第12話 皇族と貴族
凍結した空気を以て終了した式典に対し、夕刻より執り行われた晩餐会は概ね良好な空気の中で進行されていた。
“勇者”として召喚された若者達の不遜な行動――列席した門閥貴族や軍人達の目にはそう写った。が、皇帝の不興を買い、晩餐会も形式的な惨禍に留まる可能性があったのだ。
しかし、大勢の心配は理想的な形で解消されることになる。
晩餐会の開会に先立ち、皇族とともに現れた皇帝は、特段の不満を見せることなく臨席し、周囲の者達を安堵させたのである。
「まあ、父上のなりの悪戯だ。最近では、“平気で皇帝を軽んじる不定な輩”が跋扈しておるが故にな」
「私の顔を見ながら言わないでくさい。殿下」
「しかし、勇者様も殿下のお眼鏡に適っただけのことはあり、中々の面構えをしておりますな。これは、殿下の御降嫁も間もなくとおなりでしょうかな?」
「馬鹿を言うな。それより、貴様は……」
昴や健介とともに、改めて久しぶりの再会を喜び合っていた優哉であったが、目の前にて繰りひろげられる和やかな言葉の応酬に、せっかくの料理も喉の通りが悪くなっていた。
今、アヴィネスから辛らつなる言葉を向けられている二人の青年男性。
アヴィネスに睨み付けられ、苦笑しつつそれに応えている豪奢な金色の髪と来た抜かれた長身痩躯の男は、帝国独立猟兵軍第二軍団司令官を務めるフリッツ・ロゥ・アモリアード。
門閥貴族の権門たるアモリアード家の次期当主であり、貴族の近衛集団とも言える“独立猟兵軍”第二軍団。つまり、アモリアード近衛軍団の司令官を務める男である。
今一人、アヴィネスに対して嫌味で返している鮮やかな黒髪と痩躯のフリッツに対して大柄で堂々とした体躯をもつ男は、ユリアス・ロゥ・ロデリアム。
フリッツと同じく、権門たるロデリアム家の次期当主であり、帝国独立猟兵軍第三軍団(ロデリアム近衛軍団)司令官を務める。
両名ともに、門閥貴族よろしく豪奢な衣服に身を包んだ生まれながらの貴公子と言ったところであるが、優哉から見れば、それまでの旅路でアヴィネスが見せた貴族に対する嫌悪がこの二人に対しては向いていないようにも思え、どことなく興味を覚える両者と言える。
たしかに、彼女が口にしたように、生徒達が皇帝に対して不遜な態度を取った時には、二人は抜刀しかけて詰めよりかけていたし、皇帝が膝をついた時には、同情や苛立ちよりも嫌悪の視線を向けてもいたのである。
権門であるが故に、帝室を恐れないと言うところはあるのかも知れなかったが、それでも今目の前で話をする姿に、いわゆる俗臭さは感じられなかった。
「まあまあ二人とも。それより、勇者殿。貴公等の世界は、どのような世界なのか簡単に教えてはくれまいか?」
今もギスギスしあうアヴィネスとユリアスの間に立ち、苦笑して両名を宥めたフリッツがそう口を開く。
「そうですね……」
そう問われて、優哉は昴等とともに野球や高校生活のこと、趣味や娯楽などについて淡々と話す。
はじめは興味深げに頷いていた三者であったが、やはり別の世界のこと、途中から眉を顰め、首を傾げる場面が多くなってきていた。
「うーむ。やはり、よく分からんな。だが、君達の世界にあっては、我々のような人間はすでに存在しないというのは興味深い」
「貴族がですか? しかし、その理由はあまり、というより耳障りの良いものではありませんよ?」
「構わんよ。我々とは没落したくはないからな。戒めとして聞いておきたい」
首を傾げつつ苦笑するユリアスであったが、その話の中にあった歴史に関しては興味が向いたらしい。しかし、貴族と言うものは、優哉達の世界では悪印象をもたれがちであり、そこに至った経緯なども優哉達が知っている中では、不快に思うように思える。
