3-20 大于の娘は!?
昨晩、月英達の処遇をどうするかと話し合われていた天幕で、今は月英達と大于、老爺が向かい合って座っていた。
天幕の中に満ちる空気は、昨日と違って随分と柔らかい。
「改めて礼を言おう。春廷殿、感謝する」
「アルグを救ってくださり、誠にありがとうございます。何とお礼を申して良いのやら」
大于の隣で老爺が鼻をすすりながら、地面に頭を擦り付けんばかりに伏せていた。
「どうか、頭を上げてください。医官として当然のことをしたまでですから」
慌てた春廷が、老爺の身体を起こしに駆け寄る。
「それにある意味、この結果は偶然だったのですから」
「ほう、そのように一か八かの賭けには見えなんだが」
「偶然、ワタシが知る病だっただけです。ただの熱病でも、罹患初期と長引いた場合とでは対処法が異なるのです。恐らく、ずっと初期の治療法を行っていたせいで悪化したのかと。もう少し病状が悪化していれば、ワタシには手の打ちようがありませんでした」
大于と老爺は、驚きに目を丸く見開く。
「随分と正直な……。良いのか、そのようなことを言って。『東覇の萬華国ができぬなど』と我らに侮られるやもしれぬぞ?」
ふ、と春廷は口端を緩めた。
「萬華国は確かに大きく、強権を持っています。しかし同時に、知らないこともまた多いのです。治療できない病はまだ多くありますし、それによって救えない悔しさを日々噛み締めております。医術に限った話ではありません。文化や教義も同じで……ですから、陛下はこの度、萬華国の開国を断行されたのです」
春廷は、理解を求めるようでもなく、取り繕おうとしているわけでもなく、ただ事実のみを語っていた。
声を大にしても、荒げてもいない。
しかしその静かさは、梵鐘の余韻のように大于の心の一番奥にまで響いた。
大于は瞼を伏せ、息を漏らして微笑する。
「我々は、お主達から実に真摯な対応してもらったのだな。嘘をつき、威武を誇張することもできただろうに」
「友交を築こうとする者相手に、そのようなことは不要ですから。もし、今回のことで何かと仰ってくださるのであれば、我が国の開国をどうか正面から受け止めてください。下心などなにもありません。ただ皆がより良く暮らしていけるようにと……ただそれだけです」
春廷は、大于から隣の老爺へと視線を向ける。
「先程、お孫さんのご両親に治療法を書いた紙を渡しました。これで、この部族では同じような病に陥ったときでも、助けることができます。このように、互いに知らなかったことを学べれば、救える命も増えるのです。今はまだ偶然でも、それを確実にできるときが必ず来ます」
「最後までかたじけないですな。それに、その心掛けを聞けたらば、我らは善き友人を得たと言っても良いのでしょうな」
大于は「そうだな」と、瞼を閉じたまま深々と頷いた。
そして次に瞼が上がったとき、彼は至極嬉しそうな、まるで子供のような純粋な笑みを浮かべていた。
「お主達のような者が仕える主ならば、娘を安心して任せられるわ」
「え」と、月英達三人の声が重なった。
互いに顔を見合わせ、もう一度「え」と、大于にどういうことだと困惑顔を向ける。
対して、大于はしたり顔で、クツクツと喉を鳴らし笑っている。
「いやぁ最初、亞妃が心を塞いでいると聞いて、萬華国には失望したものだが……中々どうして。そちらに嫁がせて正解だったわ」
大于はとうとう大口をあけて、呵呵と笑いはじめた。
その様子は、まさしく豪放磊落という言葉が相応しい。
膝を叩き、まだ状況が理解できずポカンと口を丸くしている月英達を見ては、より笑声を大きくしていた。
「私は、お主等が言う『亞妃』――烏牙琳の父親、烏牙石耶だ」
「はいぃぃぃ!?」と、またしても三人の声が重なって響く。
「まさか、気付いていなかったとはな」
「あ、いえ……亞妃様が北の地の出とは知っていましたけど、どこの部族かまでは……」
特に亞妃との面識がない春廷には無理からぬことだろう。
しかし、面識があった月英と万里もやはり吃驚しているのだが。
「だって、亞妃様と大于さんって全然似てないですよ!?」
「そうか? よく爪の形がそっくりだと言われたのだがな」
「見ないっ! そこまで見ないです!!」
「ははっ、まあリィの顔は母似だからな」
言いながら、顎髭をザリザリと撫でる大于はやはり亞妃とは似ても似つかない。
これで気付けという方が無理がある。
「今、隣に並べられても分からねえわ。美女と野獣だなとしか」
「なるほど。万里って亞妃様のことを美女って思ってたんだね」
独りごちた万里に、月英は口を歪ませ揶揄いの目を向ける。
己の発言の意味に気付いた万里が、慌てて自分の口に蓋をするがもう遅い。しっかりと揶揄いの種として使わせてもらうとしよう。
後宮の女は嫌いとなどと言っていたくせに、ちゃっかり品定めするとは不届き千万である。このムッツリめ。
「そういえば、お主達。ここへは探し物をしに来たのだったか」
大于は膝を立て、その巨躯に見合わない軽やかさで立ち上がった。
「確か、お主はリィの好きな香りを持ち帰りたかったのだったな」
向けられた大于の視線に、月英は啄木鳥のように細かく頷き返す。
大于に敵意がないのは分かっているのだが、やはりその巨体で見下ろされるとどうしても気後れしてしまう。
まるで獣に品定めされている兎の心地だ。
「ルウ爺、しばし空けるぞ。不在は任せた」
大于は、隣に座していた老爺を見遣った。その口元は不敵に吊り上がっている。
「かしこまった。で、どこまで行かれるのです?」
「北だ」




