陽翔の戦い
ライカは一瞬硬直した。
一翔チャンの魂の気配が消えた?
アイコンタクトは確かに有効だった。けれど打ち消すのも簡単なことで、それは経験の差だ。いろいろと予想外だったことは確かで、笑みが出る。
目の前にいるのは一翔ではない。もう一人のほうだ。
「おやおや? おやおや。親になるオレに対して、そいつはねぇだろ。勇者クン、一翔チャンはどこだい?」
黄金色の魂と、やけに眩しい右手だ。陽翔は手を翳す。
「ファイアウォール!」
厚みと高温の炎の壁は一流の魔法使い並みで、子供にしては立派なものだ。
これだけの大きさになったのは一翔が魔力を送ってくれるからだ。けれど膨大な魔力が送られてくるだけで、一翔の意識を感じない。
――一翔、返事をして!
ライカと距離ができた。隙を狙ったリリーが迎えにくる。タッチアンドゴーで陽翔を攫い、豆粒のように遠くまで逃げた。
「同じ手をくらうかよ!」
ロウが機関銃でリリーを射程に収めた。
ガガガガガ!
リリーがひと鳴きして、下へ落ちていく。
「ハハッ 当たったぁ!」
ロウの首がぐきりと大きく右に曲がった。ライカがひねったせいで機関銃が周囲を乱射する。ルードとリルムも笑っている場合ではない。面白がってライカが狙うから悲鳴が上がった。
「この馬鹿野郎。当てるなよ」
燃えている宿の手前で、陽翔は撃たれ、倒れている。
「大鳥を“オ鳥”にしましたってかい? ミラージュかけても魂の色と存在は視えるんだよ」
陽翔は叫んだ。
「アイスウォール!」
氷の壁が高々とそそり立つ。ダイヤモンドダストが舞い散るほど空気が冷えている。
「どうだ! 割れないほど厚くしてやったぞ」
コンコンと指でノックしてルードに自慢する。
「このクソガキが!」
さっさと逃げていく姿が忌々しい。ルードは分厚い物理的な氷の壁などものともしないというのに馬鹿にしている。
「こんなの一撃だぜ!」
バガッ! ガラガラ……
リルムは笑いを堪えきれずにいる。確かに一撃だが、その奥にもう一枚壁があれば、もう一撃出さざるを得ないわけだ。その間にさらに遠くに逃げて距離があく。
「同時に複数を並列させる。向こうが一枚うわてでしょう」
三枚目を割り、ルードは氷の壁を前にして完全に頭にきた。
「何枚あっても同じだ! 全部ぶっ壊してやるぜ」
炎の呪文を詠唱しはじめたので、リルムは首を振る。
「やめておいたほうが良いですよ? 完全に作戦負けです」
「オレが負けるはずねぇ!」
火球を生んだ途端、ルードが吹っ飛び、ロウが巻き添えになった。リルムはライカの後方に入ることで回避した。
「だから言ったのに。メタンガスは無臭ですからねぇ」
リルムの意見にライカも同意している。
「自分が喋ってばかりで人の話を聞かないからだろ。馬鹿が」
「甘くみてはいけませんね。ホテルのガスタンクを利用し、アイスウォールの成分にメタンガスを含ませておき、何枚か割らせて、苛立たせる。最後には炎か雷を使うように誘い爆発でトドメですか」
「だから言ったろう? 油断するなってよ。二人も戦闘不能にしやがって。まぁ俺は面白いもの見学できたからいいけど、オメーは失敗するなよ? 俺はあいつとアブソリュートコネクトするんだから」
「また幼児。うちは保育園ではありませんよ?」
「いいから追え。あのジジイも並みじゃねぇ。俺の目をキャンセルしやがった」
「ほう、魔王級を育てた魔王なら、ますます油断できませんね。ならば一撃で気を失ったのはフェイク。あの子供に任せてもしばらくは保てると判断したのでしょう。おかげでしっかり準備したようです」
「ここはヤツの陣地で、俺たちはアウェイ。久しぶりにお前の本気が見れそうだったのにな。一翔チャンってば、また手こずらせてくれる。三度目は無いってのに」
ライカは歩きだした。
「どちらへ?」
「早くしないと刻印できなくなるんで」
※ ※ ※
陽翔は走った。
身体はボロボロで、気力で補っている。魔力が溢れてくるおかげで、どうにかやっていけるけれど、魔力を使う気力がないから、手足を動かすのが辛い。
走っている場合じゃない。早く一翔と交代して楽にしてあげたい。
転びそうになりながらも逃げて、めいっぱい叫んだ。
「一翔! 一翔一翔一翔! 返事して! 俺のことひとりにするな! 返事しろ!」
鎮火した宿から人が出てきた。太っちょな腹にローブと魔法の杖。戦闘態勢のディスカスに飛び込んだ。
敵のことや事情説明もあとでいい!
「一翔が戻ってこないよ!」
どうしたらいい?
どうしたら一翔が戻ってくる?
ディスカスは頷く。
「もう少し我慢するんだ。君が無事でいなければ、戻ったところで意味がない。今は逃げよう」
リルムが立ちふさがり、ディスカスは背後に陽翔を置く。そこが一番の安全地帯だ。
「大丈夫さ!」
ディスカスは背中から笑いかける。陽翔は大きく頷いた。
――一翔。魔力が来るってことはまだ無事なんだよな?
