旅の終わり
キャラバン隊に戻って旅をしている。
蹄の軽快な音、荷馬車が揺れて荷物が軋む音。目を閉じていても、馴染んだ音とリズムだ。
隙間から風が流れ込んで、頬を撫で、髪を散らす。長椅子に横になり、メリダの膝枕なんて何年ぶりだろう。大人扱いしてくれた彼女でさえ、優しい眼差しを向けてくる。
浅利一翔がまだ赤ん坊だった頃、そのどれもが心地よかった。温かく迎え入れてくれたキャラバンの仲間と暮らす毎日は楽しかった。
あの頃は良かったと、思い出ばかりが浮かんでくる。焚き火を囲んで、仲良く食事をして、モンスターをかいくぐり冒険しながら次の街を目指す。
ワクワクする。未来に夢をはせ期待していた。キャラバンで、ずっと生きていけると思っていた。
何よりも信じたかったのだ。
新しい世界の生活は、スリルと冒険に満ちて楽しいものだと。
でも大人ならば自分の状況ぐらい正確に把握すべきだった。今になってよく分かる。いくらキャラバンが寛容でも、俺を狙う人間はたくさんいる。いくら小太郎でも一人を守るために、キャラバン三百人を危険にさらすことはできない。
だからこそ、その時に備えろと鍛えてくれた。
ディスカスとの同居も、その延長だった。
修行したことで、俺たちはギリギリ生き残れた。でもライカはどこかで生きている。
だからこれは最後のキャラバン旅。
俺の逃亡生活の始まりだ。
「街が見えてきたよ。もう少しの我慢だよ」
メリダの声は優しい。
一翔は寝返りすらできない。風を受けて乱れた髪を直すこともなく、足は放りだしたまま。メリダはそれらを直すたびに、頭を撫でる。
ボロボロの身体のまま移動するのは負担が大きく、目を瞑って振動に耐えていた。聖女の加護で回復をしているおかげで、ようやく命が繋がっている。
※ ※ ※
山の合間を縫うように進み、谷底にできた道を進む。隣の国への大通りだが、ところどころ崖崩れがあって立ち往生を繰り返していた。その度に山からモンスターが降りてきて、キャラバン隊は危機に晒される。
次の街が見えたところで、完全に足止めを食らった。
メリダは副隊長に呼ばれ、作戦会議に参加することになり、俺の身柄は小太郎のお抱え女子二人に任された。
「寝顔、かっわいい!」
「ホント隊長に似なくてよかったわぁ」
マナの奔流に突入し、すっかり魔王級なのだが、外見は5歳。二人と逢うのも数か月ぶりの再会だ。何も知らない二人だけれど、それが救いでもある。
俺は瞼を開けた。視界はぼやけている。
魔力を放出しすぎたせいで、無事なところなどひとつもなかった。おかげで漏水事故のように身体のあちこちから魔力が漏れ出して、集中していないと、意識まで外へと放たれてしまう。
幽体のようにフワフワとキャラバン隊を上から見下ろしていた。
小太郎は先頭で副隊長と相談している。商人たちを街へ送るのに、進行方向に懸念を抱いている。普段は補佐役に徹しているメリダも今日は戦う気だ。
進行方向にあった崖崩れ。それはボスモンスターが起こしたものだった。谷間を埋める瓦礫の頂に立ち、攻撃のチャンスを窺っている。
小太郎が気付いて、こっちを睨んできた。
“馬鹿息子、大人しくしてろっての!”
これ以上怒られる前に退散しよう。
キャラバン隊の列は長い。後方にいる商人の家族らには何も知らされず、子供たちがはしゃいでいる。母親は気儘にランチを作りはじめていた。焚火で肉を丸焼きして、皮のパリパリ感が香ばしいこと!
――うわ。いいなぁ
実際は自分が食べられるのは粥がやっとの状態だけれど、見ているだけでも楽しい。
それを邪魔する気配を感じた。山の中ではたくさんのモンスターが集まってきている。
――火を焚いたらダメだ。狼煙になって恰好のマトだ。このままではモンスターが襲ってくる。
俺は意識を身体に戻して、どうにか手を握ってみる。声を出そうとしたが、息をするのが精いっぱいで、眉間に皺が寄るだけ。
――陽翔、お前ならどうする?
俺は問いかけ、それは独り言になった。
陽翔の存在は感じる。陽翔が聖女と繋がり合っているから、右手から回復魔法が伝わってくる。なのに会話もままならないのは自分がいっぱいいっぱいだから?
どちらにしても陽翔にこれ以上無理をさせたくない。
戦うなんてこりごりだ。でも誰かが傷ついていくのは見過ごせない。
声を出すんだ。狼煙を消して、防御態勢をつくるんだ。料理なんてしている場合じゃない。
(……だ、め)
掠れた声しか出ない。
何がダメなのか、近くにいる二人にさえ伝わらない。情けなくてどうしようもない。
泣きたくなるような渋い顔だ。
小太郎のお抱え女子たちは揃って俺を見たあと、奪い合うように抱きしめあった。
「エルダール、あと少しで着いちゃうね」
ーーいや。そうじゃなくて。確かに体は動かないけど、それが辛いわけじゃない。みんなに危険が迫っているんだよ!
