アブソリュートコネクト
明け方近くになり、森の鳥がモーニングコールをしている。
空は白みかかっていているがまだ薄暗い。絶やさずにいた焚火が消えたせいで、冷えて目が覚めた。
――あれ? ディスカスがいない?
頭を上げようとした時、頭上でブツリと音がした。ハンモックを支えていた紐が切れ、背中を強打する。
衝撃で息もできないというのに、上から大きな手が伸び、筒のようなものを口に突っ込まれた。
「!」
「声を立てるなよ? 頭が吹っ飛ぶぜ」
マスクをした片腕が拳銃の男、ロウだ。
俺は混乱した。
宿屋は絶対領域で、安心だと言っていた。それが破壊されてしまったのなら……ディスカスは無事なのか?
「ロウ。子供には優しく。成長期ですし、心の傷にならないように、そっと従わせてあげましょう」
リルムは俺の半身を起こし、手を拘束した。
「生き残るにはライカ様に従うのも手ですよ。あの年寄りのような終わりにしたいというなら別ですが」
リルムが退くとルードが舌を出していた。楽しそうにザクザクと刺して笑っている。
「先制攻撃、最高!」
俺はショックで悲鳴もあげられない。
――やめろ! やめてくれ!
「言うことを聞かない子は殺してもいいと許可もいただいております。反抗するならば、死の覚悟をしておくことです。一人で戦うほど愚かではないと信じております」
「ようこそアブソルティスへ」
暗闇から生まれ出たように、ライカは現れた。
昼間の時とは違い、笑みも冗談も無い。なおさら恐ろしく、敵はあまりに強大だった。
「寂しいだろう?」
ライカの声にはどんな魔力が含まれているのか。戦う気力が起きない。
怒りを力に変えて立ち上がるべきだ。なのに自分の中の恐怖すら克服できないし、絶望と寂しさが俺を弱くする。
「俺がいる。俺が親だぞ」
ライカが足に触れるのが嫌で、咄嗟に足を引っ込める。何をされるにしろ、ひとりだけの身体ではない。
「陽翔がいる。俺は兄だ」
「アブソルティスの紋章は双頭の鷲。一つは剣を持ち、もう片方は杖。ひとつの身体に二つの頭と武器。二つの魂があるこの体にこそ、刻印するのがふさわしい。麻婆豆腐と拉麺だ」
全員が言葉を失っている。
「?」
ライカは究極に恥ずかしい。
「テメェら全員死んでみる!? どっちも美味いだろ!!」
リルムが冷ややかに付け加える。
「どちらもオイシイものが合体したら一番美味い。つまりライカ様は究極で絶対的な感じを目指しているのでしょう」
ルードが笑う。
「でしょう? 第二位の幹部が予測かよ」
「ライカ様は気分屋ですからあてになりません。舌を切り取られたくなかったら黙っていることですね」
リルムは一翔の正面に座り視線を合わせた。
「これまでの戦い、とても素晴らしかった。貴方は間違いなくライカ様のお気に入り、双頭の鷲です。その年齢にして魔王も凌ぐ戦闘力。敬意を表します」
「俺はただの子供だ」
「ルードはガス爆発で一回、その後複合毒による合併症で二回死にました。その後、爆発的に凄い能力を見せたようですが、それを含めずとも幹部候補に価します。我々は正式に幹部として迎えようと思います」
俺はルードを見た。
「生きてますけど……」
「彼は二枚舌。死ぬと嘘をつけば蘇るのでお構いなく。貴方は幹部を殺すほどの実力者だと認められたのです」
「嫌だと言えば殺すくせに何で丁寧に説得してんだ? 俺に決定権はないだろ」
リルムは視線を外した。
「とても幼児の質問とは思えませんね。経験した者としての慈悲ですよ。素直にライカ様に従いなさい」
一翔は視線を避けた。
どの顔も見たくないし、この状況は受け入れたくない。
ライカは焦れている。
「リルム、そこをどけ。壊れたって構わねぇ」
リルムは説得を続ける。
「ものすごく痛いんです。精神が壊れてしまいます」
「オメーは狂わなかったじゃん」
「私は途中で諦め、貴方を受け入れたではないですか。この子にも同じことをするのは酷すぎます」
「優しいねぇ。でも、もう待たない」
ライカが足首を掴む寸前、朝日の方向から矢が飛んできた。ディスカスの魔力を感じる!
ドラゴンに乗ったディスカスを見て心底ホッとした。
ルードの殺戮行為から逃げきれていた。
上手くリリーが幻を作ってごまかしてくれたおかげだろう。イヤリング型の魔工具で指示が飛んでくる。
――次は右に転がり、太陽の方向へ。
合図と共に一翔が全力で走る。
リルムとライカが雨のような矢を浴びる。反撃しようにも狙い通りに日の出の時刻と重なり、直視できない。
――リリー! 来い!
一翔は魔法で手の拘束を破壊し、リリーに飛び乗る。 一気に森を遠ざかり、空中へ上がる。距離が遠くなれば安心というわけではないが、少なくてもライカの目の前だけは避けられる。
「クソっ、またミラージュか」
リルムは立ち上がった。
「そう何度も同じ手をくらうわけないでしょう」
ピンと張った糸が地中から空へ上がった。リルムが魔力でできた糸を引くと、足を引かれる。
「あ!」
引き剥がされてリリーから落ちた。こういうことは想定になかった。俺は覚悟して目を瞑った。真っ逆さまに落ちて地面と衝突だ。
“重力魔法で落ちるのを遅らせて!”
