ソウルブレイク
ボス部屋を出て、最後の扉を開けると、風が入ってきた。
「あ、空だ」
慈恩が微笑んだ。さぞかしホッとしたことだろう。
ドーム型の屋根の広場は見通しが良かった。最上階のテラスからの眺めは最高で、森の地平線の反対側にはエルダール市街が広がっている。
中央にある三段高い位置の台座には、宣誓の石碑と勇者の剣ある。
慈恩は興味深そうに調べ回る。
「ここで宣誓して、剣に触れると勇者になれるんでしょ? へぇ~、凄いなぁ」
皆が浮かない顔をしている。あれほどクラウドが訴えたのに、慈恩は何ひとつ理解できていないようだ。カエデは優しく言った。
「慈恩は怖くないんだ?」
「何が? 弱い奴らなんて全部やっつけちゃえばいいんだよ!」
「それもそうね。慈恩は一番の勇者ね!」
慈恩は嬉しそうだ。
「先に修理しちゃうね!」
シェヘラザールは勇者の剣に手を翳して唸ること数分。ハルトは隣に座っている。
「じっと見ないで。集中できない」
一翔は声にも出さず念話で語り掛ける。
――いいじゃないか。あと少ししか、こうしていられないんだから。
“そうだよ、兄さんはシェラが真面目に仕事している顔も好きなんだよね~”
耳までハルトが赤くなるし、シェヘラザールは手元が狂いそうだ。
「ちょっともう、邪魔しないで!」
――そうだよ、お前まで煽るなよ。それよりも陽翔は俺と交代しろっての。
“嫌だよ。言ったでしょ?”
――何でだよ。これから大仕事するんだから、少し休ませろよ
そうは言ってもシェヘラザールを独占してはいけないという一翔の気遣いだろう。それが一翔の求めていることなら、陽翔は従うまでだ。
“仕方ないなぁ、じゃ交代! 気付かれないように頑張るよ!”
――おやすみ
“おやすみ”
一翔がすっかり眠ってしまうと、シェヘラザールのテンションがやや下がりする。
「そんなにがっかりするなよ。俺たちは信号機じゃないぜ?」
「シンゴウキって何? 食べ物なの?」
「そういえば見たことないな……交差点でピカピカ光って誘導する機械だよ。エルダールには無いの? 街の大通りとか、ぶつかったら危ないよね」
「回避呪文の魔道具が置いてあるもの」
「魔道具って便利だよな。それって戦闘に応用できないかな。いくら剣で襲われても回避できるとか」
「魔法石がたくさん必要なの。石を背負いながら戦えないでしょ。それにたいていの人間は魔法をひとつ唱えている間は、他の魔法が使えない。回避呪文でお互いの剣が当たらなかったら戦闘は終わらないわよ?」
「じゃあ逆もあり得るね。回避できない呪文! 正確には吸い寄せられるだけか。それなら俺はできるしな……」
「勇者の剣もそうだけど、魔法も魔道具も使い方次第よ。でも、この国は魔法石を勇者に採らせることで成り立っているの」
それはちょっと悲しくて、変えなえればいけないこと。
「もし勇者がいなくなったら、この国は亡びる? 平和に暮らしている国民は、きっと俺のこと恨むだろうな」
「犠牲を生み続けるのは、平和な世界ではありません!――ほら、終わったわよ!」
「結局どこが壊れていたの?」
