祭り
ハルトはボス部屋に向かう扉の前に立った。魔力を少し込めて、押し開く。
「ほら、パスワードなんて無いよ」
「あ、開いた♪」
無邪気に微笑むシェヘラザールは可愛い。
“この聖女、何で二人の世界作っちゃってんの”といわんばかりの後方の視線さえなければ最高だ。シェヘラザールは慈恩とタツミも連れてきており、合計十人にもなる団体でぞろぞろと廊下を進む。
ウゴオオオオ!
最上階のボスだけあって、唸り声だけで威圧される。魔力が遠くから流れてくる。
「ん? いつもより魔力が凄いね」
ハルトは口を窄める。シェヘラザールは首を傾げる。
「チーム戦用にいつもより5倍強く設定したわよ。でもおかしいわね。毒を加えて弱らせてあるはずなのに」
「もしかして、その毒って遅効性?」
「そうよ、みんなが戦う頃には弱ってきて5倍くらいになるように調整しているわ」
「毒を与える前は?」
「その十倍は強いわね」
キンタが呟く。
「いつもなら、みんなが戦う予定は三日目ぐらいからだろ。まだ始まっそれほど経っていない。つまり毒なんて全然効いてない。いつもの50倍くらい強いんじゃないか?」
全員が青ざめて、視線がハルトに集中する。
「ヨッ、旦那! 日本一!!」
タツミが煽るし、これは不可避。
「ここは日本じゃないよ。シェラ、床の強度はどれくらい? それと耐熱温度」
「安心して。別空間にしてあるから階下への影響はゼロ。耐熱温度は十万度くらいかな」
「たった十万度!?」
「見習い生徒には十分でしょう? 燃焼系魔法だけにしなさい。核融合系はダメよ?」
「みんな酸欠になっちゃうじゃないか。中性子処理だけちゃんとするから小型でも……」
「だめよ! ここは初心者向けにできているの。魔法系酸素は開放してあるから燃焼系だけにして。咄嗟にメタフレアとかやめてよね」
「癖なんだよな……」
キンタはリオールと顔を見合わせて、お前は意味が分かるのかと警戒している。ハルトはキンタの剣を見て微笑む。
「それ魔法燃焼系だったよな。熱耐久が神なんだよ。まぁ増幅倍率は3しかないけど、他のじゃ溶けちゃうから貸して♪」
「大事にしろよ? 気にいってんだから」
「シェラ、念のため、ここで待っていて。それと結界防御お願いしていい?」
「ぬかりないわね、いいわよ」
「――こうするか」
ハルトは短剣の柄を口に咥えながら、キンタの剣を構えた。混乱して味方を殴ることだけは絶対に避けたい。
「ひってきまーふ(いってきます)」
※ ※ ※
暗闇に光る小さな瞳。濡れそぼった硬質の短毛。突き出た鼻から出る臭い空気。
太い四本足。丸みを帯びた身体は肥えている。そんなのはどうでもいい。問題は獰猛さで、涎にまみれた床だ。
――汚いなぁ!!
掃除をしなくてはいけない。みんなを歩かせるのが可哀想だ。
“一翔、どうすんの? 50倍だって”
ーーブラクスより強いと思う?
“同じくらいじゃないかな、こんな強い魔物、シェラはどこで拾ってくるんだろうね。危なくないのかな”
――戦ったらシェラが一番強いかも
“怒らせないようにしようね”
――陽翔、やりたいなら譲るよ? 一緒に戦おうか? 戦闘時の交代の練習にちょうどいいかも!
“兄さん、ウキウキしすぎだよ。俺は交代しないからね”
――ええ? 一緒にやろうぜ
“最近は数時間起きて、修行するだけで眠くなっちゃうんだよ。今本気で戦ったら、目覚めたら一年後とかになるかもよ?”
――それはいやだな。では、ご注文をどうぞ。
“じゃあ、ハンバーグで!”
※ ※ ※
猪はひどく飢えていた。鼻で土を掘り返し、小さな牙で餌を探している。雑食であるから根菜やどんぐり、キノコが好物だった。しかし長く生きるうちに、毒草や毒キノコをたべ、魔力を含むどんぐりを食べていくうちに、狂ってしまい、人間の美味さに気付いてしまった。
ハルトはひた、と足をとめた。
血の匂いがする。
ここは勇者の試練の塔。
召喚者が勇者になる未来を夢みて、最後の試練に向かう聖なる場所。
けれど床の端に転がるのはモンスターの死骸だけではなかった。くすんで色が変わっているが人の手だ。千切れてしまった足は戦闘靴を履いているものもあれば、しゃれたサンダルまである。
――シェラ!! これは何だ
一翔は怒りのあまりに震えた。
“フォレストパレスには聖女の加護を求めて、傷ついた勇者が集まってくる。けれど間に合わなかった人たちがいるの”
目まぐるしく血が騒ぐ。呼吸が乱れた。
「フーッ」
深く息をして冷静さを保つ。短剣を咥えていなかったら、もっと興奮していた。
――でもサンダルは違うだろ? あれはどうみても召喚されたばかりだ。知っていたんだろう!
