魔の森
魔の森は学校の隣から始まり、奥に行くほど、人を阻むようになる。
入口近くは勇者見習いが攻略できるが、三時間ほど歩くだけで、普通の勇者でも困難な道のりになる。王都の郊外にありながら、魔の森はレベルの高いモンスター集結地である。それでも被害が出ないのは聖女の結界によって完璧に阻まれているからで、モンスターが街に出ることはない。
聖女が結界を張る目的のひとつである。フォレストパレスは聖女の居城であるけれど、魔の森を監視する目的もあった。その後に勇者になるための学校が作られることになり、現在に至っている。
従って魔の森は勇者見習いが制覇できるようなものではなく、長い間、未開発地帯のまま放置されている。奥地まで一人で辿り着けるのはジェットくらいだ。
ジェットは魔の森をたった一人で制圧できる、世界でも数少ない強者だ。そして学校の管理人をしているのは、魔の森からモンスターが襲ってこないようにするためだ。
その仕事もハルトがテイマーとして活躍しているために、すっかり暇になった。
ハルトは順調に魔の森のモンスターを支配し、かなり言うことを聞くので暴れ回ることも少なくなったのだ。
そのジェットがため息を漏らしながら夕食をとったので、ハルトは気にかかる。
「俺、何かやらかした?」
「最近、森で何をしているんだ?」
「遺跡探索のこと?」
「どれくらい攻略できたんだ? 半分くらいいったのか?」
「どこまでが半分かなんて、制覇しなきゃ分からないよ~。入って半日経っても、いつの間にか入り口に戻されてる」
ジェットは少し笑った。
「まぁ迷宮の仕掛けが分からないなら、当然だな」
「仕掛け?」
「そこは修行だから自分で確かめろ。それよりも森だ。お前のことだから、森のモンスターを惨殺しないよな?」
「惨殺? それは酷いね」
「斬られ方からして、モンスターではない」
「俺たち以外に森で強い人なんているの?」
「アブソルティスかもしれん」
ハルトの食事の手が止まった。
「悪い。食事中の話題ではなかったな」
「うん」
「学校はどうなんだ? 楽しいか?」
「それなり」
ハルトは手早く食事を済ませ、皿を洗うが、少し乱雑だ。ジェットはそれが怒りであることを期待した。
「――う」
慌てて口元を抑え、そのまま裏口から外に駆けだした。
ジェットは潤んだ瞳で夕食を再開する。
「可哀想に」
5年が経過した。修行もして戦える自信もついただろう。それでもたった一言、可能性だけで、そこまで追い詰められてしまう。
※ ※ ※
それから三日間、ハルトは森に入らずにキッチンに立ち続けた。使役モンスターを魔の森全体に放ち、入念に探索を繰り返し、ジェットに報告した。
「神官が魔の森を徘徊しているみたいだよ。でも報告によると、突然現れたり消えたりするんだ。まるで幽霊みたいで、何だか嫌だな」
「モンスターを怖がらないお前でも幽霊は怖いか?」
「だって人間でしょ。しかも神官だよ、下手に呪われたら取返しつかないもん」
報告のご褒美に木彫りの面を渡された。
「土産だ」
「へぇ、どこか行ってきたの?」
「まぁそんなところだ」
「いいなぁ、俺も旅がしたいよ」
「大きくなったらな? 10歳の子供だということを忘れるなよ。どこの土産なのか調べるといい。面白いことが分かるだろう」
ハルトは笑う。
「ありがとう。頑張ってみる」
その夜、ハルトは魔の森に入ると、朝にはひどく汚れて帰ってきた。倒れるようにベッドに入って、学校に遅刻したのだった。
※ ※ ※
木漏れ日の中。森の奥地で二人の男が佇んでいた。ただならぬ気配にモンスターたちが覗いている。
一人は白髪の王宮神官だった。細長い箱を抱え、苛立っていた。
「指示されたことができないというなら、あの話はなかったことにしよう」
もう一人は深くフードをかぶっており、顔は見えない。
「護衛が私の任務なのだ。エストワールとの約束が果たせなくなってしまう! 彼は有能だ。なのになぜあのような低劣な人物を利用する」
「約束が果たされると思っていたのかね? 何年も前の口約束を覚えているほど、彼も暇ではないと思うが、どうかね?」
フードの男は固く拳を握って堪えた。
「――そんな馬鹿な。やっと約束までこぎつけたのに! それを覚えていないだと?」
「何年もかかっていること自体、君の無能さを証明しているのだよ。答えを先送りするだけの口実だ。利用されているとも知らんとは愚かだな」
「――!」
「上の者の指示に黙って従えば良いのだ。たかが駒のくせに」
「駒なんかじゃない!」
男は王宮神官の襟を掴んで引き寄せた。衣服が乱れ、首もとの印が目に入る。
「――これは何だ? 貴様!!」
男は長剣を抜いた。
神官は派手に笑った。
「何だ、その顔は? 勇者気取りかね! 何様のつもりだ」
その言葉も、その存在も許し難い。
「私は使われて終わるような存在ではない」
すらりと剣の刃が光る。
「待て! 怒るなよ! 私を斬ったら上が貴様を殺すぞ!」
ドサッ!