俺の意志など、そっちのけで女子二人はおしゃべりばかりだ。
「王都に到着したら、お別れになるんでしょ?」
「二人がいなくなるのは寂しいわ。小太郎も何だかんだ言って、身持ちの固い男だったわね~」
「単なる戦闘バカだけど、政府高官になればクラムも守れるでしょう」
「ええ? でも勇者って……」
小太郎が勇者を辞めてから、勇者の扱いは酷くなるばかりだ。政府高官になる道よりも、その下で使い捨てにされる可能性のほうが高い。
それでも小太郎はエルダール行きを選んだ。
普通なら、小太郎と俺がキャラバン隊から離脱するだけのことだが、キャラバンの行先自体がエルダールに変更になった。
これは前代未聞だ。
俺がいるだけで、ライカやアブソルティスに狙われる。キャラバンがリスクを減らすために、俺を即刻除外するのは当然のことだ。しかし隊長に子供を捨てろとは言い難いし、隊長に辞められても困る。エルダール行きはキャラバン隊として最大の譲歩だ。
俺はエルダールに行って回復しなければ命が危うい。重度の傷は間接的な聖女の加護では足りない。直接聖女が触れて、その手で回復してもらう必要がある。
それは勇者として、皆の前に晒されるということ。俺が捕まったら、小太郎はどうするのだろう。キャラバンに戻って隊長を続けるのだろうか。
エルダールに到着したら、どんな形であろうとも別れが待っている。
※ ※ ※
隊列の先頭が騒がしくなってきた。キャラバン全体で爆発音や光が炸裂している。皆が不安顔だ。
ドドド!
崖下に向かって多くのモンスターが降りてくる。
「防御シールドを展開しろ!」
防衛隊員の声がして周囲が騒然としてきた。
缶に宝石が巻きついた小さな魔工具からドーム状のバリアシールドが展開される。次々と半球状の防御シールドが完成するが、非常用で5人入ればすぐいっぱいになる。
モンスターはそのことも計算済だった。シールドに入りきれなかった人間を見かけては襲い、置き去りにされた荷物を荒らしていく。
防御シールドに包まれても、モンスターは攻撃をやめず、人々は泣き叫び、あちこちから悲鳴が上がっている。
俺たちも避難をするが、防御シールドはどこもいっぱいだ。戦火の中を逃げ回るうちに、大きな影が立ちはだかった。
四つ足の獣のモンスターだ。
ツノと牙を剝き出しにして、涎を垂らしている。興奮状態で、狙いをつけられ、とても逃げきれない。お抱え女子の一人が戦闘態勢をとる。
「クラムをお願い! 逃げて!」
俺はいつも抱えられたまま逃げ惑う。これで何度目だろう。
最初は小太郎。メリダ、ディスカス、数えきれないほど守ってもらえた。みんなには迷惑ばかりかけて、恩返しひとつできない。
最後までこれでいいのかと自分に問うと、答えはひとつだった。もう覚悟はできている。
「リリー」
空色の荒鷲が突然現れ、一翔をわしづかみにして奪い、空へ舞い上がる。
「ああ! クラム!!」
お抱え女子が絶望的な顔をしていて申し訳ない。リリーの背に乗る体力もないから、これは優しさだ。下を見る分には都合と見晴らしがいい。
「ハハ……」
風が気持ち良い。
人も、モンスターも豆粒みたいに小さい。みんなが命懸けで戦っている。メリダも副隊長も実力者だった。
小太郎はキャラバン隊の先頭にいてひときわ凄そうなボスと戦っている。相変わらず派手な戦い方で山が吹き飛んで地形が変わっている。
最後のキャラバン旅だし、ひとつくらい恩返ししたい。
宿屋になりたいと心から思うけれど、仲間を犠牲にして宿屋になっても意味はない。俺がこの人生で出会った仲間に、ゆっくり楽しんでもらいたいと思うから。
エルダールに行って勇者にされて奴隷のように生きるのは嫌だ。
ライカに再び襲われて、奴隷のように生きるのも嫌だ。
陽翔は人のために役立ちたい。そういう人生を望んでいる。それなら本当の勇者としての生き方を貫けるだろう。きっと勇者の奴隷制度など蹴り飛ばしてくれるほどに、凄い人生を歩めるはずだ。
もともと俺はおもて舞台に立つのは苦手で、裏方にいる方が性に合う。だからこの身体は陽翔に譲るよ。
「陽翔、あとは頼む」
――陽翔、幸せになれ
俺はずっと傍にいるから、大丈夫だよ。
魔力全開で、どれだけの数の魔物を制圧できるだろうか。
「俺に従え!」
そして、この世の全てのモノに平和と安穏を!!
その日、青白い魔法陣で空が包まれるのを多くの人間が見た。
キラキラと星が降ってきた。青白い煌めきが降り注ぎ、夢見るような美しさに癒され、人もモンスターも欲望を忘れたように空を見上げた。
――その人は誰?
ある者は言う。青白いマナの光が証明している。それは神だと。
幻の空帝に乗って現れ、人々を救ったのだ。
ある魔物は言う。それは魔王だと。
巨大な魔力によって、我々を導く存在だ。
爆音も破壊音も消え、モンスター導かれるように山へ戻っていく。
鳥がさえずり、虫が鳴き始める。風で枝や葉が揺れ、美しい木漏れ日。それを斬るようにまっすぐ一羽の鳥が翔けていく。
「何があったんだ?」
キャラバン隊の人々はホッと息を漏らし、互いの無事を喜び合った。ただ一人、小太郎を除いての話である。一翔の魔法陣を見て、剣がスッポ抜けた。戦っている場合ではない。
「余計なことを!」
目の前のボスモンスターはアイコンタクトで一時拘束状態にある。小太郎は剣を再び取ると、怒りのままに一刀両断した。
「リリー、こっち来い!!」
あまりの怒号に副隊長はズボンを濡らし?(名誉のために疑惑にしておく)メリダは隊の後方へ走った。
しかしリリーはそのまま姿を消した。
小太郎は言葉もなく飛び出した。空を見つめ、ひたすらに後を追いかけた。




