最強の反撃
ルードの腫れた顔を治療している間、ライカは上空を見上げた。
「まどろっこしい」
鳥に向かって手を伸ばす。
白い魔法陣が描かれたのは、ライカの掌のすぐ先だ。そこへ手を突っ込むと、柔らかい感触を掴んだ。
その時、俺たちは空中にいた。
いきなり鼻先に人の手が現れて、声をあげる暇もなかった。頭を掴まれて引っ張られる。気が付けば足が地面に着いていた。
「あ!――あっ!!」
ギリギリと締め付ける手から、見知らぬ魔力が侵入してくる。まるで俺たちを素っ裸にして、ジロジロと上から眺めているようだ。
まず俺は陽翔を隠した。そして見知らぬ敵に囲まれ、絶体絶命の俺が一番にしたこと。空前絶後、自分史上最大級の否定呪文。
俺は拒絶する。
こいつらは存在してはならない。生きていてはいけない。
すなわち、死。
青白く魔法陣を展開する。全力で放ったから、また血にまみれた。
――消えろ!
「NO!」
ライカは同時に地面へ叩きつけた。
「アッぶねぇ。でも無詠唱のほうが早いんだよね」
魔法をキャンセルされたし、全身が粉々に砕けたかと思うほど痛い。逃げるのにも腕も上がらない。魔力も尽きた。
右手を持ち上げられ、手袋を脱がされる。包帯を解かれていくと、手の甲が露わになっていく。
――だめだ。それは……
「ほら、やっぱりあった。勇者の紋章」
ライカは青白く光る勇者の紋章を指で突く。リルムは興味深い。
「ほほう、勇者の子供。異世界からの……。これは高く売れますね。王宮から逃げてきたのでしょうか」
「オメーの価値はその程度か?」
「いいえ。私以上の価値というならば当然魔王クラスでなくては納得できませんね。ライカさまは、どれほどの付加価値がこの子供にあるとお考えですか?」
「マナコアが二つ。黄金色のほうはどこかの聖女ちゃんにマーキングされたが、もうひとつは魔王級なのに、なんと未登録だ。な? 一翔チャン」
「マナコアが二つ?」
「前に実験したが、これほど完璧に二個共存しているのは見たことねぇ。普通は摩擦力が高くて、どっちか消えちまうか、どっちもダメになる。こいつは奇跡だ。相互作用で切磋琢磨しやがって。どれだけ強くなるか想像もつかねぇ。でも、聖女に齧られたほうの魂は交換してもいい。要らねぇな」
要らない?
――ふざけるな!!
ドッと気持ちが溢れた。湧いてくる感情が何であるか気付くのが遅れるほど、久しぶりに怒った。
怒りを制御できたのは、勝つためには冷静であることが一番だと小太郎に鍛えられたから。小太郎はこうも言った。
“普通に生きていくだけでもハードモードだぞ。時に備えろ”
修行の結果を出す時だ。屈しない。俺と陽翔が協力すれば願いは叶う。
――いっしょに戦おう。陽翔、交代だ。俺は足手まといだから後方支援で、ここ周辺のマナを吸収して送る。陽翔はその力で精一杯逃げろ。
“でも身体がもつかどうか……”
――あとさき考えるな。今から隙を作る。チャンスは一度。いいな?
“わかった”
無詠唱でやられたら無詠唱でやり返す!
俺が周辺の魔力を吸収した瞬間に悟られて終わる。それにテイマーの初級呪文しかできない。俺は子供で、絶対に勝てなくて、敵ともみなされていない。
そのことは利用できる。子供なのは外見だけで、敵とみなされないのはテイマーにとって好ましい。地下の大きなマナの流れに、俺ごと入ってテイマーの呪文をぶち込んだら?
誰もやったことないだろうな。
いつもみたいに空を飛ぶように意識を拡散させて、マナの流れに近づくだけでいい。濁流に近づいただけで、吸い込まれるかもしれないけど。
――まぁ、いいや。
あいつの狙いは俺だから、陽翔は生き残れる。俺がいなくなれば問題解決だろう。ごめんな、陽翔……。
俺は意識を解放し、地下のマナに吸い寄せられるように近づいた。
とても大きな流れだ。勢いの激しさに呑まれれば命は無いだろう。
けれど青白い光とは馴染みが良い。恐ろしいはずなのに、それほど恐怖はなかった。それは一滴の水が川に還るだけのことで、自分自身は何も変わらないように感じた。
“アイコンタクト”
俺はテイマー。今まで従えられなかったモノはない。全部だ。鳥も虫も哺乳類も。呼吸をしていて、俺の意思を感知できるものはみんな味方になってくれた。
だから今から俺は、世界で最も下衆な人間を従える。無限の魔力があれば、どんな強敵でも味方にする。
マナにも意思があるかのように魅了の呪文は馴染んで広がっていく。
俺と全てのマナはよく馴染んだ。近づきすぎたせいで膨大なマナが俺に流れ込んでくる。
――俺に従え! ライカ!!
