悪夢再び
たぶん俺は悪夢の中にいる。
しかもめちゃくちゃリアルな、最悪の夢だった。
暗い夜の泥沼にどっぷりと浸かりながら、仰向けになって、どうにか息をしている。空には星が輝いているが、なぜか寂しい景色だった。
水平線から月が昇ってきた。赤い月は大きくて不気味だ。それでも俺は導かれるように歩きだす。足を取られて、一歩進むのもたいへんな状態だ。
何故歩くのか。理由は特に無い。
そうしなければいけない、そういう気持ちだった。単に光のある方向を求めていたのだろう。果てのない泥沼から抜け出したい。ただそれだけ。
やがて赤い月を背負ったように、一人の男が立っていた。
「おいで」
どう見ても怪しいし、嬉しくない。俺が立ちどまると、もう鼻先に男がいた。距離など関係ないのは、夢の世界だから?
薄暗く、月を背にしたのでほとんど顔は見えない。けれど体格や声に見覚えがあった。三途の川から戻って、ドロドロに溶けた怪人のような姿が頭からこびりついて離れない。
コワイ。こわい。怖い!!
「いやだ」
恐怖しすぎて、小さな声しか出なかった。
ドン!
押し倒されて、真っ黒い泥水に落ちた。目や鼻、耳の穴まで詰まった感じがして、苦しくてもがいた。襟元を掴まれ、大きく揺さぶられて痛い。
――やめて! やめてくれ!!
グイと掴まれて、持ち上げられると光が眩しかった。
「――?」
空が見えて、ドロドロだった身体は洗い流されたように綺麗で、苦しさも消えた。けれど目の前にライカがいるという悪夢だけは続いていた。
「芋かゴボウみたいになりやがって情けねぇな」
俺はライカに洗われた野菜?
「一応、親だからな」
わずかながら感謝してしまう自分が悔しい。きっとライカにもこういう一面があってほしいという願いだろう。
「一翔チャン、大きくなったじゃないか」
その喋り方、ゾッとする。あれから一度も会っていないというのにリアルすぎる。
「俺も考えなおしたよ……トキワタリを手に入れるのは並大抵のことじゃねぇ。発動条件には膨大な時間と手間が必要だ。ソウルブレイカーで木端微塵にされた気分はどうだった?」
ライカは空に手を翳す。すると空から星がいくつも降りてきた。
「俺もハンバーグは好きだぜ。肉と材料をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、ドロドロにしても、好きな形でジュージーに仕上がる。だから一翔チャンも上手に料理してやるよ。俺流にな?」
逃げたくても手足が動かなかった。ライカの掌でジタバタと暴れる星は誰かの魂に違いない。
「――嫌だ、そんなの欲しくない」
ライカは笑う。
「勘が良い子は好きだぜ。その恐怖に引き攣った顔も良い。もっと想像しろよ。飢えた雛鳥に与えると、自然に俺のこと親だとおもっちゃうんだぜ?」
「俺は俺でいたいんだ!」
「似通った弟を拒否するくらいだ。頑固なのはいつも通りだろ。さっさと食え。安心しろ。発狂したら俺が支配してやる」
口の中に魂を押し込まれ、呑み込むしかなかった。際限なく続けられ、喉も腹も数珠のように繋がって息もできない。現実だったなら意識を失うだけだが、夢なので永遠に苦しい。
意識だから、死ぬ身体が無かった。力は漲るばかりで、走馬灯のように他人の記憶と叫びが自分の中で爆発している。
――もう受け止めきれない。
ガクガクと身体が震え、ライカの手を抑える。
――助けてくれ。陽翔!
俺はどうなってしまうんだ?
脳裏は多くの命の光と記憶でスパークしている。どれも可哀想な記憶ばかりで痛いよ。
本当に可哀想な人たち。
でも俺は……俺でいたい。君たちの無念はきっと晴らすから、俺にやらせてくれ! 俺の味方になってくれ!
刮目し、腕を振り払った。
「ライカーーー!!」
俺は浅利一翔だ。そうして立ち上がった。
「もう腹いっぱいだ」
ライカは笑いながら、胸を見ろと指で示す。そこはぽっかりと穴が空いていた。
「まだまだ入りそうだぜ?」
「良いんだ、ここに入るのは決まっている」
「俺か! ついに俺を受け容れてくれるんだな!?」
ズボッ
ライカは喜びながら、一翔の胸に手を突っ込んで侵入してくる。
「――あ、ああ!!」
腕を抜けよ!! 俺の中に入ってくるな!!
引き抜くのに必死だ。しばらくのせめぎあいの末、心臓を掴まれる気がした。根本が揺るがされたら脆く崩れてしまう。これが最後の抵抗だ。
――陽翔!!
そこに黄金の星が生まれた。
キラキラとした黄金の光は何ものにも支配されない宝だ。ライカの侵入に対して、盾のようにいくつも魔法陣が展開される。
ライカが退いた。この魔法陣に触れるのを嫌がった。
「忌々しい! シェヘラザール!!」
力比べになった。どちらがどれだけ一翔を支配できるか。自分の中で、いくつもの魂が暴れ回る衝撃は、かつてない痛みとなった。
耐えられなかった。
あっけなくも、俺は俺であることが分からなくなった。竜巻の中にいるように意思はもみくちゃにされた。四肢を捥がれたような痛みの中で、狂ったように叫び続けていた。




