ゆったり逃避行
穏やかな目覚めだった。
“一翔、気付いたんだね! 良かった”
――陽翔、無事でよかった。
一翔の記憶では、直前がペットホテルだった。ベル太の感触もあれだけリアルだったことを考えると、夢の中でも陽翔に会っておけば触れられたのだ。惜しいことをした。
本当はいつでも、陽翔と肩を組んで、抱きしめ合って喜び合いたい。
動けないので、ディスカスが運んでくれている。その腕は逞しく温かいが、ゆるく上下している。頬に当たる風がゴウッ、ゴウッと規則的なのに蹄の音がしない。視線の横でチラつくのは翼だ。
――あ、空を飛んでる。
立派な被膜の翼で、大人が乗れる生き物を想像してワクワクした。
グオオオと鳴いた。一翔は直接見るのも乗ったのも初めてで微笑む。
「かわいい。俺も飼いたい」
ディスカスは笑う。
「目覚めたひと言めが、ドラゴン飼いたいか。次の家では大きな飼育小屋が必要だな」
「家…というか宿、壊れちゃったね」
宿屋は俺たちのスイートホームだった。限りなく昔住んでいた環境に近く、この世界で暮らすのに快適だったのに残念だ。
「酷い客だった。けれど建物が壊れたことなら気にすることはないぞ。あれは装備品に過ぎん。宿屋の心得があれば、すぐに建て直せるさ。ディリクティス・ルーカス・ロマーレという存在自体が宿屋で、宿屋の心得によって魔法で実物化しているにすぎない」
「ディリ?」
「私のフルネームだよ! 舌を噛むからと小太郎がディスカスと呼んだ以来、誰も本名で呼ばなくなった。
宿の名前も本当は“ホテルディスカス”だったんだ。けれど、すでに魔法使いとして名が売れていて、喧嘩を売りに来る客が多かった。だからお客さまの安全第一で、名前をルーカスに変更したのさ」
「じゃあ俺は宿屋失格だな。みんなを巻き込んでしまった」
「君は宿屋見習いだ。それに、あぁなったのは私の責任だ。
宿に入る前に阻止すべきだった。魔力を隠して宿に侵入し、狡猾で油断できない奴らだ。
ライカが一翔に目をつけたのは、おそらく宿に入る前。そうでなければ君ももっと警戒しただろう。ライカは魂の状態が分かるみたいだから、君たちの今の状態はとても珍しく思えるだろうね。
陽翔くんと交代しておくといい。また君の魂を狙って追ってくるようだと困るからね」
「……。できないみたい。陽翔も疲れているから休まないと」
「陽翔くんも凄く頑張っていたぞ。よく大量の魔力を暴発させずに使いこなしたものだ。一翔くんも無茶なことをした。しかし君の底力には驚いたよ」
「何? 覚えてないよ」
ディスカスは笑う。
「なんで笑うの?」
「ほっとしたのさ。君が別人みたいだったからね」
それ以上は話す気力もなかった。眠っている間は痛みもあまり感じないから、その方が楽だ。
街はずれの冒険者ギルドに避難する予定だ。強くて頼れる人間はそう多くないが、ギルドならば、何とか解決策が出てくるかもしれない。ただ直接向かうと先にギルドを破壊される可能性がある。大きくコースを外し、森の中に隠れて様子をみることにした。
ハンモックの揺れが心地よい。寝返りのたびに傷の痛さに冷や汗が出るが、身体は劇的に回復している。
――陽翔、紋章が熱い。何だろう。
“聖女の加護だよ。シェラが気付いてくれたんだ”
――シェラってシェヘラザールのこと? いつの間に仲良くなったんだ?
“兄さん、大人の妄想はやめて。俺たちは健全だからね”
――へぇ、俺たちね? 可愛いの?
“兄さんも会っただろ。覚えてないの? この世界に召喚してくれた人だよ”
――俺はあの時眠かった。ただピンクの髪と聖母っぽいところが陽翔のどストライクだったのは覚えている。
“しっかり覚えてるじゃん!”
――応援してるよ
“兄さんはどう思っているの? 彼女のコト”
――見た目がどうあれ、俺はもっと活発な子が好みだから、普通? 陽翔が守りたいって思うなら貫けよ。身体がひとつだって関係ない。お互いにプライバシーは守ろうじゃないか。その間爆睡すること。それでいいじゃないか?
“俺たちも大きくなったらきっと恋をするんだろうね”
――俺はどうかなぁ。そういうの興味ないんだ。
陽翔は笑っている。
“恋って興味でできるものじゃなくて、おちるものなんだってよ!”
――どこの恋愛本で勉強したんだ? 中身がオッサンなんだから、精神レベルの合う子なんてそうそういないぞ。
“聖女ってかなり生きているらしいよ。年上だよ”
――だとしても、俺たち見かけは5歳だからな。手をだすなよ?
“だから俺たちは健全な、いや普通の付き合いを……”
俺は嬉しい。
俺たちは会話を重ねていくことで、今日のことを忘れようとしている。
少しでも考えてしまったら、未来が暗くなるような気がした。
二人でひとつの身体を共有するのはたいへんだ。けれど心強さは二倍だし、楽しみもたくさん。そういうことにしようと、二人で決めたのだから。
揺れる焚火。パチパチと木の燃える音。あとは森の動物が鳴くだけ。
ディスカスは機嫌が良い。
「宿屋はいいぞ。野宿するにしても、装備品が整っている」
ダッチオーブンやテントだけでなく、キャンプ用の椅子やテーブルもあって準備は万端だ。焼きたての肉の匂いに誘惑されて、寝ていられない。
「お腹すいた!」
手伝おうとすると、ディスカスに止められた。
「安静第一! 自分だけの身体じゃないんだからね」
「俺がお客さんになるとは思ってもみなかったよ。でも一度体験してみるのもいいね。宿屋の素晴らしさがよく分かるよ」
「全部“宿屋の心得”のおかげなんだよ」
「心得ってこころがけのこと?」
「アイテムさ。なくても宿屋は名乗れるが、宿屋の心得は絶対にあったほうがいい。一翔は一般市民の戸籍があるから、心得を手にいれれば職業として魔法契約できる。便利だぞ、絶対領域にいる客はあらゆる攻撃から守られる」
「ディスカスの宿屋なら、最強だね。魔王でも泊められるのは本当だったんだ。ただ、この虫の多さはどうにかならないかな」
「無駄に魔法を使うと誰かさんに悟られるだろう。我慢しなさい。ほら食べたら寝なさい。今は休むことが仕事だよ」
ハンモックで揺られていると眠くなる。ディスカスは防御呪文をかけたり、片付けに忙しいが、笑顔で仕事をしている姿に、ホッとする。
――陽翔ぉ、交代してくれよぉ。
“兄さん、テイマーなんでしょ? 追っ払いなよ”
――無理だよ。スプーンだって持てない。
“小太郎、来なかったね”
――さすがに隣の国では厳しいよ。
“うん。でも会いたいな”
――寝よう。小太郎のことだから大特急できてくれる。きっと明日には会える。今日は疲れた。
“おやすみなさい”
――おやすみ