リルムは腕組みして悩む。
「こちらは神と魔王。対して、引退した魔法使いと子供。勝てないことは分かるでしょう。実利的な選択をすれば、痛い思いはしないで済みますよ」
ディスカスがリルムに集中しかけた時、ライカはそこにいなかった。次に陽翔の気配が消えた。意識が逸れた瞬間を狙い、リルムが閃光を放った。
「!」
ディスカスは宿屋の瓦礫まで飛ばされる。着地予定地点に向けてリルムが再び攻撃を準備している。
「そんなにガキが心配ですか? 別のことを考えている暇はありませんよ」
ディスカスは防御態勢を整える。どうやら図星だ。長い間戦っていなかったから本調子までほど遠い。
ドガガ!
派手な音と共にディスカスがひっくり返った。それこそ久しぶりの痛みだ。
「やれやれ」
ディスカスは瓦礫と埃の中で笑い、口元が緩んだ。
友と戦っていた頃の記憶が蘇り、少し懐かしくなったのだ。
※ ※ ※
陽翔は一人で戦うことになった。今は最後の武器を使っている。
一翔はまだ戻ってこない。ディスカスとは距離ができた。救援はいつくるか分からない。魔力を使う気力がほとんど尽きている。ライカの空間魔法は厄介だ。最初に一翔の頭を掴んだ時もそうだった。いきなりで、どこでも。これでは逃げても有効的ではない。
「一翔チャン、交代の時間だよぉ。さっさと出て来いよ」
「……。」
ライカが陽翔の頬を両手で掴んでいるせいで喋れない。子供の頭をまるごと潰してしまうことなど造作もないだろう。気分を害してはいけない。
顎を抑えられているから、呪文で反撃することもできないし、腕や足が短いから、蹴りも殴りもできない。でも俺の得意とするところは封じられていないし、それが何かということは気付いていないだろう。
――考えろ、もっと考えろ! 何のために勉強してきた。策で乗り切るんだ。一翔は絶対に渡さないぞ!
「そんなに睨むなよ。勇者クン。あいにく俺はそういうの見慣れてるんで、全然面白くないの。もっと変わったパフォーマンスしてくれないか」
ライカは笑いが止まり、冷徹な瞳に変化した。
「できねぇか。ならオメーは“アンコネクト”」
掌から電撃が伝わった。全身が痺れ、瞼が開かない。腕も足も人形のようにだらりと力なく果てた。
「一翔チャン、戻ってきな~。早くしないと心臓が止まっちまうぜ?」
身体の感覚が遠い。痛みも疲労感もなくなった。ほとんど視えないし、聞こえない。それでも意識を繋ぎとめる。
――一翔が体験してたのは……これなのか?
ライカの言葉を反芻しながら状況を確認していく。
アブソリュートコネクト。完全・絶対的な・疑う余地のない・独断的な? 連結・接続……ライカは一翔と繋がりたがっていた。でも俺に施したアンコネクトは否定形。俺はライカと元々繋がりはないし、持ちたいとも思っていない。もともとコネクトしていないのに、アンコネクト。それでは呪文として成立してないんじゃない?
これ、ただの電撃じゃないか!?
一翔ならとっくに騙されてる。
一翔は感覚派で、俺は理論派。ライカはその違いにうすうす気づいているから念のため、まるで呪文を放ったようにフェイクした。
ただの電撃だと分かれば、こちらの気力次第。復活は容易だが、俺はもっと考える。そうしなければならなかった理由だ。
肉体が本当に限界なのだ。大量の魔力が流れている今、肉体が崩壊しないのは気力と魂で保っているから。たぶん非常にデリケートな問題だ。
だから、外部からの力で完全に繋がりを切るのを躊躇った。わずかな電撃で身体への負担を最小限にするため、俺の脳だけを狙い、気絶程度に抑えたのではないだろうか。でも無抵抗な子供を殺さない程度に加減するのは象が蟻一匹を踏み潰すようなものだ。殺さないことを意識しすぎて、力加減がほんの少し弱かった。おかげで意識を失わずに済んだのだ。
だからといって、不用意に攻撃はできない。今、全力で攻撃呪文を使ったら、死ぬ可能性が高い。
兄さん、許してくれるといいけど。
まぁ死ぬのも一緒だから許すも何もないか。
俺は迷わないよ。目の前で一翔を奪われるくらいなら、一緒に天国で暮らしたほうがいい。
ライカは再び笑う。
「ほう?」
消えかけた黄金色の魂が再び強く光りだす。
“一翔は渡さない!”
陽翔はライカを睨んだ。
「お~。そういうの大好き。見てるとひねり潰したくなる! じゃあ今度は本当にやってやるよ。超レアなんだぜ、この呪文」
ライカは手を挙げると、黒い渦巻き状の空間が切り開かれる。
『スターゲート。我は神を讃嘆したまう者なり。マーラーの裁きにより忌まわしき肉の絆を絶ち、彷徨える魂を救わん。御魂よ。大いなる宇宙へ還れ。アブソリュート・アンコネクト』
“あああ!”
陽翔は再び身体の感覚を失った。
――まだ何もしてないのに!
意識は絶え間なく暴風の吹く闇の中にあった。掴めそうな場所にしがみついているが、ふわふわして、吹き飛ばされそうだ。空に舞い上げられたらもうダメになる。
“嫌だ! 一翔!! 一翔と一緒にいたい!”
意識体の形を保てない。肌が黄金色に光り、壊れた壁のようにボロボロと崩れていく。指の先端が消え、手足も闇に溶け、ただの光の球になった。
そして風に流れるようにフワリと浮いてどこかへ飛ばされる。
“! 一翔! かけるっ!”