俺はもたついた。陽翔は得意だろうけれど、言われて咄嗟にできるほど上手ではない。リリーが旋回して、俺を拾おうとしてくれるが、間に合うだろうか。
「遊びは終わりだ」
ライカは空間魔法を展開する。ひとつはリリーに向けられ、どこかに転移させられた。
――間に合わない
陽翔は強制的に交代し、叫んだ。
「UP!」
同時にライカの呪文が放たれる。
「アブソリュート・アンコネクト!」
俺は下には落ちなかった。でもそれはライカが足首を掴んで、空中で吊るし上げられていたから。そして俺がいくら呼んでも陽翔からの返事がない。
――嘘だ。陽翔! 返事をしてくれ!
俺はどこかに陽翔がいないかと探した。魔力は空回りするだけで、陽翔の気配が感じられない。
「陽翔!!」
俺の声は森の茂みに消えて、静まり返る。
何もない。陽翔がいない。ディスカスも間に合わない。
ただ目の前に悪の存在だけがいて、絶望を与えてくる。
ゆっくりと下降する間に低い声が聞こえた。
「浅利一翔。貴様に紋章と絆を与え、代償に魂を戴く。アブソリュートコネクト」
「ううっ!」
烙印を押されたように、足首が熱い。
「俺が親だ。親の言うことは絶対だ。返事は?」
出来上がったばかりのアブソルティスのマークを撫でられると、ライカの存在自体に気分が悪くなる。たぶん一瞬で胃に穴が開いた。それほどのストレスだった。
侵入してきたライカの魔力と絶望が気持ち悪い。なのに操作されるように“はい”という答えしか浮かばない。答えたくないから首を振る。
逆さになっているものだから、繰り返す嘔吐は胃液だけでなく血も吐いた。息をすることもできず、涙とか鼻水とかもう凄い。ライカはそれらが収まるまで、臭い物を掴むように身体から離して持っていた。
「いい加減、返事しろって」
答えればこの苦しいのが終わる。答えたら人生が終わる。
「は……い やだ!!」
ライカは混乱した。
“はい”なのか、“いやだ”なのか? どちらともいえないし、どちらともいえる。
そもそも嫌だと言ってしまえる自由があることがおかしい。一翔に刻印した紋章は完璧なのに、契約は完璧ではなかった。
ライカは自分の腕を見た。
前の戦いで別人に憑依された一翔が出した攻撃。それが紋章に傷を与え、完璧な形ではなくなっていた。
「どこまで手こずらせんだ?」
ドオン!
ミラージュ化したままドラゴンが体当たりしてきた。
一翔とライカは吹っ飛ばされ、空中でバラバラになった。
「ディスカス!」
俺は必死で手を伸ばす。
ディスカスは身体ごと突っ込んできた。俺は空中で抱きしめられたまま、そのまま地に落ちて、ゴロゴロと転がりまくった。ディスカスは決して離さないように、つぶれるくらいぎゅっと抱きしめた。
満身創痍のディスカスは俺を抱えたまま走り出す。
俺は身体に全然力が入らなかった。足に刻印されてから、反抗する気力が起きない。ライカから離れたのに、すぐ隣で睨まれているみたいだ。抗おうとすると胸が痛くなる。
――もう駄目なのか?
狙われて、このままずっと視線に怯えながら逃げて暮らすか。ライカの傍であの幹部たちのように人生を奪われるか。
どちらも耐えられないけれど、俺はヤツのモノになってしまった。ならばこれ以上抗うのは無意味で、ディスカスを巻き込むことは被害を広げるだけ。
「置いていって。もう逃げられない」
ディスカスは笑う。
「もう逃げられない? 今逃げてるさ! 三秒前も逃げていた。あと何秒かも逃げられる。まだ現れてないからな!」
太っちょディスカス。走りは不得意だ。魔法使いだし、引退して時間が経っているから体力は期待できない。ドラゴンも失って、魔力も体力も限界だ。顔には苦しいって書いてある。そんなのは意地っ張りの作り笑顔じゃないか。
「なんで笑ってるの」
「楽しいからさ。笑顔は希望を生む。希望があれば人が寄ってくる。皆がつられて笑う。たくさんの笑顔からたくさんの希望が生まれる。笑顔は素晴らしいぞ」
ディスカスは足がもつれて転んだ。すぐに立ち上がったが、酷い傷だった。その傷も全部俺のせいだ。
「君が宿屋を継ぐと言ってくれて、私は希望をもらった。私を救ったのは君だよ。君が元気で笑ってくれることが私の生きる希望で、宝なんだ。お宝を目の前にして笑わないでいられるか。
今は失望しているから希望は見えないだろう。でも探すことさえ諦めなければ、希望は必ず見つかる。だから諦めるな! 笑え。笑えば希望が生まれる」
「何そんな流暢なこと言ってんだよ。このままじゃ死んじゃうよ!」
ディスカスは声の限り叫ぶ。
「「息子を盗られたら一生笑えん! 宿屋の息子なら俺と一緒に笑え!」」
頷く以外に返事は無い。ディスカスの愛情がそうさせた。
俺は宿屋の息子だ。生まれる前は旅館の息子、生まれてからはルーカスの宿。これからも宿屋の息子を貫いていきたい。
「今はちょっとしか笑えない。つくり笑いだぞ」
ディスカスは俺の頭を撫で、嬉しそうに笑った。
「本当にいい子だ!」
瞼が重くなる。未練たっぷりでディスカスの手に触れたけど、掴めないでズルズル落ちた。
ディスカスは立ち上がった。
眠りに落ちながら、その背中がやけに大きくて逞しく感じた。
「小太郎は絶対に来る。信じろ」




