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旅の宿屋は最強です  作者: WAKICHI
10 勇者の仮面
65/246

祭り

 

 ハルトはボス部屋に向かう扉の前に立った。魔力を少し込めて、押し開く。

「ほら、パスワードなんて無いよ」

「あ、開いた♪」

 無邪気に微笑むシェヘラザールは可愛い。


 “この聖女、何で二人の世界作っちゃってんの”といわんばかりの後方の視線さえなければ最高だ。シェヘラザールは慈恩とタツミも連れてきており、合計十人にもなる団体でぞろぞろと廊下を進む。


 ウゴオオオオ!

 最上階のボスだけあって、唸り声だけで威圧される。魔力が遠くから流れてくる。


「ん? いつもより魔力が凄いね」

 ハルトは口を窄める。シェヘラザールは首を傾げる。


「チーム戦用にいつもより5倍強く設定したわよ。でもおかしいわね。毒を加えて弱らせてあるはずなのに」


「もしかして、その毒って遅効性?」

「そうよ、みんなが戦う頃には弱ってきて5倍くらいになるように調整しているわ」

「毒を与える前は?」

「その十倍は強いわね」


 キンタが呟く。

「いつもなら、みんなが戦う予定は三日目ぐらいからだろ。まだ始まっそれほど経っていない。つまり毒なんて全然効いてない。いつもの50倍くらい強いんじゃないか?」

 全員が青ざめて、視線がハルトに集中する。


「ヨッ、旦那! 日本一!!」

 タツミが煽るし、これは不可避。


「ここは日本じゃないよ。シェラ、床の強度はどれくらい? それと耐熱温度」


「安心して。別空間にしてあるから階下への影響はゼロ。耐熱温度は十万度くらいかな」

「たった十万度!?」


「見習い生徒には十分でしょう? 燃焼系魔法だけにしなさい。核融合系はダメよ?」

「みんな酸欠になっちゃうじゃないか。中性子処理だけちゃんとするから小型でも……」


「だめよ! ここは初心者向けにできているの。魔法系酸素は開放してあるから燃焼系だけにして。咄嗟にメタフレアとかやめてよね」

「癖なんだよな……」


 キンタはリオールと顔を見合わせて、お前は意味が分かるのかと警戒している。ハルトはキンタの剣を見て微笑む。

「それ魔法燃焼系だったよな。熱耐久が神なんだよ。まぁ増幅倍率は3しかないけど、他のじゃ溶けちゃうから貸して♪」

「大事にしろよ? 気にいってんだから」


「シェラ、念のため、ここで待っていて。それと結界防御お願いしていい?」

「ぬかりないわね、いいわよ」


「――こうするか」

 ハルトは短剣の柄を口に咥えながら、キンタの剣を構えた。混乱して味方を殴ることだけは絶対に避けたい。

「ひってきまーふ(いってきます)」


 ※    ※    ※


 暗闇に光る小さな瞳。濡れそぼった硬質の短毛。突き出た鼻から出る臭い空気。

 太い四本足。丸みを帯びた身体は肥えている。そんなのはどうでもいい。問題は獰猛さで、涎にまみれた床だ。


 ――汚いなぁ!!


 掃除をしなくてはいけない。みんなを歩かせるのが可哀想だ。


 “一翔、どうすんの? 50倍だって”

 ーーブラクスより強いと思う?


 “同じくらいじゃないかな、こんな強い魔物、シェラはどこで拾ってくるんだろうね。危なくないのかな”


 ――戦ったらシェラが一番強いかも

 “怒らせないようにしようね”


 ――陽翔、やりたいなら譲るよ? 一緒に戦おうか? 戦闘時の交代の練習にちょうどいいかも!

 “兄さん、ウキウキしすぎだよ。俺は交代しないからね”


 ――ええ? 一緒にやろうぜ

 “最近は数時間起きて、修行するだけで眠くなっちゃうんだよ。今本気で戦ったら、目覚めたら一年後とかになるかもよ?”


 ――それはいやだな。では、ご注文をどうぞ。

 “じゃあ、ハンバーグで!”


 ※    ※    ※


 猪はひどく飢えていた。鼻で土を掘り返し、小さな牙で餌を探している。雑食であるから根菜やどんぐり、キノコが好物だった。しかし長く生きるうちに、毒草や毒キノコをたべ、魔力を含むどんぐりを食べていくうちに、狂ってしまい、人間の美味さに気付いてしまった。


 ハルトはひた、と足をとめた。

 血の匂いがする。


 ここは勇者の試練の塔。

 召喚者が勇者になる未来を夢みて、最後の試練に向かう聖なる場所。


 けれど床の端に転がるのはモンスターの死骸だけではなかった。くすんで色が変わっているが人の手だ。千切れてしまった足は戦闘靴を履いているものもあれば、しゃれたサンダルまである。


 ――シェラ!! これは何だ


 一翔は怒りのあまりに震えた。

 “フォレストパレスには聖女の加護を求めて、傷ついた勇者が集まってくる。けれど間に合わなかった人たちがいるの”


 目まぐるしく血が騒ぐ。呼吸が乱れた。

「フーッ」

 深く息をして冷静さを保つ。短剣を咥えていなかったら、もっと興奮していた。


 ――でもサンダルは違うだろ? あれはどうみても召喚されたばかりだ。知っていたんだろう!


