終-4 ネームセンス最悪でした
すっかり月英の休憩所となりつつある医薬房の裏。医薬房の壁を挟んで会話するのは、二人のお決まりとなっていた。
特に狙って来ているわけではないのだが、春廷が現れるのがいつも月英が医薬房の裏にいる時なので、このように上下に並んで会話するという格好が根付いてしまっている。
そしてそこには、今や新たな住人の姿が。
「こらこら、猫美、それは猫太郎の饅頭だって。物欲しそうに眺めない。猫太郎も、自分の饅頭を献上しようとしない」
「あら、まだお腹が空いてるのね、猫美ったら。草饅頭ならおかわりあるわよ」
「じゃあそれ、僕がもらうよ」
「猫と取り合いしないで」
猫美こと真っ白な猫こそ、医薬房裏の新たな住人ならぬ住猫であった。
実はこの猫、穿子関近くの北の地をトポトポと歩いていた猫である。
ずっと後をついてきて馬車に乗ろうとした時、背後で「ふみゃ~ん」と麗しの声で呼ばれれば、腕の中にしまい込むのに躊躇などなかった。
一応の配慮として、燕明の私室を訪ねるときは袋に入っていてもらったのだが。それが彼の月英に対する『こいつ、また何をやった』という猜疑心を煽る結果になったとは、月英は気付いていない。
饅頭を食べ終えた猫太郎と猫美は、ちょんちょんと鼻を突き合わせると、二匹でどこかへ行ってしまった。心なしか、猫太郎の跳ね上げる足の高さが、いつもより高い気がする。
「にしても猫太郎に猫美って……本当、月英は美的感覚が壊滅的よね」
「でも覚えやすいでしょ」
「まあ」と納得するのが癪なのか、春廷は口角を引き下げ不服そうな顔をしていた。
「それで猫太郎と猫美は良いとして、そういう春廷はちゃんと万里と話せた? 万里も春廷も、言いたいことちゃんと全部言った?」
コツンと壁に後頭部を付ければ、頭の上で、ふと息を抜く気配があった。
しかしそれは憂鬱から来るものではなく、思いだし笑いのような温かなもであり、月英は安堵を覚える。
まあ、万里の様子から、上手くいったのだろうとは察してはいたが。
「久しぶりに家族全員で卓を囲んだわよ。父さんがあんなに喋って笑う姿を見たのなんていつぶりかしら。急に長生きしないとなとか言い出すし……万里も、これからは時々家に顔を出すって言ってたし」
「お父さんの寿命が延びるなら良かったね」
変な月英の相槌に、春廷は「そうね」と噴き出すと一緒に眉を下げた。
「止まっていた時間が嘘みたいに流れ出したの。流れに石を置いていたのは、きっと私達全員だったのね」
すると、月英の旋毛がツンツンと突かれる。
顔を上げてみれば、満面の笑みの春廷がこちらを覗き込んでいた。
「ありがとう、月英」
春爛漫といった鮮やかな笑みは、今まで見てきた彼の美しい表情の中でも、一等の美しさを誇っていた。
「どういたしまして、春廷」
月英も負けじと、満面の笑みを返した――ところで突然、春廷が思い出したように「そういえば……」と独り言の大きさで呟いた。
「春廷どうしたの?」
「あーあのね……いや、やっぱり……んー」
言おうか言わないか、とても悩んでいる。
一体何だというのだ。
「あーうん。こういうのは本人から聞いた方が良いでしょうし、やっぱり何もないわ」
「すっごい気になるんだけど……」
隠されると余計に気になるというもの。
「まあまあ、お楽しみは寝て待ってて……って事で」
口を指先で塞ぎ楽しそうに笑う春廷に、月英は首を傾げたのだった。