「移動座標が指定範囲を超えていて、エラーが出ていたの。おかげでシステム全体に狂いが生じて、結界が歪んでしまったわ。応急措置として、フォレストパレス中央広場のステージに固定しておいたわ」
「やけに目立つところにしたね」
「もうお客様でいっぱいよ? カメラで中継されていたもの」
「――ええ!? 俺が戦ったところ見られちゃったじゃん!」
「でも不幸中の幸いかも。カメラの精度はあまり良くないの。普通に戦闘していたらハルトが強いって分かっちゃうけれど、一回もボスに触れなかった。あれでは誰がボスを倒したのか不明確。ラッキーね。後方にいたキンタが倒したことにしましょう」
陽翔はキンタに縋って泣きついた。
「頼むよキンタ~! 俺、まだ卒業できないよ!」
「ウザイ、くっつくな。お前が作ったチームで、リーダーはお前だろうが」
「そんなドジはしないよ。俺は最劣で、名簿ではキンタがリーダーだ。こんど美味いメシおごるから~(兄さんが)!!」
「お前にはそういう手段しかないのかよ。もう……仕方ないな」
陽翔は微笑んで勇者の剣にキンタを誘う。
「じゃあ、キンタが触れて」
「ちょっと待ったぁ!」
ジェシカがキンタの手の甲に手を重ね、カエデとタンクがその上に手を重ね、ハルトを呼んだ。
「ほら、早く!」
「え? 俺はいいよ!」
シェヘラザールは微笑んで後押しする。
「大丈夫よ、宣誓もしないし、ただ移動するだけで卒業しないわ」
「本当に?」
――兄さん、本当に寝ちゃってるの? せっかく優勝の瞬間なのに、俺だけ楽しんじゃっていいのかな。
ハルトはタツミと慈恩も呼び、七人で手を重ねる。
「押すなよ? まだだぞ。一緒にゴールするんだからな?」
キンタの声に笑い声が出る。
「じゃあ、いくぞ。優勝だぁ!」
キンタたちの手が触れ、魔法陣が浮かんだ。空に華々しく花火が上がった。ハルトはみんなとギュッと抱き合い、笑顔の中にいた。料理長の言葉が胸に響く。
“仲間はいいぞ”
――ホント、最高だ!
「!」
背中に硬いものが当たった。やや下に振り返ると、炎のような瞳が魔力を含んでいた。
その時、少し前の記憶が蘇った。
『どこの神官だよ。無責任だなぁ』
『マグカップさん』
『ハハッ、変な名前!』
――マグカップじゃない。マグワイア。
優勝の祝いに花火が上がった。
「綺麗!!」
花火を初めて見たリズは、飛び上がって喜ぶ。リオールには幕開けの合図に思えた。
これからマラ族の復興のために、魔王宣言をする。ステージに観客がいるのはますます都合がいい。華々しくマラ族の存在を知らしめてやろう。
移動は一瞬で終わるはずだったが、三人が居残った。ほぼレギュラーメンバーだけが消えたので、そういう仕組みだったのかもしれない。
ドサッ!
受け身もせずにハルトが倒れ落ちた。
「!?」
リオールが脇を見ると、シェヘラザールも床に倒れ、ひどく具合が悪いようで、唸っている。
「――え? どうした?」
リズの悲鳴も尋常ではなかった。タツミも無事ではなかった。勇者の剣の前で、二人が倒れ、一人は剣を握って、こちらを見ている。
「――どうして? 仲間じゃないの」
シェヘラザールはふらつきながら起き上がり、全力でハルトを目指した。
――陽翔! 一翔!!