とはいえ、そう応えた昴の言に、フリッツとユリアスがそう告げたため、三人は交代で授業で習った市民革命について口を開く。
なぜか、世界史ではその辺りのことに時間が割かれていたのである。
「…………耳が痛い話だな」
「加えて、不快だ」
「同感」
案の定三人の顔が曇る。
相応の理由はあれど、自分達と同じ地位の者達が、民衆によって捌かれ、断頭台の露と消えていった事実を歓迎するはずもない。
「しかし、愚民どもの革命の後に、帝政が起こったというのはなんとも愉快な話ではないか。貴様らの様な俗物が消え、私の天下になるという証のようなもの」
「やめてください。縁起でもない」
「俺はむざむざやられるつもりはないですから」
多少、空気が不穏になったためか、慌ててその後の話へとシフトすると、今度はアヴィネスが上機嫌に口を開く。
彼女自身は、ロトの村に加えられた凄惨な殺戮行に激怒していたものの、自分達の手で王制を打倒する民に対しては、“愚民”という辛辣な表現を用いている。
とはいえ、それが結果として帝政と英雄を産んだという歴史もあり、そのこと自体には満足している様子だった。
そんな、機嫌の良くなった第一皇女に対し、男二人は苦笑と不敵な笑みで返すだけ。両者とすれば、権力を争うことになったらなったで好きにはさせないつもりがあり、それがある意味では不敵な態度となって表に出てきているのだ。
「ま、なかなかおもしろい話が聞けたな。ユウヤ、スバル、ケンスケ。一緒に戦う時が来たらよろしく頼むぞ。ではな、俺はごますりの続きだ」
ひとしきり談笑した後、ユリアスが三人と握手を交わすと、別の勇者達の元へと足を向ける。
多少、地位を鼻にかけるところはある様子だったが、それを隠す気がない態度はやはり相応の度量を感じさせる男だった。
「優哉。ヤツは人材集めには手段を選ばぬが故、コロリと騙されるでないぞ?」
「は、はい」
「殿下。まあ、私もその辺りは遠慮するつもりはないですがね。ところで」
「ん? なんですか?」
「美波だね。あそこにいるのは」
それを見送ると、アヴィネスが優哉に顔を寄せ、半ば脅しかけるように声を落としながらそう告げると、優哉は背筋が凍るかと思いつつも頷く。
そんなアヴィネスを嗜めたフリッツであったが、彼は三人に何かを訴えかけるように視線を別の場へと移すと、別の場所で他のクラスメイトともに貴族や軍人に囲まれている美波の姿があった。
「ミナミ……というのか。彼女は私の担当する教庁に召喚されてね……、もっとも、ここに来るまでは口一つ聞いてくれなかったんだ。出来れば出良いのだが、何か不快にさせてしまった理由を聞いてはくれまいか?」
美波の姿を一瞥し、どうすればいいのかと言った様子で頭を掻いているフリッツの姿は、その貴公子然とした風貌にはあまり不自然であり、少々滑稽でもあった。
とはいえ、本気で悩んでいることも伝わってきたため、互いに顔を見合わせた三人を代表して、昴がフリッツに対して口を開く。
「アモリアード卿」
「フリッツでいい」
「失礼いたしました。その件ですが、フッリツ様に咎はないので心配しないでください」
「だが……、理由があるならば教えてくれ。さすがに、召喚した勇者からアモリアード家の人間が不興を買ったとあっては……」
「いやその……、フリッツ様。ものすごく失礼な理由になりますよ?」
「かまわぬ。教えてくれ」
「私も興味があるぞ?」
「その……顔が」
「うん?」
「いえ。あいつは、派手目と言いますか、髪が染まっていて、見てくれのいい顔をしたヤツが苦手なんですよ。遊び人に見えるみたいで。フリッツ様は見ての通り、金髪のいい男だから、ちょうどあいつが苦手な外見なんです」