陽翔に魔力を送っているうちに、俺は迸るマナの流れに意識を失った。
※ ※ ※
大海を翔け、一枚の板で波に挑む男。
先端が巻き始めた波頭をリッピング。
波を飛び出してエアリアル。
波が消えればカットバックでターン。
あるいは波に生まれたグリーンルームで、チューブライディング。
マナの海と空。青白い光の水飛沫。その中に混ざるアイコンタクトは魅了の呪文。
『偶然であり、必然!』
仮面の男はそう叫んだ。
サーフィンをしながら、マナの激流を進む。一流のプロでもこれほど上手にはできないだろう。それが成せるのは胸の光のおかげだ。
『ひゃっほう!!』
流れに乗って、わずかな希望は世界中へ広まっていく。
この奇跡が波乱万丈のはじまり。
そして王になるための重要な通過点。
『今行くよ! 一翔!』
これが困難の始まりで、人生終わったと思ってるだろ?
でも終わりは始まりがはじまるのに必要なプロセスだ。
つまり、幸せの始まりのためには、終わりも必要。
さぁ希望をもって、荒波を越えていけ!
※ ※ ※
居眠りでもしていたんだろうか。
ペットホテルのキッチンの作業台だ。椅子に座り、右手には包丁、左手には骨付き肉をもっていた。
まな板とボウルには肉屋からもらったばかりの新鮮なくず肉が山のようにある。たくさんもらったから、肉だけこそげ取り、冷凍しておこうと思ったんだっけ?
「何だ俺? ボーッとしてたんかな」
「ワン! ワン!」
ベル太が尻尾をブンブン振り、ちゃんとお座りしている。早く食べさせろと催促している。俺は包丁を置き、ゴム手袋をはぎ取るのももどかしい。そして、おもいっきりを抱きしめた。
「――ベル太ぁ!」
毛並みに顔をこすりつける。懐かしい感触。
ずっとこうしたかった。会いたかった!!
「ベル太、大きくなったなぁ」
しばらくして、顔をあげる。違う、自分が小さい。
両方の掌を見ると子供の手。そして手の甲をじっと見る。キラキラと輝く紋章の存在に、俺は混乱した。
夢? どっちが夢?
「ワン! ワン!!」
ベル太が服を引っ張り、全力でのしかかってくる。
「もう、ベル太ってば重いよ!」
ベル太の存在は夢ではない。ベージュの毛並み、ちょっと犬クサイ肉球の匂い。耳の裏のホクロ。どれも現実的だ。
俺がブラッシングをすると、ベル太はゴロリと寝転がって腹を出して甘えてくる。
平和で、居心地が良い。すこしだけ夢が叶っている。
本当はマナの流れに吸い込まれて、死にかけているはず。でも俺の小さな望みが叶っている。俺は失ってしまった大切なものを取り戻したいんだ。
ベル太を抱きしめると顔じゅう舐められて、もう大変だ。
どれほど時が過ぎても、自分のすることって、けっこう変わらないものだ。またベル太の毛並みを涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして、最後は呆れて笑えてくる。
「ベル。一緒にいてくれてありがとう」
こんな時でもベル太が一緒にいてくれて嬉しいよ。
その時、後方からポンと肩を叩かれた。振り向くと仮面の男がいた。
「誰?」
黒髪で、背が高くて、小太郎が祭事用に着ていたような、首元に毛皮のついた軽いマントの民族衣装だ。見知らぬ人だけれど、嫌いになれない。動きがわざとらしくて、演技っぽいから笑える。
『そろそろ帰りな。陽翔が独りで寂しがっているじゃん』
「帰り方、知ってます?」
『本気で願うことだ。人は弱い。一人なら猶更だ。陽翔は今、ライカと戦っているよ? 命がけで君の身体を守り、帰りを待っている。君の今の願いは何?』
俺は愛おしい毛並みに顔をうずめ、抱きしめる。
答えなんかとっくに出ている。やるべきことは分かっていたから。
「ベル、別れたくないよ」
でも誓った。俺たちで、宿屋になるんだ。
だから願おう。戦おう。
「できればベルとも一緒がいいな」
男は一礼する。
『お客様のお望みとあらば。確かに承りました』
「え? いいの?」
『最強の名にかけて、ご満足いただけるよう努めさせていただきます。ベル、覚悟は良いかい?』
ベル太は嬉しそうに尻尾を振る。
『ありがとう。感謝する。ではご一同、共に帰還いたしましょう。さぁ祈ろう! 陽翔を救うぞ!』
俺は願った。
――陽翔、今戻るね!