ひとつも存在を感じない。抜け殻のようになった身体を揺さぶって抱きしめる。
『起きて!! 起きなさい!! 命令よ!』
ローブの中で手を放し、床に剣が投げ捨てられ、空中から緋色の杖が出てくる。
「ソードブレイカーの効果で完全に魂は砕かれた。もう元には戻らないよ」
床に倒れていたタツミはすぐに意識を取り戻したが、杖で掃かれた。塔の下まで落ちる勢いで、リズが咄嗟に空間魔法を放つ。
しかし魔法陣は発動せず割れガラスのように破壊された。緋色の杖の先に装着されたリング状の器具が唸っている。
「空間魔法は使わせないよ」
「リズ!」
リオールはギリギリでリズとタツミを救出し、抱えて逃げた。
「空間魔法の使い手はもうたくさん。マラ族もシェヘラザールも必要ない。イヴとボクだけでいいんだよ」
「お前が塔の中にモンスターを入れたのか!」
「だったら何なの? でもイヴが協力してくれたことだし、ボクは魔族だからね。魔族語で精神伝達すれば簡単さ。でもハルトが邪魔をして、見習いたちを避難させてしまった。とんだ計算違いだよ。
でも君は勇者じゃないから関係ないでしょ。王宮に勇者を作っても無駄だって知らしめるんじゃなかったの? ボクは君に罪をかぶせたくて王宮神官に変身していたのに、いつまでたっても戦おうとしないんだもの。いらついたよ」
「うるさい! 俺の勝手だ!」
「口の利きかたがなってないね? 今すぐ全員殺すことなんてボクには簡単だよ」
「!」
リオールはかばうように二人を抱きしめた。
「そうそう。良い子にしてな。君こそ生徒を皆殺しするはずでしょ。逆に仲良くなっちゃって、どうしちゃったのさ。おかげでライカは生徒の魂を所望していたのに失敗した。でもボクにはシェヘラザールを殺す依頼が残っている」
杖でシェヘラザールが狙われる。あまりの恐怖に目を瞑ると、笑い声がした。
「残念。イヴが反対しているんだ。殺したら支配領域をもらえなくなっちゃう。二つも失敗したらボク、ライカに殺されちゃうかも」
「助けてくれるの?」
レンは杖の先にある魔道具を眺めた。
「いいよ。恩は売っておかなきゃ。これがあれば、突然ライカが現れることもないし? 今からダンジョンを作りにいきたいんだ。
その前に、一度でいいから生徒になってみたかった。松田慈恩という小さく脆い人間でいた間は誰とも戦わないで済むし安全だ。案外平和で楽しかったよ。
ハルトは不思議なヤツで面白かった。一瞬で殺すのは惜しかったな。でも煉獄魔王である限り、優勝はできない。勇者の仮面をかぶるのもここまでだ」
フードを取ると、赤い巻き毛に小さなツノが二本生えていた。
「煉獄魔王? 魔族を率いている、あのレンか!?」
「名が知れてきたようで嬉しいよ。敵が多くて困るが、そういうのは快感だね」
「そんなのが何でここにいるんだよ! 魔王なら外でドンパチしていろ!」
「魔王でも全能ではないよ。この少年のようにね。じゃあ俺は仕事が終わったから行くよ」
勇者の剣に触れながら、去り際にシェヘラザールを見た。
「システム治してくれてありがとう。これでボクも脱出できるよ。君はライカを敵に回した。ボクを恨むなよ?」
シェヘラザールは息を荒げたまま睨み返す。戦闘魔法は使えないし、魔法を唱えるほどの余力もない。怖くて膝が震えるけれど、殺されるとしても、気持ちだけは負けたくない。
「貴方はライカの支配から半分しか逃れてないわね?」
「!? 半分?――いや、そうかもしれないな」
「自由になりたいと思わない?」
「ボクを味方にするつもり? こわい人だなぁ」
その時ハルトが反応し、レンは驚いた。意識不明のままだと聞いていたのに効果が出ていない。
「運が無いね。意識が戻らなかったら、生きていられたのに」
レンは杖を振った。
「シェラ……兄さんが」
陽翔はシェラを掴んで大泣きした。
「兄さんが俺たちを守ってくれたんだ。眠って無意識だったのに庇ってくれた」
「一翔はどうなっているの? 全然感じられない」
陽翔は泣き続けて言葉にならない。
レンはもう一度杖を振った。それも素振りになっている。
「あれ? おっかしいな。杖が壊れたのか?」
「うわ!」
レンの後方に見知らぬ青年が立って、杖を握っている。そして耳元で囁いた。
(仕事は終わったんだろ? ここは俺の領域だ。黙って去れ)
黒髪で背が高く、すらりとした青年だった。シェヘラザールたちをじっと見つめているが、青白く光っていて質感が薄い。もの凄い高密度の魔力の塊だが、放出量からして、塵となるのを堪えているようだ。それをこの距離で爆発させたら、それこそ巻き込まれて死ぬ。
「なるほど効果はあったようだな。キミとはまた逢える気がする」
レンは勇者の剣に触れ、姿を消した。