途中で健介に交代し、さらにお鉢が回ってきた優哉は、押しつけるつもりであった面倒ごとが自分に返ってきてしまい、額に汗を浮かばせながらそう応える。
なんと言っても、相手は権門の次期当主。如何に勇者と言えど、事の次第では処断される可能性もあるのだ。
しかし、優哉から事の真相を聞いたフリッツの反応は、意外なものであった。
「そうなのか……。顔ではどうしようもないな」
「怒らないんですか?」
「何にだね? どちらにせよ、女性を不快にさせたことには変わりないだろう?」
「いや、それは…………ん?」
そして、真剣に悩んでいるフリッツの反応に、困惑した優哉であったが、健介が肘をつつきながら何かを目配せしてくる。
それが何なのかは分からなかったが、理由を聞いて笑っているアヴィネスに慰められている様は、皇族と門閥貴族の姿のようには見えなかった。
「ふう……。色々ありすぎた一日だったな」
「悪いな。俺がよけいなことをしてせいで、よけいな気を使わせてしまった」
「いや、どっちかというとそれに乗っかった連中の方が悪いよ。あれじゃあ、宰相さんも説明できないしね」
その後、いくつかの貴族や軍人から媚びを売られ、すっかり疲れ果てた三人は、宛がわれた一室へと戻り、今は優哉の部屋に集まっている。
アヴィネスや途中からやって来た第二皇女システィーナと物静かな第三皇女ティファーねによってそこから解放されたのは、すでに日を跨いだ後のことである。
「それにしても、三人とも皇女様に召喚されていたのか。おかげで、おっさん達がしつこいしつこい」
「どちらにも属していない連中だろうな。フッリツ様やユリアス様の所にも行っていたぞ」
「ごますりって言うのはどこ時代も変わらないんだろうね」
「それより健介。さっきのはなんだったん?」
「さっきって?」
「フリッツ様に相談された時につついてきただろ?」
「ああアレ? なんか分かっていなさそうだったからさ」
「?? 何が?」
「あら? 伝わっていなかった? フリッツ様は美波に惚れているんじゃないかと思ったんだよね」
「へっ? そうなん?」
「いや、俺に聞かれても」
「まあ、確証ある分けじゃないけどね。ティファーネ様の話じゃ、あの人天然誑しで、女性にはすごく気を使うらしいからその一環なのかも知れないしね」
「と言っても、真相を聞いた時は妙にへこんでいたよな」
と、他愛の無い話で盛り上がっているところに、扉を叩く音が響く。すでに日付を跨ぐような時間であり、訝しげに思っていた三人であったが、ほどなく聞こえてきた声の主に慌てて扉を開く。
「私だ。まだ、寝てはおらぬだろう? 開けてくれ」
そう言うと、アヴィネスとシスティーナ、ティファーネの3姉妹が揃って、優哉の部屋へと入室してくる。
慌てて膝をつこうとする三人に対し、三皇女はそのままにといいながら、適当な場に腰掛ける。
「すまんな、疲れているところを」
「いえ。それより、いかがいたしました?」
開口一番にそう口を開いたアヴィネスは、見慣れた鎧姿ではなく、会の時のそのままのドレス姿であり、普段の勇ましさよりはじめにあった時の美しさが際立っている。
そんな姿に見とれそうになりつつ、優哉は彼女の目的を問い掛ける。
「なに、感想を聞いておこうと思ってな。特に、あの二人のことをな」
「はあ、お二人とも、門閥と言う割には気さくな方だと思います」
「気さくすぎて怪しくも思えましたが」
「他の、おっさんおばさんに比べれば、絡みやすかったですね」
「ふうん。悪い印象は抱いていないってことね。あ、それから優哉と健介。私は、システィーナ。改めてよろしくね」