森の中に短く悲鳴が響き、神官は倒れた。
驚いた鳥が一斉に飛び立つ。
フードの男は剣を納めた。
「悪者の意見など正義の前では通用せん」
箱を開けて驚いた。さぞ立派な剣かと思ったが、練習用の切れ味の低い剣であった。
「これはどういうことだ」
※ ※ ※
授業が終わり午後四時になると、学校は個人活動の時間になる。
人数が多いのは剣術や魔法関連のサークルだが、女子の間ではお料理サークルが存在する。
もちろん部長はハルトである。
黒髪に青い瞳で、鮮やかに手腕を発揮する姿に人気が出た。以前より背が伸び、すらりとした体格と天才的な料理の腕にファンができたと同時に敵もできた。そしてお遊びで料理をする女子に腹が立ち、姿を消した。
発起人であり副部長のカエデは今日もハルトを探し回っている。
日焼けしてしまい、すっかり緋色になった髪はよく目立つ。逞しさと可愛らしさが全開で、誰よりも早く駆けていく。
「今日こそ絶対に捕まえてやるわ!」
さらに部員を総動員して、包囲網を完成させた。
「最劣だからと舐めてはいけない! 隅々まで捜索するように!」
全部の教室、図書館、工房、体育館、学生寮、そして自宅。端から端まで探しても見つからない。残る居場所は魔の森しかないが、これはカエデだけの秘密だ。
「やっぱり男子寮が怪しいかしら?」
男に飢えた友人が怪しい微笑みをみせている。
「時間もないし、今日は諦めようか」
カエデはひとつ思いついた。
「ちょっと先に戻ってて! 一か所回ったら、すぐに戻るから」
カエデは魔の森の入り口に来た。うっそうとした茂みで、視界は悪くうす暗い。入る前から不気味だというのに、入り口には大きな蛙が居座っている。
ゲコ。ゲコ。ゲ!(カエレ。カエレ。うりゃ!)
カエデは蛙がハルトの置き土産だと知っていた。当然、この道の先にハルトがいるという証だ。
蛙は長く伸びる舌を鞭のように使う。舌で瞬時に相手を捕え、遠くに投げ飛ばすつもりだ。
「同じ手は食らわないわよ!」
カエデは剣で弾いた。前は門番の蛙と対決して負けたが、もう攻略方法は決めてある。
ゲココゲッコ!(帰るキック)
蛙の蹴りをカエデは避け、攻撃に移る。
「神歩!」
駿足を生かして、ひらりとジャンプ。蛙を踏みつけて、飛び越える。
ゲゲッ!
蛙の悲鳴は、ハルトにとって来訪者の合図だ。門番をさせていた蛙から緋色の髪の女が一人だけだと伝わってくる。
ハルトは袋いっぱいの薬草をアイテムボックスに収納すると、急いで来た道を戻ることにした。入り口付近は弱めの敵だが、それはトラップだ。今のうちに追い返さないと、強敵に囲まれる。
「まったくもう」
――カエデが単独でこのコースを辿るのはちょっと厳しいんじゃないか?