シェヘラザールは答えなかった。
「フーッ。フーッツ!」
目を瞑った。もう見るのに耐えられない。咥えた短剣が床に落ちた。
「答えろ! シェヘラザール!!」
憎悪と嫌悪。
嫌だ。汚い感情に支配されて全部壊してしまいたくなる。
“ごめんね。なんとなく、そうかもって思っていたわ”
“餌やりはシェラの仕事じゃないよ?”
陽翔の言う通りだ。
「…………。」
“兄さん!”
陽翔の声が無かったら、冷静に戻れなかった。
“小太郎に感謝しよう? 俺たちもこうなるところだったんだから”
――燃やす! 陽翔、全部燃やすぞ
全身から魔力を放ち、部屋の隅々まで青白い光に包まれた。
強い魔力の風が吹き荒れ、居残った9人は飛ばされそうになる。キンタはなるべくタンクの陰に隠れるように指示し、盾のように結界を張るシェヘラザールの脇に立った。前方の凄まじい青白い光のせいで、まともに前を見ることさえできない。
ブオオオオ!
ボスモンスターの興奮した声が聞こえる。
ハルトは小人のように小さな存在で、猪の小さな瞳では見つけることができなかったのだ。異常を察してはいたが、再び食事をしようと鼻で床を漁り、遺骸が飛散した。
――あさましい!
『この豚ヤロウ』
一翔の呟きには微塵の迷いもなかった。シェヘラザールは不安で立ち上がった。
“冷静になりなさい!”
ぐじゅ!
戦いが始まると思いきや、青白い光は消え、再び暗闇が戻った。そして一切の音がせず、とても静かだ。
「終わったのか?」
それでもキンタは警戒を解くことができない。
ズルッ! ドシャッ。
何か湿っぽい塊がずるり床に落ちた。星が空へ昇るように、巨大な物体が宙に浮き上がってきた。不思議な光景だ。ボスなどどこにもいなかったように、殺戮と戦闘の空気が消えている。
ハルトの足元は血の海だ。猪の生皮を剥いで、一瞬で肉団子のように圧縮した。鳴き叫ぶことすら許さなかった。詠唱呪文など要らなかった。手を翳す必要も無い。全身から溢れるマナはすっかり地下のマナと共鳴し、この空間は自分のイメージのままで、何でも叶う。
肉塊は球体となって、自転していった。中心と外側で回転速度が違うために、球体の中で攪拌されている。
遠くからでも飛沫が飛んできた。頬に濡れたものを拭き取ると、悲鳴が上がった。
「血!?」
遠心力で脱水するように、徐々に血しぶきの飛ぶ量が増えて、天井や壁が赤く染まっていく。リオールはリズの目を瞑って堪える。
狂気の沙汰だ。
シェヘラザールは結界を張って防いだが、血の海で服は汚れ、悲鳴が上がった。
――俺は冷静だよ
一翔のメッセージはシェラに届いたが、それでも半泣きだ。
料理とは時に残酷なものなのだ。魚の頭を捨て内臓を引きずり出す時も、鳥の首を刎ねて羽毛を剥ぐ時も、慣れてしまえば何度だってできる。
「やめろ。もうやめてやれよ……」
遠く、キンタの声がする。
肉塊はぐじゅっ、ぐじゅっと音がして、楕円形にまとまると床に落ちた。
キンタはホッとして立ち上がろうとすると、ハルトの声が響いた。
「キンタ、どうして炎系魔法が他の魔法よりもモンスターに効果が高いか、答えてみろ」
「そんなことはいい! それよりも死者を冒涜するような殺し方をするな!」
「まだ死んでいない」
肉塊はもぞもぞと動き出し、進化しようと蠢いている。
「強くなれば肉塊の欠片でも残れば、元の形を取り戻す。だから油断せずに分子レベルで破壊する炎系魔法の効果が高い。そして教えたはずだ。効率的に燃やすには水分を抜く」
ハルトは剣先で床に触れる。
『エムエフ(マキシマムフレイム)』
高熱の炎の槍が天から降り注いだようだった。
炉の中にいるようにオレンジ色の炎に満ちた。濡れた床は水蒸気となり視界を遮る。
「半ナマ焦げ過ぎ厳禁」
両脇の壁が崩れ、細く光が差し込んだ。天の梯子のように、神秘的で、蒸気の中から現れたのは慣れ親しんだ光景だ。
こんもりとした楕円のふくらみに、ほど良い焦げ目。
ハルトが剣をひと振りすると、剣戟で真二つに割れた。弾けるように肉汁が溢れ出て、ジュワッとジューシー! 料理とは芸術だ。
「完成、猪ハンバーグ。まぁ俺は食う気にはなれないがな」
後方にいたメンバーは巨大ハンバーグが突然現れたことに驚くばかりだ。
ハルトはすぐに隠れて物陰で正座した。
「あら? ハルトどうしたの」
ジェシカが不用意に近づいてくるので悲鳴のように叫んだ。
「来ちゃダメ!!」
カエデまでやってくるのであわてて小さくなる。
髪の毛は死守したかったから、首から上は燃えないように死力を尽くした。身体も魔法効果で燃えていない。けれど高熱に耐えうるだけの装備が欲しい! 上級な魔法のマントや、靴も下着、全部燃えない洋服が!
――は、恥ずかしい!!
これだから仲間は絶対に必要だ!
「ねぇ誰か、服貸してくれない?」
リオールはおかしくてたまらない。
「血祭りの次は裸祭りか」