「私は、ティファーネ。昴、優哉、以後お見知りおきを。とまあ、予想通りの反応ですね」
三人の応えに対し、改めて自己紹介したシスティーナとティファーネ。そんな彼女達の反応は、はっきりと予想していたようすである。
「と言いますと?」
「あの二人も、貴様らの事を探っていたのだ。なにせ、我々が直接召喚し、こうして手元に置いているのだからな」
「他にもいたんだけどね。あの馬鹿をやってくれたのは、最初はひどかったんだから」
「斎条ですか? システィーナ様の所に?」
「そうよ。いきなり、『なんだよ、ここはっ!!』なんて暴れ出すし、力を知ったら調子に乗って横暴になるし……。姉様と二人で叩きのめしてやったら大人しくなったんだけど、今日もあんな事をして、手放して正解だったわ」
優哉の問いに、アヴィネスが何かを試すかのように答えるが、それに対し、システィーナは愚痴の混じったように口を開く。
昴の言に便乗して、声を荒げた斎条悠葵は、優哉のクラスメイトで、少々の問題児でもあった。進学校に入学できただけに、表だった悪さはしていないが、休み明けの生徒指導の常連であり、何かと上に突っかかりたがるのである。
今日だけでなくそれ以前にも同じようなことをやったようだが、やはり学んでいない様子だった。
「姉上。そのくらいに」
「あ、悪いわね」
「まあいい。それで、三人とも。これからのことだが……」
そんな元クラスメイトのことを思いかえした優哉であったが、静かに声を落としたアヴィネスの言へと耳を傾ける。
夜の暗さはさらに深みを増していき、それは今後の彼らの未来を暗示しているのか、それとも彼らを休みへと誘う恵みであるのか、今の彼らには知るよしもなかった。
◇◆◇
「して、どうであった?」
夜の暗がりがさらに深みを増す中、蝋燭の炎の揺らめきが一人の壮年の男の身体をゆっくりと照らしている。
そんな男対面するのは今だ20歳前後の青年。
お互いに、豪奢な金色の髪を持つ両者の間には20年ほどの時間の差があれど、ともによく似た顔立ちをしている。
そして、壮年の男の傍らには、半裸の女性が妖艶な笑みを浮かべたまま寄り添っていた。
「簡単に靡く人物ではございません。何より、三皇女が許すとも」
「それは関係無い。元々、勇者とは国に尽くすものだ」
「とはいえ、性急に事を運んでは」
「ふん。まあよい、貴様は手の内にある勇者をさっさと手なづけよ。いずれ、至尊の冠を抱く際、勇者を伴侶とするならば、何かと箔が付く」
「努力いたします」
男の言に応えた青年は、淡々と口を開く男を睨むような視線を向けるも、男がそれに特段の感心を示す事はない。
報告を終えると、手を払うようにして青年に退出を促した男は、笑みを浮かべると寄り添う女達をと組み敷いていく。
そんな様を、青年は見るつもりはなかった。
「至尊の冠か……」
退出し、廊下をゆっくりを歩み寄せる青年は、さきほど男から言われた言葉を反芻していた。
たしかにあこがれではあるし、自身に流れる血は、帝室とは密接に関わりがある。何より、死したる母が願い続けていたことでもあるのだ。
「興味はないのだがなあ……」
そう呟きつつも、先ほどの男からの提案には、一種の魅力があるようにも思える。
「美波……」
そして、脳裏に浮かんだ少女の名を思いかえした男。
他の女のように、権力や外見のみに惹かれる者とはことなり、はじめから一つの意志を持って自分に接してきていた。
それでも、彼女の目には自分ではない男の姿が写っているようにも思える。
「これが、嫉妬というヤツかな?」
そんなことを呟きつつ、自室へと向かう青年。そして、その脳裏に姿を浮かべた男は、いずれ戦う運命にあると。そう思っていた。




