3-18 さみしがりな弱虫の強がり
「逃げたんだよ……っ! 医官になるのが怖くて……オレは逃げたんだ」
医学に入り学び、そしてこの試験を合格すれば医官――というところまで来て、万里は気付いてしまった。
このまま医官になれば、いつかは必ず誰かの命を託される場面が来る。そこでもし、救えなかったとしたら、果たして自分はそれに耐えられるのだろうかと。
「もし、姉さんと同じ症状の患者がいて、それで救えなかったら……オレも姉さんを救えなかった人殺しの一人になっちまうって気付いたんだ。子供だったから救えなかったっていう言い訳が、全部剥がされてくんだよ。そこから現れるのは、子供だろうと大人だろうと、オレには姉さんは救えなかったっていう事実だけ…………っ堪んねえよ」
あれだけ好き放題八つ当たりしておいて、結局、治療もできず、最期も看取れず、一番役に立てていなかったのは自分、という現実が襲ってくるのだ。
十八の万里は、想像しただけで吐きそうになった。
「春廷とお父さんに、あの時はごめんって謝ったら良かったんじゃ……」
「謝れるわけねえよ。その時でもう八年経ってたんだぞ、八年……姉さんが死んだあの日から。その間、どれだけオレが二人に……っ」
もう、どうしようもなかったのだろう。
誰かを悪者にしていなければ、自分にその矛先が向いてしまうことに気付いてしまったのだから。
自分は悪くないと思うことで、何も気付かないふりをする。
「先に壁を作って、離れたのはオレだ」
兄を嫌い、家には戻らず、医術を捨てることで、万里は自分を守った。
しかし、全てを拒絶する壁を築いた結果、万里はより頑なに春廷や医術を拒むようになってしまった。
「でも本当は……っ、壁なんか関わらずに、ただアイツに迎えに来てほしかったんだ」
自分だけではもう、壁の崩し方も解決法も分からなくなっていた。
自分を正当化するために自分の気持ちに嘘をつき続けた結果、にっちもさっちも行かなくなった万里。
「きっかけがほしかったんだね。謝るための」
突っ伏したままの万里の頭が、微かに頷いた。
「――っでも、アイツは全然来なくて……昔はあんなに一緒にいたってのに……同じ内朝にいても嘘ってくらいに会うこともないし。今回だってオレを避けようとしてる……っ。やっぱりオレ、アイツに嫌われたんだろうな」
万里の声は湿り気を帯びていた。
出会った当初は、随分と上から目線で横柄な官吏だなと思ったものだが、今やかつての面影は全くない。
袖で雑に鼻を拭う姿など、そこら辺の子供のようだ。
「春廷がさ、自分は昔、万里を傷つけたって言ってたんだ。信じてた君を裏切ってしまったって」
二人の問題であり、二人でぶつかり合ってほしいものなのだが、このままだと万里が先に勘違いしたまま折れてしまいそうだった。
「裏切ったって……アイツそんなこと……」
「だから恨まれても当然だって」
「恨んでなんかない! むしろ恨まれるべきはオレだろ!?」
「そういう事は、僕じゃなくて本人に言いなよ。そのために今回一緒に来たんでしょ」
「うっ……」
ここから先は業務範囲外である。
月英は、顔の横に上げた両手をヒラヒラと振って拒否を示した。
顔を上げた万里が悔しそうに、ズビと赤くなった鼻をすする。
そこで自分の今の顔――目には潤みが残り、水気があった目尻や鼻は擦ったせいで赤くなっている――に気付いたのだろう。
「…………見んなよな」
しまった、と恥ずかしさと気まずさが混ざった顔をした後、万里はふいっと反対を向いてしまった。
こんな時でさえ強がる姿がまたおかしくて、月英は忍び笑いを漏らした。