 シェヘラザールは答えなかった。

「フーッ。フーッツ!」

 目を瞑った。もう見るのに耐えられない。咥えた短剣が床に落ちた。


「答えろ! シェヘラザール!!」

 憎悪と嫌悪。

 嫌だ。汚い感情に支配されて全部壊してしまいたくなる。


 “ごめんね。なんとなく、そうかもって思っていたわ”


 “餌やりはシェラの仕事じゃないよ?”

 陽翔の言う通りだ。


「…………。」


 “兄さん!”

 陽翔の声が無かったら、冷静に戻れなかった。


 “小太郎に感謝しよう? 俺たちもこうなるところだったんだから”


 ――燃やす! 陽翔、全部燃やすぞ


 全身から魔力を放ち、部屋の隅々まで青白い光に包まれた。


 強い魔力の風が吹き荒れ、居残った9人は飛ばされそうになる。キンタはなるべくタンクの陰に隠れるように指示し、盾のように結界を張るシェヘラザールの脇に立った。前方の凄まじい青白い光のせいで、まともに前を見ることさえできない。


 ブオオオオ!

 ボスモンスターの興奮した声が聞こえる。


 ハルトは小人のように小さな存在で、猪の小さな瞳では見つけることができなかったのだ。異常を察してはいたが、再び食事をしようと鼻で床を漁り、遺骸が飛散した。


 ――あさましい!


『この豚ヤロウ』


 一翔の呟きには微塵の迷いもなかった。シェヘラザールは不安で立ち上がった。

 “冷静になりなさい!”


 ぐじゅ!


 戦いが始まると思いきや、青白い光は消え、再び暗闇が戻った。そして一切の音がせず、とても静かだ。


「終わったのか?」

 それでもキンタは警戒を解くことができない。


 ズルッ! ドシャッ。


 何か湿っぽい塊がずるり床に落ちた。星が空へ昇るように、巨大な物体が宙に浮き上がってきた。不思議な光景だ。ボスなどどこにもいなかったように、殺戮と戦闘の空気が消えている。


 ハルトの足元は血の海だ。猪の生皮を剥いで、一瞬で肉団子のように圧縮した。鳴き叫ぶことすら許さなかった。詠唱呪文など要らなかった。手を翳す必要も無い。全身から溢れるマナはすっかり地下のマナと共鳴し、この空間は自分のイメージのままで、何でも叶う。


 肉塊は球体となって、自転していった。中心と外側で回転速度が違うために、球体の中で攪拌されている。


 遠くからでも飛沫が飛んできた。頬に濡れたものを拭き取ると、悲鳴が上がった。

「血!?」

 遠心力で脱水するように、徐々に血しぶきの飛ぶ量が増えて、天井や壁が赤く染まっていく。リオールはリズの目を瞑って堪える。


 狂気の沙汰だ。


 シェヘラザールは結界を張って防いだが、血の海で服は汚れ、悲鳴が上がった。


 ――俺は冷静だよ

 一翔のメッセージはシェラに届いたが、それでも半泣きだ。


 料理とは時に残酷なものなのだ。魚の頭を捨て内臓を引きずり出す時も、鳥の首を刎ねて羽毛を剥ぐ時も、慣れてしまえば何度だってできる。


「やめろ。もうやめてやれよ……」

 遠く、キンタの声がする。


 肉塊はぐじゅっ、ぐじゅっと音がして、楕円形にまとまると床に落ちた。


 キンタはホッとして立ち上がろうとすると、ハルトの声が響いた。

「キンタ、どうして炎系魔法が他の魔法よりもモンスターに効果が高いか、答えてみろ」


「そんなことはいい! それよりも死者を冒涜するような殺し方をするな!」


「まだ死んでいない」

 肉塊はもぞもぞと動き出し、進化しようと蠢いている。


「強くなれば肉塊の欠片でも残れば、元の形を取り戻す。だから油断せずに分子レベルで破壊する炎系魔法の効果が高い。そして教えたはずだ。効率的に燃やすには水分を抜く」


 ハルトは剣先で床に触れる。

『エムエフ(マキシマムフレイム)』


 高熱の炎の槍が天から降り注いだようだった。

 炉の中にいるようにオレンジ色の炎に満ちた。濡れた床は水蒸気となり視界を遮る。

「半ナマ焦げ過ぎ厳禁」


 両脇の壁が崩れ、細く光が差し込んだ。天の梯子のように、神秘的で、蒸気の中から現れたのは慣れ親しんだ光景だ。


 こんもりとした楕円のふくらみに、ほど良い焦げ目。

 ハルトが剣をひと振りすると、剣戟で真二つに割れた。弾けるように肉汁が溢れ出て、ジュワッとジューシー! 料理とは芸術だ。


「完成、猪ハンバーグ。まぁ俺は食う気にはなれないがな」


 後方にいたメンバーは巨大ハンバーグが突然現れたことに驚くばかりだ。


 ハルトはすぐに隠れて物陰で正座した。

「あら? ハルトどうしたの」

 ジェシカが不用意に近づいてくるので悲鳴のように叫んだ。

「来ちゃダメ!!」


 カエデまでやってくるのであわてて小さくなる。

 髪の毛は死守したかったから、首から上は燃えないように死力を尽くした。身体も魔法効果で燃えていない。けれど高熱に耐えうるだけの装備が欲しい! 上級な魔法のマントや、靴も下着、全部燃えない洋服が!


 ――は、恥ずかしい!!


 これだから仲間は絶対に必要だ!

「ねぇ誰か、服貸してくれない?」


 リオールはおかしくてたまらない。

「血祭りの次は裸祭りか」


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