。しかも何百年も突き刺さっていたものをいきなり抜かれるのである。
ドラウグルは痛みに憎悪した。
『ギシャアアアア! このコソ泥め!!』
床で暴れるドラウグルを踏みつけ、ギシギシと剣を揺らして隙間を作れば、抜けそうなものだが時間がかかる。封印なら魔法がかかっているかもしれない。
――魔法?
悪逆的な笑みが出た。右足首でガンガン剣の峰を蹴っ飛ばす。
「今まで散々我慢したんだ。ガラクタはもう要らないだろ!」
触れるものは魔法効果が消える足枷だ。その効果は素材そのものにかけられている魔法であるから、填めている人間だけでなく触れたモノ、全てに効果がある。
そして足枷の強度は鍛えられた剣よりも弱い。
長い付き合いだったが、こいつはもう足手まといだ。足枷はへこみ、ヒビが入り砕け散ると同時に剣も抜けた。蹴られた剣が空中に舞い上がると、軽くジャンプしてしっかりと右手に掴んだ。
魔力は抑えていたつもりだが、解放感のせいで漏れて溢れた。青白い光が部屋全体に行きわたる。
――勿体ないからちゃんと魔法で使ってやろう。
刃の先から風が巻く。剣先を出入口向けると突風となって扉ごと吹き飛ばす。紫色の煙のように充満していたドラウグルの魔力と猛毒が消えた。
ドラウグルは怪しい気配を毒ガスのようにまき散らして笑って言った。
『ガラクタか』
何故だ?
ドラウグルは途方もなく長い間、この剣に苦しめられてきたはず。
「ドラウグルさん、もしかして怒ってます?」
ハルトはゆっくり距離を取る。ドラウグルは獲物を見つけたように睨んでいる。むしろ剣が抜けて喜ぶべきで、感謝されるべきことではないのか?
『我が名はマラ族の勇者エギスガルド。貴様はマラ族ではないな。召喚者がなぜ仮面を被る。それは戦士の証ぞ』
「召喚者が戦士だとおかしいですか?」
『時代が変わったか。あれから千年、何度もマラ族の戦士が挑戦しにきたものだ。それでも剣を奪われることはなかった。それをあっさり抜きおって』
「もしかして抜いてほしくなかったとか?」
ならば怒るのも当然だ。
『待っていたのだ。貴様で間違いはなさそうだ』
初代のジータ国王に剣で刺された時、最後の能力をふり絞り、密かに魔王となって地下深くにダンジョンを作った。そして地下の洞穴から湧いて出るモンスターで魔の森が出来上がった。
エギスガルドが剣を突き刺したままであったのは傷の痛みがあれば呪いを忘れず、その恨みでダンジョンを維持するためだ。国王を倒す冒険者もそこから現れるはずだった。
しかし聖女の結界で遺跡とマラ族が封印され、ダンジョンはマラ族でさえ未知の領域となり、エギスガルドは孤立して長い時間が過ぎた。過去にもマラ族に強者はたくさんいたが、資格のある者はいなかった。
必要なのは青白く輝く星より降臨せし勇者だ。
青白いマナの太陽に愛され、その光から生まれた魔王級の強さを持つ者。二千年以上昔にマーラー神が誕生した時のように、世界を創生する可能性を秘めた者。
『さぁ戦え。そして証明してみせろ』
エギスガルドは戦う気マンマンで、一触即発だ。
でもハルトは戦いたくない。剣はゲットしたのだから、ここは逃げるが勝ちだが、相手を挟んで向こう側に扉がある。戦わずして勝つ予定が、着地地点が計算外だ。それに剣を抜いたせいなのか、ダンジョンが崩壊を始めた。生き埋めなどまっぴらごめんだ。
「そこ、どいてくれないかな?」
ダメ元で、頼んでみた。エギスガルドは薄気味悪い黒い顔をさらに歪ませた。
『試練は終わってはおらぬぞ?』
やっぱりダメだった。
「そんなのいいから、死にたくないだろ……って、もう死んでるか。塵になりたくなかったらどいてくれ」
体力的にも鍛えた魔力持ちの俺なら、もはや敵ではない。そう思ったら、腹をえぐられるように相手の拳がヒットした。
「ぐふッ!」
不意打ちにしても強く、中身が出そう。この強さは侮れない。
「――痛いな」
でも吹き出して笑った。嬉しくなってしまったのだ。
――人と会話するのが久しぶりすぎて、たまらん!
「試練はどうでもいいけど、俺が勝ったら空間魔法で地上まで戻してくれよな」
こうなったら思う存分、実力を試してみよう。
仮面を脱いで剣を納めると、拳で構えた。視野が広がり素早さが上昇する。実に合理的な策だ。一瞬で地上に帰れる。
※ ※ ※
俺たちは散々殴り合った。
俺は肉弾戦のみで魔力を使わないのに対して、エギスガルドは空間魔法を連発し、あらゆる角度から攻め込んでくる。
俺の武器は何よりも速さだが、空間魔法で距離を詰められると負ける。しかし呪文の発動までにわずかに時間がかかるので、予測はできた。来ると分かっているなら、警戒すれば半分は避けられる。
それでも戦士としてエギスガルドの拳や蹴りは強かった。かなりの長期戦だったが、反撃もする。
俺は疲れたら回復できるが、エギスガルドは死体だから壊れた部分は二度と戻らない。身体が滅んで、次第に結果が明らかになった。
「もうそこら辺にしておけよ」
何度も忠告した。ほとんど戦いと呼べないほどにエギスガルドの身体はボロボロだ。戦いに旺盛で、強い意思が果てることもないが、肉体と部屋の維持が限界だ。
それでも千年分の鬱憤を晴らすには足りない。まだまだ戦いたいようだ。
ハルトはそれに付き合った。
ダンジョンの崩壊が進んで、帰り道があるかどうかも分からない。本当ならとっくに逃げるべきだが、エギスガルドの意思を尊重した。
死んでもなお、使命を全うしようとする。彼はとても強い男だ。いつしかエギスガルドの顔から呪いが消えていた。モンスターらしくない爽快な人間の顔つきである。
エギスガルドは戦いをやめ、長い年月を共にした剣を手に取ると、一翔に放り投げた。
『本来は絆の剣だ。持っていけ』
ハルトとエギスガルドは見つめ合う。
『おめでとう。初の魔王討伐だな』
「え? 魔王?」
笑ったままエギスガルドに突き飛ばされ、空間魔法が展開される。
「頼んだぞ」
眩しさに目を瞑った。温かく優しい光が頬を照らし、草の匂いや鳥の声がする。
ゆっくりと上を見上げて、感動した。
「太陽だ」
魔の森の木漏れ日が美しい。すがすがしい空気と光を思いきり取り込んで叫んだ。
「みんな、ただいま~!!」
俺の魔力に気付いたモンスターたちが寄ってきて、喜びのうちに埋もれ、もみくちゃにされたのだった。




